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 01


カラリッ!

「斎藤さん? 入りますよ〜」
「な……なっ、まっ……待て……っ」
「な、でも、ま、でもないですよ? わたしの名前はみょうじなまえです。おはようございます、斎藤さん。あれ、どうされたんですか?」

それは早朝の事だった。
本日は迂闊にも少々寝過ごしてしまったのであるが、そこのところはそう大した問題ではない。俺は朝稽古に出る為に慌ただしく身支度をしているところである。……で、あるのだが。
何の躊躇いもなく大きく開かれた障子戸。昇りかけた清々しい朝日を背負ったなまえは、敷居際に立ったままきょとんとしている。夜着の前を思い切り広げた姿を、しっかりと対面で見られていた。狼狽えてまるで女子のように前を掻き合わせる俺から、目を逸らすこともせずになまえは大きな目を見開く。そうかと思うと徐にこちらに手を伸ばした。

「な……な、何を……っ、」
「いえ、何だかお顔が赤いみたいなので、熱でもあるのかと」

後ずされば俊敏な動きで壁際に追い詰められ、なまえの手が俺の額に当てられる。至近距離に彼女の濡れたような琥珀色の瞳が迫り、今度は心の臓が尋常でない拍動を始め、じわりじわりと身体の芯が発熱する。
「熱はないようですね? どうしてお顔が赤いのでしょうか」と言いながら小首を傾げる様が小面憎い。熱を感じるのは額ではないのだ。打ち破らんばかりに騒ぐ、胸の苦しさも如何ともしがたい。
そもそも年頃の娘が男の寝間を朝早くに訪れるとは、一体どういうつもりなのだ。断わりもなく障子戸を開け放ち(正しくは声を掛けていたが言葉と共に開けたのであるから断っていないも同じだ)、その上身体に触れてくる。この娘は何を考えているのか。
素早く身を躱し視線を彷徨わせながら背を向け、俺は努めて平静を装った。しかし眼前は壁である。軽く咳払いをして、半顔だけ振り返り殊更に重々しく言ってみる。

「とにかく出てくれぬか。着替えが出来ぬ」
「そんな、斎藤さんたら女の子じゃないんですから。あっち向いていますから私は平気ですよ? 早く着替えちゃってくださいね」
「…………っ」

あんたがどちらを向いているかが問題なのではないのだ。
こちらの動揺など気にも留めずに、涼しい顔をして言ってのけるなまえには、これ以上どう応えていいのやら俺には解らぬ。
なまえが屯所に来てからと言うもの、俺の心は千々に乱され通しである。
現れ方は極端に特殊であった。
今よりもまだ気温が低く春の浅い時期、思えばあれも早朝だった。あの朝の事は忘れようにも忘れられぬ。開け六つを幾分過ぎ、もう間もなく眠りから覚めようという俺の上に、小さな悲鳴と共におよそ常人には思いもつかないものが降ってきた。
衝撃に跳ね起きれば腕の中にいたのは小柄な女。意識が目覚めるよりも先に身体が反応し、抱き留めてしまったものらしい。
俺は常の鍛錬により反射神経を鍛えている上、少々のことには動じない精神力も養われていると自負していたが、その時ばかりは驚愕に見開いた眼も唇も、暫し開いたままだった。
なまえは”未来”から来たと言った。
未来とは読んで字の如く”未だ来ぬ”時という事であろう。俄かには信じられぬ話ではあったが、”平成”とやらいう時代から時を超え、この文久四年にやってきたと言うのがその弁だ。その朝の内に直ちに新選組の幹部のみで、極秘裏に検証が行われた。要するに副長の部屋に集まり、皆一様に口を開け呆けた面をしながら、なまえの荒唐無稽な話を聞いたという次第であるが、どうやら彼女は偽りを言ってはいないようだと判断される。となるとなまえには何処にも行き先がない。ここに於いてなまえは屯所の下働きとして、この新選組に身を寄せることと相成った。

「お前んとこに落っこちて来やがったんだ、お前が面倒見てやれ」

副長は至極当たり前と言うように決定事項を告げた。グッと詰まるも咄嗟に拒否の言葉が思いつかぬ。即時空いていた俺の隣室を宛がわれた彼女の、監視と言う名の世話役を請け負う仕儀になったと言うわけである。
現れた時は見たこともない面妖な衣服を身に着けて居たなまえであるが、屯所の風紀上彼女は男のなりをせねばならない。
のんびりと中庭を眺めるなまえは、陽に透けるような淡い色のしなやかな髪を後頭部の高いところに結い上げ、東雲色の着物に灰白色の袴を着け凛々しい男子のような姿をしている。
俺は僅かに落ち着きを取り戻し、なまえが向こうを向いているのを確かめ、手早く着替えを済ませると「もうよい」と声を掛ける。振り向いたなまえは無邪気な笑みを浮かべた。

