斎藤先輩とわたし | ナノ
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act:12 兎と狼の接近戦 2014Halloween


10月31日、金曜日。
今日はハロウィンである。そしてそれにかこつけた社内の飲み会である。
昨夜の電話でその話をしたら斎藤さんはごくごく僅かにムッとしたけれど本気で怒っているわけではなさそうだった。その時点では。
連絡をわざわざ電話にしたのは機嫌の判別しにくい彼と込み入った話をするには、メールやLINEよりも直接声を聞くに限ると思ったからだ。

『菓子をくれなどという祭りはそもそも子供の遊びだろう』
「そうなんだけど。ハロウィンにかこつけて一杯飲みたいんだと思う、多分」
『土方さんは酒をそれ程好まぬではないか』
「お酒だけじゃないの。土方部長はイベント部長でもあるから」

社員旅行でもわかるように土方部長はそうやって社員の親睦を図る行事を企画することが時々ある。わかりにくいながら色々と気を遣う人なのだ。意外にもそういう可愛い面があるということに私は近頃気づいてきていた。(失礼。ここは上司としてしっかりした纏め役を果たしていると言うべきでしょうか)

『………解せぬ。彼はそのように浮かれた人物ではないと思っていたが、』
「ま、まあいいじゃないですか。とにかく明日、会社で待ってますから」

気持ち不満そうでまだ何か言いたげながらも来ることは一応了承してくれた斎藤さんに、ひとまずホッとして私は会話を終了させた。
毎週末金曜日は斎藤さんと私のデートの日と暗黙に決まっているのだけれど、今週は新選エージェンシーで終業後ささやかなハロウィンパーティと称した飲み会が行われる事になったのだ。社内のことだからデリバリーのピザとビールで乾杯する程度のものだと思うけれど。
社員と言えば土方部長に山南専務に近藤社長、千鶴ちゃんと私。それだけでは寂しすぎるので社員旅行の時と同じように(部長が)ゲストを呼んだと言うわけだ。それはいつも決まった例のメンバーだ。
過去の経験からこういう時には穏やかでない何かが起こりやすい。けれどお酒を飲めるというだけでハッピーになってしまう私は、翌日起こる出来事を想像する頭なんてその時は全くなかった。





社長も専務も出払ったオフィスで土方部長は、ついさっきやってきた宅配酒屋のお兄さんが置いて行った500ミリリットル24本入りの缶ビールの箱を空け、オフィス内に併設されている小さなキッチンの冷蔵庫に移していた。
今日集まるのは酒豪揃いなのでワインも数本、日本酒まで取りそろえられている。
ふと手を止めた彼がとんでもないことを言う。よく見ればいつもよりも機嫌良さげで眉間の皺さえも一本少ないようだ。

「そういや電話でな、近藤さんが取引先から何か借りてくると言ってたな」
「何かってなんですか」
「兎の着ぐるみだとよ。今日会ってるのは旧知のイベント会社だからな。お前と雪村用らしいぜ」
「き、きぐるみ……」
「兎の着ぐるみですか? わぁ!」

頼んだ原稿を書いていた千鶴ちゃんが顔を上げ、私の言葉を遮って目を輝かせる。この子はもともと兎みたいなんだから違和感ないだろうけど、私が着ぐるみって……。それはいったい何の罰ゲーム?
私はお酒さえ飲めればそれでいいし第一着ぐるみっていうキャラじゃないんですけど。

「女はそういうのが好きだろ。近藤さんの親心なんじゃねえか?」
「は? 全然好きじゃな……」
「はい、可愛いのは大好きです!」
「まあみょうじもそう言わずに付き合ってやってくれ」

どこがどう親心? 反論したいけれど今はそんな時間がない。取り敢えず入稿を済ませなければ。
午後6時。
仕事の方は今週も何とか締め切りに間に合い一息つく。さて、お酒タイムだと胸を高鳴らせる。
土方さんによれば今日は斎藤さん、沖田さん、トリオ以外に山川さんも来ると言う話だ。そこへ斎藤さんから仕事の都合で一時間ほど遅れると言う連絡が入った。
使ったファイルを片づけようとしているところへ近藤社長と山南専務が揃って帰社してくる。何やら大きな段ボール箱も一緒だ。私はそれに目をやりさっきの話を思い出してげんなりする。

