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 beginning of a new year


閉じた瞼の上からも眩しく感じる光に顔を顰め、枕元に手を伸ばし無造作に放ってあった腕時計を探り当て掴み上げる。薄く目を開いて文字盤を確かめれば、短針が左斜め上を向いており俺は反射的に跳ね起きた。
カーテンのかかった窓から入る冬の陽は、昇ってからかなり経つことを教えている。
自分の髪に片手を差し込み掻き毟りかけて自室のベッドにいる事に気づき、今日が近年珍しくも取れた休暇3日目であり元旦であることを、覚醒し始めた俺の脳がやっと認識する。
夢を見ていた。納期を控えた案件でシステム障害を起こした夢だ。何も問題はない筈である。年内の仕事は全て終えて休暇を取っているのだ。
眠ったのは明け方だった。ここ数年慢性的に疲労を抱えていた身体は、目を閉じれば直ぐに眠りに入れるようになっていた筈だが、昨夜は例外だった。身の裡を駆け巡る想いに昂ぶり、ベッドに仰向けになっても一向に眠りはやって来なかった。
今から9時間ほど前の出来事が甦る。
なまえの指に触れた。彼女の濡れた琥珀の瞳が俺を見つめ、唇が告げた。

“お誕生日、おめでとう、はじめ”

俺はなまえの指を握り締め「ありがとう」と答えるので精一杯だった。
その後の沈黙は直ぐに破られた。

「何をしている? 寒いところで」

なまえが弾かれたように手を解いて俺から離れる。呑み過ぎた父が小用に立つ為に廊下へと出てきたのだ。酔いの回った目をした父は、向き合って立ち尽くす俺達を特に不審に思った様子はなかったが、何の意図もなくかけられた声に僅かな時間は終わりを告げ、俺は結局何も言うことが出来ず仕舞いとなった。
なまえに「明日、話したい」とやっと告げたのに、時間の約束をすることもスマフォの連絡先を聞く事も出来ていない。一体俺は幾つだ。可笑しい程に、彼女の前で俺は何も変わっていない。この七年生きた分歳だけは取ったが、肝心な時に伝えたい事を的確に伝えられないところはあの頃のまま、何も成長してはいなかったのだ。
隣家へ帰っていくなまえ達を結局見送る形になったが、その後自室に引き上げて明け方までまんじりともせずに暗闇の中で目を凝らしていた。眠ったのは3時間程か。なまえはもう起きているだろうか。一度起こした身体を再びドサリとベッドに沈めたところで、ふいに部屋のドアが外から開かれ緋紗子が入ってきた。

「いい加減に起きなさいよ。お父さんがお屠蘇の用意して待ってるわよ」
「断わりもなく入ってくるな」
「何ですって? 起こしに来てあげたのに、あんたって元旦早々失礼な子ねぇ」

眉を寄せた姉を見返してあんたもだろうと思いながら身体を起こせば、薄く開いたドア越しに階下でインターフォンが鳴る音、母が玄関に走る音に続いて賑やかな人声が聞こえた。

