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一雫


はじめさんの顔色が悪い。
息が上がっている。
これは多分……。
三月に入り、昼間は穏やかな太陽の日差しで過ごしやすい気候だが、日が陰り出せば途端に空気が冷えて来る。
特にこのような山間の街道では太陽が隠れてしまうのも早い。
新選組は勝沼の戦いで敗走した。
皆とはぐれ私達は二人だけで江戸を目指し、甲州街道をひたすら歩いていた。
でもはじめさんの顔色は寒いせいではない。
ずっと気にかけていたが、やはり間違いない。
昼間の行軍がずっと続いていた。

「はじめさん、具合が?」
「……大丈夫だ、」

私の隣を歩く彼は歩みを止めはしないが、その足取りは先ほどよりも明らかに遅くなっている。
立ち止まって彼の肩に手を掛けるが、彼は弱々しく微笑んで見せる。

「はじめさん……」
「大、丈夫、だ」

そうこうしているうちにも彼はみるみる真っ青になっていき、額に脂汗が浮かんできて、ついには歩みが止まり膝をついてしまった。

「はじめさんっ」
「すま、ない……、」

私も膝をつき無我夢中で彼を抱き締めた。
力ない腕で私に縋りついた彼の全身が戦慄く。
血を…、その考えが頭を過ぎる。
青く冷めた顔色とは裏腹に、彼の身体はどんどん熱を持ち重く沈んでいくようだ。
シャツの上に着ている濃紺の上着は、紡毛を密に織って起毛させた厚地の羅紗生地なのに、私が掴んでいるその布地は湿っている。
いったいどれだけの汗をかいているのだろう。
彼の紫黒の髪は白く、深碧の瞳は焔の様な紅に変わっていった。
抑えようのない苦悶の声が彼の唇から零れ出す。

「くっ、ぐ……ぁ、ああっ!!」
「はじめさん!」

彼が自分の胸を掴んだ手の甲が真っ白になっていた。
私は彼を抱き締め続けた。



新選組が関わった研究の事など、私には長いこと知らされていなかった。
千鶴ちゃんの父親である雪村綱道という人の真実の姿も。
それは千鶴ちゃんも同じだったと思う。
それを知ったのは油小路の出来事の少し後。
瀕死の重体だった筈の平助君が歩いているところに、深夜ばったり出くわしてしまったからだ。
あの時の驚愕、続いて知った真実は俄かには信じ難く、私は恐怖に苛まれた。
人が、鬼に変わる、など。
はじめさんは常に何もかもを私にひた隠しにした。
それは私に及ぶ危険を回避したいという気持ちからだったけれど、やはり何も知らされない事は辛かった。
苦しかったのは御陵衛士に密偵として入り込んだ時。
私から離れて行く彼の心を掴めずに、切なさにどれだけ泣いた事か。
それでも彼がそうしたのはどんな時も、私の事を一番に考えてくれていたからなのだと今は信じられる。
こんなにも苦しげに身体を震わせ脂汗を流していると言うのに、その蒼白な唇から洩れるのは、大丈夫だ、とすまないの二言だけ。
どこが大丈夫だと言うのだろう。
それでも彼は同じ言葉を繰り返す。

「ぐ……ぅ……っ、すま、な……い、上着、くすり……、」

私は彼の身体を支えその場に腰を下ろさせると、上着を脱がせ左胸の裏辺りの荒い縫い目をほどいた。
もどかしい手つきで取り出した褐色の紙に包まれたそれを、彼は引っ手繰るように私の手から奪い取る。

「はじめさん、薬ではもう」

幾度となくこうした発作が起こった。
血を口にすることでこの症状を抑える事が出来ると知った私は、その度に彼に血を進めたが、彼は決して頸を縦に振らなかった。
正直に言えば私にも怖い気持ちがなかったとは言えない。
ぶるぶると震える指先で開いた散薬の包みからは、大半の薬が舞い落ちてしまう。
彼は僅かに残ったそれを水もなしに口にした。
少量でも粉の薬は咥内にまつわりつくのだろう、苦しげにごほごほと咳込んで開いた口から散薬が舞っていく。
薬が気休めである事は私も彼も十分過ぎる程に解っている。
私は唇を噛み締める。
いつだってどんな時だって、この身は彼に守られてきた。
今度は私が、彼の為に。

