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40 隠忍自重  


御陵衛士として新選組を離脱した斎藤、平助に対し幹部及び平隊士に至るまで表立って不満を口にする者はいなかったが、胸中複雑であった事は否めない。特に三番隊、八番隊の隊士にとっては信頼していた組長の離隊はかなりの喪失感となった。
彼らの御陵衛士入りが決まり平助の隊は源さんの六番隊に合流し原田は三番隊を預かる事となった。
ここにきて原田は年明けすぐの巡察で三番隊と同行した時の事を思い出す。肩を並べて歩きながら前後の脈絡もなく斎藤が突然に口を開いたのだ。
それはまるで天気の話でもするように淡々とした口調だった。

「左之、あんたには迷惑をかけた」
「なんだよ。急に」
「世話になった礼を言っておきたい」
「は? まるで別れの言葉みてえだな」

軽く流して聞いていた原田が俄かに真顔になる。

「俺に何かあった時は……あんたに全てを頼みたい」
「なんだよ、一体?」

そこまでで斎藤は口を閉ざしたが日頃無口なこの男がこんな事を言うなど珍しい。原田が斎藤の顔をまじまじと見る。その表情はいつもと同じで、特に感情は読み取れない。

何かあった時とはなんだ? 全てを頼むとは何のことだ?

原田の脳裏に直ぐ様名前が浮かんでくる。

「おい、斎藤。何の話をしてるんだ?」

真剣な声で向き直り問い糺してみるが、斎藤はもう何も答えなかった。
公に伊東甲子太郎と行動を共にする事が激増し始めたのはそれ以来だ。屯所を空ける事の増えた斎藤がどうやら伊東に心酔しているらしいと隊内では噂になっていた。
そして三月、近藤局長から発表された御陵衛士の分離は酷く唐突で、斎藤は伊東らと共にあっさりと新選組を出て行った。
往く道を変える事を責めるつもりなどはない。だが原田の心の中では斎藤の言葉と行動の全てがどこか腑に落ちなかったのだ。
名前は何もかもを受け入れまるで諦めたように過ごしているかに見えた。



目覚めると六つ半。日の出が早くなったな、と思う。
桜の盛りも過ぎあれから随分経ったような気がする。

はじめさんはどうしているだろう。

名前は静まり返った隣室のかつての住人に思いを馳せるが、それはほんの一時の事で想いを振り切るように首を振り、手早く身支度を済ませ少し早いが勝手場に向かった。
入口の戸が薄く開いている。もう千鶴が来ているのだと思い声をかけながら勝手場に一歩足を入れる。

「千鶴ちゃん? 今朝は随分早い……」

千鶴が釜戸の前に蹲っているのが目に入った。
小さな頼りない背中を震わせ声を殺して泣いているのだ。
その様は胸を締めつける程切なかった。
彼女はずっと独りで耐えてきたのだろう。

「千鶴ちゃん……」

駆け寄り抱き締めると我慢していた声を上げて千鶴が嗚咽した。何を聞かなくても名前には解っている。
ただ抱き締めてその背を長い長い時間優しく撫でていた。
やがて千鶴がぽつりぽつりと話しだす。

「……平助君はこの国の未来を見てみたいって言ってたの。それから伊東さんを見捨てられないって……」
「うん……」
「私のこと忘れないって、迎えに来てくれるって言ってたけど……」
「うん、それなら平助君はきっと来てくれる」
「……でも、」
「皆、国の未来の為に頑張ってるんだもの。でも平助君の千鶴ちゃんへの気持ちは嘘じゃないと思う」
「うん……」
「私達は待つしかない。新選組と御陵衛士は敵じゃないって局長も言ってたし」
「でも本当は、もう行き来は許されないんでしょう?」

実際にはそうだった。
伊東達が脱した後から御陵衛士に走った隊士が一人いた。だが分離を境に相互の受け入れを禁止する規約が出来た為、伊東に拒絶され寺町の本満寺に潜伏していたところを新選組に発見されて、屯所に連れ戻された後切腹させられているのだ。
千鶴は知らないが名前は撃剣師範を務めたその男の件を知っていた。彼は勤王思想の強い隊士だった。いたたまれない気持ちになった。
一部の私利私欲に走る輩を除き大半の志を持った人の誰しもがこの国の、日の本の大いなる未来を夢見た。
よりよい国へと。ただ思想や手段が違っただけだったのだ。何故敵同士にならなければならなかったのだろう。
多くの犠牲とその陰の涙を飲み込んで、日本は新時代に入っていく。
千鶴の背を抱いたまま名前は自分にしか解らない思いに胸を掴まれる。

