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デザートはあなた


“Ristorante Innamorato dolce”

それがその店の名前だった。

「ヴォナセーラ!」

白いシャツに黒いソムリエエプロンをつけた店員が、手のひらを上に向け奥を指し示す。
オーク材を基調とした落ちついた店内はさほど広くはないがロフト風になっており、一階から吹き抜けになっている高い天井に解放感がある。
外国の八百屋で使うような焼き印の押された木箱が置かれ、アンティークの雑貨やヴィンテージのワインボトルなどが品よく飾られている。
高級感のあるインテリアは、とても繊細でよく調和が取れていた。
普段はジーンズが多いのだが、少しだけお洒落なワンピースに身を包んだなまえは、そのイタリアンレストランに足を踏み入れるなりうっとりとした気持ちになった。
学生の彼女は友達と夕食に行ってもせいぜい小洒落た居酒屋が関の山で、イタリアンの店に入るのはランチの時くらい、それももっとリーズナブルな感じの店を選ぶ。
細身のスタイリッシュな黒いスーツを身に着けた斎藤は、なまえの四つ年上の恋人である。
料理は予めコースを予約されていて、テーブルに案内されると先程の店員が飲み物のオーダーを取る。

「アスティスプマンテ?」

店員の勧めに斎藤が頷き、なまえの方をチラリと見て

「なまえはオレンジジュースか?」
「……ペリエにする、」

店員が去るとなまえに向き直った斎藤に、改めて聞いてみる。
今日は普通の金曜日の夜だ。

「何かの記念日だった?」
「ん?」
「だってこんな素敵なお店に、連れて来てくれるなんて」
「仕事で来たことがある。なまえが喜びそうな店だと思ったから、な」

優しい眼差しで見つめる斎藤に、仕事の時にも自分の事を思い出してくれてるのかな、と嬉しくなる。
なまえのペリエグラスに軽く自分のグラスを当ててから彼が半分程呑んだグラスをじっと見つめた。
スパークリングワインは輝くように綺麗な金色で、細長いグラスの中に細かな泡を絶えず立ち登らせていた。

「綺麗」
「少しだけ飲んでみるか?」

テーブルに置かれた、もう一つのフルート型のシャンパーニュに彼が手を触れたが、なまえは首を振った。
お酒の全く飲めない彼女は、こんな時斎藤にとても申し訳ない気持ちになる。
二人でほろ酔いなんて場面にとても憧れるけれど、なまえは粕漬けの漬物にも微妙にクラクラするくらい酒に弱いのだ。
だがこんな素敵な店では子供っぽいジュースは格好がつかない、とペリエにした。

「お酒に酔うってどんな感じ?」
「そうだな。俺は余り酔わないが、わずかに高揚感があるな」
「ふわっとする感じ? いいなぁ。私も少しくらい、飲めるようになりたい」

あどけなく愛らしい顔立ちのなまえが酒に酔ったら、どんなふうになるだろうか。
元々潤んだ黒目がちの大きな瞳が悩ましく見つめて来る様を想像し、そんな彼女をおいそれと外に出すわけにはいかない、そう考えて斎藤はふっと笑う。

「酒など無理して呑む物ではない」
「でも……やっぱり呑めない体質って、つまらない」

なまえはペリエグラスの周りの水滴を指先でなぞって溜め息をついた。
間もなく料理が運ばれてくる。
少しずつ盛られた三種類の夏らしい冷たいアンティパストに始まり、有機野菜のバーニャ・カウダ、パスタの後で牛肉のタリアータが運ばれた頃には、なまえはかなり満腹になってしまっていた。
斎藤が空になったボトルをワインクーラーに戻すと、直ぐにやって来た店員を見上げる。

「キャンティ・クラシコを」
「ガッロ・ネロ?」

斎藤が軽く顎を引けば、店員も心得たように微笑んで頷いた。
仕事でと言っていたけど、何回も来ているのかな。
なまえと対称的に彼は酒に強い。
二時間あまりの食事でワインを一人で二本空ける人は、そうそういないのではとなまえは思う。
ドルチェのマスカルポーネのアイスクリームを堪能したところで、斎藤の赤ワインのボトルは綺麗に空になったが、やはり余り酔ったようには見えなかった。
週末はいつもお決まりで、彼のマンションの部屋で過ごす。
少しだけワインの香りのする斎藤の唇を受け、お酒じゃないけれど酔うってこんな感じかな、と考えながら彼の愛撫を受け入れた。


