various | ナノ
×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -
亜麻色の風


聴き覚えのあるピアノの曲が流れていた。
確か、ショパンの、別れの曲。
誘われるように音楽室に足を踏み入れる。
俺の足が思いの外大きな音を立ててしまい、女子生徒がはっと立ち上がる。

「誰、」
「すまない、邪魔をしてしまった、」
「あ、なんだぁ。先生かと思った」

彼女はグランドピアノの前で小さな舌をペロッと出す。
彼女に見覚えはなかった。

「私、みょうじなまえ。明日からこの学校の三年に編入するの。よろしくね」

明るい声で自己紹介をするとペコリと頭を下げた。
抜けるように白い肌、彫りの深い目鼻立ち、日本人ではあり得ない自然な亜麻色の癖のある長い髪に深いグレイの瞳。
長い睫毛に縁どられた印象的な大きな瞳。
彼女は制服ではなく白いワンピースを着ていたが、よく似合っている。
肩に揺れる亜麻色の髪が、外国製の人形を思わせた。

「俺は斎藤一だ。どこから来たのだ?」
「オーストリアのウィーン」
「日本語が上手いんだな」
「父が日本人だから……っと、いけない、もう行かなきゃ。またね、はじめ」

彼女はグランドピアノの蓋を静かに閉めると、ピョンと飛び跳ねるように黒板前の段差を下り、俺の肩に触れると風の様に走り抜けて行った。
急に下の名を呼び捨てにされたのにも驚いたが、清楚な容姿に似つかわしくないその開けっぴろげな様子にも少し驚いた。
亜麻色の髪から流れてきた甘い香りが俺の鼻を擽った。

なまえ……、か。

強い印象を残した彼女の名を心で確認しながら、始業のチャイムで教室に戻った。
いつものように部活を終え帰宅すると、玄関先に黒い大きな車が停まっている。
ふと足を止めた俺の身体を小さな衝撃が襲った。

「はじめ、お帰り!」

どこから飛び出してきたのか、甘い香りがふわりと俺に抱きついてきたのだ。
咄嗟の事に受け身を取り、抱き留めてしまう。
その顔を確認して俺は再度驚く。

「あ、あんたは……、」



リビングのソファで母親がケラケラと笑う横に、ニコニコした父親。

「あら、ごめんね。はじめにまだ話してなかったっけ?」
「聞いていない」

向かい合わせにヨーロッパ人の顔立ちをした婦人と日本人の男性。
なまえは俺にぶら下がるようにしてリビングに入ると、腕を離れ自分の両親の真ん中にポンと腰かけた。
亜麻色の髪が跳ねる。

「なまえ、そんなお行儀の悪い事では駄目よ。斎藤さんのお宅に迷惑をかけないで」
「はあい」
「はじめ君、なまえの事をどうぞよろしくお願いしますね」

品のいい婦人はなまえよりも薄い色のグレイの瞳を細め、流暢な日本語で娘を窘めて、俺に向かってそう言った。
俺は事情が飲み込めないまま、リビングの入り口にただ立っていた。



そのような経緯で彼女は突然やって来た。
短期留学生として四月から九月まで、俺の家にホームステイをする事になっていたと前から決まっていたらしいが、何も聞かされていなかった俺には突然としか言いようがない。
オーストリア人のなまえの母上と俺の母親は元々友人なのだそうだ。
彼女を送って来た両親は夕食を共にした後、何度も丁寧に頭を下げ宿泊先のホテルに戻っていった。

「はじめっていつも部活で帰りが遅いし、言う時間がなかったのよ」
「それは言い訳だ。単に言い忘れていただけだろう」
「まあ、そうなんだけど。あ、なまえちゃん、この部屋を使ってね。隣りははじめだから」

