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東雲


明治元年九月、会津藩士達は無念の思いに胸を裂かれながら鶴ヶ城を後にする。
謹慎生活を経て斗南へ集団移住の際、斎藤は斗南藩士として旧会津藩と行動を共にした。
晩秋に陸路を辿っての斗南入りは健康な男女であっても過酷で、極寒不毛の地への移住は挙藩流罪とも言えるものだった。

――あれから二年近く。




「斎藤、今日は付き合えよ」
「俺はいい」
「そう言うな。たまには酒に付き合うくらい、いいじゃないか。酒は嫌いじゃないだろう? いつも行く店の看板娘がいい子なんだ」

山川大蔵という男は人がいい。
斎藤は屈託なく話しかけてくる男の顔を、目だけ動かしちらりと見る。
彼は斎藤より二歳年下でありながら、斗南藩の権大参事に就任した、旧会津藩の事実上の責任者であった。
眼光鋭く常に頑なな態度の斎藤を他の者が遠巻きにする中で、いつも声をかけてくる。
男振りもよく、気さくで性格もよい。
人付き合いの悪い彼を、何かと引きずり出そうとするのは、この男の好意の現れだろう。

「興味がない」

しかしすげなく答えた斎藤は職場を後にする。
山川は斎藤の事情をよく解っていて、心を閉ざし何時までも孤独を貫く彼をいつも気にかけていた。
だが、斎藤には山川の気遣いさえが煩わしい。
一刻も早く独りになりたかった。
この地の苦しい生活が心を塞がせるのではない。

今でも忘れられない面影がある――。

粗末な家に帰り着けば上着を丁寧にかけ、囲炉裏の鉄鍋で汁を作り食事を摂る。後を片付け、床を延べ休む。
そうした事を苦に思ったことなどなく不便などは感じない。何かを望むこともない。

俺の腰にもう刀はない。

明治の世になり、刀を持つ武士の時代は終わった。
いつか剣の前に倒れる筈だった己が、何故今も生きているのかが不思議だ。呼吸をし、食って眠り、それだけを繰り返し寿命が尽きるその日まで、ただ生き永らえるだけだ。
あの日、会津藩士達は鶴ヶ城の開城式で敷かれた緋毛氈を、小さく切り刻んで持ち帰り無念を噛み締めた。
彼の持つ唯一の家具と言える文机の上にも、緋毛氈の切れ端が置いてある。あの口惜しさを忘れぬ為に。
そして、その隣には男の侘び住まいに不似合いな、小さな花を象った簪が並べてあった。
物欲のない彼にとって大切な物と言えるのは、この二つだけだった。


非番のある日、洗濯をして玄関先に出ていた斎藤は、前を通る道の少し先の木の下に見慣れない娘の姿を認めた。
小さな背中を丸めて蹲っている。
流石の斎藤も捨て置けず、大股に近寄る。

「どうした、具合でも悪いのか、」
「あっ、しっ!」

振り向いた娘が顔を顰め、唇に人差し指を当てた。

「あぁ、逃げちゃった……」
「……?」
「猫ちゃん」
「……猫、」

娘は右の指先に猫じゃらしの茎を持ったまま、うーん、と背を伸ばすように立ち上がった。
人騒がせな、と眉を寄せた斎藤は、娘の顔を改めて正面から眺め目を見開く。

「これにじゃれてたんですよ、猫ちゃんが」

彼女は猫じゃらしの毛虫のような先っぽを、斎藤の目の前にかざし笑った。

――あんたは……。

硬直して自分を凝視する斎藤に、娘が不思議そうに首を傾げた。

「あの、私の顔に何かついてますか?」
「……いや、……なんともないのならば、それでよい」

斎藤はくるりと背を向けると、戻っていく。

――彼女である筈がない。

その背に娘はいつまでも視線を当てていた。


斎藤の毎日は判で押したように同じで、寸分の狂いもなく日々は運ばれていく。
次の非番にもやはり同じ時間に外へ出た斎藤は、先日の娘の姿を目の端に捉えた。
また木の根元に向こう向きにしゃがんでいるのだ。
少し警戒を解いた斎藤は、暫しの逡巡の後ゆっくりと近寄って行った。

