斎藤先輩とわたし | ナノ
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act:11 義理と人情と友情と激情


間接照明のライトと小洒落たインテリアに飾られたビストロのこのテーブルは、他のテーブルに悟られない程度ではあるけど妙な緊張感に包まれていた。
斎藤さんが藍色の瞳をほんの微かに細めて横目で私を見ている。一見無表情に見えるけどあの刺す様な視線はかなり本気で怒っている。少し怯む。
だっ、だけど私だって怒ってるんだ。そんな目で見たって駄目なんだから。
目を逸らさない彼とそれに負けじと横目で睨みかえす私の視線は、長方形のテーブルの対角線上のど真ん中でバチンとぶつかり合った。
私の隣に座る千鶴ちゃんとその向かい合わせの平助君は、一目でわかるほど蒼白になっている。空気を読んでいない人が若干二名いるようだけれど事情を知らないんだから仕方ない。

「すごく素敵な方ですね。お名前聞いてもいいですか?」
「ああ」

斎藤さんは真向いの女の子の言葉に短く応えた。でもその声はものすごく低くて答えになっていない。それでいて左に向けた視線の威力は全く衰えることなく私の視線と絡んでいる。

「君はとても俺の好みのタイプだ。飲み物は何がいいかな。カクテルは好きですか?」
「おかまいなく」

身を乗り出してメニューを向けてくる正面の男性の言葉を受け流せば、その人は「は?」という顔をしたけどそんなこと気にしてられない。私も斎藤さんから視線を外さず押し負けないように必死なのだ。視線のビームの撃ち合いは今のところお互いに一歩も譲らないといった感じ。
私の左に千鶴ちゃんとそのまた左に女の子。女の子の向かいに斎藤さんがいてその左隣に平助君、そして私の目の前には初めて会う男性。計6人の男女でテーブルを囲んでいる。千鶴ちゃんと平助君は完全に固まっている。
これがなんの集まりかおわかりいただけるだろうか。そう、これは合コンである。これからここで合コンが始まろうとしているのである。
私が今日どうして合コンなんかに来ているのかと言うと、単に千鶴ちゃんにお願いし倒されたからなんだけど。
彼女は平助君のことを好きだったらしい。少し前の新選エージェンシーの温泉旅行(沖田さんとトリオも参加)に行けなくてとても残念がっていたのは知っていた。千鶴ちゃんは可愛いんだから平助君は一も二もなく喜ぶはず。「面識はあるんだから会えばいいじゃない」と言えば「いきなり二人なんてとても無理です!」と答えた千鶴ちゃんのお願いは、合コンの体で会いたいということだった。平助君にはさりげなくそう話を持ちかけてあるのだと。
「なまえさんはつき添っていてくれるだけでいいんです」と小鹿のような濡れた黒い瞳で上目づかいに見上げてくる千鶴ちゃんを見捨てるなんて、私には出来ないよ。人情があれば誰にも出来ないよね? 別に浮気するわけじゃないしあくまでもこれは付き添い。そう割り切ってあんまり気は進まなかったけどついうんと頷いてしまった。
今日ここに平助君と一緒に斎藤さんまで現れるなんて考えてもみなかった。
お店に入るなり最初に目が合った瞬間、普段無表情の斎藤さんがその瞳に驚愕の色を浮かべた。それから無言の視線の攻防が続いている。
私も頑張ってはいるけれどそろそろ負けそう。彼は口が上手くない分眼力が半端ない。
でも事情も聞かずにそんなに怒らなくてもいいと思った。私の方だって斎藤さんが合コンに来たことに少なからずショックを受けてるのに。
私を睨み付けたままついに斎藤さんがもの凄く不機嫌そうに口を開いた。視線は揺るぐことなく私に突き刺さってくる。

「あんたは何をしている」
「私は広告代理店の営業をしてますけど何か?」
「そういうことを聞いているのではない。あんたはここで一体何を、」
「頼む、落ち着いてくれよ、はじめ君! なまえがいるなんて俺、聞いてなくて、」
「ご、ごめんなさい、なまえさんっ。私も知らなくて、」

