青よりも深く碧く | ナノ
×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -


38 一瞬の永遠  


名前は襦袢だけを纏った姿で斎藤の腕の中でまどろんでいた。斎藤の手のひらがゆっくりと優しく髪を撫で続けるので、暫く寝不足が続いていた事もあり、つい心地いい眠りに引き込まれそうになる。

「名前……」
「…………」
「眠ったのか。間もなく戌の刻になるが」
「……ん、」

腕の中に名前がいる事が幸せで起こしたいようなこのまま眠らせておきたいような、複雑な気持ちになりながら斎藤は頬を緩める。
ふいに名前の瞳がぱちりと開いた。そして斎藤の腕から離れて勢いよく身体を起こした。

「……名前?」
「い、戌の刻……?」
「ああ」

離れかける名前の手を取り自分に引き寄せようとするが、彼女は心ここにあらずな様子になり目を泳がせる。

「大変……」
「どうした」

すっかり忘れていたがこのような行為に及ぶ前まで自分が何をしていたのか、瞬時に頭に戻って来たのだ。

「私、お勝手で料理をしていたんです」
「そうだったな」
「煮物の鍋を火にかけたまま……で」
「ああ」
「行かなくちゃ」
「誰かが何とかしただろう。あの時は左之もいた」

斎藤も先程の事を思い出し些かきまりの悪そうな顔になる。それでも名残惜しく手を離せない。
あれから一刻以上経っている。夕餉の支度の時刻しかも大晦日のこの日に、勝手場に誰も入らなかったなど考えられない。万一鍋が放置されたとしても千鶴が気づいた筈だ。
名前を引き寄せ再び組み敷いて、逃げようとする身体を押さえて口づけを落とす。

「まだ、こうしていたい」
「ま、待って」
「待てぬ……」
「はじめさん、聞いて」

斎藤の下からやっとの思いで這い出しながら、今夜は斎藤の好物を作ろうと言ってくれた千鶴の事を話す。
自分達の事をそれほど心配してくれていた千鶴を、それなら無下には出来ぬなと斎藤は渋々身体を離した。



夕餉の支度はほとんど出来上がっていた。
千鶴に迷惑をかけてしまったと気後れしながら名前がおずおずと勝手場を覗く。
千鶴は平助の手を借りながら蕎麦の盛り付けをしているところだった。

「千鶴ちゃん……、お勝手、放り出したままでごめんなさい」
「あ、名前さん、私の方こそ。もう平助君も謝ってよ」
「お、おう。悪かったな、千鶴借りちまって。でもさ、この筑前炊きすっげえ旨いよ」
「え……」
「今さっき戻ったばっかりなの、ごめんね。あ、それにこれ味見しちゃった。名前さんが全部やったって、左之さんが」
「え……?」
「お蕎麦は私達がするから広間に行ってて、ね」
「でも、私」
「斎藤さんと仲直り出来たんでしょ。今日は誕生日なんだから。ね、傍にいてあげなきゃ」
「ち、千鶴ちゃん……」

背を押され半ば強引に二人に追い出される形で名前が広間に入ると、原田が銚子を持って斎藤に近付いて行くところだった。見ているとニヤニヤとしながら斎藤に耳打ちしている。

「お前に貸し一つだな」
「……何の話だ」
「お前らが消えてる間に祝いの料理を俺が作ってやったんだぜ。何やってたんだか知らねえがよ」
「ゴホッ……!」

差された盃を一口含んだ斎藤が酒に噎せて、一気に耳まで赤く発火させて咳込む。

「さっ、左之っ、それはっ、す……すまん」
「何、動揺してんだよ。それより今度こそ約束きっちり守れよ。よう名前、こっちだぜ!」

原田は焦る斎藤の姿を可笑しそうに見ながらも釘を刺し、視線を上げて名前の姿を認めると大声で呼んだ。

「は、原田さん、あの……お鍋の……」
「細けえ事は気にするな。俺はあっちの酔っ払いの相手をして来なきゃならねえからよ。今度は仲良くやれよ」

早くも酒が回って迷惑げな沖田に絡んでいる永倉を顎で差し、そちらに向かいかけ一度振り向いて名前の姿を眩しげに見つめた。彼女は恥ずかしげに控えめな笑みを見せる。

お前が笑ってるならもうそれでいいか。

まだ湯気が立ちそうな程赤い斎藤をちらりと見やり、彼女の幸福はこの男の元にしかないのだと嫌という程思い知る。やけくそのような、もういっそどこか清々しいくらいの気持ちになってきて、今夜はとことん呑むぞと原田は永倉の所まで大股に歩いて行った。
入れ替わりに今度は千鶴と平助が蕎麦を盆に二つ載せてやって来る。

「一君、俺ら本当にやきもきしてたんだぜ。もう名前を泣かせるなよな」
「む、……わかった」
「本当ですよ、斎藤さん。大事にしないと名前さん、誰かに取られちゃうから」
「お、おい、千鶴っ」