母親は二階になまえを案内し、家を出ている姉の部屋を指すと俺を呼びつけ、あんたが色々教えてあげて、頼んだわよ、と言って階段を降りて行った。

「はじめ、よろしくね?」
「……ああ」
「でも、驚いた。音楽室で会ったはじめが、ここの家の子だったなんて」
「ああ」
「明日、学校に一緒に行ってね?」

なまえが不意に背伸びをして俺の頬に唇を触れた。
思わず強張る。

「……なっ、何を……っ」
「ん? おやすみのキスだよ」

唐突なそれに驚愕し顔に熱が上った俺が動揺するのに、彼女は顔色も変えずに、おやすみっ、と部屋のドアを閉めた。
俺は呆然と暫くその場に立ち尽くす。
彼女を巡る怒涛の展開に頭がついて行けない。
翌日なまえは俺と同じクラスに編入になった。
朝礼で彼女が紹介されるや、皆がわいわいと彼女を取り囲む。
持ち前の明るさで彼女はすぐにクラスにも溶け込んだ。



「待って、はじめ。置いて行かないで」

なまえは食べかけのサラダのフォークを置き、慌てて立ち上がろうとする。

「なまえちゃん、いいのよ。ゆっくり食べて。はじめ、あんたってそんな冷たい男だったの? 少しくらい待ってあげてもいいじゃないの。そんなんじゃモテないわよ」
「俺には風紀委員の仕事が、」
「風紀委員となまえちゃんと、どっちが大事なの?」
「は? 何を言っているのだ」

朝は決まった時間に起床し登校の支度を速やかに終える俺に対し、彼女はのんびりと朝食を摂り、俺の母親と雑談などをしているものだから用意が遅い。
先に行こうとすれば、彼女の味方についた母親にも非難される。
両親と俺の三人暮しの中にもすぐに溶け込んだなまえは、完全に母親とタッグを組んでいた。

「急ぐから、待って。はじめ、お願い」
「早くしてくれ」

哀願の瞳で見つめられれば、俺は溜め息をついて折れるしかない。
初めて会った日に着ていた白いワンピースもよく似合っていたが、今目の前にいるなまえの制服姿もまた眩しかった。
肩より長い亜麻色をポニーテールにしているのも愛らしい。
俺は目を逸らして待つ。
なまえは彼女の国の国民性なのか、非常にフレンドリーである。
俺は平素、女子というものにほとんど興味がないのだが、明るく屈託なく人形のように愛らしいなまえに懐かれるのは、正直嫌な気分ではない。
夜に部屋の前で別れるときに頬にキスをされるのに慣れる事はなかなか出来ないが、その実それさえも俺の心を無意識に捉えていた。



俺の家にはアップライトピアノがある。
母が昔弾いていたもので俺も子供のころにレッスンに通わされた時期があったが、暫く触れる者もなく存在は忘れられかけ、ずっとカバーがかかったままだった。
ある日帰宅すると長らく使われていなかった防音室のドアが開いており、何気なく覗くと調律師が来ていた。
大きな工具箱が置かれ前面部の蓋が取り外されている。
調律師が調弦をする傍らで、なまえがピアノの中を覗きこんでいた。
ピアノは新品なら半年に一度、そうでなくとも年に一度は調律の必要のある繊細な楽器だ。
素人にはよく解らないが長年放置されたピアノはところどころ弦が緩み響板にも影響が出て音程がずれてしまう。
調律師は工具を使ってチューニングしながら、時々鍵盤を叩き慎重に音階の整合性を取っていく。
小一時間で作業が終わると、なまえはいくつもの鍵盤を押してみて、片手でアルペジオを弾いてみる。

「タッチが柔らかくなった。弾きやすそう」

そう言って椅子に座ると別れの曲を弾き始めた。
静かな旋律からはじまるその曲はいったん波が引くように終わると見せかけて、軽快なテンポに変わり、ともすれば不協和音の様に聴こえる複雑な激しい音の絡み合いはまるで別れの慟哭のようだ。
そして、冒頭の旋律に戻り静かに終わる。
なまえが鍵盤から静かに指を離し満足そうに笑うと、調律師が頷いて内部に乾燥材を入れ蓋を元通りに閉じた。