「やあ、ただいま。ハッピーハロウィン!」
「お帰りなさい」
「ふふふ、二人にお土産ですよ」

満面の笑みを浮かべた楽しげな社長といつものように黒く含み笑う専務。彼らに掛け寄る千鶴ちゃん。ちょうどやってきたデリバリーピザ屋さんからLサイズの箱を5箱も受け取って支払いをしながら、土方部長もニヤニヤ笑っている。
ダンボールの中からやけにフワフワしたピンク色の可愛らしい耳のついたカチューシャに、エプロンドレスみたいなのを着たモコモコの兎の身体が現れた。「可愛いですね!」と千鶴ちゃんはカチューシャを頭につけてはしゃぐ。

「可愛いだろう? ところでな、みょうじ君にはこっちの兎になってもらおうと思うんだが」

言いながら近藤社長がもう一つの小さ目のダンボールを開け、取り出したそれを広げる。
見るなり私はピシッと固まった。手に持っていたファイルがドサドサと足元に落ちた。
近藤社長の後方に立っていた土方部長の手からも、ピザの箱が5個いっぺんに垂直にドゴッと音を立てて床に落ちた。
一ミリも邪気のない笑顔で近藤社長は笑っている。あの、もしやとは思っていたけれどやっぱり社長も天然だったのですか。
それはなんの冗談……、いや、ちょっと、冗談じゃないです、笑えないですよ。
それは、それは確かに兎かもしれないけれど、でも兎じゃないです。
口も眼も大きく開けたまま固まり続ける私の耳に、土方部長の低く掠れた(そしてどこか怯えたような)声が聞こえてくる。

「近藤さん、あんた……、斎藤に、……殺されるぞ」
「ん? どうしてだ?」

彼がニコニコと広げて此方に向けているのは、どこからどう見てもバニースーツ。濃紺の艶々した生地のレオタードみたいな所謂バニーガールの衣装だ。
私は青ざめる。
兎の耳に、蝶ネクタイの着いたカラーとカフス、そして同色のハイヒールを取り出す山南専務。土方さんの声を笑って聞き流した近藤社長はこう言った。

「向こうの社長が着ぐるみの方は一体しかないと言ってな、困っていたらエスカイヤクラブでこの衣装を譲ってくれるって言うから買ってきたんだよ」
「ウェイトレスさんの着古しじゃみょうじさんも嫌だろうと、近藤さんがわざわざポケットマネーをはたいて購入したのです」

わざわざ? ポケットマネーでわざわざそんなものを?
困るとこそこじゃないです、社長。というよりその判断に私が困る。もう何をか言わんや。
これは俗に言うセクハラじゃないの? いや、でも、社長の顔を見る限りそれはきっと違うんだ。近藤社長は元々悪気というものの一切ない人だ。
エスカイヤクラブとは取締役クラスを接待する時に社長がよく使う店で、今日クライアントと会っていたのはそこらしい。それはプレイボーイクラブを模した、企業の管理監督職以上という選ばれた人だけの入れる高級会員制クラブである。ホステスさんはいないけどセクシーなバニーガールがウェイトレスとしてお酒や料理を供してくれるのだ。私も一度同行したことがあるけれど、お値段を初め半端ないエグゼクティブっぷりにすごく緊張した事を憶えている。(ついでにお酒も料理も半端なく美味しかったことも)
ふと見れば千鶴ちゃんがしっかりと兎になって「似合いますか?」とか言いながらキッチンから出てくるところだった。彼女は嬉しそうに笑っている。

「なまえさん、空きましたよ。次どうぞ」

そして私に着替えを促す。楽しげな顔で「平助君、これ見てなんて言うかな」だって。
この子って、この子って、やっぱり空気読めてない。出来れば、私がバニーガールになんかなったら斎藤さんはなんて言うかなってとこまで考えてみて欲しかった。いやだ、想像すると血の気が引いてくる。
激しく動揺する私に山南専務が穏やかに、けれど有無を言わせない妙に迫力のある声で告げた。専務は何だかんだ言って影の実力者なのである。

「社長の好意を無駄にしちゃいけません」
「みょうじ君はスタイルがいいからね。きっと似合うだろうなあ、うん」
「みょうじ……、ここは仕方ねえ。頼む。折れてやってくれ」

