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「#エロ」のBL小説を読む
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02


デスクの上にスマートフォンを忘れてきた、と気付いたのは、ホテルの最寄り駅につく直前だった。

「すまぬ、左之。先に帰ってくれ」
「おお、分かった。また明日な」

左之に事情を説明し、俺はホテルに引き返す。
一晩スマートフォンがなくても困ることはないだろうが、やはりどこか落ち着かない気がした。

従業員用出入口をくぐり、非常階段を駆け上がる。
フロントのある3階でロビーに出た。
もう時間も遅いからか、宿泊客の姿は疎らだ。
俺はロビーを横切り、バックヤードへと続くドアを開けた。
フロントバックに入ろうと、二枚目のドアに手を掛けたところで。
ふと、聞こえてきた声に立ち止まった。

「今夜、空いてるか?」
「あんまり時間ないですよ」
「泊まりゃいいだろうが」
「あーあ、職権乱用」
「うっせえよ、」
「えーっと、ああ、505が赤ですね」
「…ズボンプレッサーの故障か」
「それです」
「じゃあ505で押さえとけ」
「かしこまりました、マネージャー」
「やめろ馬鹿野郎」

彼女の笑い声に、心臓が嫌な音を立てた。

どういうことだ。
いくら色事に疎いと言っても、俺だって馬鹿ではない。
これは、そういう意味だ。

いつからだ。
いつからあの二人はそういう関係なのだ。
いつから、仕事の後に二人で客室に泊まるような仲なのだ。

「先に行ってろ。俺も終わったら行く」
「分かりました」

俺は急いでその場から離れ、仮眠室に身を隠した。
ドアが開く音がし、彼女がフロントバックから出てきたのが分かる。
そのまま彼女はもう一枚のドアを開け、バックヤードから出て行った。

仮眠室の暗闇の中、壁に背を預ける。
言いようのないどす黒い感情が、胸の内に渦巻いた。
土方さんの所へスマートフォンを取りに入る気になれず、俺はバックヤードを後にする。
再びロビーを横切り、非常階段のドアを開けた。

この階段を上がれば、505号室に行ける。
この階段を下りれば、このまま帰れる。

非常灯の下、俺はしばし立ち尽くした。



「早かったですね、……え?」

505号室のインターホンを鳴らす。
内側からドアを開けた彼女は、俺の姿を見るなり固まった。
その隙を突いてドアを大きく開き、室内に身体を滑り込ませる。
そのまま、背後でドアを閉めた。

「斎藤君?どうして、」

俺はバッグを投げ出し、明らかに戸惑った声の彼女の肩を無理矢理壁に押し付けた。

「いつからですか、」

思っていたよりも、低い声が出た。
彼女が怯えたように瞳を揺らす。

「…え?」
「いつから土方さんと交際をしているのか、と聞いています」

部屋の照明は薄暗かった。
俺ではなく土方さんがこの部屋を訪ねて来た場合、何をするつもりだったのかは聞くまでもなかった。
嫉妬心に苛まれる。
だがそんな俺の前で、彼女は首を傾げた。

「付き合って、ないよ?」
「………な、んだと」

交際をしていない。
ならばこの状況は何だ。

「どういうことですか。あんたは、交際もしていない男と寝るのですか」
「…全部、聞いてたんだ?」

そう呟いて、彼女は笑った。

「そうだよ、って答えたら満足?」
「それは、どういう、」
「斎藤君の言う通り。私は今から、付き合ってない男の人と寝るの」

それは、仕事を完璧にこなし、いつも笑っている彼女からは想像もつかないような言葉だった。

「何故だ!何故そのようなことをする」

交際もしていないのにセックスをするなど、言語道断ではないのか。

「…それ、斎藤君に関係あるかな」
「っ、」

しかし俺の言葉は彼女にあっさりと切り捨てられ、ぐっと唇を噛んだ。
確かに俺は、彼女の行動に是非を唱えられる立場にいない。

「しかし、土方さんは、」
「土方さんにも、その気はないよ」

ふと零した名前を拾い上げられて。

「何だと?」
「私はね、割り切った相手としかしないの。土方さんは私のことを好きじゃない。だから抱かれるの」

愛のあるセックスはしない、と。
そう言った彼女を、俺は呆然と見つめた。

「土方さんと鉢合わせする前に、帰ったら?」

黙り込んだ俺に向かって、彼女は至って冷静な声を掛けてくる。

何もかもに腹が立った。

まるで当然のように、他の男に身体を差し出すという彼女にも。
今からここに来て彼女を抱くであろう、土方さんにも。
そしてそれを止める術を持たぬ、己自身にも。

「はいそうですかと、俺が退くと思うのか」

彼女の肩を掴む手に力がこもる。

「好いている女が今から他の男に抱かれるのを、黙って見過ごせと言うのか…!」

そう怒鳴ると、彼女は少し驚いたように俺を見て。

「好きって。ねえ、今の話聞いて、まだ私のことを好きだって言うつもり?」

信じられない、とばかりの口調に、苦い思いが込み上げた。
信じられないのはこちらの方だ。

誰にでも抱かれる女。
愛のあるセックスは嫌だと言う女。
普通ならば、嫌悪感すら抱きかねない相手のはずだ。
それなのに、何故。
何故こんなにも、彼女が愛おしいのだろうか。
何故、守りたいなどと思うのだろうか。
この状況を誰が見ても、傷付けられているのは俺の方だと言うだろうに。
俺は何故、彼女がひどく傷付いていると感じるのだ。

「…あんたは、おかしい」

彼女の肩から、手を離した。
そして代わりに、その背中に腕を回して抱き寄せた。

「故に、そんなあんたを愛しく思う俺もまた、おかしいのだろうな」

腕の中、彼女が身じろぐ。
だが、離すつもりはなかった。




MATERIAL: SUBTLE PATTERNS / egg*station

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