「この曲は、何か懐かしいな」

俺がため息と共に呟くとなまえが微笑む。
この日から毎夜夕食が終ると一時間程、彼女のピアノを聴くのが習慣になった。
時にモーツァルトだったり、シューベルトであったり沢山の曲を聴かせてくれたが、俺が気に入ったのはリストの『ラ・カンパネラ』だった。
彼女はいつも弾き終わるとその作曲家の話や曲に纏わる話などを聞かせてくれる。
話は興味深く、そして何よりも好きな事を語る彼女の目の輝きや声の調子、身ぶりを交えるその繊細な指先までが俺を魅了した。
いつしか毎夜のその時間が、とても大切なものになっていた。
受験生の俺はその後自室に引き上げるのだが、なまえのピアノを聴き心が穏やかになると、その後の勉強もよくはかどった。



各方向から登校してくる生徒達の姿がチラホラ見え始める地点まで来ると、なまえは決まってぶら下がっていた俺の腕からぱっと離れる。
そして一瞬だけ俺を振り返る。

「じゃ、はじめ。また後で」

と小さく耳打ちして俺から離れ駆けて行く。
俺にはいつもの彼女のこの態度が、微妙に不満だった。

「おはよ、一君」
「おはよう、総司」

教室に入ると総司が俺の跡を追うように後ろから近付いてきた。

「ねえ、あの子、一君のなんなの?」
「あの子とは?」
「なまえちゃんだよ。もしかして、僕に内緒で付き合ってるとか? 編入して来たばかりなのに、一君も案外手が早いね」
「ばっ、馬鹿な事を言うな。俺達は別に……そ、そのような関係ではないっ」
「何、動揺してるのさ。そんなにはっきり否定するなら違うんだ? じゃ、僕が彼女を口説いちゃっても文句ないよね?」
「…………」
「あれ、駄目なの?」
「……勝手にしろ」

総司の挑戦的な目つきにそう答えながら、俺は内心かなり苛立っていた。
足早に総司の前を離れ自席についた俺は、教室の戸越しになまえがそれを聞いていた事も、廊下に出た総司と彼女の間で交わされた会話にも気づかなかった。

「今の、聞いたでしょ?」
「私のこと、迷惑そうだった……よ?」
「わかってないな、なまえちゃんは。あれ典型的なヤキモチだから」
「……そうかな、」



その夜も二階に上がって部屋の前で別れようとした時。

「おやすみ。はじ……」

いつものように頬に触れてこようとするなまえの唇から逃れ、その手首を俺は思わず掴んでしまった。
それは突然突き上げてきた衝動だったのだ。

「はじめ?」

俺の手を振りほどく事もせず、彼女が目を見開く。
自分でもなんの螺旋が飛んでしまったのか解らない。
彼女の細い身体をドアに押し付けた。

「いったい、どういうつもりで……いつも、」
「え?」
「ほ、頬とは言え、このような事を……あんたはいとも簡単にやってのけるが、やられた方にとっては……」
「は、はじめ?」

なまえはグレーの大きな瞳を見開いたまま俺の瞳をじっと見つめる。

「俺には……あんたと総司の事を止める権利などはないが、」

肩下に柔らかく揺れた亜麻色の髪が、俺の中の何かを突き崩した。

「耐えられない、のだ」

なまえの手首を掴んだ俺の手に力がこもると、なまえの表情が僅かに苦痛に歪んだ。
それを目にし我に返った俺は手を離す。
その手はだらりと下がった。

「す、すまない。忘れてくれ」

彼女をその場に残し背を向けると、のろのろと隣りのドアノブに手を掛ける。

「はじめ……私、はじめが好き」

背後から掛けられ耳が捉えたその言葉は、俺の脳に届き意味を理解するのに少しの時間を要した。
そして今度は俺の目が見開かれる。
ゆっくりと振り返った。

「今、なんと言った?」
「はじめを、好きなの……」

信じられない思いで見つめる俺にそっと寄せて来るなまえの小さな顔を、気がつけば俺の両手が包んでいた。
自分でも解るほどに顔が熱い。

「だから、キスをしたの」
「本当……か?」
「本当だよ」
「ならば何故……学校が近づくといつも……俺から離れるのだ」
「え?」
「俺と共にいるところを見られるのが、嫌だったのではないか?」
「違うよ。……はじめが冷やかされたりしないようにって……、私本当はずっと……ずっとくっついていたいんだよ」