ウィークデイはそれぞれ仕事や学業、付き合いなどで、二人の時間がなかなか合わず会う事はままならないが、斎藤は日に最低一度は必ず連絡をくれる。
大抵仕事が終わって帰宅する途中だ。
時間があれば帰宅後電話で話をするが、口数の多くない彼を相手にいつもなまえが一人で喋り、彼は相槌を打つというパターンである。
それでもなまえにはとても幸せな時間だった。
その日呑み会に誘われたなまえが、躊躇してグズグズと返事を引き延ばしていたところ、斎藤からのメールの着信が入った。

『接待で遅くなる。今日はこの後、連絡を出来ないと思う。斎藤』

いつもながらの簡潔な文字だけのメール。
斎藤の上司の土方と言う人は余り酒に強くないらしく、酒好きのクライアントを接待する時は、いつも同行させられるのだと前に聞いた事があった。

それなら、今夜は電話出来ないんだ。

『あまり飲み過ぎないようにね! また、明日連絡をください(音符) はじめさん、愛してる(ハートマーク) なまえ』

なまえはなまえで、いつもの彼女らしく絵文字を使って返信をした。
わざわざ、愛してる、と付け加えたのは、上司と同行しながらこのメールを開く彼に対する、小さな悪戯心だ。
赤面して慌ててスリープにする様子を想像し、ふふふっと笑った。
結局付き合う事にした、男女混合8人程の飲み会は居酒屋で一次会を終え、かなり出来上がったメンバーは店の外で二軒目は何処にするかとワイワイ騒いでいた。
都心の繁華街のど真ん中は、平日と言うのにかなり賑わっている。
時刻は21時を少し回っていて、なまえはここで帰ろうと思っていた。
彼女を誘ったのはそのメンバーの中に意中の彼のいる、一番仲の良い友人だった。
次の店が決まらないまま、皆はゾロゾロと歩き出す。

「お願い。もう一軒付き合って。なまえが帰っちゃったら、何となく私も帰る雰囲気になっちゃう」
「でも、私、飲めないし……ごめん、」
「次の店、なまえの分私が出すから! ね、お願い!」

歩きながら友人がしつこく食い下がった。
どうしようと迷いながらも、そう言えばこの辺はあのイタリアンレストランの近くだ、と思い当たる。
斎藤が連れて来てくれた、あの店。
思考が飛び始め、キョロキョロと目を泳がせていると、あの店が見えてきた。
ああやっぱり、と微笑んだなまえの目の先で、開いたレストランのドアから一組のカップルが出てきた。
正確にはそれはカップルではなく、少し酔って隣の男性にしなだれかかる女性と、苦笑しながらその後ろから一緒に出てきた男性の三人組であった。
こんな場所ではよく見る光景だ。
しかし彼女の瞳は女性に纏いつかれる男の姿に釘付けになった。
それは斎藤だったのだ。
全身を強張らせながら見つめる。
困った顔をしながらも振り払う事が出来ずにいる彼の肩に、女性はしどけなく片腕を回した。

「斎藤君、もう一軒行きましょう、ね? 土方君もいいでしょ?」

微かにそんな言葉が聞こえてくるが、斎藤とその上司の声は届かない。
接待だと聞いているから、あの女性がクライアントなのだろう。
よく見るといかにも大人の女性と言った感じの綺麗な人だ。
着ているスーツも上質で、酔っているせいか凄まじい色気を発散させている。
斎藤の人となりをよく理解しているなまえは、やきもちを焼くと言うのとは少し違うが、あんなふうに酒に酔って甘える行為の出来るその女性に、嫉妬に似た感情が湧きおこるのを感じた。

