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26 月光  


原田の後をついて広間に向かえば永倉は酔い潰れ鼾をかいて寝ており、平助と千鶴の姿も既になかった。

「なんだ、月見は終わりかよ」
「ならば俺は」
「待てよ、斎藤。たまには俺と差しで呑んでもいいだろ」
「…………」
「座れよ」

先刻まで永倉が呑んでいた酒が大分残っていた。
原田が膳を引き寄せる。原田は一杯ぐいと呷った後「お前も呑めよ」と盃を差し出す。渡された盃に注がれた酒を見つめた斎藤は黙ってそれを干す。
原田が徐に口を開いた。

「本気か」

顔を上げればその目は強い光を持って斎藤を真っ直ぐに見詰めていた。原田が何を言う為にここに呼び出したかなど無論、先刻承知だ。

「ああ」
「とっくに解ってるだろうが、俺は名前に惚れてる」
「…………」
「お前には邪魔だろうけどな、俺だって余裕がねえ。こんな事は初めてだ」
「名前には伝えたのか」

原田は自嘲気味に笑う。

「言えるわけねえだろ? 今のあいつはお前しか目に入ってねえからな」
「左之」
「だがな、お前があいつを泣かせたらその時は本気で奪いにいく」
「生憎渡すつもりはない」

斎藤が射抜くような瞳で原田を見返す。確固とした意思を持つその視線を受けて原田の頬がふっと緩んだ。

「そうか……」

一頻り黙って酒を酌み交わしたあと「それじゃ、仕方ねえか」と、原田はどこか痛みを滲ませながらさばさばとした口調で言った。
そうしてその場にごろりと横になる。
斎藤は原田を嫌っているわけではない。むしろ、いつも場を和ませるさばけたところや、男気のある性格を好ましくさえ感じていた。原田は女を惹きつける魅力も多分に持つ男だ。自分よりも原田の方が女を幸せに出来る男だと思っている。
いつからだったのか。
素直に認めていた原田の事を斜めに見るようになったのは。言うまでもなく名前を間に挟むようになってからだ。彼女の事になると器量の狭い自分を感じる。
だが名前だけは。生れて初めて心底惚れた彼女だけは、決して手放す事など出来ぬ。誰であろうと渡したくはない。
斎藤を見上げた格好で原田が笑う。

「そんな顔するなよ」
「……すまん」
「馬鹿野郎、謝ってんじゃねえ」
「…………」
「斎藤、約束しろ。名前を泣かせるな」
「ああ」
「絶対に幸せにしろ」
「約束する」

それは偽らざる気持ちだ。斎藤の揺るぎない瞳を一度見つめ返して原田は口を閉ざした。



原田と斎藤が立ち去った後、名前はしばらくその場で物思いに耽っていた。心に鬱々と圧し掛かっていたものが斎藤のくれた言葉によって溶け始めている。彼は全てを受け止めると、預けていいと言ってくれた。
嬉しかった。
だが、不安の全部が消えたわけではない。いつか自分が此処から消えてしまうのだとしたら。彼は自分はどうなってしまうのだろう。この想いは何処へいくのだろう。切なさが押し寄せる。

斎藤さんと離れたくない。

そしてそれ以上に彼を苦しめたくない。初めて斎藤に心を告げられた夜、胸が裂かれるように苦しかった事を思い出す。あの時は好きになってはいけない、近づいてはいけないと自分を戒めた。
去年の初夏の頃だった。あれから一年以上もの時が経つ。
いつも誠実さの中に包まれていた気がする。その日々の中で自分も斎藤を好きだという気持ちが確実に育っていた。何度も彼との間に繰り返された齟齬は少しずつ解きほぐされながら、時が自分を此処まで運んできた。
だがこの、名前にとっては掴みようのない『時』という魔物に、今度は何処へ連れて行かれるのだろう。
斎藤と心を通い合わせる事が出来た幸せと、同時にいつか来るかも知れぬ別れの時を思い名前は身体を震わせた。
視線を落とすと先程斎藤が呑んでいた銚子と盃がそのままになっている。盆に載せられたそれを手にし勝手場に下げに行こうかと考えたが、広間にいるであろう斎藤と原田に顔を合わせる事がなんとなく憚られる。
少し考えて自室の文机にそれを載せた。
間もなく子の刻になる。足音を忍ばせ湯殿に向かい手早く入浴を済ませ自室に戻った。
床を延べ終わると鰯の匂いの微かに漂う行燈の火を消した。中天の満月に照らされ辺りはまだ明るく、床に入ってもなかなか寝つかれない。再び自分の中で先刻と同じ堂々巡りが始まる。

