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30 紅葉狩り  


土方への直談判も空しく隊務への復帰は事実上禁止された。完全に諦めたわけではなかったが今は我儘を言っても仕方ないと名前は取り敢えず割り切る事にした。それに自分の意志、自分を巡る人々の意思、それらを考えなくてはいけないのだと改めて思いもした。
隊の機密に触れる様なものは流石に触れさせてはくれなかったが、あれから土方は清書だけでなく文書作りのような事も任せてくれるようになった。
そのような仕事の時は土方の部屋で行うので、休憩にと茶を淹れてくれば淹れ方がいいと褒める。
仕事の出来も申し分ないと満悦な顔をする。
土方がどことなく優しくなったように思える。
名前は何だか擽ったい気持ちの反面、どこか居心地の悪さも感じるのだった。
家事も今まで以上に積極的に手伝うようにした。
千鶴は名前と共に過ごす時間が増えて無邪気に喜び、女子同士の仲は深まっている。それは彼女も素直に嬉しかった。



かねてから約束していた紅葉を見に行く前の晩、夕餉が済み名前に小さく耳打ちしてから斎藤が広間を出て行くのを見届けた千鶴は、勝手場でいつものように並んで洗い物をしながらうきうきと話しかけてきた。

「ね、名前さん。明日はお出かけするんでしょう?」
「どうして知っているの?」

改めて言われると恥ずかしい、けれど嬉しくてつい頬が緩んでしまう。
勝手場の仕事を片づけてしまうと、お茶を淹れて千鶴に誘われるまま彼女の部屋へ行く。千鶴はやはり女性らしくどこに行くのか、何を着て行くのかと聞いてくる。やはり女らしい格好でとか、塩握りを作っていったらどうかとか、草鞋は予備を持った方がいいとか自分の事のようにはしゃぐ千鶴に名前は可笑しくなってしまった。やっぱりどんな時代でも女の子は女の子なんだ。ついくすっと笑うと真面目に聞いてください、と千鶴が膨れて見せた。
自分の部屋に戻り隣の気配をそっと伺うと、斎藤はまだ戻っていない。ここのところ副長に呼ばれて話し込む事が増えているようだ。
また何か仕事の話かな。一抹の不安が過るが床を延べ明日の事を考え思い巡らしているうちに、いつの間にか彼女は幸せな眠りへと落ちていった。
深夜になって足音を立てずに部屋に戻って来た斎藤は、名前の部屋の前で少しの間立ち止まる。月のない暗い夜。翳る相貌と深い墨色のその姿は闇に溶けてしまいそうだった。



斎藤が木刀を降っている間名前はそわそわとしていた。いつもの寺で斎藤が朝稽古を終える。彼に手拭いを手渡しながらもいつになく落ち着かない名前に斎藤が微笑む。

「それほど慌てることはないだろう」
「でも千鶴ちゃんがお米を沢山炊いてくれているんです」
「米?」
「私、おにぎりを作りますから、だから早く戻らないと……」

頬を上気させる名前が愛おしく、今にも走り出しそうな腕を引きその身体を後ろから捉えて振り向かせ唇にそっと触れる。

「それは楽しみだ。では急ごう」

照れて笑う名前と共に斎藤も足を早め屯所に戻った。



秋は深まっていたがよく晴れた温かい日だった。
斎藤が言うには一刻程で着ける距離だという。屯所の門を出るとゆっくりと歩いた。門から離れればこの間と同じように彼が少し肘を突き出すので、名前は袖の端をそっと摘まむ。恋仲らしい仕草に甘酸っぱい気持ちになる。
洛東へ向かっていくと神明山の麓は散策路のようだったが、途中から俄かになだらかな山道になった。
隊務に勤しんでいた頃は多少の距離を歩くのに負担はなかったが、最近はあまり身体を使っていないせいかそれ程の傾斜でもないのに少ししんどい。それに今日も女物の着物を着ている。裾は少したくし上げているのだが袴よりもやはり不便だ。

「歩くのが早過ぎるか?」
「すみません、こんな格好で来てしまって……」
「いや、……お前のその姿が好きだ」

斎藤が目元を赤くしながら歩調を緩め気遣って手を差し出してくれる。辺りに人影もないのでその手に自分の手を重ねた。手を繋いで歩くなども初めての事で名前が頬を染めると斎藤も更に顔を赤くした。
見上げてもその先が見えない程に高く太い針葉樹の木々の間の古道を行く。陽が差さず少し気温が低い。樹齢はどのくらいなのか冷たく神秘的だ。高い所で鳥の鳴き声が聞こえている。
斎藤に手を引かれながら名前がふるりと身体を震わせると、彼は立ち止まり自分の襟巻を外すと細い首に巻いた。

