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君の為に強くなる


この呉服屋に通い初めてもう何日になっただろうか。
目に留まったのは白地に藍色の暈かし、夏の花が描かれたいかにも涼しげな美しい絽だった。
白と藍色だけなのに色の置き方でこうも華やかに見えるものかと、そして同時に脳裏に浮かんだのはなまえの姿だ。






前年の八月の政変で壬生浪士組の活躍が孝明天皇の耳に入り、武家伝奏の通達で会津公より新選組の隊名を賜る。
直後朝廷による市中見廻りの任を命じられ、新選組はその立場を認められることとなった。
六月の初め、池田屋で隠密に行われた長州による謀り事を取り締まり、慌ただしい動きがあったものの一先ず落ちつき俺達は通常の隊務に戻った。
今にも雨の降りそうな巡察の帰路、商家がゆったりと軒を連ねる辺りに差し掛かった時。
湿気を帯び霞んで見える風景の中、俺の目に鮮やかな青色が飛び込む。
その呉服屋には折よく人の出入りもなさそうだったので、伍長に所用を告げ隊士達を先に帰営させて独り店に寄った。
幾つもの撞木に掛けられた反物の中で、やはりこの藍の絽が一番美しく目を魅く。
池田屋事変の働きで俺の懐は常よりも潤っていた。


副長の親戚筋に当たるなまえが祐筆として勤めて半年程経つ。
副長が目を光らせている限り安易に近く者はおらぬだろうと、日常の家事を取り仕切ってくれる関係から彼女は屯所に居を置いている。
しかし暗黙の禁忌を破り近づいてしまったのは、あろうことかこの俺だった。
女子に関心などまるでなかった俺が初めて惹かれた女、信じ難いがそれは一目惚れであった。
日々を共に過ごすうち互いに憎からず思っている事を知ったが、はっきりと告げられぬ俺のせいで長く曖昧な間柄が続いた。


池田屋から戻った夜俺は意を決し、真っ直ぐになまえの部屋に向かった。
夜分遅く不躾であろうことは重々承知だが、一仕事終えた高揚に今なら気持ちを告げる事が出来るやもしれぬ。
想いに突き動かされ居室を訪えば彼女は迎え入れ、巧く言葉を紡げぬ俺が伸ばした腕に身を任せてくれた。
長い睫毛に縁どられた大きな瞳のふちを朱に染め潤ませて、俺を見つめるなまえ。
彼女とやっと通じ合えた想いに、心の底から打ち震える様な喜びを感じた。


彷徨わせていた視線を目の前の反物に戻す。
常は艶のある長い髪を少年のように結い上げ袴姿で仕事をするなまえであるが、これで夏の着物を仕立てて着せたらどれほど綺麗だろうか。
来月の初めから祇園祭が始まる。
絽の着物を纏った彼女と、連れだって祭りにでかける様をまた暫し夢想していた。


ふいに遮られた思考はその娘の声のせいだった。
ゆっくりと顔を向ければ奥から姿を見せたのはまだ年若い娘。

「お座りになってはいかがですか。お武家さま」

このような商家で帳場に座っているのは、大抵初老の店主や女将だと思い込んでいた俺は少なからず驚く。
そして暖簾の脇に随分長く立ち尽くしていた事に気づいた。
格子戸が全て開け放たれ、濃紺の暖簾を掛けた店先から改めて中を眺めやれば、腰ほどの高さに六畳分ほどの畳が敷かれ奥行きは存外に広い。

「お気に入られたお品がありましたか?」

彼女の目が俺の浅葱の隊服を掠める。
壬生浪と呼ばれていた頃から京の町で恐れられていた俺達は、顔見知り以外の商家に出向くときは隊服を着ないのが常だった。
池田屋以来朝廷や幕府に認められはしたものの、町人は余計に新選組を恐れるようになっていた。

「いや、見ていただけだ」
「お急ぎでないのでしたら、ごゆっくりご覧になってくださいな」

新選組を恐れない若い女もいるものかと思い、少し目を見開いて娘を見た。
なまえと同じ年頃か、いや少し下か?
恋仲に反物を贈るという行為自体に照れのある俺は、その応対をこの娘にされるのが何となしに気恥ずかしかった。
じっと俺を見つめるこの娘に見透かされているのではと思うと、顔に熱が上ってくる。

「……また、後日に致そう。邪魔をした」

思わず踵を返し、店を後にする。
しかしそれ以来俺はその呉服屋に、三日にあげず通う羽目になった。
藍の絽を毎回目の端に移しつつ、それを購う事が出来ないのだ。
足を運ぶ度に夏の足袋の代えや、男物の漆黒の駒絽などを見ては茶を濁す。
それなりに値が張るせいか藍の反物は粛然と撞木に掛かったままであったが、いつ売れてしまうとも限らず内心焦れた。
なまえ本人を連れて出向けば話は早いが、心を通わせた記念の品として贈り、驚き喜ぶ顔を見たいと思っていたのだ。


