斎藤先輩とわたし | ナノ
×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -



蜂の一刺し


右側からずいっと突き出されたのはチーズ鱈。この食べ物はとても好きなんだけど躊躇して仰け反れば、それを摘まんだ指先はさらにずずいっと迫り閉じた私の唇に押し込みそうな勢い。
左側からは苛々とした空気が伝わってくる。缶ビールを持った手につい力が入る。

「あ、ありがとうございますっ」
「あーんして?」
「じ、自分で食べられますから」
「そう? あ、ビールのお代わりは?」
「まだ入ってますっ」

また伸びてくる手を避けるように慌ててビール缶に唇を付け、まだ中身が沢山残ってることをアピール。左からの空気が半端ない殺気を帯びる。
初夏の週末まだ早い午前から心地よい振動に身を任せ、大好きなビールを口にしているというのにこの緊張感。
受け取ってしまったチーズ鱈をもそもそと口に入れチラリと横目で左を見やると、缶ビールを一息に呷りながらごく僅か眉を寄せてる斎藤さん。元々表情の薄い彼だからこれは彼をよく知る人にしかわからないと思うんだけど、その横顔には不機嫌が顕著に顕れていた。
私が今座っているのはサロンバスの最後部である。バスは首都高を軽快に走っている。
居心地悪く泳いでいた私の眼に特徴あるビルが映った。

「あ、ビールのビルだ。ねえ斎藤さん、あそこ!」

気を変えるように声を上げれば指差した方向に沖田さんが顔を向ける。巨大な生ビールジョッキを象ったインテリジェンスビルを俯瞰で見ながらバスは走る。

「ふーん、一君とこじゃない。休日出勤してる人もいるってのに、君、こんなところでビールなんて飲んでていいの」
「その科白、あんたにそっくり返そう。部外者が此処で何をしている」
「部外者って言うならそっちだって同じでしょ」
「うるさい」

ちょっ、ちょっと、怖い。私の頭上で険悪な空気をたっぷり孕みながら、妙に静かな声音で不穏なやり取りがされている。私の機転(?)は逆効果に終わった。
そこに原田さんの手で柿ピーとビーフジャーキーの袋が差し出される。

「そっちつまみ足りてるか?」
「なまえちゃんよお、缶チューハイもあるぜえ? こっちがよけりゃ」
「ぱっつぁん、なまえは生粋の飲兵衛だからそんなもん飲まねえって。余計なの入れてクーラーボックス重くすんなよな」
「だってよ、土方さんもこういう甘いのならいいだろ? あの人酒飲めねえしよお」
「なんだと、この野郎。俺は女子供じゃねえぞ。飲めねえんじゃねえ、飲まねえだけだ」
「うぉっ! びっくりしたぜえ。運転してたんじゃねえのか?」

前の座席の背もたれ越しに後ろに向かってグイと突き出した土方部長の顔に永倉さんが大袈裟に驚く。「私は宿でゆっくりお酒を頂きます」と言う山南専務が運転するこの小型バスは会社でレンタルしたものである。
今日は新選エージェンシーの社員旅行なのだ。因みに千鶴ちゃんはお家の用事があるとかで不参加である。
私を挟んで左右に斎藤さんと沖田さん。右の窓を背にして平助君と永倉さん、その対面の席に原田さん。運転席の山南専務の後ろに近藤社長と土方部長が通路を挟み並んでいた。「山南さん、悪いな。俺も飲まねえから次のサービスエリアで代わる」「いいえ、いいんですよ。運転は好きですから」前の方では大人の会話。
それにしてもメンバーの実に半数以上が社外の人間な社員旅行ってどうなの。
原田さん達三人は同じメーカー勤務で、斎藤さんと高校から一緒の沖田さんを含め彼らは皆同じ大学出身であること、そして部長は私と斎藤さんの高校の先輩であるだけでなく実は大学の剣道サークルの先輩でもあった。こういう繋がりから皆はプライベートでも懇意な関係にあるようだけど……。

「だって千鶴ちゃんいないから心配でしょ。おじさん三人になまえちゃん独りじゃ危ないし」
「余計な事を考えなくていい。なまえには俺がついている故、心配無用だ」
「抜け駆けはもう許さないよ。一君がついて行くなら僕も行くに決まってるじゃない」
「言っている意味が解らん。なまえは俺の」