「このような早朝から、あんたは一体何をしに、」
「え、忘れちゃったんですか? 斎藤さんの方から、昨夜無理矢理……、」
「さ、昨夜……む、無理矢理?」

俺の言葉に被せるように声を高くしたなまえは、恨めし気な上目づかいで俺を見た。刹那ごくりと喉が鳴る。
昨夜は確か久方ぶりに左之や平助に誘われ酒を呑みに出た。そう遅くない刻限には帰営し、常の如く風呂を使い就寝した筈だ。それ以外の記憶はない。それともまさか記憶のどこかが欠落していて、俺は何かこの娘に不埒な真似でも……と考えかけた時「何を難しい顔してるんですか?」と再び近寄ってきて俺の顔を下から覗き込む。俺の顔がまた発火する。

「…………っ!」
「朝稽古に付き合うようにって言ったじゃないですか。あんたはひ弱そうだからこれから毎朝って」
「……そ、そ、そうであった……だろうか? そうか、それならば、洗面を済ませて稽古を始めよう。と、共に来るといい」

言われてみれば確かに、そのようなことを言ったかも知れぬ。どうやらやはり少し酒を過ごしたようだ。
己が失念していた事を思い出し、あらぬ事を考えかけた事を内心恥じながら、先に立って井戸に向かった。なまえは「はい!」と朗らかに返事をして小走りに俺の隣に並び、やにわに俺の耳元に手を伸ばすこと再び。

「まだお顔が赤いみたい。あ、耳まで。本当に大丈夫ですか?」
「も、問題ない」

俺は肩をゆすってそれを避ける。
それにしても、だ。何故この娘は事ある毎に、こうして接近しあまつさえ接触までしてくるのか。これでは心の臓が幾つあっても足りぬではないか。
あまりにも無防備で警戒心のない様子を、以前にも一度注意したことがあるが「現代っ子ですもん。向こうでは女子力がそう低かったってわけでもないんですよ。合コンの成功率だって……」と何やら意味の解らない事を口にし始めるので、それを制して解る言葉で話せと言えば、なまえは一度だけ目を見開いてからさも可笑しそうに笑った。何故笑われているのか全く理解できないが、口を開けて屈託なく笑う女子の姿をかつて知らない俺は面喰らったものだ。目尻に涙が浮かぶほどに笑いながらなまえは言った。

「斎藤さんて、ほんとに可愛い。大好きです!」
「…………っ?」

か、可愛いとは、一体……それどころか、す、好いている、だと? そ、それはどういう意味だ? もしや愚弄されているのか?
まるで色事めいた雰囲気を欠片も漂わせずに、肩を震わせ笑い続けるなまえを前に俺は絶句した。このような女子はやはり見たことがない。
なまえと接するたびに、俺は当惑してばかりである。
だがしかしそのようななまえといても、不思議と不快と言うわけではなかった。いや、不快と言うよりも、寧ろ……。





その午後、私はお盆に湯呑を載せてそろそろと廊下を進んでいた。元々はどちらかと言うとラフな服を好んでいたせいで、着物に袴に足袋というのが正直辛い。特に今日のように少し気温の高い日は暑い。ついこの間の卒業式でこの堅苦しい恰好に懲りたばかりで、もうこの先絶対着る事はないと思っていたのに、まさかその翌日からまたこんなものを毎日着る羽目になるなんて。
そう、私は卒業式の翌朝に何の因果か、いきなり平成の時代からこの幕末の文久四年へと飛ばされてしまったのだ。
当初は激しい混乱に陥ったけれど、私は元々そう物事を深く考え込む性格ではなく順応性もあった。いつまでくよくよしていても始まらないと、この幕末の暮らしに馴染もうとこれでも一応努力している。家の造りも生活様式も違い、外へ出れば風景も町並みも全然違うのだけれど、住めば都とはよく言ったもので、二月も居るうちに意外にも慣れ始めていた。
両親や友人の事が時々不意に頭を掠め、切なくなってしまうことも多々あるけれど、いつの間にか私はこの時代にいつまでもいたいと、心のどこかで望むようにもなっていた。その理由は……。
目的の部屋の前で立ち止まり、膝をついて床に盆を置き障子越しに声を掛ける。

