青よりも深く碧く | ナノ
×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -


08 自覚  


非番の日は隊士達にも充分な休息が与えられ、中には真面目に剣の稽古に励む者もあったが、散髪をしたり町に繰り出したり馴染みの女子との逢い引きに精を出したりと、大半が思い思いに自由に過ごしていた。
梅雨に入り沈鬱な天気の日は着物が汚れる事を厭い出掛けることが憚られる。とすれば将棋などを指す以外に特に楽しみもなく屯所全体がどんよりとしていた。この雨の中を巡察に出る組の事を思えば贅沢な話であるが、長雨で憂鬱な気分になるのは致し方ない。



名前は将棋に混じるわけにもいかず自室から外を眺めながら近藤から借りた書物を広げていた。
隣室はしん、としている。

組長はお出掛けなのかな。

斎藤組長という人が正直よく解らない。いつも心に不安を抱える名前にとって彼が親身な様子を見せてくれる時はとても心強く安心出来る。しかし何がその勘に障るのかときどき凍り付くような冷たい眼差しをする。不機嫌に眉を寄せる時の斎藤の面貌は、元が整っているだけに一種の凄絶さがあった。
気がつくと書物の中身は全然頭に入ってきておらず、先刻から斎藤の事ばかりを考えていた。
独りで苦笑する。
そこでふと千鶴はどうしているだろうと気になった。彼女は未だに気づかないようだがこの屯所では唯一、自分と同じ女性である。しかし部屋を訪ねていくわけにもいかない。
千鶴の身の上を考えると気の毒に思う。そんな彼女が想いを寄せる斎藤の事が再び頭に浮かぶ。

斎藤組長が想いに応えて力になってくれたら千鶴ちゃんも心強いのに……。
そう考えたところでふいに胸がちくりとした。

え……?

胸に手を当ててみれば確かに痛いような。

どうして、私が?

首をぶんぶんと振り思考を霧散させる。気を取り直して書物に目を落とし集中しようと努める。
この時代の風俗について名前はもっと知りたいし知らねばならないのだ。



同じ頃斎藤は道場で一心に木刀を振っていた。雨は飽くことなく降り続いている。
近頃どうもおかしい。自分は剣にこの新選組に命を掛ける覚悟を定めていた。他の事は全て切り捨ててただ志の為に、と。ところが最近心を乱される事が続く。苗字が現れてからだ。
気が緩んでいる。初心に還る事だ。
雑念を振り払い普段の涼しげな彼にしては考えられないような乱暴な動きで息を乱し、額から汗が流れるまで闇雲に木刀を降り続けた。

「斎藤組長はこちらですか」
「山崎か、どうした」
「副長がお呼びです」

斎藤は汗を拭い身仕舞いを正すと、副長の執務室へと向かった。

「非番に呼びつけてすまねえな」
「いいえ、何かありましたか」
「ああ、緊急ってわけじゃねえんだがな。伊東さんの事だ」

先の将軍家茂上洛の警護で、新選組としては問題なく任務を遂行した。しかし水面下ではまったく何もなかったとは言えなかった。
当時真偽の全ては定かでなかったが、膳所藩士達が家茂公の暗殺を企てたと言う風評があったのだ。暗殺は未遂に終わったことであり、嫌疑のかかった者について幕府はその処分を藩に一任した。
その件で後に藩賊共を匿ったとされるある老士が浮上し、新選組も手を貸しこれを捕縛した。これは膳所事件と呼ばれる事件で、ここまでの経緯は勿論斎藤も知るところである。

「問題なのは、伊東さんの口添えでそいつが放免されたらしいって事だ」
「反幕活動を行った者を匿った人間を、伊東さんが?」
「俺達に諮りもせずに、な」

膳所藩の攘夷派は自らを「正義党」と呼び、親幕派又は攘夷を率直に表明しない者達を「俗論党」と呼んだ。その論調は幕府にとっては決して看過出来ないことであり、これらを唱えるならば不穏分子である。
それを匿った人物を無罪放免にする口添えは、佐幕派の新選組参謀の行動としては理解しがたいことだった。

「局長はなんと?」
「近藤さんは伊東さんに心酔しちまってるからなあ。まだ伝えてねえ」
「伊東さんから目を離さないように、と」
「流石にお前は解りが早えな。つまりそう言う事だ」

これが翌年の慶応二年、斎藤の身に少なからず影響する事になる。
雑念を抱えればそれは命取りになりかねない。斎藤は気を引き締める。余計なことを考える暇はない筈だ。
だが振り切っても気がつけばまた名前の面差しが頭に浮かんでくるのだった。
いつしか己の中に芽生え、日々強くなっていく想いは簡単に消せそうにない。


prev 9 | 61 next
表紙 目次



MATERIAL: 精神庭園 / piano piano / web*citron

AZURE