と原田さんの大きな手が斎藤さんの肩をポンポンと叩き新しい缶ビールを手渡す。

「まあまあ、斎藤。細けえ事はいいじゃねえか。折角の旅行だぜ? まあ、飲めよ」
「だよな、楽しくやろうぜ。な、総司もさあ!」

パーンと音を立て平助君がカシューナッツの袋を開ければ、勢いでナッツが飛び散り永倉さんの顔面に一粒二粒がビシッと激突。くくくっと笑う沖田さんに呆れる原田さん。

「かーっ! 平助、何しやがんでいっ!」
「おいおい、こっちにも随分飛んできてるぜ? 全部拾えよ、平助」
「わーってるよ! わざとじゃねえって!」
「おめえらは小学生の修学旅行より性質が悪いな。ったく」

旅行を発案し沖田さんに押し切られるままこのメンバーを許容したのは、苦笑しながらもどこか楽しげなこの土方部長である。
でも私は既に居たたまれない気持ち。
左側で約一名だけが憮然とした表情のまま、バスはやがて東北自動車道に乗り換えて山間の温泉ホテルに向けひた走る。





ごつごつとした岩に両腕を預けていると、渓谷から吹き上げる爽やかな風に火照った肌が心地よく冷やされる。お湯は弱アルカリ単純泉で優しい。他にお客さんの姿はなく目を閉じれば木の葉のさやかな音や川のせせらぎが耳を擽る。至福の時間だ。
バスでの張りつめた雰囲気から解放され、昼酒を醒ましながら私は独りのんびりとお湯に浸かり夕食の事を考えていた。
お風呂に来る前に御品書きを見たところによると、名物の胡桃豆腐や湯波料理、地鶏や鮎、揚げたて天ぷらや宝楽蒸なんて書いてあった。地ビールや地酒も美味しそうだったな。お腹空いた。
ぐうう……。
…………。
バスの中でビールを飲み過ぎたせいで、お昼に立ち寄ったサービスエリアではろくにご飯を食べなかったから、私はわくわくと期待に胸を高鳴らせた。同時にお腹の音も高らかに鳴り響く。
とは言えお湯の余りの気持ちよさでお風呂に長居し過ぎ、部屋に戻った時は既に宴会の開始時間を少し過ぎていた。化粧が必要かなと暫し逡巡していると。

「なまえ、俺だ。いいか」
「斎藤さん? どうぞ、大丈夫ですよ」

静かに入ってきた彼は湿り気を帯びた髪と浴衣の襟から覗く普段は白い胸元が、ほんのり上気していつもより数段色っぽい。
ドキリとしてる私に気づかなげな彼は、鏡台の前に座る私の手にある化粧ポーチを見咎め少し尖った声を出す。

「化粧をするのか」
「え、いけませんか?」
「ああ……いや、どちらにしても……、だが、」

彼は眉を寄せたまま言い渋り私が頭にハテナを浮かべていれば、またドアを開く音と同時に襖の向こうから今度は平助君の声が聞こえた。気を遣ったのか襖の中までは入ってこない。

「なまえ、もう始まってるぜ。無礼講だから皆飲んじまってるけど」
「はーい、ありがとう」
「んでさ、一君が見当たらねえんだけどここにいるか?」
「ああ、ここだ。直ぐに行く。平助は先に行け」
「やっぱいたのかあ。二人共早く来てくれよ。じゃ、後でな」