「頼まれたお茶をお持ちしましたけど」
「うん、入ってきなよ」

斎藤さんとは全然違う寛いだ声が応えた。そろそろと障子を開ければ今日は非番の沖田さんが、畳に横になって肘で頭を支え私を見て悪戯っぽく笑う。

「今日はなんだか蒸し暑いね。お茶じゃなくて水がよかったかな」
「え、ひどい、せっかく淹れてきたのに」
「嘘だよ、君が淹れてくれたんだからちゃんと飲むよ。ご褒美にこれ」

普段から肌蹴た襟元を、いつもよりも更に大きく開けた沖田さんは、団扇なんか使っている。徐に身体を起こすと懐から出した金平糖を差し出した。
斎藤さんも初めて見た時から、驚くほど綺麗な男の人だと思ったけれど、この沖田さんも斎藤さんとはまた違ったタイプの美青年だ。だけど二人は可笑しい程、見事に何もかもが正反対なのだ。
露わにした胸元に団扇の風をパタパタと送る沖田さんを見ながら、着替えを見られることをあれほど嫌がる斎藤さんがふと思い浮かぶ。
彼は今日のように少し気温の高い日でも、きりりとした眉一つ動かすこともなく、着流しの襟をきっちりと整えた上に隊服を羽織り、いつものように襟巻きもしっかりと身に着け巡察へと出て行く。彼を思って何となく頬が緩んでしまう。

「ねえ、君ってさ、どうして一君がいいの?」
「え!?」
「一君が好きなんでしょ」
「えええっ! どうしてそれを?」

誰でも解るよと沖田さんはまた笑い、そして付け加えた。

「一君本人以外はね」
「そうですか。じゃ、逆にどうして本人は解ってくれないんですか?」
「そんなの知らないよ。僕は一君じゃないし」
「これでも一生懸命アピールしてるんですけど。足りないのかな?」
「あぴ……? ってなにそれ」
「ええと、アタック、じゃないや。気持ちを伝えるってこと? やっぱりはっきり告らないと伝わらないでしょうか」
「こくるって何さ」
「好きって告白することですよ」
「へええ? 驚いた。やっぱり君が異世界から来たって本当なんだね。君みたいな女の子、この世界には居ないよ」

異世界じゃなくて未来なんですけど。時代が違うだけで同じ日本なんですけど。
多少かみ合わない会話をしつつも、沖田さんがお茶を持ってこいと言ったのは、つまり私の相談に乗ってくれる為なんだという事が解ってくる。
私の知る歴史上の新選組はヒーロー扱いをされつつ、反面では恐ろしい人斬り集団であったという認識もあるようだけれど、こうして接してみると私にとっては皆普通の(イケメンの揃いっぷりは普通とはとても言えないけれど)心優しい人達だった。
中でも斎藤さんは。

「あんなにビジュアルはいいのにシャイな感じで、ギャップ萌えしたっていうのかな、」
「あのさ、前から言ってるけど、西洋の言葉やめてくれる?」
「あ、すみません。えーとつまり、斎藤さんが素敵ってことですよ」
「君って無邪気って言うか馬鹿って言うか、警戒心が欠落した女の子だよね。相手が一君だからいいようなものの、僕や左之さんだったらとっくに」
「へ?」

とっくに何なんですか? と聞こうかと思ったけど、やめた。だって解ってるんだもの、経験はないけれど。
斎藤さんとならもしもそんな事になっても全然構わないのに、なんて思ってしまってる私ってどうなんだろう。でも女の子だって好きな相手には、少しくらいそんな気持ちを持ってもおかしくないよね?
とは言え当の斎藤さんは私が近づこうとすれば微妙に避ける。そうかと思えば時々頬を染めたりして、そう悪い感触ではないようにも見えるんだけど。それとも彼は優しい人だから、ただ困ってるだけなのかな。
沖田さんには言ってないけれど、実は今朝「大好き」って言葉ではっきりと伝えている。斎藤さんは何だか複雑な顔をして黙ってた。これは脈なしってことかな、やっぱり?

「一君の気持ち、知りたい?」
「知りたいです」

沖田さんは笑いを収めると、長い指先で青い金平糖を一粒摘まみ上げ、唐突に私の唇の間に押し込んできた。何やらその瞳には妖しげな光が宿っているようで、私は膝を引いて仰け反る。押し込まれた金平糖の甘さを舌先に感じる。
にじり寄ってきた沖田さんは、私の肩を掴み耳元に囁いた。

「簡単なことだよ。君と僕が恋仲になればいい」
「……え、」

此の部屋に入った時に、意識せず閉じないままになっていた障子戸の遥か向こう、最悪なタイミングで巡察から戻った斎藤さんが通りかかり、足を止めて一部始終を見ていたなんて事に、私は全然気付いていなかった。



This story is to be continued.




MATERIAL: SUBTLE PATTERNS / egg*station

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