「わかった、行く」
「え、ほんと? ありがとう、なまえ!」

なまえはすっと目を背けると半ばやけくそのような気持ちで、二次会に向かうメンバーについて行った。


クライアントの女性とは取引が長く、呑みに付き合った事は一度や二度ではないが、彼女はどちらかと言えば男勝りな上、もともと然程性質の悪い酔っ払いというわけでもない。
平日ですからまた別の機会に、と窘める斎藤の言葉を受け入れ、二軒目に入った店を早々に切り上げてくれた。
帰り際なまえから送られたメールに気づきうっかり開いてしまい、それを覗き込んだ彼女は揄うように笑って斎藤を赤面させてから、綺麗に包装された小さな菓子の包みが渡された。
中身はよく解らないが、可愛い恋人にどうぞ、と言われうろたえた自分を思い出し自嘲の笑いが漏れる。
そう言えば明日は金曜日か、と時計を見れば23時近く。
この時間ならばまだ起きているだろうかと、シャワーを浴びる前にスマフォで彼女のナンバーを呼び出そうとした時、手の中のそれが震えた。
画面の表示はなまえだったが、しかし聞えてきた声は彼女ではなかった。

『あ、あの、もしもしっ、斎藤さんですか?』
「そうだが。これは、なまえの携帯からでは?」
『そうです、なまえが、大変なんです。あの、出来れば来て頂けませんか』
「…………?」

なまえの友人だという女性に指定されたカフェ風居酒屋に到着すると、青くなってぐったりとシートに凭れるなまえがそこにいた。

「酒を飲んだのか」
「いつもは飲み会に来ても、飲まないんですけど。何故か、今日は呑むと言い出して……」
「どのくらい飲んだ?」
「カクテル一杯だけですけど……、」
「そうか。なまえが面倒を掛けた。すまない」

なまえは眠っているようだ。
面識はなかったが斎藤のことを話に聞いていたなまえの友人は、彼の腕に抱き上げられたなまえに羨望の眼差しを送りつつも神妙に頭を下げた。

「私が強引に誘ってしまって。すみません……、」
「いや、こちらこそすまなかった。連絡をくれてありがとう」

謝る友人に穏やかな笑みを向け、タクシーで彼女を自分の部屋へ連れ帰った。
ほとんど意識の飛んでいるなまえに水を飲ませ、自分のTシャツに着替えさせベッドに入れると、額に掛かる前髪を避けてやりながら頭を撫でる。
思えば先日、酒を呑めるようになりたいなどと言っていた。
しかしこのような無茶をされるのは敵わない。
今日は早く帰宅出来たからいいようなものの、そうでなければなまえはどうなっていただろう。
これは少し説教が必要か?
やれやれと溜め息をつきながら斎藤はなまえをベッドに残し、シャワーを浴びに行った。


翌朝きまり悪そうな顔で目覚めたなまえは少し不機嫌だった。
昨夜はごめんなさい、と言いながらもいつもよりも口数が少ない。
斎藤は俄かに心配になる。

「具合が悪いのか?」
「そうでもない」

何か言いたい事がありそうで、ゆっくりと話を聞いてやりたいが、この日も斎藤の朝は普段通りだ。
体調があまりよくなさそうで、大学を休むと言うなまえに、このままここで待っていろと言い置くと彼は出勤していった。
掻い摘んで聞いた昨夜の事情は、なまえには消えたい程に恥ずかしく、飲めもしない酒に背伸びした自分が情けない。
酒のことだけでなく、子供っぽい自身の行動が余計なまえを惨めな気持ちにさせた。
脳裏に浮かぶ昨夜の女性。
彼女ならこんな事ないんだろうなと思うと、立派な社会人で大人である斎藤には、ああいう女の人の方が合っているのではないか、いい加減自分に呆れているのではないかとさえ思えてきて悲しくなる。
なまえは斎藤が出かけて随分経つのに、ベッドから出ないまま布団を顔まで上げて目をぎゅっと瞑った。
昼近くになまえのスマフォが鳴る。
ベッドの下にあるバッグに手を伸ばして拾い上げ、画面を見ると斎藤だった。