多分使い走りさせられた平助君、用件だけを告げてそそくさとドアを閉める気配。見れば斎藤さんはまだ難しい顔をしていた。

「斎藤さん? どうし……、」

……たの、と最後まで言えないこのパターンには私も多少慣れてはきてたけれど。
強引に引き寄せられ抱き竦められ唇が塞がれた。いつもながらなんて早業。

「ん、んっ……ちょ、さ、斎藤さんっ」

胸を押し返して見上げれば「斎藤さんではないと幾度言えばあんたは」と彼は少しだけ切なげな、だけど明らかに不満げな瞳で見下ろす。キスで濡れた唇がますます色っぽい。

「あ……、ごめんなさい……はじめさん、」

そうだった。また呼び方が戻ってた。
はじめさんの不機嫌顔は完全に治り切らないものの、気を取り直し(結局私はすっぴんのまま)指定の離れに向かう。
なんと今夜の宴会はコンパニオンさん付きだった。
洒落た小座敷に人数分の御膳が並んでいて、すぐに目についた平助君は同じお年頃の若いコンパニオンさんの隣で目尻を下げ、直ぐ横の原田さんは前にも両隣にも綺麗なお姉さん達を侍らせている。更にその隣で「おい、左之、人数割りがおかしいだろうが。一人はこっちに回すのが筋ってもんじゃねえのかよぉ」とぶつぶつ言いながら独り口を尖らせる永倉さん。上座に並ぶ近藤社長、山南専務、土方部長の近くには上品で大人っぽい凄い美人が控えている。
空いているのは沖田さんの隣の席だった。私の手を引いたはじめさんが沖田さんの隣の膳に近づけば、徐に立ち上がった沖田さんが私の反対の腕を強引に引き寄せる。直ぐ様はじめさんの抑えた怒声が低く響く。

「総司、」
「隣が男なんて嫌だな、僕は。少しは空気読んでよ一君」
「女性ならあちらに大勢いるだろう」
「僕はなまえちゃんの隣がいいんだよ。一君こそ何か勘違いしてない? 別に君達のラブラブ旅行じゃないんだよ」

コンパニオンさんにちらりと視線をやったはじめさんの底冷えするような声に怯みもせずに、沖田さんは醒めた声で淡々と冷たく切り返す。そして結局また挟まれて、ああ、私の頭上を行き交う凍えるような空気再び。

「斎藤もみょうじも遅かったじゃねえか。まあ、ともかく、乾杯のやり直しをするか」

小競り合いを知ってか知らずか上機嫌の部長の一声で改めて宴会が始まる。
それにしても目にも鮮やかな色とりどりの素敵な器達に旬の食材を使った繊細な料理が食欲をそそる。お造りも芸術的でなんて美味しそうなの。
そこへ永倉さんの不満に応えてかコンパニオンのお姉さんが追加されたようだ。
彼女達ははしゃぎながら早速沖田さんとはじめさんの隣にビール瓶を持ってやって来た。
それによってこちら側の配置はコンパニオンさん、はじめさん、私、沖田さん、もう一人のコンパニオンさんといった具合になった。
盗み見ればシニカルな笑顔を浮かべた沖田さんと軽く当惑気なはじめさん。
だけどそこはやっぱりプロのお姉さん。私がぼーっとお膳の上に見惚れている間に、彼女ははじめさんの肩にさりげなく凭れるようにして、彼のグラスに並々とビールを注ぐ。
その様子を横目で見て少し面白くない私は半ばやけくそ気味に、もう左右を気にせず料理とビールに集中することに決め、思い切り手酌をした。





自身を制御する事には慣れている。しかし今回に限り俺の不快感が治まらないのは何としたことか。
語り合う近藤社長と山南専務を除けば、既に皆は出来上がっていた。横になり今にも鼾でもかきそうな土方さんに、左之などは腹を出し平助はそれを見て大口を開けて笑い、新八は嫌がる女性の肩に腕を回してこの場を満喫している。
腕時計に眼を落とせば間もなく宴会もお開きとなる頃合いである。
俺は隣で何やら喋っている女性を振り切れぬままに居たがつい先程手洗いに向かったなまえと、その後を一歩遅れ何食わぬ顔で立って行った総司の戻りの遅いことが気にかかっていた。
酒をいくら飲もうが酔いなど一向に回っては来ないが、なまえの方はかなり顔を赤くしていたように見えた。
バスの中から度々癇に障る態度を繰り返す総司ではあったが、あまり騒ぎ立ててはせっかく同行を認めてくれた土方さんの顔を潰しかねないと、抑える努力を続けてきたのだがもう保ちそうにない。

「すまんが失礼する」
「あら、お手洗いかしら。ご案内しましょうか?」
「いや、いい」

我慢の限界を超えた俺はしなだれかかるように肩に置かれた女性の手を振り払い、立ち上がると背後の襖から小座敷を出た。
襖の外は回り廊下のようになっており突き当りに手洗いがある。
だが俺はそちらへは向かわず途中の三段ほどの階を降りた。これは虫の知らせと言うものだろうか。
石灯籠の灯る小さな庭園が幻想的な雰囲気を醸しているが、今はそんなものにも眼をくれる気にはならない。本館へと湾曲して続く僅かな距離の敷石に一歩踏み出せば、植え込みの陰からなまえの浴衣の後ろ姿が見えた。

