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カリフォルニアレモネード


前方の信号は赤だった。
直進と左折の矢印が点灯している。
深夜の幹線道路、不意に右ウィンカーを出した斎藤が進路を変更させた。車は滑るように一番左の車線から右折車線へと移動していく。
ハッとして斎藤の横顔を見ても端整な輪郭は前を向いたまま何も言わない。
金曜の深夜、道路は空いていた。
斎藤が静かにブレーキを踏み、ゆるやかに減速する。
つい少し前、路肩に停めた車の中。互いに秘めていた想いが通じあったことを幸せと思うよりも、まだどこか信じられずにいるなまえは現実感のないままに、戸惑いと浮足立ちそうな気持ちを持て余していた。
彼の深いブルーの瞳は熱を持ち、5年前のような少年ぽさをもうどこにも残してはおらず、なまえがずっとこだわり続けた歳の差を忘れさせた。視線に射抜かれた彼女は気づけば斎藤の意のままに唇を重ね合っていた。
嬉しくないわけがない。心の底に隠してきた恋が報われたのだ。けれどもこの急展開にまだ心が追い付いていない。
なまえの家はこの信号を左に曲がれば程ない距離だった。土方専務の命令で、家へと送ってくれることになった斎藤に自宅を告げた時、彼は住所に心当たりがあるようだった。
右折の矢印が点灯し、斎藤がゆっくりと右にハンドルを切りながらアクセルを踏み込む。

どこへ行くの?

明らかにわかっていて左折の道を選ばない。無粋な事を問うのはあまりにも恥ずかしくなまえは黙って俯いた。
斎藤の左手が伸びてくる。
心を読んだような小さな声が聞こえ、彼の手が膝で組んでいたなまえの手にそっと重ねられた。

「なまえ、俺の部屋へ……、」

思わず顔を上げる。斎藤の横顔の向こうにちらりと過る中央分離帯で、ブリンカーフラッシュの黄色く点滅する様がやけに眩しく見えた。
彼に伝わったかはわからないが、なまえは小さく頷いた。この人が好きなのだと、心の中で改めて自覚する。躊躇う理由などなかった。





「土方専務」
「あ?」
「お茶が」
「ああ、」

冷めてしまいますと続いた声に曖昧に返し、目線を下げた俺は、初めて手に持った湯呑みの存在に気づく。
いつになくぼっとしていた。月曜の朝だった。
毎朝役員室のデスクに座れば、必ず俺よりも早く出勤している秘書が絶妙な温度で淹れた茶を運んでくる。朝はコーヒーではなく煎茶を好む。習慣を熟知したみょうじなまえは、何一つ要求を出さなくても常に望む対応をする。
今日の予定を告げるためにデスクの前に立ち怪訝そうな顔をした。

「お疲れですか? お顔の色があまり……」
「なんでもねえ」
「お茶、冷めましたね。淹れ直します」
「これでかまわねえよ」

手を差し出そうとするみょうじの視線を避け、回転椅子を回し冷めた茶を飲み干した。
目の前に営業部に続くドアがある。一瞥して空の湯のみをデスクに置き立ち上がる。

「出かける」
「どちらへ? 間もなく風間社長がいらっしゃいます」
「わかってる。おとついも会ってる」

クライアントとしての風間との取引関係は順調だ。土曜日はゴルフに付き合い、夜は盛り場へ繰り出した。風間と俺はプライベートでも長く懇意にしている。
奴はああ見えて勘の鋭い男だ。おそらく何かを察してる。なにも問題なんかねえ。今日くらい許されるだろう。
それよりも今は少し独りで頭を冷やしたいんだ。

「お出かけならば、お車を」
「いらねえよ」
「ですが、」
「こないだも言ったが、」
「はい」
「お前は俺のお袋か」
「……、」
「餓鬼じゃねえんだ、俺は。そりゃそうとお前、今朝は随分化粧のノリがいいようじゃねえか。なんかあったか?」
「は……?」

もの言いたげな口を黙らせる為にカマをかけてにやりと笑ってやる。
目を見開いて小娘みたいにみるみる赤面するみょうじを見ちまえば、どう考えても俺の想像は当たってたと思わざるを得ない。
そんな顔もするんだな。
細いフレームの眼鏡の奥、その瞳はいつだって涼しげだった。長い付き合いだがこいつが表情を崩すところなんざ最近では滅多に見たことがなかった。俺の前では常に生真面目なお固い顔をしていやがった。やっぱりなと妙に納得をする。
この週末にお前ら、やっと長年の想いを遂げたってわけか。いや、ちっと違うか。仕掛けたのは俺だったっけな。全くどんだけ酔狂だよ、俺って男は。
5年もの間、ずっと見てきたんだ。
こいつのことを。
そして。
あいつのことも。
チッと一つ舌打ちをしてドアへと大股に近づき、ノブに手をかければ向こうから開いた。手にしていた上着が弾みで床に落ちる。
そこにはたった今頭に浮かべたばかりの男が立っていた。深藍の瞳が真っ直ぐに俺を見、続いて視線を床に落とし、もう一度俺を見た。迷いのない誠実なその目を、今朝はどういうわけか見たくねえ。
斎藤は腰をかがめ、男にしては細く長い指を持つ手で床に落ちた上着を拾い上げた。