斎藤さんと離れたくない。

それだけが名前の中で動かし難い願いとなっている。想いを巡らし続けとても眠れそうにない。
床に横たわりながら天井を見上げ、名前はいつまでも目を開けたままでいた。初めて見上げた時、この天井に照明のない事にひどく違和感を持った。だが、いつの間にかこれが自然な風景になった。いつまでも此処に、斎藤さんと一緒にいたい。切ない願いを胸の中で繰り返す。



銚子の酒は尽きた。原田は先程横になった態勢のまま、身じろぎもしない。
眠ってしまったのだろうか。
月を見上げ、改めて先程の名前の話を反芻する。
あの月に帰ってしまうのではないかと戯言を口にしたつもりだったが、それは強ち間違った想像ではなかった。彼女は異世界から来たと言ってもいい。そうだとしたらいつか予告もなくまた此処から去ってしまうのか。引き留める術はないのか。
何処から来たのだとしても構わない。ただずっと側に居て欲しい。いずれ戻るかもしれない彼女の記憶も全て含めて守りたい。このまま離れずに永遠に共に生きていきたい。
願うのはそれだけだ。

共に生きる。
生きたいと考えているのか、今、俺は。

斎藤はふと目を落とし、己の手を見た。
この手は血塗られている。新選組に身を置いてから生きると言う発想を持った事はなかった。思えば死を目指して生きてきたような気さえする。
これまで数え切れない数の人間を斬って来た。剣に生きる者はいつか必ず剣の前に倒れるそれが自然の理だと思っていた。倒れるその瞬間まで武士として剣に全てを懸ける。それだけを胸に凶刃に倒れるその時まで新選組の為だけに命を捧げていくつもりだった。彼女と出会うまではそれが己の誠だった筈だ。
だが今は生きたいと、彼女の為に彼女を守って生きて行きたいと願っている。
巡察の報告に行った時、副長に言った。名前を隊に戻したくないと。

「惚れた女をみすみす危険に晒したくないのが男ってもんだ。あいつがそれでいいなら構わねえよ、俺は」
「名前は復帰を希望しています」
「あいつはあれで芯はなかなか強情な女だ。だがその分情が深いんだろう」
「はい」
「名前を守って生きる覚悟を決めたってことか、斎藤?」
「……はい」
「あんな事があったんだ、お前の気持ちは解る。そのうち俺からもあいつに話してみるが、」
「……お願いします」
「どうなるか解らねえがな」

彼女を守り共に生きる。生を重ね彼女を守り抜いて生きて行く、それが今のただ一つの願いだ。
斎藤は静かに立ち上がる。



忍びやかな足音が微かに耳に触れるのを感じ名前は思考を止めた。目を移すと月光に照らされた影が障子に映り、そして止まる。
息を詰め影を見つめた。
影はしばらくそこでじっとしている。

斎藤さん?

その呼びかけが聞こえたかのように秘かな声が聞こえた。

「名前」
「斎藤さん」
「……起きているか」

そっと身を起こし床を滑り出て、静かに障子を開けた。

「名前……」

逆光になった斎藤の切れ長の瞳が名前を捉えた。
名を呼ばれると同時にその腕が彼女の身体に回される。
しばらくそのまま抱き締められていたが……、やがて溢れる想いを止められずに彼女もその背に腕を回した。


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