「また、猫か」
「あ、この間の……、いえ猫じゃなくて、」

娘は片足を裸足で地面についたまま立ち上がると、困った顔をして両手で草履を持ち上げて見せた。

「鼻緒が切れたのか」
「はい」
「見せてみろ、」

斎藤は持っていた手拭の端を咥え器用に裂くと鼻緒を直してやった。
粗末ななりをしているが清潔感があり、どこか朧長けたところのある娘だ。

「この近在の者か?」
「ええ……いえ、家は少し先で、」

娘は曖昧に答えたが斎藤はかすかに顎を引いて頷く仕種を見せ、それ以上は聞かなかった。

「名は」
「なまえと申します」
「そうか、俺は斎藤一だ」

律儀に姓名を名乗る斎藤をなまえは微笑ましく見つめた。



次の休みも斎藤が戸口から見やれば、あの木の元になまえが来ているのだった。
不器用な斎藤は約束を交わしたりする事はせず、それでも休みのたびに無意識の期待を込めて外を見る。
いつしか、その姿を心待ちにしている自分にまだ気づいていなかった。
次の休みもやはりなまえは来ていた。
初めてあった日以来、なまえは斎藤の非番の日を知っているかのように現れる。
会えば特に意味のある話をする訳でもないのだが、並んで座って風に吹かれていたり、木の近くに住みついているらしい猫をじゃらしたり、草を摘むなまえをただ眺めていたりと、他愛のない時間を過ごすだけで、心が洗われていくような心地がした。
なまえが大きな瞳を輝かせ、斎藤の瞳を下から覗きこんだ。

「斎藤さんの目の色は、不思議」
「……ん?」
「人を惹きつけてやまない綺麗な青」

あまりの顔の近さに斎藤の顔にじわじわと熱が上り、躊躇えて顔を引く。

「なんだ……?」
「髪も艶やかな紫黒で、すごく綺麗」
「……なっ、綺麗なのは、あんたの……方だ……、」

動揺した斎藤の言葉を全てを聞かぬうちになまえは「あそこに面白い形の草がありますっ」と言って素早く立ち上がり行ってしまった。
本人は気づいていないのだろうが無邪気なその態度が斎藤には蠱惑的に映り、知らず知らずのうちに惹かれていった。

俺はなまえと共に過ごすことに安らぎを感じている。

初めてなまえの顔を見たとき、似ていると思った。
かつて大切に想った女を過酷な旅の途中に喪い、絶望に塞がれていた。
刀無き武士としての道を選んだ己にとって、たった一つ残された生きる希望であった彼女を喪った時、斎藤の中で自身の生も閉じてしまった。
人としての感情を遮断し、生きる希望も見出せないままにただ生きていた。
そんな斎藤の心の中、不毛の荒野の片隅にいつのまにか芽を出して、咲いていた一輪の花。
面差しは確かに似ているが、彼女となまえは全く違う。
気がつけば彼女自身が確かな存在感を持って斎藤の心に息づいていたのだった。

「これ、斎藤さん。これを見てください。可愛いでしょう」

一際小さなイトススキを手にし駆け寄って来るなまえは童のように頑是なく、思わずその手を掴んで引く。

「斎藤さん?」

すっぽりと腕に収まって自分を振り仰ぐその瞳はかすかな戸惑いを見せながらも、決して拒んではいない。

「なまえ……」

そっと顔を寄せた。



賊軍と呼ばれ移封されたこの地で、旧会津藩は再興に奮闘した。
しかし、藩民の生活は先が見えず困窮から脱する事はなかなか出来ない。
生きる為に断腸の思いで、妻や娘を妾や遊女として差しださねばならぬ者さえいた。
斎藤は東京へと赴く。
なまえとの間に何も約束はなかったが、己の生きる道の先に新しい光を僅かに見出した斎藤の中に、なまえを守って生きていきたいという気持ちが育っていた。
ところが東京から戻った斎藤の目の前になまえは姿を現さなかった。
手に入れかけた安らぎを斎藤は再び見失う。
明治四年。
それでも斗南藩士たちは、慣れない環境において不屈の精神で開墾し続け、そこに微かな光明が見え始めた頃。
明治新政府により廃藩置県が断行された。
会津戦争で敗北した松平家は断絶となり、降伏から一年後容保の嫡男容大が家名存続を許されたが、容大は若干三歳の若過ぎる藩主であった。
混乱を鎮める為に、旧会津藩主であった松平容保が斗南を訪れ円通寺に入る。
非常時ではあるが、久し振りに会う斎藤と容保は旧交を温めた。

「斎藤。私と共に東京に来てはくれまいか」
「東京に、」
「そなたに娶せたい者がある」
「……!」
「そなたはもう三十になろう。いつまでも独り身をかこつのもよくはあるまい。考えてみてはくれぬか」
「…………」

約一ヶ月後容保は、容大と養子である喜徳を伴い斗南の地を去る。 その時に容大の名で御礼と別れの布告を出した。
少し遅れて斎藤も再び東京へと立つ。
その前の日、彼は小さな簪を庭先の小さな墓に埋葬した。二度と戻ることのないこの地。静かな心持ちであった。