「この辺りは少し涼しい」

何気ない気遣いに涙ぐんでしまいそうだった。
大きな桂の木を過ぎると急に目の前が開け、明るい日向大神宮へと辿り着いた。鳥居に掛かる赤い紅葉が美しい。思わず立ち止まり感嘆の声を上げてしまう。

「綺麗……!」
「此処は京の伊勢と言われている。気に入ったか」
「はい」
「桜の季節も綺麗だ」
「それなら桜の頃にもまた来たいですね」
「……ああ」

色づいた木々の葉に見とれながら手水舎の冷たい水で手を清め、拝殿の脇を通ってゆっくりと奥へ進む。辿り着いたそこも折り重なるように赤や黄色に包まれていた。
石段が多く足元が悪いと言って斎藤が手を引きながら何度も名前を振り返る。二人で外宮から内宮まで足を進めると名前は宮に手を合わせ目を閉じて、斎藤がいつ如何なる時も無事でありますようにと太陽神天照大神に祈った。

「はじめさんは神様に何をお祈りしたんですか?」
「俺が祈るとしたら名前のことだけだ」

尋ねれば斎藤はふっと笑って平然と言ってのける。天然過ぎる彼の発言に顔から火が出そうになる。名前は真っ赤な顔を誤魔化すようにどぎまぎと斎藤の手から包みを取ると、元来た方向に顔を向けた。

「……そっ、そろそろお昼にしませんか」
「ああ、そうだな」

慌てて踵を返そうとすれば足元の湿った土に足を取られ滑ってしまう。

「あっ」
「名前」

直ぐに斎藤の腕が抱き止め強く腰を引き寄せながら小さく叱る。

「足場が悪いと言っただろう?」
「す、すみません」
「お前は思ったよりも慌て者だな」

斎藤は腰に回した手を離さずそのまま歩き出した。
かえって歩きにくい。そうとも言えずされるままに歩いた。



鳥居の外に小さな茶店が一軒ぽつんとあり縁台が置いてあった。茶店の前を箒で履いていた女将さんに、ここを借りていいかと声をかけてみると、快く頷いてくれたので茶を頼み並んで腰かける。申し訳ないので団子も一皿頼むと間もなく盆を運んで来て、気を利かせたのか奥へ入ってしまった。
紅葉を眺めながら涼しい風に吹かれ、綺麗な空気をいっぱいに吸い込む。この上なくのどかで優しい時間が流れる。隣を見れば、斎藤も名前を見つめていた。

「連れて来てくださって、ありがとうございます」

名前が微笑み心から礼を言うと、斎藤も優しく微笑んだ。
包みを広げると斎藤は塩にぎりを次から次へと食べる。細身なのに沢山食べる人だとは以前から思っていたが、これはいくらなんでも、と自分は口を動かすのも忘れ思わずじっと見てしまう。

「どうかしたか」

斎藤は呆然とする名前に怪訝そうな顔を向ける。
彼女が一つ目を手にしている間に彼は既に四つ程平らげていた。

「いえ……」

山歩きはお腹が空くだろうと千鶴の心遣いで、三合以上の米を握ってきていたのに。名前は何だか嬉しくなり最後の一つも差し出した。

「はじめさん、これも」
「お前はもう食べないのか?」
「私はもう、沢山です」

くすくすと笑う彼女に尚も怪訝そうな顔を向けつつ、おにぎりを頬張る彼が可愛らしく見えてまた笑ってしまう。

「何故、笑うのだ?」
「はじめさんの事をまた一つ知りました」

彼が以前言った台詞をそのままに言うと、また照れたように赤くなって向こうを向いてしまった。
食後の茶をゆっくりと味わっていると、斎藤がふと名前の足元に気づいて跪く。

「はじめさん?」
「切れそうになっている」 

歩き慣れない山道で草鞋が早くも傷んでしまっていたのだ。もう一足持ってきてよかったと思い新しいものを取り出すと、斎藤が名前の手からそれを取り彼女の足に履かせる。

「は、はじめさんっ、自分で……」
「いいから、じっとしていろ」

丁寧な手つきで名前の足に紐を結び付ける。
それを見下ろす彼女は、朝からいくつも与えられる思いやりの数々が幸せで、嬉しくて、泣きそうになってしまう程に幸せで、どうかいつまでも二人でいられるこの時間が続いて欲しい、心からそう願った。



千鶴が名前の帰りとその報告を待ちわびて、部屋に押し掛けてきたその夜も斎藤は土方の部屋に詰めていた。仄暗い置き行灯の火が揺れ、彼の反面を暗く照らす。

「斎藤、そろそろだ」
「はい」

脳裏に名前の笑顔が過った。
しかし間を置かず斎藤は一語の元に即答した。


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