それにしても、いつも出て来るのはこの娘だ。
何の不手際もない娘に店主と代われと言うわけにもいかぬ。
不手際どころか娘はいつも愛想よく俺に相対し世間話をしてきたり、近頃では茶や菓子まで振舞ってくるようになった。
茶を喫する事はさすがに辞退したが、無下にも出来まい。
娘の視線に特別な感情がこもっていた事など、その時の俺はまるで気づかなかった。
暫し話に相槌を打って頃合いを見計らい、藍の絽に後ろ髪を引かれる思いでいつも座を立つのが習いになった。
全く融通の利かぬ自身に腹を立てつつも、如何にしてもなまえの絽を手に入れられずにいた。






はじめさんは近頃よく留守をする。
目立つ程に屯所を開けると言う事はないけれど、巡察から戻る三番組の隊士の先頭にいつも立っていた彼が、所用があると言っては一人だけ随分遅くになって戻ったりするようだ。
私が歳さんの仕事を片づける間、非番であれば同じ部屋で刀の手入れをしたり静かに書物を読んだりしていたのに、近頃はいそいそと出かけて行く。

「はじめさん、今日もお出かけ?」
「あ、ああ、一刻程で戻る故、」

律儀な彼は私に一声かける為に必ず顔を出す。
寂しいなんて女女した感情は好きじゃないから、いつもさっぱりと見送るようにしていたが、何故だろう、今日は突っかかってしまった。
歳さんに頼まれた書き物が山のように積み重なり少し憂鬱な気分でいたところに、なんだか嬉しげな顔で現れるはじめさんがまた外出の形をしていたからだ。
それがどうも面白くなかった。
だいたい私達はついこの間想いを通い合わせたばかりなのだ。
以前よりも共に過ごす時間が減ってしまうなんて、おかしな話じゃないかと思う。

「このところ、随分お忙しいのですね。どちらかお通い処でも出来たのですか」

何を言うのだ、とすぐさま否定の言葉が出るだろうと待てば、意に反し彼は落ちつかない様子で目を泳がせた。

「…………」
「……え?」
「……すまない。すぐに戻る故……その、行って来る」

歯切れ悪くそれだけ言った彼は、そそくさと部屋を出て行ってしまった。
…そんな、まさか、嘘でしょう?
私は暫し呆然と彼の出て行った障子戸を見つめていたが、ふと文机に目を戻すとそこにはうず高く積まれた紙の山。
取り敢えずこれを片づけなくては。
苛々した気持ちを抑えつけて、眼前の仕事に没頭した。


「ねえ、酷いと思いませんか?」
「そりゃ、お前……、」

歳さんは少し困ったような、どこか可笑しそうな顔をした。
重い書類の束を運んで来て早速、私は心に溜まった苛々を、一気に歳さんにぶつけたのだ。
笑を滲ませた声で歳さんが言う。

「まあ、お前の気持ちもわかるがな、奴がお前意外に女を作るような、そんな器用な男だと思うか?」
「それは、まあ、思いませんけど……でも、人はみかけによらぬものと言います。私、確かめに行きますから」

言い募る私に歳さんがため息をつく。

「はあ……、黙ってりゃそこそこ美人なのになぁ。おめえは誰に似たんだ、その気の強さは」

歳さんは彼との付き合いを、初めから知っていた。
というより私はずっと前から彼に思いを寄せていて、それを歳さんに相談していたのだ。
それをはじめさんは知らない。
別に知らせても構わないのだが歳さんが知っていると気づけば、彼が引いてしまうのではないかと思ったからだ。

「此処は一癖も二癖もある奴ばかりだが、斎藤は別だ。純というか、とにかくあいつなら問題ねえ。選ぶなら斎藤にしろ」

歳さんは私がここに来るなり言った。
言われるまでもなく私はすぐに彼の愚直で純真で誠意のある人柄に気づき、その不器用さにさえも魅かれていったのだ。
歳さんはすっと立ち上がり障子戸を開け放った。

「島田はいるか」

大声で呼べばすぐに島田さんが現れる。

「お呼びでしょうか」
「ああ、非番の所を悪いがな、こいつを越後屋に連れてってやってくれねえか」
「はい、承知しました」
「向こうには恐らく、斎藤がいる筈だ。こいつを引き渡してやってくれ」

はじめさんが行き先を歳さんに告げていた事を、逆に知らなかった私は目を丸くした。






今日こそはと心を決め、変わらずそこに鎮座する藍の絽に目を向けた。
先程出がけに声をかけたなまえの態度は、何か誤解でもしているのか穏やかでなかった。
痛くもない腹を探られるのは御免だ。
娘相手に恥ずかしがっている場合ではあるまい。

「この、反物なのだが、」
「はい」
「仕立ててもらえるか」

今日も今日とて俺にぴったりとつき添った娘に反物を購う意思を告げる。
何故か娘が頬を上気させた。
言い終えてほっと息をつき脳裏になまえの姿を思い浮かべ、これに合う簪もあればいいなどと考えたのも束の間、娘の口から出た言葉は意外だった。