「お出かけでしょうか、専務」
「見たとおりだ」
「本日はこれから風間社長との打ち合わせが入っております」
「だから、わかってんだよ。揃っておんなじようなこと言いやがって。今日はお前独りでやれ、いいな」
「それは構いませんが」

こいつのもう片方の手にあるのは新たに作成した見積書だ。俺がチェックを入れなくても、これまで不備があった試しはない。仕事の完成度はあの気難しい風間のお墨付きでもある。そろそろ斎藤に一任してもいい頃合いだろう。
振り返って俺のデスクの前に立ち尽くしたままのみょうじに告げた。

「俺ぁ、今日はサボリだ。体調が悪いわけじゃねえ。気にするな」
「専務」
「たまにゃいいだろ? 後のことは全部こいつに任せた」

顎でしゃくれば斎藤は余計なことを一切言わず、俺を通す為にドアの前で体を横にした。その手から上着を取り大股で役員室を後にする。
予定も宛てもなく過ごす一日がぽっかりと手に入った。長い人生の中でこんなことは初めてだ。
近藤さんと起業して以来何年も仕事三昧の毎日だった。何でも自分でやらなきゃ気が済まねえ性分の所為だ。休日も何かしら付き合いで潰してきた。
仕事だけじゃなく何に対しても、俺は逃げを打ったことなんかこれまでに覚えがねえんだ。だが今回だけは。
どうにも情けねえこの面をあいつらの前に晒すのは、バツが悪くていけねえ。
今日一日だけだ。
地下駐車場から車を出し目的もなく首都高ランプを目指す。
みょうじという女は、秘書としてはそつなく完璧だが男女の機微に鈍感だ。だがまさか、あそこまでとは思っていなかった。
斎藤は有能な部下としていつも俺のそば近くにいる。俺の目から見ても奴の思惑なんか一目瞭然だった。密やかな視線がいつだってみょうじを追ってたからだ。
あれでなかなか女子社員にも人気のある男だ。ところがその斎藤をみょうじの方は巧みに避けていやがった。そりゃあ逆の意味でわかり易いってもんだ。
この5年互いをどう思ってきたかを、そのくせ平行線の不自然なあいつらの関係を、嫌ってほど俺は知ってたんだ。





薄闇の落ち始めた都心の巨大交差点を通過してすぐ、工事用シートに覆われたビルに隣接する地下駐車場に車を入れた。角ビルは国産車メーカーのショールームだったはずだが、今度はここに何が出来るんだ?
地上に上がり片側三車線の向かい側を見れば、以前あった高級百貨店の代わりにそこにあるのは、リーズナブルを売りにしたアパレル店舗だ。

この街も変わってくんだな。

妙な郷愁に捕らわれながら仕事帰りの勤め人に混じれば、この街ではかつてあまり見なかった若い奴らがやたらに目についた。
新橋方面に向かって進み横道に入ったところに気に入りのバーがある。酒の量の多くない俺はそう足繁く通ってきたというつもりもないが、初めて訪れた時から数えればかなりの年数になっていた。
重厚な造りのマホガニーのドアを押せば、馴染みのバーテンダーがグラスを磨く手を止め、ごく僅かだけ意外そうな顔をした。

「珍しい時間にいらっしゃる」
「迷惑か」
「とんでもない」

偶に訪れても時間は大抵深夜だったし、中二日で顔を出すなんてことは初めてだ。
このバーテンダーは近すぎず遠すぎず、絶妙に空気を読む。話をしたい時は適度に笑えるような当り障りのない会話をし、考え事をしたければ距離をとりグラスを磨いている。言わなくても見抜くバーテンダーの作り出すこの店の空気が好きだった。
ドアと同じ素材のカウンターの、ひとつのスツールに腰を下ろす。

「お仕事の方は?」
「今日はオフだ」
「そうですか。なにかおつくりしましょうか」
「いや、なにか飯が食いてえな……わりいが今日は車なんだ」
「ピラフなら出来ますよ」
「それにする。日野まで行ってきたんだが、独りで運転だったし腹が減っちまった」

無駄話でもしたい気分だった。
控えめな笑顔を向けるバーテンダーを相手に俺は何時になく饒舌になる。
冷凍もんじゃない美味いピラフを腹にいれたら、気が変わってやっぱり酒を呑みたいと思う。代行を呼んで帰れば済む話だ。急に酔いたくなった。早く酔っちまうのがいいかも知れねえと、バーボンをロックで頼む。