なまえは目元を染めて俯く。
白い頬が紅を掃いたように染まっていく様がとても綺麗だった。

「俺も、なまえのことを……」

潤んだ瞳で見上げ震えるように小さく呟いたなまえの赤い唇に、想いを止められずに俺のそれを触れた。
亜麻色の優しい香りが漂った。



五か月という月日がこのように早く過ぎるものだと感じたのは、生れて初めてだった。
明日に帰国を控えた最後の夜。
なまえが、俺の好きな『ラ・カンパネラ』を弾き終わった。
暫く言葉もなく見つめ合っていたが、最初に沈黙を破ったのはなまえだった。
長い睫毛に縁取られた印象的な瞳が俺を真っ直ぐに見つめる。

「はじめ、今までありがとう」
「ああ」

思いの外、さばさばとした口調のなまえに比べ、俺の方が沈んだ声を出してしまいうろたえる。

「大好きだよ」
「ああ、俺も……」

心が通い共に過ごす日々は夢のように終わりを告げた。
彼女は優しい風のように現れて、まるで吹き過ぎるみたいに去って行った。
思い返すと真っ直ぐに想いを伝えてくれたのはいつも彼女の方からで、俺は常に受け身でいたような気がする。
少しだけ苦い後悔が残った。



なまえがいなくなり心にぽっかりと穴が空いたような気持ちになっても、俺の日常はそれほど変わらない。
本腰を入れて受験に取り組む時期である。
次の春が来て俺は希望の大学に合格した。
合格発表を見て帰宅すると、何かを後ろ手にした母親がニヤニヤ笑って玄関で俺を出迎える。

「おかえり、はじめ。合格祝い、欲しい?」
「なんだ、恩着せがましいな。いらん」
「え? いらないの」

母親は手に持った四角い封筒をわざとらしく一度俺の目の前に見せびらかすと、頭上高く掲げてひらひらさせた。
それはどう見てもエアメールだった。

「待て、それは」
「ウィーンからよ。でもはじめはいらないのね?」

全くこの人は、人の親だと言うのに何故こんなにも子供っぽいのだ。
俺が無言でじろりと睨みつけると、

「やだ、どこの子かしら、こわーい。親の顔が見てみたいわあ」

とふざけた事を抜かして俺の手に封筒を押しつけ、スリッパを鳴らして奥に入って行った。
受験を立て前に抑えていた彼女への気持ちがまた溢れだすのが解る。
俺は急いで二階の自室に上がり丁寧に封を切った。



『愛するはじめへ。はじめのことだから、大学には合格していると思います。だから先に言います。おめでとう!私はいつでも、はじめのことを考えています。早くまた会いたい。それで、決めました。後一年こちらでピアノの勉強を一生懸命して、来年東京の音大を受験します…………』



幾度も幾度も読み返した手紙を握り締めたまま、どうしようもなく緩む頬をそのままに、俺はなんと返事を書こうかと幸せな逡巡の中にいつまでも浸っていた。
今度こそ俺の方から、彼女に沢山の想いを伝えよう。





2013.06.14


▼莉夜様

この度は三万打企画への参加ありがとうございました。
大変長らくお待たせした上に、全然SSLっぽくならず申し訳ありませんでしたッ(涙)
高校生の音楽留学という雰囲気がどうも掴めず、ホームステイの短期留学という感じになってしまい、しかも一君の風紀委員も中途半端な立ち位置。全くSSL感なし。
もう完全なる敗北です…orz←エクストリームジャンピング土下座で謝罪させてくださいませッ!!
不肖aoi、力量不足を痛感しております…。もう、もう、ごめんなさいっ!!!
もっと勉強せねばです。
ところで、ウィーンから来たハーフのヒロインさんということでしたが、なんと!実はうちのお隣さんはオーストリア奥様と日本ご主人ご夫婦でして、小学校五年生の女の子がいるんですけど、いや、本当に綺麗です。これは!とばかりに(秘かに)モデルにしました。ママが毎朝登校前のお嬢さんに行ってらっしゃいのキスをするんです。
一君におやすみのキスをする習慣はここから拝借しました。
この度はリクエスト頂きましてありがとうございました。

aoi




MATERIAL: SUBTLE PATTERNS / egg*station

AZURE