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02


学生時代に仲の良かった三人で会うのは一年ぶりだった。遠方に就職して以来その地に落ち着いてしまった友人と、結婚して飲み会に出にくくなったというもう一人を誘えば運よく都合がつくということで、予約していた和食屋で久しぶりの女子会を楽しんだ。
すっかり気分の良くなった私達は当然のごとくもう一軒行こうと意見がまとまったけれど、地方に帰る電車の最終まではあと一時間余りしかなかった。

「駅の近くにいい店があったじゃない」

一人が口にした店の名を耳にして私は一人ひそかに固まった。ふわふわと回っていた酔いが醒めてきそうだ。
だってよりによって。
「あそこなら時間ギリギリまでいられるし」と二つ返事でもう一人の彼女が同意してしまえば、私には反論の余地がまったくなかった。

「懐かしい。学生の頃は敷居が高くてなかなか入れなかったけど」

友人は躊躇うことなくそのショットバーのドアを押す。狭い間口の、照明を最小限に絞ったここは、私がつい少し前に苦い思いと共に訪れたばかりの店だ。
呟くばかりの低い声で「いらっしゃい」というバーテンダーは私の顔を見てもその表情を一ミリも動かしはせず、少しだけほっとして胸を押さえる。

「一度だけ連れて来てもらったよね。講師だったころの土方先生に。ね、なまえ」
「……そうだった、かな」

酒棚の照明が頼りのカウンターの端から端まで、二人にわからないように控え目に、だけど素早く目を走らせて確認する。まさか偶然に会うなんて、いくらなんでもそんなことはないか。
やっと息をついて、二人に並んで脚の高い椅子に腰を落ち受ける。
お酒好きの彼女達の前に出されるのは甘いカクテルなんかじゃなくて、ワイルドターキーのオンザロック。私はボンベイサファイアにライムを絞ってもらう。
つまらないことなんか考えてないで三人で過ごせる残り僅かなこの時間を楽しもうと思えば、歳三さんと私の関係を知らない二人の口から出るのは学生時代の思い出話で、どういうわけか彼の話題ばかりだった。何だか居心地が悪くなってくる。
「なまえはほんと昔からお酒に強いよね」と笑われた私のジンのグラスは三杯目だ。
ドアの開く音がしてバーテンダーが目を上げた。顔色も変えず私たちの背後に向かい、さっきと同じように「いらっしゃい」と低く呟く。

「なまえ」

背後の人は聞きなれた声で私の名を呼んだ。
まさか。
いち早く振り返った友人の一人が、物静かなその店にそぐわない声を上げた。

「え、嘘。土方先生?」

まさかそんな偶然が起こるわけはないと思っていたのに、起こるときは起こるのだ。望まない偶然というものは。
もう終電の時間が迫っていた。「せっかくお会いできたのに残念」と二人は口々に言いながらも揃って席を立つ。当然ながら私も一緒に店を出るつもりでいた。
それなのに「お前はまだいいだろう」と歳三さんがいつにない様子で引き留める。何も知らない彼女達は笑って歳三さんに同調し「なまえは自由の身なんだからもう少し飲んでけば」と結局私を残し帰って行ってしまった。
仕方なく腰を上げかけた椅子にふたたび掛けてグラスを手に取る。
今夜は結構飲んでるはずなのに心地のいい酔いなんて全く回ってきてくれない。
間に二つ空いた席を挟んだ歳三さんの前に、バーボンをウィルキンソンで割ったグラスが置かれた。
見るともなく隣を見る。シャツの首元のネクタイを少しだけ緩めた歳三さんの、すこし疲れたようなけだるい横顔には大人の色気がある。あの頃はこの横顔が好きで、ずっと見ていたいと思った。切ない思い出が胸をよぎりしばらく目をやっていたけれど、彼は何も言わずそれどころかこちらを全く見もせずにハイボールを口にしていた。
引き留めておいてこれ? この人は本当に変わらない。
だんだんに情けない気持ちになってきた私は、自分のグラスに半分ほど残っていたジンを飲み干して席を立った。

「やっぱり私、これで……」
「お前、あの男と出来てたのか」

いきなり口を開いた歳三さんを驚いて振り向けば、彼は手元のグラスに目を落としたまま。彼の声は私を問い詰めるというよりも自分に向かって言い聞かせるみたいな声だった。

「……あの男って」
「斎藤だ」

意外な言葉に私は少しの間呆気にとられ、何と答えていいかわからなくなる。
歳三さんはどうして彼の名を知っているのだろう。仕事で接点があったというようには聞いていなかったのに。そしてやや遅れて言葉の真の意味を理解した私の中に嫌な気持ちが湧いてくる。

どうしてあなたにそんなことを言われないといけないの?
浮気をしたのは自分の方でしょう?

