act:02 再会 後編
「斎藤さん、」
蕩ける様な色っぽい目つきで私を見下ろす斎藤さん。
「すまない、大丈夫だ……」
手洗いに立ったままなかなか戻らないので気になりそっと席を立つと、彼はバーの入り口の壁に凭れて立っていた。
斎藤さんは相当酔ってしまったみたいだ。
12時少し前。
どうしよう。ここ駅が近いし、今なら走ればギリギリ終電に間に合うかも……、でも。
私とした事が、彼よりもしっかりしている。
こんな時に酒の強い女って可愛くないでしょう?
彼は軽くふらつきながらも席に戻るとスーツの内ポケットからスタイリッシュな財布を出しカウンターにカードを置く。
バーテンダーが小さく頭を下げカードを受け取る。
「送る」
「え、そんな、一人で帰れます」
「いや、送る」
押し問答もどうかと思い私はとりあえず黙る。
エレベーターでフロントのある2階まで降りると彼は「すまないが少し座ってもいいか」とロビーのソファを目で指した。
私は頷く。
ふぅ、と溜め息をつき、けだるげに腰かけた彼の向かいに私も座る。すると。
「こっちだ」
自分の隣を2回トントンと叩く。
「え……?」
有無を言わさぬ目つきで見つめられ、私は仕方なく立ちあがり彼の隣に移動した。
そのあとしばらく彼は何も言わず、私も何も言わなかった。
……これから、どうすればいいんだろう?
頭の中から駅まで走るという選択肢が消える。
こんな斎藤さんが見られるとは、夕方不満に頬を膨らませていた私には想像も出来ない事だった。
でも、こんな時間にこんな場所、隣には酔った斎藤さん。
まさか、部屋を取っている、とか言わないよね。
そんな、まさか、あの斎藤さんが私なんかと。
でも、もしそうだったらどうしよう。
NOはないよね?
いや、待って、私、そんな軽いキャラじゃないし。
頭の中を空回りさせながらぼんやりフロントの方を眺めていると。
ふいに斎藤さんの視線を感じる。
うぅ、緊張してしまう。
「その、すまない……酔ってしまって」
「い、いいえ、こんなこと、誰にでもありますよ」
斎藤さんにもあるとは、想定外だったけど。
彼はソファに身体を沈めたまま、天井を仰ぐ。
「……嬉しかった。だから、少し酒を過ごしてしまった」
「何が嬉しかったんですか?」
「みょうじにまた会えた……。会いたいと思っていた故、嬉しかった」
「え?」
私にまた会えた、と彼は言った。
会いたいと思っていた、とも。
彼が高校を卒業した時点から一度も会っていなかったし、大学時代にも何の接点もなかった。
一体いつ、会いたいと思っていてくれたの?