「なまえちゃん、大丈夫? ごめんね?」
「いいえ、沖田さんのせいじゃないです」
「だけど僕が」

大股で歩み寄ればあろうことかなまえの両肩を掴み彼女の顔を覗き込む総司がいた。

「あんた達は此処で一体何を……」

なまえは俯いたまま振り返ることもせず、総司は困惑した眼で俺を見る。手を伸ばし強い力で彼女の肩を引き寄せた。

「や……、待って、はじめさん……、」

弱々しい声と共に彼女の手から小さなバッグと手鏡が落ち、敷石に当たって割れる音がした。





「だからすまなかったと言っている」
「別にもう怒ってないです」
「ならば此方を向け。そもそもあんたが総司と朝から、」
「私のせい? だってはじめさんだって、あのお姉さんと……」
「俺は好きであのような飲み方をしていたわけではない」
「あ、開き直るんだ?」
「違う。俺の落ち度は認める。だから此方を向け」
「嫌です。それよりどうして断りもなく入ってくるんですかっ」
「なまえの聞き分けがないからだろう」
「そんなこと関係な……っ、あ……!」

暫くお互いに膠着状態が続いていたのに一歩私に近づいたはじめさんが、大きくお湯を波立たせ背中から私を抱き締めて首筋に顔を埋めた。
さっきの事を思い出す。もう自分の部屋に戻ってくださいと言ってバルコニーにあるこの露天風呂に逃げ込んだ私。
なのにすぐに後から入ってきたはじめさんを認めた時はギョッとした。
宴会は大層和やかだった。綺麗どころに囲まれて楽しげに騒ぐ私以外の人達を横目に飲み過ぎてしまった私が、軽くムッとしながら席を立ちトイレから出てくると其処には沖田さんが居た。
もう座敷に戻る気になんかなれず自分の部屋に向かうつもりだった。
今日一日ナーバスだったはじめさんだけど、なんだかんだ言って綺麗なお姉さんのお酌でお酒なんか飲んじゃって、そんなの見せつけられたら私だって気分がいいわけないでしょう? 仕方ないことだとしても仮にはじめさんが渋々だとしても、あんなベタベタされてるところを見てるのはもう真っ平だ。
思い出せば何だか腹が立ち目の前の沖田さんにも無性に腹が立って、私は本館に続く小道に勢いよく下りた。追ってきた沖田さんを振り切ろうとして躓いて転びかけ、その拍子にうっかりコンタクトレンズがズレてしまったというわけだ。
心配する沖田さんと不意に現れたはじめさん。
あの後沖田さんを座敷に戻し部屋までついてきたはじめさんは、事の次第が解ると流石にばつの悪そうな顔をした。
そりゃあそうでしょう? 沖田さんのことで彼がバスの中から不機嫌だったのは知っていたよ? だけどだからって私にどうしろって言うの?
それにあの手鏡ははじめさんが出張のお土産に京都で買ってきてくれたもので、桜縮緬のそれは可愛らしい品で、使い勝手も良くて私のお気に入りだった。
それに何よりその品は彼と付き合い始めてから一番最初にもらったプレゼントであり、すごく嬉しくて私はとても大切にしていたのだ。

「すまなかった…」
「ぁ……、や、だ……」
「この次は共に行く。また京都で買おう」
「……え、」

声は吐息と共に耳殻を擽り耳朶を甘噛みされる。いつもよりも幾分優しい声音にお酒のせいもあって元々上気していた身体が更に熱を持つ。
……でも、待って、ちょっと?
ねえ、待って。
総檜の贅沢な部屋付きのこの露天風呂は、天然木の床材の張られたバルコニーの一角にある。隣室のバルコニーとは勿論隔てられているし、木の壁にカバーされて覗き込まれる心配はないんだけれど、それでも隣との境にある壁の薄さが心許ない。
確か隣ははじめさんと沖田さん二人の部屋だったよね? (この人選にはとっても疑問を感じるけれどそれは一先ず置いといて)
宴会は終わって皆戻って来る頃だしこの季節だから部屋に入ればきっと窓を開けるだろう。
熱を持ちかけた身体なのに、急に背筋が冷える気がした。
「はじめさん、あの、まさか、……駄目だよ?」牽制してみるけど彼は私の言葉に完全なる無反応を決め込む。それどころかジタバタと逃れようとする身体はますます強く拘束された。





――全文は年齢条件を満たす方のみBehind The Scene* にて閲覧ください――





2014/0/06/03


▼リラ様
20万打企画頁にあとがきしています



蜂の一刺し

prev 26 / 30 next

Loved you all the time