「ずっとこの反物をご覧になっている事、知っていました」

そうだったか。ならばもっと早くに言えばと思い掛けるも、次の言葉には滅多に物に動じぬ俺さえ腰を抜かす程に驚いた。

「でも……あの、私などが頂いても、よろしいのですか」
「……は?」

言葉の意味が掴めぬ。
娘は撞木から藍の絽を静かに外し自身の肩に当てて見せるではないか。

「お武家さまがいつ、仰ってくださるのかと、私……」
「あ、あんたは、何を……?」

空いた口は塞がらず、二の句も次げずに絶句した。

「私も、お武家さまが初めて見えた日より、お慕い申し上げておりました……」
「…………?」

俺の思考が霧散しかけたその時だ、背後から冷ややかな声を掛けられたのは。

「そういうことだったのですか」

自身がここまで動揺したのは生涯初めてではないかと思う。
振り向かずとも解る、それはなまえの声だった。
首元の白い襟巻が乱れるのも構わずに、うろたえ慌てふためいて振り返った俺の様子に、島田が驚愕の目を向けた。
隊内では冷静沈着、感情を顕わにしない事で通っている俺だ。
当の本人の俺でさえ自身の慌てようが俄かには信じられぬほどだ。

「な……何が、そういうこと……だ、」

俺の掠れた言葉になまえは答えず、低く淡々とした声で言った。

「私は恋に縋る女でいたくなどありません。殿方のお心が離れてしまっては致し方ないと思っています」
「待て、何を言っている……お前は……」

俺を無視したなまえが娘に向き直れば、娘も呆然となまえを見返していた。

「時にあなた。この方がどういったお立場の方かご存じですか?」
「はあ、」
「この方は新選組の副長助勤、三番組の組長です」
「はい、」
「町人や商人の殿方と違い、常に命の遣り取りをして生きています。お覚悟はできているのですか?」
「…………、」
「何を言い出すのだ、なまえっ」

焦る俺の声も聞こえぬかのように、なまえは話し続けた。

「女も覚悟を持たなければ、この方の傍にいる事は出来ませんよ。いつだってこの方の身を案じ、それでもこの方の武士としての、生き様を……信じて……例え己の身に、何があろうとも、邪魔をしては……ならない、」

なまえの瞳にみるみるうちに大粒の涙が盛り上がっていき、ぼろぼろと零れ落ちた。
娘は固まったままもう、何も言わない。

「なまえ、聞け、俺の話を!」

肩を掴もうとした俺の手は振り払われ、なまえはしゃくりあげながらきっぱりと言い放った。

「その覚悟が、おありなら、私、私は、喜んであなたに、この方を、譲ります……っ!」
「なまえっ、お前は何を勝手な事を……っ!」

彼女は一瞬だけ俺に視線を当てると、くるりと踵を返しいきなり走り出した。

「待てっ、なまえっ!」






祇園囃子の独特の節回しが流れて来る。
七月に入り祇園祭が始まった。
彼女は清楚な結い髪に藍色の美しい絽の着物を纏い、真珠のように白い光沢のある紗の帯を身につけている。
俺は豪奢な山鉾の飾りを、睦まじく寄り添うなまえと共に眺めていた。
目を輝かせた彼女の横顔をそっと見つめ、俺の頬は自然に緩む。

「あの時は、参った」
「……え、あの時って、」
「とぼけるな。凄い剣幕だっただろう」

思い出したなまえの頬が、一気に真っ赤に染まる。
それがまた愛らしい。

「あ、あれは……っ、」
「人の話も聞かずに」
「あ、あの時は……すみませんでした……。でっ、でもはじめさんがいけないんですよ、私に隠し事をするから……」
「ああ、そうだな。すまなかった、」

俺はつい喉の奥で笑ってしまう。
その後の島田の話では呉服屋の娘は勘違いを痛く恥じていたらしく、後日仕立てた藍色の絽の着物を届けてくれる際、詫びにと紗の帯をつけて持ってきた。
さすが呉服屋の娘が見繕っただけあって、藍色によく似合う白い帯をなまえが一目で気に入り、俺は苦笑しつつその代金も支払った。
花が綻ぶように嬉しそうに笑ったなまえの笑顔を、生涯忘れないだろうと思った。
少年のような袴姿も似合うが、今日のなまえは本当に綺麗だ。
普段は重い俺の唇からなまえへの気持ちが零れていく。

「だが、お前の言葉、嬉しかった」
「え?」
「お前のおかげで、俺はどのような敵にも負ける気がせぬ」
「ふふ、それははじめさんが強いからですよ」
「お前が俺に、強さを与えてくれる」
「買いかぶり過ぎです……よ?」
「どのような任務であっても、お前の為に必ず生きて帰ろうと思う」
「私が頼りないから? 慌て者だし、」
「解っておらぬな。お前以上の支えはないだろう?」

真っ赤に染まった頬を優しく撫で、彼女の肩を抱き寄せた。

「お前のような女には出会った事がない。恐らくこれから先も」
「はじめさん…、」
「凛としたお前には藍色がよく似合うな」

笑んで細い身体を抱き締めれば自身の声が蕩ける様に甘く感じ、俺の頬にも熱が上っていくのを感じた。



2013.06.25




MATERIAL: SUBTLE PATTERNS / egg*station

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