「血を、私の」
「ゴホ、ゴホッ、いらぬ、」
「私はあなたの妻です! 遠慮なんかっ」
「ゴホ……ッ、お前の……ゴホッ、血は、いらぬ……身に傷を、つけるなっ」

蒼白な顔をして喉を掻き毟り咳込み続ける彼を、抱き締めながら一度目を閉じる。
私を逃がしたった独りで鬼に対峙した彼を。
その為に鬼になる薬を口にした彼を。
私の全ての迷いが消えていった。
はじめさんの身体を強く抱き今度こそ、私がこの人を守るのだと強く思った。
ゆっくりと腰の小太刀を抜いた。






鳥羽伏見の戦いでは千両松に布陣した新選組を先頭に、鳥羽口富ノ森では桑名、会津藩が新政府軍に激しく抵抗し、高松藩兵も民家に潜伏して反撃の機会を窺っていた。
しかし薩長の掃討攻撃によって会津、高松藩は撤退。
遂に幕府軍の中で残ったのは千両松土手の新選組のみとなった。
多勢に無勢。
結局は新選組も淀城へと撤退を余儀なくされる。
その道中の事だった。
あの鬼と出会ったのは。

「貴様が連れている女は、雪村千鶴ではないようだな」
「……? お前は、池田屋の時の」

その鬼、風間千景は唐突に現れた。
はじめさんの引き連れていた隊士達が瞬時に身体を強張らせ、それぞれに腰に手を当て身構える。
風間は彼らを一瞥することもなく不敵な笑みを浮かべ、ゆったりとした動作で私に向かって一歩を進めた。
はじめさんが右の腰の刀を引き抜き鋭い声で言う。

「彼女に近づくな」

風間はやっとはじめさんに視線を当てると、弧を描いた唇をさらに釣り上げる。
はじめさんの声は恐怖を覚える程の強さなのに、私を見る瞳には慈しみが溢れていた。
彼は今までに何度も言ってくれた。
命をかけてお前を守る、と。
あの六角獄舎の討ち入りの日から。

「なまえ、下がっていろ」
「でも」

再び強い口調で言い放つ。

「いいから、下がっていろ」
「い、嫌ですっ!」
「お前は、また……っ!」

足手纏いになるかも知れないのは承知の上だ。
それでも、私はただ守られるだけの女で居たくなんかない。
彼一人が傷つくのはもう嫌なのだ。
腰の刀に手を掛ける。
私だって隊士の端くれだった身、一人よりも二人の方が心強いに決まっている。
そう気負っていたが、しかしその時の私は知らなかった。
鬼と言うものの本当の強さを。
それは恐らく私だけではなく、はじめさんも他の誰もが知らなかったのだ。

「ふん、随分と威勢のいい女だ。気に入った」

そう言って風間がまた一歩近づく。

「雪村千鶴の代わりに、貰って行こう」

その時、目にも止まらない早さで瞬時にはじめさんの刀が閃いた。
今にも倒れるかと思い凝視した風間は毛ほどの動揺も見せず、不敵な笑みを浮かべたまま半歩程引いたところに立っている。
彼の居合い以上に素早い動きで身を引いたのだ。
彼の振るう剣先が空を切ったのを見たのは、初めてだった。
そう、誰もが。

「……っ!?」

はじめさんの瞳が驚愕に見開かれた。
信じられないものを見る目で風間を凝視し、私達もただ立ち尽くすばかり。

「俺と戦うつもりか? ふっ、こいつはいい」

風間の手がゆっくりと腰へと動いていき、あくまでもゆっくりと刀を抜いた。
その動作は敵ながら怖い程に優雅に見えた。

「くそぉっ!」

その時走り出た隊士の一人が、無残にも一瞬で風間の刃の前に倒れる。

「身の程を知らぬ奴」

地面に崩れ落ちた隊士を虫けらのように醒めた目で見下ろした風間の言葉に、はじめさんが激昂した。

「貴様っ!」

濃藍が憎悪に燃え上がるのに、風間は黒い笑みを絶やさぬまま今度は正面から彼に向き直る。

「鬼に刀を向けた事を、地獄で後悔するがいい」

言葉が放たれると同時にすぐさま剣の交わる金属音が響き渡った。
走りだそうとした私の身体が島田さんに羽交い締めにされた。
はじめさんの心をよく知る彼は、こんな時にはと、言い含められていたのかもしれない。

「島田さんっ、」

危うい動きで鍔元で風間の刃を止めながら、はじめさんが全身で叫ぶ。

「島田っ、隊を連れて先に行け。彼女を頼む……っ、」
「はい!」
「嫌ですっ! はじめさんっ、はじめさん!」

激しく抵抗したが、組長の気持ちを汲み取ってください、と強い口調の島田さんの屈強な腕で捉まえられ、その場から引き離されたのだった。
その後どうなったのか、私は知らなかった。
淀城で不安に身を震わせていた私の前に、しかし一刻も立たずにはじめさんは戻って来た。

