He is an angel. | ナノ
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05 これはいわゆる磔の刑?


全く食べた気のしない昼食を終えパスタ屋を出て、地上への階段を登りきったところで千景さん、平助君と別れた。
別れぎわ最後に絡んだはじめさんと千景さんの熱視線は、例えばカメハメ派みたいなものがその衝突点でスパークしている感じで、その波動というか二人を包む空気は摂氏300度の溶鉱炉並みの超高温だった。間に何かを挟んだら融けてしまうんじゃないかと思う程。
この二人、何かがどことなく似ていると思うのは、私の気のせいだろうか。
平助君だけは相変わらずニコニコして、あれ、二人って知り合い? そんな仲良かったっけ? なんてお釈迦様もびっくりみたいなことを言う。

「じゃあ、はじめ君、またな」

平助君が手を振れば、千景さんははじめさんからまだ目を逸らさないまま「貴様の顔など二度と見たくないものだ」と言い「それはこちらの科白だ」とはじめさんも凄い眼力で応戦した。
言葉もなくその光景を見ていた私にふいと一歩近づいた千景さんは、なんの躊躇いもなくいきなり私の頬に手を触れ耳元で囁く。

「また近いうちに会おう」
「は?」

顔が強張るのと同時に千景さんを燃え盛る眼で睨みつけたはじめさんが、瞬時にその手を払いのけた。
千景さんがまたジロリとはじめさんを見る。
目の錯覚なんかじゃない。
またしても一瞬絡んだ二人の視線のぶつかる点からはバチバチと火花が散った。
もう、怖い。この人たち、怖い。
はじめさんは千景さんに切り返した一言を最後に、二人になってからもずっと口を開かなかった。
ビルの出口から一分もない地下鉄の階段を黙って降り黙って切符を買った。
私はその背中を数歩後ろで見ている。
来る時は隣に並んで少しはお喋りしていたのに。なんでこうなっちゃったんだろう。これでははじめさんのおうちファッションショーをお願いするなんてきっと無理だな。
私は小さくため息をついた。
改札を抜けてホームへ続く階段を降りていると、今出て行ったばかりの電車の起こした風が下からぶわーっと巻き起こった。
すぐ前に居るはじめさんの長い髪が、手の届きそうなところを舞い踊る。
紫黒の艶やかな髪。
つい手を上げて触れようとしてしまったが、程なくして風が治まると同時に紫黒は彼の背に戻って行って落ちついた。
今時(いや、私の知る限りの昔から)こんなふうに、長い髪を束ねもせずに垂らして歩いている男の人なんて、日常生活では見たことがない。
今周りを見渡してみても一人もいない。でもその髪型が、はじめさんにはなんて似合うのだろう。
手足が長くて全体のバランスがよく背筋もピンと伸びている。スリムなパンツに包まれた形のいい足も腰も引き締まっていて、溜め息が出る程綺麗な後ろ姿をしている。
薄手の黒いカットソーに包まれた肩や背中は、彼が歩く度にしなやかな筋肉を浮かばせて背に流れる髪を柔らかく波立たせ、横髪の裾が少しだけ後ろに靡いていた。
こんなにまじまじと男性の背中を眺めたのは初めてだ。前からだけじゃなく後ろ姿さえも見れば見る程綺麗な男の人。
電車を待つ間も彼は無言で宙を見つめていて、ちらりとその横顔を伺ってみるけど何を考えているのか全く解らない。
さすがの私も声をかけにくくて人が一人入れる程の距離を保って立っていた。
また風を起こして間もなくやってきた電車の中は、空いてもないけど混んでもいなかった。
いくつか席が空いていて、こんな時いつもの私ならさささっと椅子取りゲームに勝利するのが常だけど、真っ直ぐに向かいのドア付近に進んだはじめさん。
私も仕方なくその近くのドアの前に立つ。
電車が動き出しても黙ったまま、なんの景色が見えるわけでもない真っ黒な窓の外を見つめていた。
ほんの少し目を上げれば黒い窓の上の方に、思いの外はっきりとはじめさんの顔が映っている。
でも黒いガラスに映るはじめさんは無表情でとても冷たく見えた。
私の最寄り駅までは25分。
少しの振動を繰り返す電車の中は、いつもなら女子高生やOLさん達のお喋りが聞こえてきて、私はこっそり聞き耳を立てて小さく笑っちゃったりするんだけど、今日に限って車内全体が沈黙に沈んでいた。
だんだん居たたまれなくなって来てしまう。
私が使うこの路線は東京メトロと私鉄が相互直通の為、電車は都心部を抜ければ地上に出る。
真っ暗な地下から地上に出れば窓から明るい光が差し込んできた。
ああ、なんだかほっとする。
私は思わず振り返ってはじめさんに声をかけた。
気分を変えて、今夜のご飯はどうしましょうかーなんて言ってみようと思ったのだ。