「あ、なまえちゃん達だ。さっさと降りてきなさいよ、一」

命令口調で言い置き出て行く緋紗子の背を見送り、俺はベッドの上で固まったまま暫く逡巡していた。





話があると言ったのに彼はなかなか口を開かない。高く昇った陽が降り注ぐ長閑な元旦の昼下がり。
この沈黙がどこか心地よくてそして少し照れくさくて、私の方も何も言い出すことが出来なかった。隣を歩いているのが一なのだという事実が私にはまだ少し信じられない思いで、ちらりと左側を盗み見る。黒いショートコートにタイトフィットチノと黒スエードのチャッカブーツという姿の彼は、カジュアルなのにスタイリッシュで、あの頃とは違う大人っぽさに自然と頬に熱が上ってくる。
駅で落ち合ったのに電車には乗らず何となく並んで、お互いに向かう先も解らないままにただ歩き続けていた。
元旦は毎年、お節料理とお雑煮を前に家族でささやかに新年の寿ぎを祝い、午前のうちにお隣へご挨拶に行くか来てくれるかが恒例で、大抵どちらかの家で父達がお酒を呑み始めるのもまた恒例だった。
両親といると言うのに斎藤家の玄関先に立った時、何度も思い起こした昨夜の一との短いやり取りがまた思い出されて、どうしようもなく頬が緩んだ。
大晦日から新しい年に変わる瞬間を思いがけず二人で迎えた。顔を正面から見て話したのは7年ぶりだったけれど彼は穏やかな目をしていた。握られた指先の感触もはっきりと覚えている。改めて話をしようと言ってくれたよね。過去のわだかまりが融けていくような気がした。
そんな事を考えていた私は一が出て来なかった事に少しがっかりしてしまい、既に上がり込んでしまった父、おばさんや緋紗子ちゃんと話し込む母を残して独りで家に戻ろうとしたのだけど。緋紗子ちゃんが階段の上に向かって大声で一を呼んで、下りてきた彼は寝起きだったみたいで何か切羽詰まった表情をしていて、私にだけ聞こえる声で「14時。駅」と言ったのだった。
約束まではたっぷり時間があったのに家を出るギリギリまで、まるで初めてのデートに向かう少女みたいに着るものに迷い続けた。結局なんだか納得のいかないコーディネートになってしまい、でもコートを着るんだしいいかなと慌てて家を飛び出した私は、挙句に手袋を嵌めてくるのも忘れるくらい舞い上がってしまっていた。
取り留めもなくいろいろな事をぐるぐると思い出しながら、無意識にじっと左に見惚れていたらしい。視線に気づいてふとこっちを見た一と目が合えば、彼は何故か急に赤面した。つられて私の頬はもっと熱くなる。
顔の熱とは裏腹に冷え切っていた手の甲が一の右手と意図せずに触れ合う。彼は驚いた様にいきなり私の手を掴んだ。

「……冷えている」
「あ、平気、」
「慣れていない。こういう時どうすればよいのか……、どこか店へ入るか?」
「大丈夫だよ?」

店へ入ると言っても駅から外れた郊外のこの辺りで、元旦から開いている店なんてそもそも見当たらない。
恋人繋ぎとかじゃなくて無造作に掴んだまま、手を離さずに彼は歩き続ける。
幼い頃に数えきれない程繋いだ一の手は、柔らかくてぷくぷくとした子供の物だった。ずっと知らなかった。当たり前のことだけど気づかなかった。私達はもう大人で、一の手がこんなに大きいんだってこと。
懐かしい気持ちと面映ゆい気持ちの狭間で、そんなに温度が高くない彼の手に包まれた私の手だけでなく、心までも温まっていく。
ぽつりぽつりと交わし始めた会話は核心には届かずに他愛のないことばかり。あんなところにマンションはなかったよねとか、ここは昔公園だったねとか、目に映るものを言葉にすれば一が微笑みながら短く答えるだけなのだけど、それでもこんな時間が再び過ごせるなんて昔に戻ったみたいで、私はとても幸せだった。
そして自分の中に改めて芽生える確かな想い。
ねえ、一。
私、あなたを好きでいていいのかな?





俺の休暇は今日までだ。急ぐ案件はないのだが一つ確認事項がある為、明日は出勤しなければならない。
なまえの手を掴み歩きながら刻々と時間が経っていく事に俺は内心酷く焦っていた。
何からどう伝えたらいいのか、この気持ちを。何年も考えてきたことが言葉にならない。
女性に恋心を告げたことなど、生まれてからただの一度もないのだ。
隣にいるなまえは今の俺にとって、幼い頃から共に育った幼馴染みである事実以上に、恋い焦がれ続けた存在であるという認識が強くなっていた。
全く可笑しなことだと自嘲するしかないが、どうしたらよいのかが本当に解らずに俺はずっと緊張している。思わず掴んでしまった手をどうすべきかも解らずに歩き続ける。
だがどうしても今日のうちに想いを全て伝えたい。素面ではとても無理だ。日没にはまだ間があるが、どこか酒を呑める店に入りたいとまで考えていた。
隣のなまえを見遣る。あの頃とは違う女性らしさを身に着けた彼女は白いコートがよく似合っている。昨夜見つめ合ったことが信じられぬほどに眩しく、正月とは言えいきなり酒場に入るなど彼女に失礼に当たるようにも思える。逡巡は深まるばかりだ。ふいになまえが言った。

