He is an angel. | ナノ
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09 扉は開かれた


ぐい、と顔を近づけた千景さんの指先が、私の頬に触れる寸前、机の上に置いたバッグの中でスマフォが振動した。

「あ……、あっ、電話……っ!」

屈みこむようにして擦り抜けて自分の机に走り寄る。
背後で千景さんがチッと舌打ちするのが聞こえた気がする。
こんな千景さんを見るのは初めてだ。
彼の態度はいつも不遜で不敵で、お世辞にも穏やかとか優しいとか言えないと思ってはいたし、“付き合っている状態”の時も多少強引ではあったけれど、こんなふうに迫って来る事なんてなかった。
私の背中を嫌な汗が伝う。
もどかしくスマフォを取り出すと、今朝交換したばかりのはじめさんの名前と電話番号が映し出されていた。
慌てて着信に応える。

「は、はじめさん……っ」
『なまえ、どこにいる?』
「か、会社……っ、営業課っ!」
『あの、男が…………、』

聞こえて来るはじめさんの荒げた声は呼吸が乱れている。
しかし電波が途切れたかのようにそれは途中でブツリと切れた。
くくっと小さな笑い声が聞こえ、振り向けば千景さんが余裕の表情を取り戻して、元の椅子に座って私を見ていた。

「ふん、犬は嗅ぎつけるのが早いな」

犬って?
嗅ぎつける?
私の頭の中は混乱したままだ。
千景さんは何かを知っているようだけれど、それははじめさんの素情の事なのだろうか。
はじめさんが天使だと言う事を知っている?
解らない事ばかりだ。
平助君や千鶴に呼び出されたのに、でも千鶴達は来ないと言う。
それに昨日の停電の事も。
仕事はどうなってるの?
私はスマフォを耳に当てたままで固まって彼を凝視する。

「……どうして、一体、何を……、」

はじめさんの声を求めてスマフォを耳に強く押し当てるけれど、もう何も聞こえない。
千景さんは私を見てにやりと笑った。

「まあ、急ぐ事もあるまい。だが覚えておけ。俺はお前を必ず手に入れる」

その時オフィスドアが大きな声と共に派手な音を立てて開け放たれた。

「なまえっ!」
「……え、え? はじめさん……?」

逆上した様子ではじめさんがつかつかと大股で室内に入って来ると、千景さんを刺すように見据えながら私を引き寄せた。
肩で息をしながらもすぐに呼吸を整えていく。
彼は、とっくに切れているスマフォを未だ耳から離せずにいる私を、背に庇うようにして千景さんに向き合う。

「なまえに何の用だ。風間、」
「貴様に説明してやる必要はない」

千景さんはゆっくりと立ち上がり自信に満ちた足取りで、はじめさんに抱き寄せられている私に近寄って来て、唇に弧を描いたまま彼を睨めつける。
まるで、はじめさんが此処にくることを最初から解っていたみたいに。

「会わぬ、では済まぬようだな」

そしてまるで勝者のそれのような笑みを浮かべて、一言一言はっきりと言った。

「時が来るまでせいぜい番犬として我が妻を守っておけ」
「何?」
「は……?」

我が妻って……、誰?
はじめさんが私に一瞬目を走らせた。
え?私…のこと?
もう、全く意味が解らない。
また暫くの沈黙が続く。
摂氏300度の溶鉱炉、再び?
緊迫感にいい加減耐えがたくなっていて、はじめさんが来てくれた事で急に少し安心した私は、何言ってるんですかね千景さんは、なんて言ってみようと彼を見上げた。
しかし私の目に移ったはじめさんの固い表情は、とても戯言をかけられるようなものでなく。
彼が凝視する先にいる千景さんは笑みを崩さない。
それはぞっとするほどに冷たい笑みだ。
昨日パスタ屋で会った時に繰り広げられた視線の攻防戦どころじゃない。
そう、はじめさんも千景さんに負けない程の、凍りつくような瞳をしていた。
氷点下。
いや、そんなものじゃない、絶対零度だ。
また一歩ずつ足を進める千景さんは、通り過ぎざま私に極上の笑みを向け、さっきと同じ言葉を繰り返した。
その眼に驚愕する。
さっきまでの深緋色ではなく、金色に輝いていたのだ。
思考も動きも封じてしまうような色だった。

「必ず手に入れる。楽しみに待つがいい。リリス」
「…………、」

そのままオフィスドアを出ていく千景さんをもう一度振り向こうとした時、私の肩に回された手にグッと力がこもった。

「見るな、なまえ」





俺の心に渦巻いていたのは、もはや嫉妬などという他愛のないものではない。
驚きのあまり、力なくデスクに座り込んだなまえを気にかけながら、ドアの外に出て先程から何度も呼び出されていた先に連絡を入れる。
スマフォの先の人物は殺気だった声を浴びせてきた。
土方さんだ。