「親ってのはいつまでも餓鬼扱いしたがるもんだな。身の回りの世話だの何だのと、俺を一体幾つだと思ってやがるんだか」

見合いを勧められた話をすれば「年貢の納めどきということですか」と笑われ「そういうことになるな」と独り言ち琥珀の液体を喉に流した。

「土方さんのそういうお顔を初めて拝見しました」
「どんな顔だ」
「いつになく穏やかな」
「おい、からかうなよ」

俺に合わせているのかバーテンダーも今夜はよく口を開く。相槌を打ちながらシェーカーを振っていた彼が、俺の背後のドアの開く音に顔を上げた。
僅かに綻ばせた表情から常連客のようだったが、その場を動かずに一つ顎を引き、シェーカーの酒をカクテルグラスに注ぐ。それは青というよりも菫色を帯びていた。

「金曜の月をご覧になりましたか。類まれな満月でしたが」
「ああ、見てねえな」
「そうですか。ではこれを、代わりと言ってはなんですが」
「Once in a blue moonか?」
「いいえ。今夜は完璧な愛という意味合いの方で」
「だから、からかうなって言ってるだろうが」

先週の話の続きでもしようっていうのか。青い酒を音を立てずに俺の前に滑らせる。
これまでに断片的に語ってきた言葉から、俺の心をまるでわかってると言わんばかりの粋な演出に苦笑が漏れた。グラスを口に運べば、ほろ苦くジンが香る。
また新たな客の来訪にドアベルが鳴った。

「俺の方はいいから行ってくれ」
「では、少し失礼します」

手元の酒を見て一つため息をつき目を閉じれば、顔を出した生家での親との話が思い出される。
写真と釣書を見せられた俺が承諾の返事をすれば、両親も姉も心からホッとしたような顔をしやがった。なんとも言えない気分になるが、そういう時期が来たということだ。
この歳になるまで特定の女を作らず、折に触れ持ちかけられる縁談話をかわしてきたのには理由があった。果たしてついにその理由がなくなった。
……完璧な愛だと? そりゃ違うな。今の心境は完璧な失恋てやつだ。

年貢の納めどき、か。

妙な脱力感と得体のしれない満足感が、いつになく自嘲と一緒くたに唇から漏れる。
その時だった。俺の手元がふと翳ったのは。
テーブルキャンドルの灯りを遮るように右側から男の手が伸びてきた。
驚いて凝視する眼前にあるのは、鮮やかな赤い色のカクテル。水滴をまとう冷えたコリンズグラスを差し出す手だ。
それは俺のよく知る手。節の目立つ細く長い指。自分の目が見開かれるのを感じ、そのグラスを見つめたまま低く問う。

「なんでお前がここにいやがる」
「商談は滞りなく済みました」
「そんなこと言う為にわざわざ来たのか」
「風間社長の子会社と新たに取引を開始することになり、独断で契約の締結をしました。ご報告を」
「そうか。で、この酒は、どういうことだ」
「こちらを召し上がったらお宅へお送りします。……明日も専務のご予定は立てこんでおりますゆえ」

俺の上から降ってくる抑揚のない声はこいつの内面を表さねえ。俺はふんと鼻を鳴らした。
みょうじと言いこいつと言い、いい加減にしてくれねえか。俺は保護者の必要な餓鬼じゃねえと何度言えばわかるんだ。
気づけばバーテンダーも少し離れたところから、横目でこっちを見て頬をゆるめていやがる。
どいつもこいつも。
コリンズグラスをやけくそ気味に持ち上げた。

「ああ、わかったよ」
「専務、それはウィスキーベースです。そのような飲み方をされては、」
「チッ。うるせえな。てめえが寄越したんだろうが」

中身を煽る俺の横で急に慌てたように余計なことをいうこいつが。
何年も俺のそばで片腕としてやってきてくれたこいつが。

……可愛くないわけがねえだろう。

たまにはこういうのも悪くねえな。
斎藤に肩を借りた格好で俺はバーを後にした。駐車場までの道をやけに遠く感じるが、見上げてみれば、一度満ちてから欠け始めた月がビルの隙間から見えた。畜生、綺麗じゃねえか。
斎藤が何か言ったようだが、俺にはもう聞こえなかった。

あなたに永遠の感謝を。

「カリフォルニアレモネードのカクテル言葉をご存知でいらしたのでしょうか、土方さんは」

同じ頃、コリンズグラスを磨きながらバーテンダーが独り言を漏らしていたなんてこたあ想像することもなく、俺はこの夜すっかりと、完璧に気分よく酔っちまっていた。

「なあ、斎藤」
「はい」
「明日からも、頼むぞ」
「承知しております」

それでいいんだ。これまでもこれからも何も変わらねえ。


2015.08.23


illustration by Rinneko




MATERIAL: SUBTLE PATTERNS / egg*station

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