「ねえ、はじめさ、……あっ!」

その瞬間電車がガタンと大きく揺れて私は傾いた。
そうだった。線路の連結のせいかいつもこの場所で大きく揺れる。だからいつもこの地点ではヒールの両足を踏ん張って耐えるんだ。
それなのに今日は完全に油断していた。
重心を崩した私の身体は完全に傾き、眼前に電車の床が近づいた気がした。
ああ、もう転ぶと思った時、二の腕を強く掴まれた。
眼を上げなくても解る。私を支えてくれたのははじめさんに決まってる。
下を向いた私の目にはこの振動にも揺るぎもしない彼の腰から下が見えていた。
おずおずと目を上げれば、はじめさんは腕を掴んだまま私を真っ直ぐに見ていた。
その深く濃いブルーの瞳の色はなんだかとても切なくて、何故だか私の心まできゅっと締めつける。
私はこの眼を、この切ない瞳の色を知っている――。





こんな事は初めてだ。
自分で自分自身が解らなくなっている。俺は常に己をコントロールすることを得手としていた。心を顕わにせず内心を押し隠して任務を遂行し、必ずそれを成功させてきた筈だった。
なまえと出会うまでは。
彼女を知り彼女を想うようになってから、どこかの螺旋が飛んでしまったかのように、俺は時に理性を失うようになった。
今、心にどす黒く渦巻いているこれが、噂に聞いていた嫉妬というものだろう。
俺達はこのような、嫉妬を含む負の感情に苦しむ人間を救う事こそが任務だった筈だ。
今の俺はミイラ取りがミイラになった、その良い例ということだろうか。
しかし我ながら酷過ぎる。
時々なまえが俺を伺うように見ているのが解る。
なんの罪もないなまえに対して、これではまるで八つ当たりではないか。
俺が苛立っている相手はあの男、風間なのだ。
なまえを捨てておかしな女に手を出そうとしておいて、今さら彼女に再び言い寄ろうとするあの態度が気に入らなかった。
本来俺は風間を救う任を負っていたが、同業である平助にターゲット(それがなまえだったのだが)を交代してもらった経緯がある。
風間を救うなど御免だと思った。
何故俺が惚れた女を傷つけた男を救わねばならぬ?
結局風間は平助の仕事によって胡散臭い女とは切れたらしいが、そんな事は俺の知った事ではないと思っていた。
しかし今日の偶然の出会いが心を波立たせる。
なまえを助けたい、なまえを守りたい。
その為に俺は地上に降りた筈だった。
そして感情は任務を超えた。
消滅の刑に処せられる事さえ厭わずに、彼女との最後の時間を欲した。
天界の状況が思いがけず一変したことで俺は事実上許され、現在は望むべくもなかった彼女との暮らしを一時的にでも手に入れた。
叶う事なら彼女の心もこれから手に入れたいと思っている。
その為の努力を惜しむつもりはない。
それなのに。
全く制御不能になった俺の感情は、彼女を前にして笑顔を作ることも言葉を掛ける事も出来ずにいる。
ふいに揺れた電車によろめく彼女の腕を掴めば、濡れた瞳が俺を見上げた。
愛しい女の縋るような眼。
だから、その眼はやめてくれ。
薄く開いた桃色の唇が物言いたげに見える。
許されるのならばたった今、その唇に触れてしまいたい。
だが、俺はまだ、あんたに触れる事が、出来ない。





はじめさんは掴んだ私の腕を離し、一度だけ絡んだ視線を直ぐに外した。だけど彼の眼の色が、私の中に印象的に残る。この眼を、見たことがある。
いつだったか、どこでだったのか、それが彼だったのかは解らないけれど。
電車の中で言葉を掛けるきっかけを結局失い、未だ黙ったまま駅を出ると彼の半歩後ろをまた黙々と歩いた。
いつものコンビニの手前に大き目のスーパーがある。
私の前を歩くはじめさんがスーパーの入り口でいきなり無言で立ち止まったから、危うくその背に顔をぶつけそうになった。
自動ドアが開く。
あ、買い物をするつもりなんだ。
カゴを手にしてはじめさんがずんずんと進んでいく。
その後を小走りに追おうとして、ふとサクランボが目についた。
佐藤錦、可愛い。
赤黄色っぽくキラキラツヤツヤした美味しそうなサクランボに目を留めて無意識に立ち止まってしまう。
店頭に出回る時期が短いから、私の生活には少し贅沢だけれど毎年一度は買うんだ。
でもなんだかとても言い出しにくい。
逡巡しながらちらりとはじめさんの方を見ると、彼は随分先まで行ってしまっていた。
ふと振り向いて遠いところからこっちをじっと見ている。
諦めてそちらに歩いて行こうとしたら、彼が不意に大股で戻って来た。
そばまで来てから私の目線を追ってサクランボを見る。