私の頭はまた忙しく動き始める。
「8年ぶりだ……」
「…………」
頭を働かせても何の答えも導き出せない私は、ただ黙って彼の横顔を見つめる。
「土方さんにみょうじの事を聞いた時は、運命かと思った」
「部長に? ずっと、お付き合いがあったんですか」
「ああ。高校の頃から土方さんとは細々とだが付き合いは続けている」
「そうだったんですか。……って、え、運命って……?」
一拍遅れて彼の言葉が私の脳内に伝わると、いちいち沢山の疑問が渦巻いてくる。
「一年前、あんたの入社を聞いて」
「……あの、待ってください。ちょっと良く解らないんですけど、どうして私の事なんかが話題に出たんですか」
どうして、部長がわざわざ。
「…………」
斎藤さんは一度黙って、ゆっくり私の方へ顔を向けた。
いくらか酔いが醒めたのか、その目はさっきよりも強い光を帯びていた。
目を逸らせずに見つめ返す。
「好きだったからだ」
「え……?」
何だか今頃になって私の方が急に酔いが回って来たみたいだ。
一度深呼吸をしてみる。
「あの、誰が、誰を……」
「俺がみょうじを」
「…………」
「会いたいと思ったが、ずっと言い出せず、やっと土方さんが俺に営業をかけてきたゆえ」
「…………」
「みょうじに会わせてやるから仕事の話をさせろと」
「斎藤さん……あの、話がまだ……消化出来ない……」
ホテルの部屋に連れ込まれるよりももっとびっくりするような言葉がその唇から後から後から聞こえてきて、私は完全に脱力し思考回路が停止してしまった。きっと呆けた顔になっていると思う。
「俺はみょうじを好きだった。土方さんも前からそれを知っていた」
「…………」
「……今日の再会であんたが何も変わっていないと解り、嬉しかった」
「さ……さいと……」
「いや、少しは変わったか。綺麗になったな」
彼の顔がふいに近くなった。
いつの間にか肩をしっかりと掴まれている。
「あ、……あ、あの……!」
顔が近過ぎる。
「今も俺はあんたを」
「う、嘘……」
「嘘ではない。なまえ」
彼の唇が私の唇とほんの数センチのところで止まる。
もう目の焦点が合わない。
でも彼の瞳は私の心の奥までを覗き込んでいるみたいだった。
「俺をどう思っている?」
「そ、それは……」
この状況にキャパシティーを超えた私の脳はもうただの蟹ミソだ。
彼はふっと悪戯っぽく笑った。
「答えなくとも構わぬ。俺はあんたの会社のクライアントだ。拒否権はないと思え」
更に唇の距離が縮まる。
「しょっ、職権濫用……」
口走りかけた私の唇は完全に塞がれた。
その後彼は客室に私を連れ込む、などという無体な真似は勿論しなかったけれど、その日から私達は恋人同士になったみたいだ。
正直、今でも信じられない。
金曜日の夕方。
いかにもインテリジェンスなピカピカのビルのエントランスロビーで焦る私は部長を急がせる。
「土方部長、早くしてくださいよ。怒られちゃいますよ」
「あ、ああ。すまんみょうじ、先に行ってくれ。あいつを怒らせると説教が長いからな」
我が社のトップクライアントになってくれた(株)Kikonの採用担当斎藤さん。
原稿の打ち合わせに少しでも遅れると彼の怒涛の説教が待っている。
「あんた達は仕事をなんと心得ている。アポイントメントに遅刻するなど相手が俺だから良いようなものの、他のクライアントだったらそれだけで気を悪くしてまとまる話も……」
「すまん! ほんとに悪かった斎藤。そんなに怒るな、お前と俺の仲だろ。時間もないことだし打ち合わせを始めさせてくれ、頼む」
「土方さん。俺は公私をきっちりと分ける主義です」
打ち合わせが終わってしまえば斎藤さんは一瞬だけオフモードになって耳打ちしてくる。
「下で待っていろ」
6時に彼と待ち合わせをしているので、私だけ直帰の許可をもらっていて部長は一人で帰社した。
エントランスホールの隅でこっそり彼が出て来るのを待っていると、程なくして降りて来た彼は
「あんた達が遅れてきたおかげで時間が押してしまった。俺は今日は残業をせぬよう全て仕事を片づけていたのに」
「そんな、数分じゃないですか」
「数分を馬鹿にするな。数分でも多く俺はなまえと共に過ごしたいと思っている」
「さっき部長には公私混同しないっていったくせに」
「うるさい。あんたの事だけは別だ」
「クライアントだからって横暴ですよ?」
「どうやら……黙らせて欲しいようだな」
ニヤリと笑い私の腕をぐいと掴んだ彼は、柱の陰に私を強引に連れ込んだ。
「しょっ、職権濫用……っ!」
また私の言葉はその唇に飲み込まれてしまう。
唇を離して彼が碧玉色の瞳に笑みを滲ませて私を覗きこむ。
「あんたが好きだ、なまえ」
そのたった一言だけで、幸せ過ぎて舞い上がってしまう私であった。
蕩ける様な色っぽい目つきで私を見下ろす斎藤さん。
「すまない、大丈夫だ……」
手洗いに立ったままなかなか戻らないので気になりそっと席を立つと、彼はバーの入り口の壁に凭れて立っていた。
斎藤さんは相当酔ってしまったみたいだ。
12時少し前。
どうしよう。ここ駅が近いし、今なら走ればギリギリ終電に間に合うかも……、でも。
私とした事が、彼よりもしっかりしている。
こんな時に酒の強い女って可愛くないでしょう?