「ねえ、あの神社覚えてる?」
「俺達が迷子になった神社か」
「一が泣いちゃった神社だよ」
「俺は泣いていない」
「ふふ、どっちでもいいよ。あそこへ行ってみない?」

幼い頃に一度だけ二家族そろって初詣に行った神社は、家から歩いても程ないところに位置しており、20年近くを経ても変わらぬ佇まいでそこにあった。
拝殿には『初詣 神田明神』と幕を張っているが、元旦と言っても地元の氏子くらいしか訪れない氏神神社の人出は夜程ではないようだ。
小学校に上がったくらいの頃だったかある年の大晦日、酒に酔った父親たちの思い付きで歳の変わる夜中に出かけたことがあった。普段静かな神社はいつもと風情が違っており、こじんまりとした屋台が幾つか出ているのにはしゃいだ俺達は手を繋ぎ、制止も聞かずに走り出して人混みに紛れ気づいたら家族とはぐれてしまった。
探せども両親達は見つからず不安に駆られつい涙が浮かびそうになった時、なまえの瞳に雫が盛り上がり始めたのに気づき必死で自分を抑えた記憶がある。なまえを俺が守らねばならぬと幼心に思ったのだ。

「俺はやはりあの時、泣いてなどいない」
「そうだったっけ?」
「泣いたのはなまえだ」

悪戯っぽく含み笑うなまえを見ているうちに、先程までの緊張が少し解けてくる。
手水舎で手と口を濯ぎ、賽銭を投じ鈴を鳴らして二人並んで拝礼をしながら、俺は再びなまえと共に此処に詣でることが出来たことを心から感謝した。傾きかけた陽を浴びて手を合わせるなまえの横顔を見ながら、今なら何もかもを話せる気がした。なまえが目を開けて感慨深げに辺りを見回す。

「懐かしいね。昔は小さかったから大きく見えたよね、この神社」
「ああ、」
「あ、あそこ。甘酒を配ってる」
「なまえ……っ、」

子供のように走り出しそうななまえの手を思わず掴んで引いた。振り返る彼女の瞳が俺を見つめ返す。
鮮明に甦るのは初めてキスをした日の事だ。あの時と変わらない大きな瞳は琥珀色で、薄く開いた唇は桜色をしていた。一つだけ違っているのは、俺の勘違いでないとしたならば、そしてそれは希望がそう感じさせるのかもしれないが、彼女はもう俺を拒んではいない。
だから。
好きだ、と一言。
それだけでもいいから、今。
至近距離まで引き寄せたなまえの瞳の奥まで食い入るように見つめたまま、俺の口から漏れたのは情けない程に掠れた声だった。

「なまえ、俺は、」
「……、」
「俺は、ずっと、」

ブーッ、ブーッ、ブーッ。

「……、」

ブーッ、ブーッ、ブーッ。

「……、」
「鳴ってる、スマフォ」
「……ああ、」

唐突に鳴り出したバイブレーションの音は静かな拝殿で殊更に響き渡る。俺のコートのポケットの中に収まっていたそれは忌々しい程に存在を主張し続ける。
何故、今なのだ。
しつこく鳴り続けた音は一度止んでから、やり過ごすことを許さないとばかりにまた鳴り出した。
諦めてなまえの手を離し、溜息と共にスマフォを取り出してみれば、画面に表示された名は永倉と言って、高校の時の剣道部の仲間だった。