あの時言えなかった恨み言が口をついて出てきそうにもなる。だけど歳三さんとのことは終わったことだと思い直して口をつぐむ。
なおその横顔を見ていれば彼はそれ以上は言わずおもむろにズボンのポケットを探り何かを取り出した。依然私の方を見ないまま、テーブルに置いたそれをこちらに滑らせるように寄せる。
小さなベルベットの箱。

「なに、これ?」
「お前の誕生日にな、……渡せなかったやつだ」
「誕生日って……今、何月だと思ってるの。私の誕生日は半年も前だよ」
「だから、渡せなかったって言っただろうが」
「…………」
「この店でまた会えるかもしれねえと思って、あれから持ち歩いてたんだが……そう怖い顔するんじゃねえよ」
「だって、だって歳三さんの方が浮気してたんじゃない。この間のあの女の人……学会って私に嘘ついて」
「向こうで大きなイベントがあって学会の予定が急に変わったんだ。お前に連絡しようと思ったが、出来の悪い学生が持ち込んできたレポートに付き合うはめになった。俺だって浮気なんかしてねえ」
「…………」
「信じる信じないはお前の自由だが」
「だったらどうして、あれから何も言ってくれなかったの?」

歳三さんは俯いたまま目を閉じた。一呼吸おいてその口から出た声は、やっぱり自分に言い聞かせるように低かった。

「……あいつが殴りかかってきた時は驚いた。あんまり真剣な目をしやがるから、俺としたことが気後れしちまった」
「気後れって、なんで……」
「なんでだろうな。あの時だけじゃねえ。あいつには何故だか勝てない気がした」
「それ、あなたの得意なレトリック?」
「どうとられても構わねえよ。どうせお前の気持ちは決まっちまってるんだろう」

歳三さんの言葉が真実かどうかなんて私にはわからない。だけど知り合った昔からからずっと彼は言い訳をする人じゃなかった。だから今言ったことは嘘じゃないのかもしれないとも思った。
まるで麻薬のような魅力のある歳三さんに私は憧れて追いかけて、傷ついてもそばにいたいと願ってきた。だけど私の心を揺さぶるのはもうこの人ではないのだと改めて気づく。

あんまり真剣な目をしやがるから――

私の知らない時から見つめてくれていた斎藤君を、あの日傷ついた私を強く包んで癒してくれた彼のあの瞳を、私はこれからもずっと見ていたいと思うのだ。
だから私は歳三さんの差し出した小さな箱を手に取ることが出来なかった。

「私、帰るね」
「帰さねえと言ったら?」
「それでも帰る」
「……だろうな」

初めて私を真っ直ぐに見た歳三さんは、すこしだけ痛みをにじませる目を細めて前に向き直り、形のいい口唇に咥えた煙草の先にライターを近づけた。
それは私にもよく見慣れた彼の気に入りのジッポーで、だけど多分もう二度と見ることのないだろうポールスミス。
店を出た私は駅への道を歩きながら取り出した携帯で斎藤君の番号を呼び出す。
何故だろう。焦りに似た想いがせり上がり気が急いていた。今日会えなかったのはもともと予定があったせいだし仕方のないことだ。歳三さんと会ったのも単なる偶然で意図したことじゃない。
だけど彼はいまどこでどうしているのだろうと気になって、気になり出したらどうしようもなくなった。
時刻はまもなく深夜帯に入る。
呼び出し音が途切れる。斎藤君は電話に出ない。
今日彼は仕事がオフだったはず。私はもう一度彼の番号をコールした。



This story is to be continued.




MATERIAL: SUBTLE PATTERNS / egg*station

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