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07 手首よりも先ずは胃袋を掴め


「美味しい……、このひじき」
「そうか、何よりだ」

テーブルに並ぶのはいつもの私の食卓とは信じられない程に丁寧に料理された和食。
まるで料理屋さんみたい。
今から1時間余り前。
宅急便が届く前の凍りついた時間は一体なんだったんだろう。
しかしまるで何事もなかったように忘れ去った風に(私は忘れていないのだけれど)夕食の支度を開始したはじめさんは、此処へ来てから初めてと言ってもいい程、幸せそうで生き生きとしていた。
送られてこなかったらうちにある鰹節と出汁の素で妥協するつもりだったらしいが、利尻昆布をゲットしてしまった彼は眼を輝かせ長い髪を右耳当たりで緩く括ると、俄然張り切って出汁を取るところから始めた。
昆布を丁寧に布巾で拭いて鰹節と合わせ一番出汁とやらを取ると、これは明日の昼用だ、とか言いながら何処から見つけ出したのか麦茶ポットに入れて冷蔵庫にいそいそと仕舞い込む。
その昆布と鰹節を使って二番出汁とやらに取りかかる。
あ、灰汁とか取ってる。
あの泡ブクブクしたみたいなのを取るのが灰汁取りなのか。
聞いた事はあるけれど、やった事はない。
案外面白そうだ。
興味津々に横からじっと見ている私に「小学生みたいだな」とはじめさんが笑った。
あなたはお母さんみたいです、と言いたかったが一応やめておいた。
しかも自分の母を思い起こせば、お母さんみたいという形容はとてもおかしい。
全ての母親がこんなことをするわけではないだろう。
でなければ出汁の素があんなにマーケットシェアしているわけがない。
思考が横道に逸れた。
はじめさんは丁寧に水戻しした高野豆腐と、ひじきと大豆の煮物を作っているようだ。
その隣に沸かした湯に、手早く鶏のささみなんか潜らせている。

「それ、鶏肉?」
「鶏わさを作る。酒に合う」

はじめさんが空けた冷蔵庫には越野寒梅の大吟醸がちらり垣間見えた。
ひじきの鍋を下ろし100均コーナーで買った網をコンロに載せると、その上に昆布と牡蠣なんか載せている。
その隙に高速に包丁を動かして大根の千切りをしている。
あ、大葉を加えてる。
それは大根サラダですね?
醤油ベースのドレッシングも手作り。
何から何までなんて鮮やかな手つきなのか。
お母さんではなく、板前さんですか?
ここで何故私が手伝わないかと言う事については、早い段階ではじめさんからきっぱりと「No thank you」と言われたせいである。
眼を逸らせずにはじめさんの手元を一から十までじっと眺めていたのだけれど、ふと心に降りてきた微かな記憶が頭を過ぎった。
彼がひじきを煮てからさっき除けた、赤いホーローの鍋。
これは一人暮らしを始める時に母が買ってくれたものなのだが、正直私は一度も使った覚えがない。
あれは千景さんと別れた週末だった。
月曜日の朝、この鍋がガステーブルに置かれていて、蓋を開けたらひじきの煮物が入っていたと言うホラーな経験をした。
自分で作るなんてあり得ない。
まさか、蓋を開ければアラ不思議、お好きな料理が出てきます的な、ドラ●もんの秘密道具なんかじゃあるまいし。
黒いひじきと細切り人参の対比が綺麗だなぁなんて思いつつ、出勤前の慌ただしさに放置して出かけたのだが、帰宅したらそれはまだそこにあった。
そう言えばあの週末の48時間、まるで濃い霧に包まれているかのように、全く記憶が残っていない。
私の事だから失恋でヤケ酒をして記憶をスッ飛ばしてしまったのだろうけど、こんなに綺麗さっぱりと記憶を飛ばす呑み方って一体?
千鶴が来て作ってくれたのかな? と思って翌日聞いてみたけれど、家に来ていないと言っていたし、他の友人も口を揃えて自分じゃないと言った。
頭にハテナマークを散らしながらも月曜の夜、私はそれを食した。
ひじきは美味しかった。
とても美味しかった。
調理台の脇に身を乗り出し、赤い蓋を取って中を改めて見る。
あのひじきと、同じだ。
少なくとも、見た目はそっくり。
暫く黙考状態に入った私は、はじめさんが横目でこっちを見ていた事には気づかなかった。
考えているうちにも彼の手は休むことなく、無駄のない動きで料理が出来上がっていく。
絹さやを湯通しして氷水につけたりしていて、私が不思議そうに見上げれば

「こうすると変色せず、彩りが鮮やかに仕上がるのだ」
「へえ……、」

徹底的に手抜きなし。
ひじきの煮物はクリーム色をした大豆と繊細に刻まれたオレンジ色の人参も入っていて、小鉢に品よく盛られるとさいごにあしらわれた絹さやの緑が綺麗だった。
鶏わさに大根サラダ。
牡蠣の昆布焼きはすだちなんか添えられてふっくらプリプリしている。
安っぽいお皿に盛られた料理達が、高級料亭のそれになる。
私は心を躍らせてテーブルに運んだ。
はじめさんが徐に冷蔵庫に向かえば、越野寒梅大吟醸のお出ましだ。
程良く冷えたお酒が100均で買った何の変哲もない小ぶりのグラスに彼の手で注がれる。
彼の繊細な手が触れれば、中の豊潤な液体の効果も相俟って素敵なグラスに見えて来る。
はじめさんの手に掛かると何もかもが綺麗に見えた。
はじめさんの手は魔法の手だ。
彼の持ち上げたグラスが私のグラスに触れ、涼しげなガラスの音がした。
今まで呑んだどんなお酒よりも美味しい。
あなたは魔法使いだったんですね?