斎藤さんと私の剣呑なやり取りに平助君は中腰になり、千鶴ちゃんは泣きそうな顔をした。斎藤さんが静かに椅子を引き立ち上がって、まるで地を這う様な重い声を発する。

「落ち着いていられる状況だとでも思うのか」
「そこだけは同感です……え、ちょっとっ」

平助君ともう一人の男性の背後を回ってきた彼は、横に立つとおもむろに私の二の腕を掴んだ。千鶴ちゃんは俯き、平助君は頭を抱えている。後の二人はポカンとしている。

「帰るぞ、なまえ」
「何を勝手な、」
「ここでこのまま合コンとやらを続けたいのか?」
「そ、そんなわけないでしょ……っ」

抑揚のない声で言う斎藤さんに強引に起たされ腕を引かれて、気の毒な4名を残し引きずられるような感じでその店を後にしたのだった。





俺はなまえ以外の女子には無論興味がないし、なまえを裏切るつもりも毛頭ない。
学生時代の友人である平助と山川に強引に連れて行かれたあの場で、なまえの姿を認めるなり俺は驚愕した。
俺というものがありながらあんたは何を考えているのだ。
俺があそこへ赴く羽目となったのには事情がある。山川という男は俺の会社と取引のある企業に勤めており大学の同期でもある。仕事上で彼の協力を得る機会があり、それが多大なる業務上利益に繋がった故深く感謝の意を述べたのだが、その時に彼はこう言った。

「礼をしろと言うわけではないが、一つ頼みを聞いてくれないかな」
「ああ、なんなりと言え。善処しよう」

そこで言質を取られる仕儀となる。
彼の要求は平助と共に計画した所謂合コンに付き合えということであったのだ。それは聞けぬ願いだと頑強に辞退したが結果的に受け入れられなかった。

「来てくれるだけでいいんだよ、斎藤」
「勘弁してくれ」
「君には彼女がいるって言うじゃないか」
「そうだ」
「彼女のいるヤツはいいよ。俺なんか仕事が忙しくて出逢いもないって言うのに。君は自分さえ良ければそれでいいのか? 頭数でいいと言ってるだろう? なあ、助けると思って付き合ってくれ」
「…………、」

山川は一見穏やかそうに見えて実際は押しの強い男であった。思い込むと梃子でも動かぬ粘り強さもある。男気のあるその性質をこれまでは好ましく思っていたものだが、今回ばかりは閉口した。

「困っている友を見捨てるのか?」
「何故そうなる」
「君は善処するといったな。武士に二言はないだろう?」

言葉数の多くない俺はレトリックを弄し攻めたてる山川に見事に嵌められた。
週末だけは譲れぬと最後の抵抗を試みれば妥協案で設定されたのは水曜の夜、それがつまり今夜だ。まさか行った先になまえがいるなどとは想像もしなかった。
日頃総司に言い寄られ迷惑を蒙っているなまえではあるが、総司の場合には彼女は受け身であると言える。しかし合コンとは本人の同意なくして参加するなど普通に考えれば有り得ぬことだ。
何時になく冷静さを欠いた俺は己を棚に上げていることに気づいていなかった。ひどく動揺していたのである。





斎藤さんは激怒していた。「痛い、離して」と訴えても返事はなく掴まれた腕の力は半端なくて、私の歩調にお構いなしに腕をぐいぐいと引いて駅に向かって歩いていく。まだ時間も早く人で溢れかえる繁華街のど真ん中、本当に腹が立ってくる。私は渾身の力で彼の手を振り払った。ただ事でない私達の雰囲気にちらちらと振り返っていく人がいるけれど、そんなのもう目に入らない。私は怒りに任せてまくし立てた。

「どうしてそんなに怒るの。自分だって同じことしたくせに」
「俺には事情があった。義理を果たしただけだ」
「それなら私だって事情が……、」
「俺の気も知らずにあんたはいつもふらふらと」
「待って。ふらふらじゃなくて今日は千鶴ちゃんの……、」
「あんたは俺に不満があるのか。そんなに他の男がいいと言うのか」
「はあ?」

斎藤さんは私の言葉には聞く耳を持たずにとんでもないことを言い出した。
お互いに冷静に事情を話し合えばなんだそんなことかと笑い合えたかもしれない。けれどこの夜の彼は今までに見たこともないほどの怒り様で、一方的に責めるから私もつい頭に血が上ってしまう。だってある意味お互い様でしょう。立場は同じなんだよ?
もう売り言葉に買い言葉。