土方部長が私と遜色ないほどの苦渋の表情を浮かべた。それはまるでこれも仕事だと言っているように見えた。
どうしてここできっぱりと断らなかったのだろう、私は。こういうところが私の意思の弱いところなのだ。わかっている。何もかも悪いのは私だった。結局拒否をしなかったのは私自身なんだから。

「ハッピーハロウィン!」
「トリックオアトリート!」
「今夜は飲むぞお!」

口々に騒ぎながら斎藤さん以外の訪問者がドッといっぺんにやってきたのは、私が着替えを終えて直ぐだった。





10月も今日で終わる。季節は冬へと進んでいる。夜の空気は冷える。
しかし私を包み吹き荒れているのはそんなものではない。それは生きとし生ける者さえ全てを凍り付かせるような空気。そう、歯の根が合わないほどの冷気だ。
怒っている。当たり前だけど怒っている。その瞳を覗き込まなくてもありありとわかるほど、斎藤さんの怒りが私を席巻している。
タクシーの後部座席でまっすぐ前を向いている横顔はもう一言も言葉を発しない。
パーティが始まり間もなくすると、ヤケクソ気味に飲んでいた私にはガッツリと酔いが回って何だか心地よくなってしまい、自分のあられもない恰好の違和感がどこかに飛んでしまっていた。初めは歓声を上げたりして物珍しげに囲んできた皆から逃げ回っていたけれど、所詮中身は私だ。
バニースーツには燕尾服のような長袖の上着も着いて居て、専務が後から取り出したそれを着てしまえば、ストッキングの足が露わであるとは言うものの肩や胸の露出はいくらか抑えられていた。
とは言えバニーガールはバニーガール。どこから見てもバニーガール。谷間がはっきりと見える胸のラインも、ハイレグカットの脚の付け根もやはり誤魔化しようがないのだ。

「おお、斎藤君か」
「…………、」

少し遅れて現れた斎藤さんは私を見るなり、一言の言葉もなく開かれたドアの前に立ち尽した。真っ先に彼に気づいた近藤社長の声にも完全に無反応だった。
絶対に怒られると思って身を縮めかけた私だけれど、予想に反して斎藤さんは何も言わなかった。けれどそれは彼が怒っていないということではないとすぐに解る。
宴もたけなわになりかけていたと言うのに、それまで楽しく飲んで騒いでいた誰もが押し黙った。無言でありながらも斎藤さんの全身から発せられる怒りの波動が尋常じゃなく強かった所為だ。

誰が、どうして、何故に。

私がバニーガールであることの理由を追及する科白は彼の口から出なかった。
皆には目をくれず一拍置いてから静かに踏み込んできた彼は、社長と専務と土方部長にだけ目礼をした。

「所用を思い出しましたので失礼します」

誰にともなくゆっくりと一言だけ、低い声で怖いほど静かに告げる。
「あ、ああ、わかった」と返事をしたのは社長だけで他の誰も口を挟むことはしなかった。
手に持っていた黒いトレンチコートを私の肩に羽織らせて私のデスクの上のバッグを取り、身じろぎもしない皆の前を静かに過り、私の腕を引くようにして斎藤さんがオフィスを後にする。
誰も何も言わない。何やらずっと色気のある目つきをしていた山川さんも、にやつきながら好奇の目で見ていた沖田さんでさえも何も言わない。
ついでに言えばその時の土方部長の表情は入社以来初めて見たものだった。まるでこの世のものではない何かを目にしたかのように、その瞳ははっきりと怯えに塗り潰されていた。
誰を恨むこともできないのはわかっている。
全て考えの足りない私が悪かったんだ。
外へ出た斎藤さんは私とは一言も口を利かず通り掛かったタクシーを停めた。行動で促されるまま後部座席に座り彼の隣に小さくなる私は能面のような横顔を盗み見る。感じる冷気は痛いほどに肌を指す。斎藤さんは自宅マンションの場所を手短に伝えるとまた口を噤む。
人は度を超して怒ると黙り込んでしまうものなんだな。
せめて今だけでもと現実逃避を試みる私は場違いな事を考える。
羽織らされていた彼の黒いコートの膝は、バニースーツのお尻に着いて居る丸い大きな兎の尻尾のせいでつい開いてしまう。兎は仄かな防衛本能からコートの裾をきゅっと閉じ合わせた。
この隠しようのないギリギリの緊張感の中で、私の頭についたままの濃紺の兎耳は、運転手さんからはさぞかし滑稽に見えたことだろう。