「違う。天使だ」
「……へ?」
「あんたは気づいていないようだが、途中から全て口に出ていた」
「ええっ!?」

一人暮らしを始めてから、独り言を口に出して言うようになったという自覚は、確かにある。
だからってよりによってこの場面で、ダダ漏れさせるとは、私ってば。
どれだけお口のチャックが馬鹿になっているんだ。
というよりも、どのあたりから口に出ていたんだろう?

「あの、どこから……?」
「それは言えぬ」
「ええ、酷い。教えてください」

はじめさんは小さく含み笑いをして、それから少しだけ赤くなった。

「どうして赤くなるんですかっ?」
「さ、酒を、飲んでいるからだ」

嘘だ。
昨夜の呑みっぷりから見ても、彼がお酒を一口呑んだ程度で酔う筈がないでしょう?
それにしてもどうして急にそんなに吃るの?
何に動揺しているのだろう?
まさか、お母さんみたいです、あたりから聞かれていた?
でもそこ、照れるところではないよね、多分。
むしろムッとするところ。
今の彼はとても機嫌がいい気がする。
そしてふいにもう一つ思い出した。
相当酔ってはいたけれど、昨夜の私の記憶が正しければ。
……彼はこう言った気がする。

知り合いと言うよりも、愛し合っていたのではないか、と思う……。

思い出してカッと熱くなる。
いや、でも聞き違いだったのかな。
だって……私は彼を、知らない。
再び蘇るさっきの宅急便が来る前の、彼にされた、あの……壁ドン……。
色々な事を一気に思い出し、私の顔が発火した。
私をじっと見ていたはじめさんも、つられたようにみるみる真っ赤になっていく。
な、なんだ、なんなんだ、この状況。

「料理を……、た、食べぬか。その……苦手なものがなければ……、」
「は、はい、い、いただきます……っ」

なんで私まで吃ってるの?
でも思い出してしまったら、心を占めて消え去ってくれない、夕方の、あの、はじめさんの、ドン……
恥ずかしいけど。
叫び出したくなる程恥ずかしいけど、あれって、あれって。
もしかして、まさか、キス、されかけたのかな……
でも、どうして?
至近距離まで縮まったアップの綺麗な顔を思い出す。
今、テーブルの向こう側に居るはじめさんも勿論綺麗だけれど、あんなアップに耐える男の人なんて今まで見た事がない。
いや、千景さんも相当綺麗だと思うけれど、そんなに近寄ったことはないし。
でも、私。
あの時、全然嫌じゃなかった。
ああ、何を考えているんだろう、私。
真っ赤な顔のままひじきを口に運ぶ。
すると。

「美味しい、このひじき」
「そうか、何よりだ」

それは発火した顔が思わず笑顔になってしまうような美味しさだった。
はじめさんが濃藍の瞳を細めて優しく見つめてくる。
懐かしい味。
お袋の味とかじゃなくて。
そうだ、これは。
これはやっぱり、あの日の……





「あのひじきと同じだ。少なくとも見た目はそっくり」

そう呟きながら鍋の中を覗くなまえの横顔を見つめながら俺は、思い出せ、と心で念じていた。
何故わざわざ今夜同じ料理を作ったのか、自ずから解るだろう。
俺はあの夜の食事を踏襲しているのだ。
人間にとって食の記憶というものは、深く残るものだと思う。
あの夜なまえは、ひじきにひどく感激していた。
わざとではないのだが、鍋のまま俺が残して行ったひじきは、幸運にも消滅していなかったようだ。
月曜の夜に食したらしい。
傷みは大丈夫だったのだろうかと気にはなるが、目の前でこうしてピンピンしているのだから問題はなかったのだろう。
彼女は無自覚に俺の手を魔法の手だと言った。
本当に魔法を使えるのならば、今すぐにでもあんたに魔法をかけたい。
だが残念ながらこの手はそんなものは使えない。
俺は半天使であって魔法使いなどではないのだ。
この手に出来るのは先ずはあんたの胃袋を掴む事だ。
そして、少しずつなまえの心に届くように想いを伝え、彼女が思い出すのを待つしかない。
フーフーと息を吹きかけながら上機嫌で牡蠣に齧りつき、サラダにドレッシングをかけ過ぎるのを窘めれば照れて笑い、ひじきを旨いとパクつくなまえを見ていれば、この上ない幸せを感じる。
唇の端についた醤油を指で拭ってやれば恥ずかしげに笑う。
こうして呑む酒はなんという旨さだろうか。
この時間が愛しくてたまらない。
この時間を積み重ねていけば、きっと、想いは届くのだと信じている。





この頃。
HEAVENの神殿の奥まった一室で、大神近藤と大天使土方が大テーブルを挟み、顔を突き合わせるようにして座っていた。
大神の寝所でもあるその場所は平天使はおろか、幹部天使もなかなか近寄る事は出来ない。
誰も聞く者もないのに、その話し合いの声はどんどん小さくなっていった。

「……それは本当か、トシ」
「……、密偵の報告だ。……間違いねえだろう」
「まさか……斎藤君が、……チカゲ……、」
「…………、」


This story is to be continued.

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