「斎藤さんこそ私に不満があるんでしょ。それで出逢いを求めようとでも思ったんじゃないの?」
「斎藤さん、だと? やはりあんたは、」

不意に伸びてきた彼の手が私の肩を掴み、頭の後ろにもう片手を当ててぐいっと引き寄せる。だけど流石の私もいい加減パターンはわかっていた。最接近していた彼の唇と自分のそれとの間に咄嗟に手のひらを入れる。私の手で口を覆われた形になった彼の目が見開かれた。

「なまえ、」
「なんで私の話は聞いてくれないの?」
「俺を拒む気か」
「話が噛みあってない」
「許さぬ。あんたは俺の、」
「今日みたいな斎藤さんは嫌いですっ」
「…………、」

私の中にも多分冷静さなんか1ミリもなかった。言ってはいけない言葉を私はつい言ってしまった。その端整な顔を歪め絶句した彼の腕を逃れ、私は走り出した。






なまえの言葉から受けた衝撃は想像をはるかに超えた。その瞬間に頭から冷や水を浴びせられた心地になり、頭に上っていた血が一息に引いていくのを感じた。なまえの後を追おうとした俺の足が怯んだのは初めてだった。
彼女は本当に俺から離れていくつもりだろうか。
考え事に占められキーボードを打つ手が止まっている。あれから幾度電話を入れようとなまえのスマフォは応えなかった。
業務終了時間に達した金曜の夕だが俺は立ち上がる事もせずに黙ってパソコンのモニターを見つめていた。言うまでもなくなまえとの約束がないからだ。
机に置いたスマフォをもう一度取り上げようとしたその時。触れかけたそれがいきなり振動を始める。画面を見ればそこに映る山川の名を見て心底落胆を感じた。思えばこの男ともあの夜以来である。

「先日は失礼したな」
「いや」
「みょうじさんが斎藤の彼女だったとはな」
「ああ」
「正直驚いたよ。君のあんな姿は初めて見たな。あれから仲直りは出来たのか?」

失礼をしたのは言わばこちらの方であるが今の場合そのようなことを言う気にはなれぬ。こいつがあのような要求をしてこなければ今頃こうなってはいなかったのだ。
いや、それはまた違うだろうか。俺の知らぬところでなまえが合コンなどというものに参加したと考えれば、その方があるまじき事態と言える。
考えは纏まらぬ。このような事も生まれてこの方初めてである。
山川の口調はいつもと変わらず、言葉ほど心配しているふうではなかった。寧ろ何処とはなく楽しげな様子さえ漂わせる口調である。得体の知れぬ不快感がせり上がってくる。

「……何の用だ」
「端的に言おうか。斎藤、悪いが俺は彼女が気に入ったんだ」
「何?」
「そこで君が良ければだがもう一度会わせてもらえないか」
「お前は何を言っている。そのような事を、」
「君に断わられたなら自力で行くまでだが?」
「ふざけるな」
「因みに俺が今どこにいるのかわかるかい?」

粘り強さと何事にも根気よく立ち向かう根気強さ、そして物事を必ず成し遂げる姿勢は学生の頃より山川の美点であると俺は思っていた。しかしこのような事を言われてはその美点は俺にとってもはや災厄以外の何でもない。俺は5分で帰り支度を済ませオフィスビルを出ると新選エージェンシーに向かう。問答無用だ。もう躊躇などしていられるか。





「と言うわけでね、斎藤がいたのは俺の強引な頼みを聞いてくれたからなんだ。みょうじさんには悪い事をしてしまったね」
「なまえさん、私もわがままを言っちゃってすみませんでした」
「俺達だけうまく行っちゃってごめんな、なまえ。はじめ君の機嫌直す協力はするからさ、」
「てめえら一体何してやがるんだ。しようがねえ奴らだな全く」
「ふふふ、若いっていいですね」
「斎藤くんは誠意のある男だ。なまえ君、早く誤解を解きたまえよ」