『よう、斎藤。正月休みが取れたんだってな』
「誰から聞いた」
『お前んちに電話したら姉さんが出て教えてくれたぜ。もう皆集まってるからよ、今年はお前も来いよ』

緋紗子の顔を思い浮かべ、俺は舌打ちしたいような気持になった。





強い光を湛えた藍色の瞳に見つめられ、掴まれた手首から伝わる熱は直ぐ様全身に広がっていき、信じられないくらいに鼓動を速めた心臓の音が聞こえてしまうんじゃないかと思ったその時、一のスマフォが着信を知らせた。
私はホッとしたような少し残念なような複雑な気持ちで通話をする一を見ていたけれど、話しながら時々私に視線を走らせる彼の表情はみるみる曇っていった。
電話を切った後心なしか肩を落とした一は何度も「すまない」と繰り返したけれど、こればっかりは仕方がないと思う。高校卒業以来毎年行われていたらしい剣道部の新年会に、休みの取れない一はここ数年出られなかったんだし。

「気にしないで。少しでも一と話せてよかった」
「俺はまだ……、いや、もう陽が暮れる。なまえ一人では」
「子供じゃないよ、私。ここからなら家も近いから一人で帰れるよ」
「……よければ、なまえも共に行かないか」
「え、でも、私、剣道部の人達をよく知らないし……」
「きちんと、その……、紹介する」

一が在籍した頃の剣道部員の人達の顔は何となく解っていたけれど、完全な部外者だからと遠慮する私を、いつになく熱心に誘う一にほだされる形で結局着いて来てしまった。
冬の日暮れは早くポツポツと外灯が灯り始めている。
駅の裏手にある小奇麗な居酒屋は彼の先輩に当たる永倉さんという人の実家らしく、お店の営業を休んで剣道部の新年会の為だけに開けているのだろう、表に暖簾が出ていない。
気後れした私が「やっぱり帰る」と言えば「こんな暗い中を帰せるか。ならば俺も帰る」と言い出す一と小さく押し問答になってしまう。
そこへ目の前の白木の格子戸がカラリと開いた。

「店の前で何やってんだ、早く入れよ……ってなんだよ、随分綺麗な子連れてるじゃねえか?」
「左之、」
「斎藤が彼女を連れて来やがったぜ!」
「おい、左之!」

左之と呼ばれたその人は中に向かって大声を張り上げながら、狼狽する一と私の後ろに回り背をぐいぐい押した。
清潔な雰囲気の店の中では既に和やかに新年会が始まっていたらしく「久し振りだなぁ、早く座れよ、斎藤も彼女さんも!」カウンターの中に居る体格のいい人がにこやかな声をかけてくると、取り囲むようにめぐらされたカウンター席に座る皆が一斉にこちらを振り返る。
皆が一に向かって「おう、斎藤」とか「一君」とか「元気だったか」とか歓迎の声をかけてくる中で、ガタッと椅子を大きく引いて一人が立ち上がった。

「君……なまえちゃん?」
「総司、」

一が彼に反応したけれど私の目は沖田君ではなくて、一番奥の席に座っていた女の子に釘付けになった。忘れもしない彼女の昔と変わらない綺麗なピンク色の唇が、鈴を転がすような愛らしい声でカウンターの中に向かって言ったのだ。

「やだ、永倉さん。みょうじ先輩は斎藤先輩の幼馴染みで同級生だけど、彼女なんかじゃないんですよ?」
「なんだ、そうかよ。え、斎藤の同級? こんな美人いたっけかあ? それにしても羨ましいぜ、斎藤よお」
「ほんとですよね。幼馴染みってすごく憧れちゃいますね」
「千鶴ちゃん……?」

その場に固まる私に改めて向き直った千鶴ちゃんは昔よりずっと綺麗になっていた。“幼馴染み”という言葉を強調してからゆっくりと立ち上がり、私を見てにっこり微笑んだ。

「はい、ご無沙汰してます。お久しぶりですね、みょうじ先輩」



This story is to be continued.




MATERIAL: SUBTLE PATTERNS / egg*station

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