斎藤先輩とわたし | ナノ
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act:16 恋人の正しいやり方 後編


ゆっくりと顔を上げて見る斎藤家のリビングルームは、日当たりがよく広々としている。
床暖房がされているのか部屋は暖かく、三方をゆったりとしたソファに囲まれたテーブルには、立派なバースデーケーキと美味しそうなご馳走が並び(すでに乾杯後なのかビールやワインのグラスも並び)、正面のソファにかけた威厳のあるお父様は膝に輝美ちゃんを乗せている。白いエプロンをかけてお料理を運ぶお母様も優しげで、お皿を受け取るのは久子さんのご主人かな。招き入れてくれる久子さんとはじめさん。
ご家族が一同に会しているさまに私の緊張が一層高まった。これは絵に描いたように理想のご家族だと私は思った。

「こ、この度は輝美ちゃんのお誕生日のご招待にあずかりまして、た、大変恐縮です……」

「はじめが女性を連れてくるのは初めてだな」とお父様。そして「はじめがいつもお世話になっています。寛いでいってちょうだいね」とお母様。

「なまえは……」
「だってお父さん、はじめは中学まではただの堅物で、高校生の時になまえちゃんと出会ってから他の子は一切……」
「久子は黙れ」

はじめさんの言葉を遮るお姉さん、さすがです。たいするはじめさんは余計なことを言うなとばかりに久子さんをすぐさま切り捨てる。まるで相手が沖田さんの場合とそっくりだ。玄関の外でもそうだったけど、短い時間に姉弟の歴史を見た気がした。もはや阿吽の呼吸?はじめさんのあの鋭さはこうして鍛えられたのかな。
それにしても家族の中にいてもやっぱりはじめさんははじめさんなんだなと妙に納得しつつ、彼の続きの言葉をうつむき加減に待っていた。あくまでもここは、とにかく品よく清楚な感じにいかなければ……最初が肝心なのだ。

「なまえは俺の……」
「輝美、知ってる。さっきごあいさつしたの。はじめくんのお友達なんだよね。そうでしょう、なまえおねえさん?」
「…………え、」
「お友達じゃないの?」
「…………お、お友達です」
「なら、輝美ともお友達になってね」
「え、ええ、喜んで……」

お父様のお膝の輝美ちゃんが無邪気(そう)に私を見て言うのに、違います彼の恋人です将来の約束も実はしてるんです…………なんて私の立場では、そんなこと言えるわけもない。というよりいたいけな小さなお子さんの他愛ない言葉だ。こんなことでムキになってはいけない。
チラリと横に立つはじめさんを見やれば、ほんの少し苦笑を浮かべたけれど。
彼は「輝美、なまえを困らせるな」と一言だけ言った。
……って、……あれ?
それ以上何かを言う気が失せたのか、彼はお父様とテーブルの角を挟んだ位置に進みソファに腰掛けながら、立ち尽くす私を手招く。
微妙な空気(とそう思っているのは私だけのようだけども)を気にも留めず、久子さんのご主人らしき方がニコニコしながら早速グラスを用意してくれた。

「はじめ君は日本酒だよな。なまえさんの飲み物は何がいいのかな?」
「あ、いえ……私、お酒は…………」
「遠慮するな。最初はビールだろう? だがこの酒はなまえも好きだったな」

はじめさんが指したのは大吟醸の瓶。テーブルに置かれた涼しげなブルーのボトルには見覚えがある。
ああ、それは確か以前、土方部長が新潟出張のお土産だと持ってきてくれた、まさに水の如しの名のごとくスルスルと喉に入ってしまう美味しいお酒だった。

「それにしてもなまえちゃんて昔見た写真よりずっと綺麗ね」
「久子」
「うるさいわねいちいち。昔の事、忘れたの?」
「…………」

はじめさんの冷たい一声に、ワイングラスを手にした久子さんはキッと睨み返して何か意味深なことを言う。
最初におどおどと挨拶をしたきりろくに会話に口を挟めない私だけど、昔のことってなんだろう?とっても気になる。気になるけれどそれを聞くことだってもちろん出来ない。
ただ何故かお姉さんの久子さんにやたらに認知されているように感じるのは気のせいだろうか。
はっと気づいて「あの、お口に合うかわかりませんが、」と手にしていたオランジェットの箱を差し出せば「あら、これ大好きなの」とお母様がニッコリと受け取ってくださった。
「私も好きよ。ワインにも合うから早速いただきたいわね。お持たせになるけど出してみてもいいかしら」なんて久子さんまで言ってくれる。
お酒が好きな人にも喜ばれるってネットに書いてあったので選んだのだけど、ああ、これにしてよかったとホッと胸をなでおろす。

「そう言えばなまえちゃん、輝美にクッキーをありがとう」
「あ、いいえ、つまらないもので……」
「気を使わせちゃダメよって言っておいたのに、はじめったらちゃんと伝えてくれたの?」