「女の私にはよく解らない……。斎藤さんは名前さんになんて?」
「信じろ、って」
「それだけ?」

まだ涙の残る目で千鶴が名前に問いかける。

「名前さんはその言葉だけで信じられるの?」
「……島原に潜入した後、取り乱してた私のこと思い出すと笑っちゃうでしょう」
「笑わない。好きな人の心が見えなければ、誰だって落ち込むよ」
「心って目には見えないもんね」

名前はふふっと笑い、そして自分の左胸に手を当てる。

「でも今度は信じるって決めたの。愛される事ばかりを求めてたから悲しかったんだと思う。今、全ては自分のここにある。私がはじめさんを愛している。だから待てる」
「名前さんは強いね」
「そんなことないよ」
「……ううん、強くなったんだね。私も見習わなきゃ」

千鶴もやっと小さく笑顔を見せた。



離脱直後、御陵衛士十五名は三条の城安寺に一泊しただけで五条東詰の善立寺に移る。
実のところ新選組に承諾を得てからも、ぎりぎりまで屯所を置く場所に伊東は苦労していた。当面は善立寺に腰を落ち着ける事にしたが、此処にも長くは居られなかった。再三の移動をした挙句、彼らがやっと高台寺の月真院に「禁裡御陵衛士屯所」という標札を掲げる事が出来たのは六月後半の事となった。
食事をとりながら殊更に人と離れた位置に座る斎藤をちらりと見て、鈴木三樹三郎が伊東に耳打ちする。

「あれは無愛想な男ですね」
「そこがいいんですよ。彼は使える」

伊東が事も無げに答えた。
鈴木三樹三郎は伊東甲子太郎の実弟であり、斎藤を除く他の同志は皆江戸以来の仲間である。斎藤だけが毛色の違う事が気に掛かったが兄は彼を信用している様子であり、それ以上は言えずに黙る。だが違和感を拭えずにいた。
篠原泰之進は逆に斎藤を気遣った。今日も飯の椀を手にしたまま斎藤の側に寄って来る。

「斎藤君、あっちに居た頃は随分と固い男だと思っていたが、実はそうでもないのかい?」
「…………」
「何でもいい女がいるらしいじゃないか、え?」

斎藤は顔色を変えないまま篠原を見上げた。

「君、島原に通っているんだろう」

篠原はニヤニヤと笑っている。
面には出さないが内心ひやりとした彼は胸を撫で下ろす。名前の事を言われたのかと思ったのだ。
篠原泰之進は新選組にいた頃には諸士調役兼監察や柔術師範を務め、土方にも重用された好漢であった。慶応二年の近藤の広島行きにも訊問使の一人として同行している。
斎藤は曖昧な返事を返しながら、それでも決して心を許しはしなかった。



しなやかな身体が絡みついてくる。
甘い声で自分の名を何度も何度も呼びながら、締めつけながら、切なげな潤んだ瞳で見上げる愛しい姿に手を伸ばす。
抱き締めてもっと触れたい、もっと口づけたいのに彼女は腕を擦りぬけていく。

待ってくれ、名前。

寝汗にまみれ目が覚めると暗闇で、眼だけを凝らし宙を見つめてもそこに名前の姿がある筈もなかった。
この夢を何度見ればいいのか。
下腹の一箇所は熱く疼いたまま。
このままではもう、眠れない。
やり切れない思いに苛まれ手を伸ばす。息が荒くなる。己の浅ましい様を嫌悪しながらも、名前の白い姿態を目の裏に浮かべ眉を寄せ熱を解放させる。

「……名前っ」

いつまでこの夢を見続けねばならぬのか。

やがて白々と夜が明ける頃、一時まどろんだ斎藤の耳に聞こえて来るのはあの声。
これは。

――はじめさん……。

これは浄化の声だ。
いつからかこの声が朝の清浄な空気の中で目覚める彼の耳に、気づけば聞えて来る。
何処から聴こえるのか遠いのか近いのか、それすらはっきりしないがいつも懐かしく優しく包み込むように響くのだ。
この声は、名前なのか?


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