彼は軽くふらつきながらも席に戻るとスーツの内ポケットからスタイリッシュな財布を出しカウンターにカードを置く。
バーテンダーが小さく頭を下げカードを受け取る。
「送る」
「え、そんな、一人で帰れます」
「いや、送る」
押し問答もどうかと思い私はとりあえず黙る。
エレベーターでフロントのある2階まで降りると彼は「すまないが少し座ってもいいか」とロビーのソファを目で指した。
私は頷く。
ふぅ、と溜め息をつき、けだるげに腰かけた彼の向かいに私も座る。すると。
「こっちだ」
自分の隣を2回トントンと叩く。
「え……?」
有無を言わさぬ目つきで見つめられ、私は仕方なく立ちあがり彼の隣に移動した。
そのあとしばらく彼は何も言わず、私も何も言わなかった。
……これから、どうすればいいんだろう?
頭の中から駅まで走るという選択肢が消える。
こんな斎藤さんが見られるとは、夕方不満に頬を膨らませていた私には想像も出来ない事だった。
でも、こんな時間にこんな場所、隣には酔った斎藤さん。
まさか、部屋を取っている、とか言わないよね。
そんな、まさか、あの斎藤さんが私なんかと。
でも、もしそうだったらどうしよう。
NOはないよね?
いや、待って、私、そんな軽いキャラじゃないし。
頭の中を空回りさせながらぼんやりフロントの方を眺めていると。
ふいに斎藤さんの視線を感じる。
うぅ、緊張してしまう。
「その、すまない……酔ってしまって」
「い、いいえ、こんなこと、誰にでもありますよ」
斎藤さんにもあるとは、想定外だったけど。
彼はソファに身体を沈めたまま、天井を仰ぐ。
「……嬉しかった。だから、少し酒を過ごしてしまった」
「何が嬉しかったんですか?」
「みょうじにまた会えた……。会いたいと思っていた故、嬉しかった」
「え?」
私にまた会えた、と彼は言った。
会いたいと思っていた、とも。
彼が高校を卒業した時点から一度も会っていなかったし、大学時代にも何の接点もなかった。
一体いつ、会いたいと思っていてくれたの?
私の頭はまた忙しく動き始める。
「8年ぶりだ……」
「…………」
頭を働かせても何の答えも導き出せない私は、ただ黙って彼の横顔を見つめる。
「土方さんにみょうじの事を聞いた時は、運命かと思った」
「部長に? ずっと、お付き合いがあったんですか」
「ああ。高校の頃から土方さんとは細々とだが付き合いは続けている」
「そうだったんですか。……って、え、運命って……?」
一拍遅れて彼の言葉が私の脳内に伝わると、いちいち沢山の疑問が渦巻いてくる。
「一年前、あんたの入社を聞いて」
「……あの、待ってください。ちょっと良く解らないんですけど、どうして私の事なんかが話題に出たんですか」
どうして、部長がわざわざ。
「…………」
斎藤さんは一度黙って、ゆっくり私の方へ顔を向けた。
いくらか酔いが醒めたのか、その目はさっきよりも強い光を帯びていた。
目を逸らせずに見つめ返す。
「好きだったからだ」
「え……?」
何だか今頃になって私の方が急に酔いが回って来たみたいだ。
一度深呼吸をしてみる。
「あの、誰が、誰を……」
「俺がみょうじを」
「…………」
「会いたいと思ったが、ずっと言い出せず、やっと土方さんが俺に営業をかけてきたゆえ」
「…………」
「みょうじに会わせてやるから仕事の話をさせろと」
「斎藤さん……あの、話がまだ……消化出来ない……」