「待たせた」

そう言って彼は何事もなかったように微笑み、私を抱き寄せた。
傷も目立つようなものはほどんどなく、私はほっとする。
でもそれが大きな間違いだったと、すぐ後で知る事になるのだ。
戦況は全く楽観できるものではなかったけれど、一先ず江戸へ戻った新選組は鍛冶屋橋門内の旗本のお屋敷を借り受けて屯所とした。






「……っ、なまえ、やめ……ろ、」

失った腕の力をそれでも振り絞って、彼が私の小太刀を奪おうとするが、私は躊躇わずに鎖骨の少し上に刃先を宛がった。
手首では傷が治るまでずっと目立つと思ったからだ。
私は鬼でも羅刹でもない。
傷はすぐに消えてはくれないだろう。

「や、やめろ……っ、」

刃を当て少し引けばきりりとした痛みを感じるが、やっと彼の役に立てるという喜びを覚える私にとって、それは全く苦しい事ではなかった。
生温かい血が首筋を伝うのが解る。
手を伸ばしはじめさんの頭を引き寄せて優しく抱けば、彼は細かく震えながらも逆らわずに私の腕に包まれた。
首元に触れている彼の唇は閉じられたままだ。

「はじめさん、飲んで、」
「…………」
「はじめさん、私達は二人で一つだと言いましたよね? それなら、私の身体に流れる血の一滴まであなたのものでしょう?」
「……なまえ、」
「ね、飲んで。零れてしまう」

躊躇う薄い唇がほんの少し開く感触がして、次に温かい舌が胸元に伝い落ちた血をゆっくりと舐め上げた。
ピリリとした痛みすらも愛おしい。
零れる血の一雫も零さない様に丁寧に這っていくはじめさんの舌は、震える程の官能さえ呼び起こす。
その一雫一雫が彼に捧げる愛なのだと、私は恍惚としながら深く感じていた。

「もっと、強くしても、大丈夫です……から」

はじめさんが鎖骨に吸いついた。
溢れる血液を夢中で啜り上げる音が響く。
吐息混じりの熱い舌と唇に吸い上げられ、私の唇からも知らずに吐息が漏れ出た。
暫くそうしているうちに彼の震えが徐々に治まっていった。


髪も瞳もすっかり元の色に戻ったはじめさんの腕に今度は私が包まれている。

「なまえ、すまない。俺は」
「どうして謝るの? 私、とても嬉しいのに」
「お前を守ると言いながら、俺は何を、」

私は彼の肌蹴たシャツの左胸にそっと指を這わせた。

「はじめさんのここに、私の血が流れている、」
「なまえ、」
「私達は本当に一つになれたんですよ?」

はじめさんの瞳には複雑な色が揺れ、整った相貌が切なげに歪む。

「あなたは、私のもの。私は、」
「俺のものだ。愛している、なまえ」

私の唇が噛みつくような口付けに塞がれた。





2013.06.24


▼姫様

三万打企画へのご参加ありがとうございました。長らくお待たせ致しました。
まず初めにお詫び致しますッ!!すみませんでしたッ!!
私が羅刹を表現しきるには力不足もいいところでしたッ…ウゥッorz
本当に完敗です。申し訳ありません!!!
このような駄文しか書く事が出来ませんでしたが、どうか平に平にご容赦くださいませッ!!
このお話は、本編では51章のreincarnation(1)の真ん中辺、 一月三日に勃発した鳥羽伏見の戦いの敗走から甲陽鎮撫隊として勝沼の敗走までの部分です。
はじめさんが風間さんと対峙し変若水を飲んだのはこのあたりなんですね。
本編執筆中は全く意識に留めていませんでした。
リクエストは青よりも〜のif設定で、本編では鬼や若変水や羅刹には一切触ませんでしたが、公式に添ってこのように設定してみました。
甘のご希望も全くどこに甘があるんだか。ホントスミマセン。アマイというよりエ●イというような展開、汗。もうもう、またしても重ねて謝罪させて頂きます。この軽い頭、いくらでも下げる用意があります(;∀;)
このようなものでよろしかったらどうぞお受け取りいただけますと恭悦至極に存じます。リクエストありがとうございました!!ペコペコ…

aoi




MATERIAL: SUBTLE PATTERNS / egg*station

AZURE