金曜日恒例の戦争終了後。
あの日からどっぷりと落ち込んでいた私は、取り敢えず原稿だけは落とせないと命からがら頑張って入稿を済ませ、グッタリとデスクの椅子に沈んでいた。
そこへ山川さんが訪ねてきたのだ。彼は斎藤さんの同期らしく土方部長も彼を知っていたようだ。私はその名前を今初めて知ったのだけど。
千鶴ちゃん、平助君、土方部長が私の周りを囲んで、山南専務や近藤社長までが何だか心配してくれている。いや、専務だけは押し殺したような薄笑いを浮かべて見えたけどどういうこと。

「もう、いいんです……」

あの日、つい思わずとは言え斎藤さんにひどいことを言ってしまった。自己嫌悪もいいところだ。あの時の彼の顔が頭から離れない。彼は傷ついたかな。私の事嫌な女だと思っただろうな。私はもう斎藤さんと顔を合わせる勇気がない。
山川さんはとても心配そうな、それでいて色気のある目つきをして、すいと伸ばした手で私の手を取った。初めてその顔をしっかりと見たけれど、このひともなかなかのイケメンだ。

「先日も言ったが、君はすごくタイプなんだ。いっそ斎藤をやめて俺とどうかな」
「は? 何を言って……、」
「そこまでだ山川。なまえに触るな」
「!?」

皆が一斉に振り返った。オフィスのドアが開いたことに誰も気づいていなかった。
確かな足取りで真っ直ぐに私に近づいてくる斎藤さんの表情は、怒りでも悲しみでもなく、そしてそこには躊躇も戸惑いもない。私は呆けた顔で椅子の上に固まったまま彼を見ていた。
部長はニヤつき笑い、平助君と千鶴ちゃんは目を見張り、山川さんも苦笑して道を空ける。

「なまえ、俺が以前言ったことを忘れたのか」
「な、なんですか。なんなんですかっ」

私の前に立った彼はひと呼吸おいてからゆっくりと、そしてはっきりとした口調で言い放った。

「電話に出ないなどと子供っぽいことをするな」
「……え、」

また意表をつくことを言われた。ちょっと待って、お説教? 事がここに至ってまで乗り込んできてお説教なの、斎藤さんてば。私は言葉を失う。

「もう一つある。あんたに俺を拒否する権利などはない」
「は!?」

待って。ほんとに待って。この間の傷ついた目はどこに行ったの。どうしてそんなに自信に満ちているの。ちょっとわけがわからなくなりながらも、私は強い光を放つ藍色に釘付けになる。
この場にそぐわない事を思ってしまう。やっぱり斎藤さんはこういう時凄絶に美麗な顔をする。
一瞬見とれてしまう。
この揺らがない絶対の意志に私は抵抗する力をいつも削がれてきたんだ。彼は私の瞳を真っ直ぐに射貫いたまま静かに続ける。

「俺には疚しいところなど何一つない。なまえの方に言いたいことがあるのならば聞こう」
「さ、斎藤さん……、」

彼がにやりと笑った(ように見えた)。斎藤さんは完全復活をしていた。
ああ、私はこうしてまた術中に嵌るんだ。そしてまた骨抜きにされるんだ。だってこの人はほんとうに狡い男なんだもの。いつだって。
近づく藍色。
こんな時にいつもあなたは言ったよね。あんたは狙ってるのかって。彼が少しだけ腰を屈め、その手が私の肩に触れる。よく分からないけどなんでだろう、涙が出てくる。
気づけば私も彼に手を伸ばし、目を合わせたままその首に縋り付いていた。

「は、はじめさん……っ、」

その通りだよ、きっとあなたの言う通り。私はいつだってあなたのキスを待ってたんだ。あなたから逃げられないことなんてとっくに知ってたんだよ。
はじめさんが僅かに瞠目するのが見える。そしてその瞳がゆっくりと細められ、やがて見えなくなった。

「何処へも行かせぬ。なまえは俺のものだ」

周りが多種多様な反応を示すのを完全に無視した私達は、たった今ここでバカップル認定を受けることになる。

「行くぞ、お前ら」

呆れたような土方部長の声が聞こえた気がする。皆が軽い咳払いや失笑を零しながらコソコソとオフィスを出ていく気配を感じる。
はじめさんと甘い甘い口づけを交わしながら私は、この後散々酒の肴にされるだろうってことと来週の月曜日からのことがチラリと頭をよぎったけれど、取り敢えず今は何も考えないでおこうと思った。

2014.09.08



act:11 義理と人情と友情と激情

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