え……。
またチラリと見やればはじめさんは「だから言ったのだ」とでも言いたげに憮然としている。
いやいや、でもだからってどう考えても手ぶらはないですよ、お誕生日と聞いたからには。とりあえず「エヘ」という顔をするしかない気分で私がはじめさんの隣へ行こうとすると、お父様の膝からぴょんと飛び降りた輝美ちゃんが、はじめさんのグラスと並んでいた私の分のグラスを手にした。
黙って見ているとテーブルの反対側にちょこんと座る。そして天使のようにニッコリと微笑んで私に声をかける。

「なまえおねえさんは、こっち」
「え?」
「ここに座って? 私のおとなり」

はじめさんを見れば小さくため息をつきつつ頷いたので、これは輝美ちゃんとも仲良くなれるチャンスかもしれないと、いそいそと彼女のおとなりへと進んでしまっためでたい私である。
「私が注いであげるね、なまえおねえさん」なんて可愛らしいことを言ってくれる輝美ちゃんは、小さな手にビール瓶を持ち小首をかしげて私を見つめる。やっぱり可愛らしい女の子だ。
さっきは歓迎されてないのかななんて考えちゃってごめんなさい。
頭の中で思い描いていた恋人のご実家訪問のイメージと大幅にズレを感じはするものの、とっても気さくな感じで優しいご家族だし、皆さんお酒を召し上がっているようだし、すこしだけなら私もいただいちゃっても……いいのかな?はじめさんも飲んでいいってさっき言ってたし…………。

ゴクリ。

昨夜からここまでの間ずっと緊張し通しだったけれど、わずかのアルコールが心を解してくれる。寝不足もあってか口にしたビールはじんわりとしみていく感じがしてふわふわと幸福感を運んでくる。
このご家族とだったらやっていけるかもしれないなんて調子の良いことまで考え出した私は、お母様のすすめてくれるお料理もとても美味しくいただきながら、透明な切子のグラスを空ける度になみなみと注がれる魅惑的な金色の液体をうっとりと見つめ……ああ、とても幸せだと感じていた。

「ねえ、おねえさん、ないしょのお話を教えてあげる」
「なあに?」
「輝美ね、はじめくんのおよめさんになるの」

……………。

「………そ、そ……そうなの」
「結婚式にはきてね?」

こ、子供の言うことだもの。ムキになっちゃダメ…………。

「え、ええ…………ぜひ…………」
「もっと、お酒のむ? おねえさんはお酒が好きってはじめくんが言ってた」
「……で、では……失礼して……」
「どうぞ」

とても、幸せで、そして…………。
とても私は馬鹿だった。
あとで思えば自分の頭を殴りつけたいほど、ほんとにほんとに馬鹿だったのだ。





…………我に返れば左右がガラ空き。つまり隣には誰もいなかった。
私はと言えばテーブルに指先を載せ、その指に横向きに頭を載せていた。薄ぼんやりとした視界に映るテーブルの上はほとんど片付けられている。
ハッと首を上げながら、全身からサーッと血が引いていく気がした。
私ときたら! 私ときたら!
あろうことか居眠りをしていた模様である。
お母さまとお姉さんはキッチンに立っているみたいで、お隣にいたはずの天使はいつのまにかお父様ではなく、はじめさんの膝の上にいる。さっきと同じように彼の首に腕を回して甘えている。
彼は輝美ちゃんがぶら下がるに任せたまま、お父様と何やら話し合っているようだ。ファイバースコープとかオプティカルとかイノベーションとかなんとかかんとか…………光学機器メーカーのビジネスマンならではの単語や、新規参入だの人員確保だのとそんな話が聞こえてきて、どうやら真剣に仕事の話をしているみたいだった。私の仕事の上でも聞いておけばきっと為になりそうな内容だけど。だけど今は……。
いろいろなことがショック過ぎて私は頭の中が真っ白になってしまった。

「あ、おねえさん、起きた」
「大丈夫か、なまえ」
「…………すっ、すみません! ね、寝てしまうなんて、私……私……ほんとに……すみません………」

お父様は私を見て、面白そうに笑った。
そこへキッチンから戻ってきた久子さんも可笑しそうに声を立てて笑いながら、綺麗なガラス器に盛られた真っ赤な苺を私の前に置く。

「気にしないで。ほんの15分くらいよ。疲れてたのね」
「輝美が飲ませすぎたのだろう」
「あら、昨夜寝不足だったんでしょう。可哀想になまえちゃん、いったい誰のせいなのかしらね」
「…………久子。その口を針と糸で縫い付けられたいのか」
「いやーだ、怖ーい!」

はじめさんの凍りつくような低音と言い返す久子さん。聞いてる私にとってくらくらと目眩の起こりそうな会話が交わされる。
許されることならば今すぐにこの場に穴を掘って、ブラジルあたりまで逃亡してしまいたい。もしくはこの場で気化して消えてしまいたいと泣きたい気持ちでひたすら思う私であった。