マンションのエントランス前にピタリと停車したタクシーを降りると、なお無言でスタスタと進んでいく彼はエレベーターホールの前で私を振り向いた。
あ、やっぱり怒ってる、どう見ても。そろそろ付き合いも長くなってきた私には、ここのところその無表情の中にも彼の考えていることがかなり理解できるようになってきていた。一見静かな湖面のような碧い瞳の奥に焔が燃えてるのが手に取るように解る。
こ、怖い。
のろのろと歩くハイヒールはうっかりと出来心で踵を返しかける。しかし私のそれよりも早く踏み出した彼の足。掴まれた二の腕がギリと痛み、それと同時にエレベータードアが開き「……あっ、」と声を上げた私は強い力で中に連れ込まれた。すぐにドアが閉じる。
二人きりの箱の中、直ぐ様顔の横に伸びてきてドンと音を立てて壁に突かれた両手は、完全に私を閉じ込めた。
これはまさに罠に掛かった兎の様相だ。逃げる術なんかない。彼のメラメラと燃える瞳はさしずめ野に放たれた狼と言ったところだろうか。
いや、冷静に例えている場合じゃない。階数ボタンも押さないままでは誰が入ってくるか解らないし、第一この狼はものすごく怒っているのだ。これは緊急事態と言える。私の心臓がバクバクと音を立てた。
もしかして、殴られたりとか、するのかな。
焦りながらもとにかく謝らなくちゃと私はぎゅっと目を瞑り、消え入るような声で呟いた。

「…………、ご、ごめ……、」
「トリックオアトリート」
「…………、」
「菓子を差し出せ」
「は…………?」

次の瞬間に耳元に吐息と共にかかる声。信じられない言葉に私は耳を疑った。
今、なんて言ったの?
想像とあまりに違った展開に混乱しながら恐る恐る開いた目の前にいたのは、狼は狼でも怒りの余り兎を食い殺そうとしている狼じゃなく、凄絶に色っぽい目をしたひどく妖艶な狼だった。

「今宵は菓子を要求してもよいのだろう?」
「お、お菓子、持ってな……、」
「あるだろう、ここに。それともなまえは悪戯の方がよいか?」

彼の指先が胸元から首筋を滑り上り唇に触れて幾度も撫でる。もう片方の手は掻き合わせたコートの裾を割り、それはそれはねっとりと嫌らしい動き方で太腿に這わされた。すぐにハイレグのヒップラインに辿り着いた指が中へ侵入しようとする。
待って、この変わり身は一体どういうことなの?
痛いほど打っていた心臓の音がさっきまでのとは完全に意味を変えていた。
もしかして、まさかとは思うんだけど、はじめさん?
怒ったふりをしていたの?

「ちょ……、」
「俺はどちらでも構わぬが」
「……え、」
「どちらが望みだ。早く答えろ」
「…………や、待って、ここじゃ、斎藤さん……っ」
「どちらもか? 欲張りだな」

そう言ってふっと口端を釣り上げた彼は顔を近づけてくる。いきなり深くまで塞がれた唇は熱く、差し込まれて絡められた舌と同時に滑り入った悪戯な指がビキニラインから入り込み、私の思考をドロドロに溶かしていく。

「なまえ……、」
「ん……は、ぁ……、はじめ、さん……、」
「狡い女だ」
「え……、」
「電話などで呼びつけた挙句、人を焚き付けて」

長いキスの合間に囁かれる声は私の深部を疼かせるほどに甘い。ゾクゾクとした感覚が這い登る。
だけどその言葉は彼の曲解だ。
それにこんな場所で人の興奮を煽って襲いかかるこの狼の方が、よっぽど狡いと私は思うんですけど?

「しかし他の男にこのような姿を見せた罪は、別件として購ってもらわねばならん」
「え、あっ、……ん、」

勝負に負けたのは今回もまた兎の方だった。
最初から完敗だよ。
はじめさんは本当に狡い男だ。

2014.10.31



act:12 兎と狼の接近戦 2014Halloween

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