見合いの席に臨む為、斎藤は松平容保邸に赴いた。
今や何故この世に在る生か解らぬこの身を、せめて大恩ある容保の意に添わせて過ごそうと考え、このような己の元へ嫁いでくれると言う娘であるのならば、誰であれ大切にしていこうと考えたのだった。
座敷に通され容保と共に静かに待てばやがて、襖が開き兄に付き添われた若い娘が入って来た。

「失礼いたします」

小さな声で呟くその声に、目を伏せていた斎藤ははっとして顔を上げる。

「あんたは、」

これ以上ないほどに目を見開いた斎藤を見つめると、娘はゆっくりと花が開くように微笑んだ。

「みょうじなまえにございます。お久しゅうございます。斎藤さん」
「おお、そなたらは知り合いであったのか?」

目を白黒させる斎藤を見て、それからなまえに目をやり、容保が楽しそうに笑った。

「容保様ったら」

なまえが小さく睨むと容保は可笑しそうな目でそれを受け止めた。
訳が解らずにいる斎藤に微笑みかける。

「なまえはその昔、私の姉照姫付の中臈を務めておった。父親は会津藩の大目付であったのだが、禁門の変で果ててな」

そうしてなまえの隣に静かに座る兄に目を走らせると、彼は斎藤に無言で頭を下げる。
護衛隊として藩主松平容保の側近くに控えた彼を斎藤も見知っていた。

「この兄みょうじ蔵之輔が家督を継いでここまで苦労してやってきた。私も目を懸けてきたのだが、ある日なまえがな」
「かっ、容保様。余計な事はおっしゃらないでくださいませ」
「はは。では後は二人で話すとよい」

何も言えずにいる斎藤の前で容保はなまえと親しげな様子を見せたが、やがて蔵之輔を伴い座敷を出て行った。
なまえは照姫の強い信頼を得ており、会津戦争において若松城に籠城した時には照姫とともに負傷者の看護に就いた。あの頃の会津藩は今と変わらぬ固い結束で事に当たっていた。
彼女はその傍ら、容保に忠義を尽くす斎藤に秘かな想いを寄せていたのだ。斗南に移ってからも忘れられず、会いたさに斎藤の住まい近くを訪ねた。
兄について東京の容保邸を訪れた時に彼女の縁談の心配をする容保に、ついぽろりとその事を話してしまったのだった。

「それでは、あんたは……」
「斎藤さんに一目お会いしたくて、お住まいの近くまで。はしたなくてごめんなさい」

なまえは恥ずかしげに目のふちを赤く染めた。
初めはただちらりとでも姿を見られるだけでよかった。だが斎藤に声をかけられ、僅かにでも同じ時間を過ごすうちに想いは募っていった。
斎藤はずっと狐につままれたような顔をしていたが、やがてその頬にゆっくりと笑みをのせた。

「斎藤さんの笑った顔を、初めて見る事が出来ました」

無垢なその笑顔を斎藤が優しく見つめる。

「あんたには……敵わぬな」
「ふふっ、だって私はずっと以前から斎藤さんのことを」
「待て!」

突然大きな声を出して自分の言葉を遮った斎藤に、は? という表情で見つめるなまえの顔を、彼も目元を真っ赤に染め見つめ返した。

「俺に、言わせてくれ」

なまえも負けずに一段と顔を赤くする。

「なまえ。俺と……その、共に生きてくれぬか。この先ずっと」
「はい」

赤くした顔を綻ばせ、その大きな瞳を潤ませながらなまえはしっかりと頷いた。
己の中に明日への夢を確かに灯してくれた愛しい存在を、斎藤は胸に包んで抱き締める。

「なまえ、あんたを生涯大切にする」



少し後に執り行われた祝言は松平容保、元会津藩家老佐川官兵衛と山川大蔵が下仲人を務めた。
斎藤一はこの時より、容保から賜った藤田五郎という名に改め、愛する妻なまえと共に新しい生活へと踏み出した。



2013.05.27 


▼はじめ大好きママ様

この度は三万打企画への参加、ありがとうございました。
このような感じになりましたが、いかがでしょうか。
明治のお話は初めてだったので、調べも足りなくあちこちおかしなところもあるかと思いますが、書いててとても楽しかったです。
明治のはじめさん、もっと掘り下げてみたい欲求が湧いてきました。
孤独で寡黙という設定でしたので糖度はかなり控えめです…。
あ、甘くなさ過ぎたですかね…??汗
タイトルの『東雲』は朝、夜明けといった意味で、斎藤さんの新しい人生を祝してつけました。←安定のボキャブラ不足で必死にひねり出してこんなんですみません。
お話についても、違う〜というところがありましたら(いっぱいあるかも)あと、甘さ足りなかったらいつでも加筆修正致します〜。←急に不安になってきた…
遠慮なくおっしゃってくださいね。
この度は素敵なリクエストをありがとうございました!!

aoi




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