「……欲しいのか」

彼がやっと口をきいた。
私はこくこくと頷く。
何だか胸がいっぱいになった。
サクランボを買える喜びではなくて、なんだろう、やっとはじめさんの声を聞けたという気持ち。それが何故かしら、凄く嬉しく感じたのだ。
既にほうれん草やらゴボウやら筍やら大豆(!)やらひじき(!)やらで埋まっているカゴの片隅に、彼はサクランボのパックをそっと入れてくれた。
思わず頬が緩む。

「あの、ありがとう……、」

彼を見上げてそう言うと、一瞬目を見張ってそれからついと向こうを向いて歩き出した。
低く小さく、行くぞ、と声が聞こえた。
軽く靡いた髪の隙間から真っ赤になった耳が見えた。


買い物を終え自宅に着けば、彼はまず食材を冷蔵庫に丁寧に仕舞い、次にリビングのソファに置いたショップの袋を開けた。
様子を見たところまだ、今日買った洋服のファッションショー見せてくださいなんて、とても口に出せる雰囲気ではなかった。
スーパーで一言(二言?)だけ言葉を発したけれど、その後は依然としてまたしても無言のはじめさん。
私は少し大き目のクリアケースサイズのバスケットをクローゼットから出し、これ、と言って彼に差し出した。
着替えを入れるのに使ってもらおうと思ったのだ。
はじめさんは私を見上げ無言で受け取り、無言でベッドルームの隅っこにそれを置いて、ビニール袋から出した衣類のタグを一つ一つ丁寧に取り、また畳み直してそれに入れていく。
とにかくずっと無言。
まだ微妙に不機嫌。
それでもあくまでも物に対しては丁寧な人なんだと、感心するような呆れる様な気持ちで私は彼の動作をじっと見ていた。

「ねえ、……はじめさん?」
「…………」
「はじめさんたら」
「…………」

意外に頑固なところがあるようだ。
でもよく考えてみると、何故私がこんな態度をされなければならないのか、よく解らなくなってくる。
この人はなんの前ぶれもなく、昨夜いきなり現れた。
そして今朝なんの脈絡もなしに、ここに住む事を宣言した。
私の意思はそこには全くなかったけれど、何故か有無も言えず否応なくこうなっている。
それでいて彼の今のこの態度、流石に酷くないですか?
あまりよく解らないけれど、彼がこうなってしまった原因は千景さんだと薄々感じる。
でもだからって、私自身が何かしましたか?

「はじめさん!」
「なんだ」

少し怒った声を出したら彼がやっと答えたけれど、低くて感情のこもらない声だった。
少し怯む。

ブーッブーッブーッ

その時だ。
私のスマフォが振動音を響かせたのは。
運悪く私のバッグは偶々彼の近くにあった。
なんとなく嫌な予感がした私はバッグからスマフォを取り出すと、彼から隠れるように背を向けて画面を見る。
そもそも、どうして彼から隠れる必要があるのかはよく解らないけれど、とにかく彼の不機嫌をこれ以上増長させたくなかったのだ。
しかし愚かな私は彼に背を向ける事で、画面が彼の方向を向くという原理に気づけなかった。
画面に映し出されていたのは“藤堂平助”の文字。
平助君の番号は登録してはあるものの、彼に電話をかけた事も受けた事もこれまでにない。
背後からはじめさんが私の手の中を見ていたことに全く気づかないまま、恐る恐る出てみる。
必要以上に大きく感じる受話音量で聞こえてきたのは。

『ふん、出るのが遅い』

いつでも無駄に自信たっぷりな彼。
そう、千景さんの声だった。
なんとなく予測がついていたものの、動揺する私の手の中で喋り出すスマフォが、背後からいきなり奪われた。

「……え?」

勢いで尻餅をついて壁に背をぶつけ思わず痛っと顔を顰めたのと同時、顔の横に両手が伸びてきたと思うとそれはダンッと後ろの壁で大きな音を立てた。気がつけば私は彼と背後の壁の間に挟まれている。
え、これは、なに?
どういうこと?
……えーと、これは、所謂、磔の刑ってやつ?
でも、なんで? なんの罪で? なんの罰なの?
いつものように頭の中でおちゃらけてみるけれど、今日のそれは成功しなかったようだ。
床に置かれたスマフォから千景さんのわめく声が聞こえている。
はじめさんはその体勢のまま私を射抜くように見つめた。
電車の中で眼が合った時とは少し違う、その瞳は蒼く燃え立つような熱を湛えていて、吸い込まれてそのまま焼き尽くされそうな、そんな感じがした。
何も言えないままでただ見つめ返していると、ゆっくりとその瞳が私に近づいてくる。
身動きも眼を逸らす事すらも出来ず、まるで囚われた様に私は固まってただはじめさんの瞳を見つめ返していた。


This story is to be continued.

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