『おい、何やってやがんだ、何故電話に出ねえ?』
「申し訳ありません。緊急事態でした」
『……風間千景、か?』
「はい」
『もう対峙したのか。お前大丈夫か?』
「いえ、大事ありません。昨日も会いましたが今日は昨日の様子とは明らかに違っていました」
『やっぱり覚醒しやがったのか。とにかく斎藤一度こっちに戻れ。説明したい事がある』
「はい。ですがなまえを……奴の目的は、」
『みょうじなまえにはすぐに護衛を送る』

朝、なまえが部屋を出て暫くしてから平助から連絡があった。
風間から職務上のトラブルは全て解決したと言われたらしい。
出社する必要がなくなったと雪村が何度もなまえに連絡を入れているのだが、繋がらないと言うのでわざわざ平助が俺にかけてきたのだ。
俺はすぐに胡散臭いものを感じた。
彼女の会社までは地下鉄で小一時間、そんなものに乗っている余裕はない。
俺は現在封印している力を使った。
露呈すればまた何らかの処罰を受けるかも知れぬが、そんな事に構ってはいられない。
間違いない、風間千景は、計画的になまえを呼び出したのだ。
そして彼女のスマフォの電波を操作したのだろう。
なまえのオフィスに到着するとビル全体から、何とも言い難い強い“気”を感じた。
これは、ヒトの放つものではない。
風間千景は、人間ではない。
何故、昨日のうちに。
いや、もっと前からだ。
何故、気づかなかったのか。
俺がなまえに惹かれ根こそぎ心を奪われている時から、奴はそこにいたのに。
胸を掻き毟りたい程の口惜しさを感じるが、今はそんな事を考えている場合ではない。
風間千景は俺達と同じ、いや、もっと、それ以上の――。
俺の想像が当たっていたとしたらなまえによって、そしてなまえを愛する俺の存在がトリガーとなって、長い間の封印を解かれたと見るのが妥当だろう。
奴はなまえをリリスと呼んだ。
なまえは風間の消えた後、動揺しつつも社会人らしく気を取り直して平助のパソコンをチェックしていたが、どれほど見てもなんの問題もないと首を傾げる。
プレゼンテーションの資料はきちんと保存されているらしい。
昨日の停電もデータの消滅も平助の伝えてきた事実だから嘘ではない。

「私が来る前に千景さんがやってしまったのかな……? でも、短時間でUSBもないのに、なんで、」

帰りは昨日と同じように地下鉄に乗った。
なまえは打ち沈んでいる、というよりも深く考え込んでいる様子だ。

「はじめさんは千景さんを前から知っていたんですか?」
「……ああ、いや、」
「何だかおかしいです。彼が前と少し違うみたいで、」
「あまり……、気にするな。あんたは俺が必ず守る故、」
「守る……って? 私、何か危険なんですか?」
「いや、大丈夫だ。心配しなくていい」

解らなくて当たり前だ。
俺は安心させるように微笑んで彼女の肩に軽く触れた。
今はそれしか出来ない。
なまえは顔じゅうに疑問符を漂わせて俺を見上げる。
出来れば何も知らせたくない。
何も知らないまま、なまえはなまえのままで笑っていて欲しい。
俺は彼女を何があっても守る。
決意を込めて空いている右手を固く握りしめた。
なまえの部屋へ到着するとドアの前に長身の男が立っていた。

「よう、早かったな」
「左之、」
「土方さんがお呼びだぜ」
「ああ」
「ここは任せとけ。お前はしっかり装備固めてこいよ」
「…………、」

任せたくなどはないが、ここは任せるしかないのだろう。
派遣された護衛が総司ではなかったことにせめて感謝するべきかもしれない。
当惑したなまえがますますわけが解らないとばかりに、俺を見た。

「……あの?」
「なまえ、悪いが俺は少し出かけて来なければならない。念の為ここにいる左之があんたの用心棒に付く」
「……へ? 用心棒……ってなんなんですか?」

ますます当惑を深めてしまったようだ。
俺としても説明に困るが時間がない。

「みょうじなまえちゃんだろ? 斎藤の恋人の、」
「はっ!?」
「左之、やめろ! なまえが余計に混乱する」
「ははは、いいじゃねえか。俺は斎藤の友人でな、原田左之助ってんだ。よろしくな。後は任せてお前は早く行けよ」

常から女性慣れしている左之は、いつものように軽い態度でなまえに自己紹介をし、俺を振り返ると追い立てるように笑った。
激しく後ろ髪を引かれるが、仕方がない。
今はこうした些細な気持ちに忖度している時ではないのだ。

「なまえ、すぐに戻る故、」
「……はじめさん、」

心細げななまえをその場に残し、俺は意を決して立ち去った。
向かうのは無論HEAVENだ。


This story is to be continued.

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