「もしもし、」
『今から帰る。大丈夫か?』
「別に……、」

切ったと思うと10分も経たずに帰って来た斎藤が、いつになく慌てた様子で寝室に飛びこむように入って来た。
駅を降りてから電話をしてきたのだろう。
なまえが驚いて起き上がると、日頃は口数の少ない彼が、ひどく心配そうな顔で矢継ぎ早に喋る。

「大丈夫か。もう少し横になっていた方がよい。腹は空いていないか」
「どうして……こんなに早く、」
「ああ、今日は急ぎの仕事がなかった故、切り上げてきた」

こんなに慌てたような斎藤は初めてだ。
彼は朝のなまえの様子が気になって仕方がなかったのだ。
帰宅してみれば食事も摂っていない。
全開になったドアからなまえの為に用意された朝食が、ダイニングテーブルの上にそのまま残されているのが見えた。
一度もベッドを出なかった為、彼女はそれにすら全然気づかなかった。
拗ねていたなまえは斎藤の思いやりに涙が零れて来る。

「ごめんなさい……」
「昨夜、何かあったのか?」
「……やきもちを焼いたの、私。昨夜はじめさんのこと見かけて、ヤケ酒したの。だって、お酒に酔った色っぽい女の人といて……、」

斎藤が少し驚いたような顔をした。

「見ていたのか。だがあれは……、」
「ごめんなさい、仕事だって解ってるの。だけど、あのお店から出てきたから……少し悲しかったの」

彼はベッドに座るとなまえを引き寄せ、涙を指先で拭った。

「すまない。俺がきちんと話せばよかったのだな。あの人はあの店のオーナーだ。土方部長の友人でな」
「え……、」
「彼女を連れて来るように言ってくれたのは、あの人だ。ああ、そう言えば…、」

斎藤がキッチンから可愛らしい小さな包みを持って来るとなまえの手の上に載せた。

「これを。なまえにだそうだ。店で客に配る試供品らしいが」
「開けていい?」

涙の名残を残したままのなまえが目を輝かせる。
その様を微笑ましく見つめる斎藤にも見えるように、彼女はリボンを解いて包装紙を外した。
中から可愛らしい小箱が現れ、チョコレートと洋酒の香りが微かに漂う。
蓋を開ければ個包装されたお菓子が詰まっていた。
斎藤が覗き込む。

「これは、ボンボンショコラみたいなものか」
「可愛い」

なまえが一つつまみあげ指先で包装を開くと、濃厚なチョコレートの香りとリキュールの甘い香りが鼻を擽った。
斎藤が包装紙に貼られたシールを読んでいく。

「lampone? ラズベリーのリキュールが入っている。酒だからなまえには無理だ」

そう言ってから斎藤が少し赤くなった。
彼が見つめているシールには大きな文字でこう書いてある。

“Il dolce è tu”

「これ、どういう意味?」
「…………、」
「ねえ、教えて? なんて書いてあるの?」

答えず斎藤はなまえの手にあった一粒を口に含み、突然肩を抱き寄せたかと思うと唇を寄せた。

「…っ、ん、んんっ、」

斎藤から口移しされたチョコレートとリキュールが口の中で蕩ける。
お酒なのに、文字通り蕩けるように甘い。
酔いそうなのはアルコールにか、斎藤になのか解らない。

「……こういう、意味だ」

少し含み笑いをしてなまえを見つめると、彼女の目の縁が赤く染まり頬が上気して来る。
再びボンボンショコラを口にした斎藤がなまえに口づける。
お互いの間を行ったり来たりしていたチョコレートとリキュールが、いつしか喉の奥に飲み込まれ消えて行っても、今度は彼は唇を離そうとしなかった。
合わさった唇はどんどん深く繋がり、気がつけば二人してベッドに沈んでいく。
やがてなまえのTシャツの中にそっと手を滑り込ませながら、斎藤が耳元で囁く。

「Il dolce è tu……(デザートはあなた)」
「……んんっ……え? ……ぁあ、」
「Innamorato dolce……(甘い恋人)」
「なんて……言ってる、の……」
「主菜がまだだが、先になまえが欲しくなった」

斎藤はそう言って妖艶に笑った。


2013.07.05




MATERIAL: SUBTLE PATTERNS / egg*station

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