名前の事では独占欲を顕に感情的になる斎藤をすっかり熟知した平助が、青くなって千鶴を止めに入った。千鶴がはっと手を口に当てる。

「余計な事、言うなよ」
「ご、ごめんなさい……」

慌てふためく二人に斎藤は虚をつかれた顔をした後、ゆっくりと頬に笑みをのせた。

「わかった。心配をかけてすまなかった」

平助と千鶴は斎藤の穏やかな表情を見て一瞬ポカンとするが、そそくさと立ち上がり

「じゃ、じゃあな、俺達まだ仕事が……、蕎麦運ばねえと。千鶴、行くぞ」
「う、うんっ。斎藤さん、ほんとにごめんなさいっ」

斎藤が苦笑で二人を見送る。名前は何やら気恥ずかしくて顔を上げられないまま腰を浮かしかける。

「あの、私も手伝いを……」
「行くな」

手首を斎藤にそっと掴まれ、また仕方なく腰を下ろす。

「…………」
「皆の気持ちに答える為にも必ずお前を……」

斎藤が名前の方を見ずに小さく呟いた。

「幸せにする」

横を見れば先刻よりも更に赤面した斎藤がいる。胸がいっぱいになり、気を緩めると零れてきそうな涙を堪えて名前は、はい、と頷いた。
大晦日の酒宴は夜遅くまで続いた。土方はこのように穏やかな年越しが出来るのは今年が最後だろうと予感していた。せいぜい皆今夜は楽しむといい。斎藤を見やれば隣に名前がおり、先日までとは打って変わった睦まじさだ。やれやれ、と思いながらもどこかで安堵していた。

奴にはまだ苦労をかけるからな。今夜ぐらいは、な。

除夜の鐘が鳴り始め名前がそっと斎藤の指に触れ、こちらを見た斎藤に思いを込めて告げる。

「はじめさん、お誕生日おめでとうございます」

彼が心から嬉しそうに微笑み耳元に唇を寄せた。

「部屋へ戻ろう」
「え、でも後片付けが……」
「今夜くらいは許されるだろう?」

手を引かれ名前が俯きながらついていくと、広間を出たところに沖田が向こうを向いて立っていた。

「……総司」

ついと振り向いた沖田もニヤニヤと笑う。

「なんだ、君達か。あ、やめてよね、お礼とか言われるの性に合わないし。僕は近藤さんを待ってるだけだから君達はさっさと行きなよ、ね」

まるで新婚初夜を迎えるかのように皆が含んだ様子なのがこそばゆく照れ臭いのだが、一刻も早く名前と二人きりになりたくて斎藤は曖昧な笑みを浮かべた。



斎藤の部屋に戻ると先程の続きと言わんばかりに再びその腕に捉えられ、長い時間をかけて愛された後気だるく弛緩した身体を横たえる。
斎藤が名前を右腕で抱き寄せ優しい声で、今日だけでもう幾度繰り返したか解らない言葉をまた唇にのせる。二度と名前を不安で泣かせたくはない。

「どんな事があっても俺を信じてくれ」

真摯な瞳を見つめ返し名前はしっかりと頷く。

「信じます」
「この任務が終わったらお前と、……正式に、その……」
「……はじめさん?」
「祝言を……」

口ごもる斎藤が何を言おうとしていたのかが解ると、例えようもない幸せな気持ちが心を満たしていった。
仰向いた斎藤に名前は思わず縋りつき、優しく背を撫で続ける彼の肩先に顔を埋める。

「俺と共に生きて欲しい」

照れて顔を赤らめる斎藤があまりにも彼らしくて、名前は嬉しさのあまりまた涙が零れてきそうになる。

「はい」

と答えながら堪え切れず零れる涙を、優しい指先が拭い慈しむような瞳が覗きこむ。

「何故泣く?」
「幸せで……はじめさんの気持ち、嬉しくて……」
「まだ足りない。俺がどれほど名前を愛しいと思っているか解らせたい。その身にもっと」

言うなりいきなり反転させられ再び重なってくる身体に慌てる名前を、先程までの照れた表情を一変させ深碧の瞳に妖艶な焔を宿らせ見下ろした。

「は、はじめさんっ」
「もう一度だけ……」
「え? 待って、もう……」
「いや、待てぬ」

斎藤の深く強い愛情にまた翻弄される。名前は改めて身も心も全て生涯をかけて彼に捧げる覚悟を決める。
斎藤の任務については全てを明かす事が今はまだ許されない。名前には時と言う魔物にまた攫われないか定かでないという恐怖がないわけではない。
それでも斎藤も名前もそれぞれの胸中で、互いこそが自分の半身であり運命の人であると強く確信し、何があろうと決して心は離れないと誓い合う。

必ず名前と共に生きてゆく。
何があってもはじめさんを信じる。もう不安になったりしない。
幾度目か解らない幸福の極みで溶け合いながら、この一瞬が全てであり永遠だと思った。

「必ずお前を俺の妻にする」



斎藤はこの時点で既に伊東甲子太郎より新選組からの分離策を聞いており、同志として行動を共にする事を要請されている。局長並びに副長より受けた密命は伊東の陰謀の証拠を突き止める事であり、それは幹部にも真相を一切伝えぬ最重要機密である。
彼は全ての迷いを捨て新選組を脱し危険な任務に臨む決意を固めていた。


prev 39 | 61 next
表紙 目次



MATERIAL: 精神庭園 / piano piano / web*citron

AZURE