「だから気にするなと言っている」
「…………」

あれから間もなくはじめさんは「そろそろ帰ろう」と言い、涙目になって深く謝罪する私にご家族の皆さんはとても優しく寛容で、それどころか「またいつでも遊びに来てね」と口々におっしゃった。
「おねえさん、さっきのお話、二人のひみつね」という輝美ちゃんにも「……うん」と力なく答えて、私は彼のご実家へ一体何をしに来たのかと考えれば考えるほど項垂れるしかなく。電車に乗る気力もない私は、タクシーではじめさんに連れられて彼の部屋に戻った。
そうしてからの、今である。
普段脳内と口が直結している私がソファに座り込みいつまでも黙りこんでいるので、さすがのはじめさんも気遣わしげに私を見ている。

「いい加減に機嫌を直せ」
「…………」

機嫌が悪いんじゃないんです。ただただ深く落ち込んでいるだけなんです。

「俺がなにか気に障ることをしたか」
「…………」

何もしなかった(言わなかった)と思うよ、はじめさんは。むしろそっちの方に問題があったような気がするの。
考えてみればご家族に対してはじめさんは、私を彼女として紹介してくれなかったではないか。それなのに輝美ちゃんにはべったりとくっつかれていた。
大人気ないかもしれないけど、正直言えば内心ずっと面白くなかった。緊張もしていたし、それなのに唯一頼りのはじめさんは全然そばにはいてくれなくて、そりゃまあ輝美ちゃんに呼ばれて自らその隣に座ったのは私だけど、だけど、だけど……!
無意識下でモヤモヤした気持ちが飲み過ぎにつながって……悲しいやら情けないやらなんだか腹が立ってきて、上目遣いに隣に座るはじめさんを見上げる。

「なんだその目は」
「…………」

いや、そんなの言い訳にならないよね。理由はどうあれあんな醜態を晒してしまった以上、私には何も言えない。はじめさんのせいにしても仕方ない。というか100パーセント私が悪い。
本当ははじめさんだって私に呆れているんじゃないかな。初めての恋人のご実家訪問で飲み過ぎて寝る女なんてそう滅多にいないだろうな。そんなことをもだもだと考えているうちに本気で泣きたくなってきた。
はじめさんが私の腰を抱き寄せようとして「いや……」と本気で逃れれば、彼の表情が珍しく大きく動いた。眉を上げ目を見開く。

「うぅ…………」
「何故、泣くのだ」
「…………私、もう……駄目です」
「何がだ」
「もうはじめさんのことは諦めます」
「どういう意味だ。ちゃんと話せ」
「ご家族に絶対に軽蔑されたし、それに輝美ちゃんが、」

ぽそぽそと話せば、今こそはじめさんは心底呆れたという顔をした。

「子供の言うことを真に受けたのか」
「だって……」
「俺より輝美を信じるのか。あれは去年まで幼稚園に行っていたのだぞ」
「…………」
「それに俺を諦めるとは何だ。あんたはとっくに」
「ううぅ……」
「家族には将来の妻と認知されている」
「…………え」
「酒癖の悪さは織り込み済みだ。誰も驚いてなどいない。心配するな」
「え…………?」

いや、ちょっと、ちょっと待って。それこそなんの話ですか。いつの間に何を話したんですか。私を完全に置き去りに。

「おせっかいな久子が日頃から暗躍しているからな」
「え?」

待って。はじめさんこそ、わかるように話してくれないかな。というよりそれ、最初に言ってくれないかな。そう言えば、久子さんがいろいろと含んだような言い方をしてたけど、それって……。

「ね、久子さんが言ってた、昔の事忘れたの、ってなに?」
「……それは、……なまえは知らなくていい」
「でも、」
「確かに輝美の態度には失礼があったと思う。それは謝ろう。あの子の父親は仕事が忙しく家を空けがちだったゆえ、俺を半分父親のように見ていたところがある」

その時、スカートのポケットの中で何かがカサリと音を立てた。見れば小さな紙片が覗いている。手に取り開けばそこには。

『しょうたい状
はじめくんと輝美のけっこん式にかならず来てください』

キャラクターの印刷されたメモ用紙に、小学生の女の子の可愛らしい文字で書かれていた。
いつの間に入れたんだろう。これはなんだろう。もしかしたら駄目押しの彼女の宣戦布告なのかしらん。
私の心臓がまた小さく波立つ。
はじめさんは仕事ができるし頭もいい。大抵のことはそつなくこなし、仕草もスマートで物事をよくわかっている。だけど女心だけはよくわかっていない人だから。
輝美ちゃんははじめさんをパパ代わりに見てなんかいないよ。女の子はどんなに小さくても女の部分を持っているんだもの。これはまだ前途多難と受け取るべきじゃないのかしらん。
だけど…………。

「なまえ、」

急に再び距離を詰めぞくりとするような声で囁きながら、はじめさんが私を強い腕でガッチリとホールドする。もうこれ以上何も言うなとばかりに。今度は逃げられなかった。

「俺はあんたが」

とりあえず、はじめさんの恋人としてのやり方は色んな意味で少し間違ってると思うの。そして、きっと私も同じ。
だけどピタリと密着されて熱い唇が耳たぶに触れ「好きだ」って、こんなに精神が弱っているときに、そんなふうに言われたら……。

「逃さぬ」

ソファに倒された私の身体にじわじわと伝わる熱は、やがてすべての思考を奪いとっていく。

2016.02.27



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