ホテルの部屋に連れ込まれるよりももっとびっくりするような言葉がその唇から後から後から聞こえてきて、私は完全に脱力し思考回路が停止してしまった。きっと呆けた顔になっていると思う。
「俺はみょうじを好きだった。土方さんも前からそれを知っていた」
「…………」
「……今日の再会であんたが何も変わっていないと解り、嬉しかった」
「さ……さいと……」
「いや、少しは変わったか。綺麗になったな」
彼の顔がふいに近くなった。
いつの間にか肩をしっかりと掴まれている。
「あ、……あ、あの……!」
顔が近過ぎる。
「今も俺はあんたを」
「う、嘘……」
「嘘ではない。なまえ」
彼の唇が私の唇とほんの数センチのところで止まる。
もう目の焦点が合わない。
でも彼の瞳は私の心の奥までを覗き込んでいるみたいだった。
「俺をどう思っている?」
「そ、それは……」
この状況にキャパシティーを超えた私の脳はもうただの蟹ミソだ。
彼はふっと悪戯っぽく笑った。
「答えなくとも構わぬ。俺はあんたの会社のクライアントだ。拒否権はないと思え」
更に唇の距離が縮まる。
「しょっ、職権濫用……」
口走りかけた私の唇は完全に塞がれた。
その後彼は客室に私を連れ込む、などという無体な真似は勿論しなかったけれど、その日から私達は恋人同士になったみたいだ。
正直、今でも信じられない。
金曜日の夕方。
いかにもインテリジェンスなピカピカのビルのエントランスロビーで焦る私は部長を急がせる。
「土方部長、早くしてくださいよ。怒られちゃいますよ」
「あ、ああ。すまんみょうじ、先に行ってくれ。あいつを怒らせると説教が長いからな」
我が社のトップクライアントになってくれた(株)Kikonの採用担当斎藤さん。
原稿の打ち合わせに少しでも遅れると彼の怒涛の説教が待っている。
「あんた達は仕事をなんと心得ている。アポイントメントに遅刻するなど相手が俺だから良いようなものの、他のクライアントだったらそれだけで気を悪くしてまとまる話も……」
「すまん! ほんとに悪かった斎藤。そんなに怒るな、お前と俺の仲だろ。時間もないことだし打ち合わせを始めさせてくれ、頼む」
「土方さん。俺は公私をきっちりと分ける主義です」
打ち合わせが終わってしまえば斎藤さんは一瞬だけオフモードになって耳打ちしてくる。
「下で待っていろ」
6時に彼と待ち合わせをしているので、私だけ直帰の許可をもらっていて部長は一人で帰社した。
エントランスホールの隅でこっそり彼が出て来るのを待っていると、程なくして降りて来た彼は
「あんた達が遅れてきたおかげで時間が押してしまった。俺は今日は残業をせぬよう全て仕事を片づけていたのに」
「そんな、数分じゃないですか」
「数分を馬鹿にするな。数分でも多く俺はなまえと共に過ごしたいと思っている」
「さっき部長には公私混同しないっていったくせに」
「うるさい。あんたの事だけは別だ」
「クライアントだからって横暴ですよ?」
「どうやら……黙らせて欲しいようだな」
ニヤリと笑い私の腕をぐいと掴んだ彼は、柱の陰に私を強引に連れ込んだ。
「しょっ、職権濫用……っ!」
また私の言葉はその唇に飲み込まれてしまう。
唇を離して彼が碧玉色の瞳に笑みを滲ませて私を覗きこむ。
「あんたが好きだ、なまえ」
そのたった一言だけで、幸せ過ぎて舞い上がってしまう私であった。