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さやけし春の宵


暮れ六つ。懐の巾着を叩けども裏返せども一文の金もねえ俺はしょげていた。
土方さんに前借りさせろと言ったら怒鳴られて、そんなら給金上げろと言ったら殴られかけた。左之の奴は陽の高いうちからいそいそ女の所へ出かけちまったし、平助も千鶴ちゃんと仲良く何してんだか知らねえが、せっかく島原に誘ってやったってのに胡散臭そうに俺を見やがって(千鶴ちゃんまで俺を睨みやがって)その時の野郎の台詞といえば「ぱっつぁんは俺の金目当てだろ!」ときたもんだ。図星を指されちゃあそれ以上は言えねえや。残るは総司だが、こいつも食えねえやつだから皮肉を言われるのがオチだ。
ああ、酒が飲みてえ! (綺麗なおねえちゃんのいるところが本当はいいんだが、綺麗なおねえちゃんがいなくてもこの際)とにかく、酒が飲みてえ! 途方に暮れかけて俺は思い出す。
待てよ? まだ最後の選択肢があるじゃねえか。
……斎藤が金を持っている。
だが実はこいつが一番厄介なんだ。




「隊より賜った大切な給金を手にしたその足で使い果たしてくるあんたには、己の行いを猛省しろとしか俺には言いようがない。島原へ行くなとは言わぬがあんたの場合はいつと言わず節度がなさすぎる。酒もそうだ。強さを過信して過ぎた量を飲んではものを壊したり道端で寝てしまったり、いったいどれほどの人間が迷惑を被って……、」
「だあーーっ! わかった! わかったから斎藤、説教はそんくらいに……」

墨色の着流しをきっちり着こみ、白い襟巻きには汚れ一つなく、涼しい顔をして滔々と続ける斎藤を前に俺は項垂れる。だからこいつに頼むのは嫌だったんだぜ。普段無口なくせにここぞとばかり流暢に喋りやがって。
正座のせいで痺れっちまった足を引きずり、がっくりと肩を落として斎藤の部屋を出ようとすれば。

「新八」
「なんだよ」
「あんたは酒を飲みたいのだろう?」
「もういいって」
「どこへ行く気だ。酒ならここにあるが」
「そうかよ、俺はお前の言うとおり日頃の行いをだな……なに?」
「振る舞ってやってもいい」
「ほ、ほんとか!?」

その時俺の目には、斎藤の背に後光がさすのが見えた。昇りはじめたお月さんより輝いていた。
無表情を動かしもせずにゆっくりと立ち上がる斎藤が、背後の物入れから取り出した酒はなんと諸白じゃねえか。将軍様の御膳酒になっておかしくねえ上物だ。「おおお!」と歓喜の声をあげて両手を伸ばし受け取ろうとすれば。
なんだ? 奴は手を離しやがらねえ。

「おい、斎藤」
「あんたにやるとは言っていない。振る舞うと言っただけだ。俺も共にいただく」
「俺とお前で? 膝を突き合わせてサシで飲むってか?」
「不満か」
「そ、そんなことも……ねえが…………」

相変わらず頬の筋肉ひとつ動かさねえ斎藤はガッチリと酒の瓶を掴んだまま俺を見てやがる。
それはともかく、なんでこんな酒隠し持ってんだ?斎藤は俺らと違って土方さんの信任も厚いし、大方なんかの褒美でもらったものだろうが、ちらりと奥を見ればまだあるようだ。
ほんとなら俺は綺麗なおねえちゃんと飲みたかったんだ。こいつと向かい合って酒を飲む光景をふと想像する。

『…………』
『……美味いな……』
『ああ……』
『…………』

……通夜か。
だが、まあなんだ、斎藤は男にしちゃ綺麗な顔をしてるしな。こいつの顔を見て目の保養をしつつ飲むと言うのも……ありなのか? ……いや、待て。その前に痩せても枯れてもこいつは男だ。それどころか刀を持たせりゃむしろ、誰よりもおっかない系の男だ。俺が変な気でも起こした日にゃ……いやいや、そりゃいくらなんでもぞっとしねえ話じゃねえか。だが酒は飲みてえ。俺はしばしの思案のあと。

「わかったよ。そんじゃ、お前と飲むことにする」

滅多に見ねえ上物の酒を見ちまったからには問答無用と俺はすぐに結論を出す。
二つの湯呑みに斎藤が酒を注ぐ。さっきから姿勢も変えず寸分の乱れもねえ斎藤の眼前に、俺も何故かつい同じように膝を揃える。正座で酒を飲むなんておかしいんじゃねえかと思うが、この場合はそうしなきゃいけねえ気分になってきやがる。

ごくり。
かーっ! うめえな、こりゃ。
互いに言葉少なく一杯二杯と続けざまに飲む。

「ところで斎藤よう、」
「なんだ」 
「食い物も欲しくねえか」
「そうだな。では俺が」
「ちょっくらなまえちゃんに頼むってのはどうだ?」
「なんだと?」

俺は浮かんだ妙案に自分を褒めたくなった。なまえちゃんなら綺麗どころに引けを取らない顔立ちだ。少なくとも斎藤一人を眺めてるよりはずっと酒が美味くなりそうじゃねえか。

「なまえちゃんの料理は絶品だし、おう、そう言えばあの子は酒の方も結構いける口じゃなかったか?」
「待て、新八」

たった今まで眉一つ動かさなかった斎藤が、ここで初めて表情を変えた。

「あんたはまさか、なまえを芸妓まがいに見て座の取り持ちをさせようというのではないだろうな」
「そんな大層なことじゃなくてだな、あの子はノリも良いしだな、」
「許さぬぞ。そのような不埒な考えでなまえを呼びつけようなどと……!」

その時すでに俺は障子戸を開け放ち、なんとも丁度良くすぐそこを歩いてたなまえちゃんを、これ幸いと大声で呼んだところだ。満面の笑みで振り返れば、斎藤は地獄の閻魔様みてえな形相で俺を見ていた。その顔にぎょっとしていると。

「何かご用ですか、新八さん。あら、斎藤さんも」
「なまえ」

障子戸から可愛らしい顔をひょっこり覗かせたなまえちゃんに視線を移した斎藤が、その表情にまた信じがたい変化を見せる。
お前のこんな顔を俺は金輪際見たことがねえぞ。どうしたってんだ、いったい? まなこをかっ開いて、まるで茹でた蛸みてえに真っ赤になってやがる。今にも頭のてっぺんから湯気でも噴きそうじゃねえか。

ははーん。
俺はピンときた。
てっきり斎藤は酒に強いとばかり思っていたが案外そうでもなくて、もうかなり回っちまってるってわけだな。流石に上等の酒は違う。そんならもっと飲ませてこいつが酔い潰れてくれりゃあ、あの物入れの中にたんまり仕舞われてる酒もいただけるってわけだ。

「珍しいですね。お二人でお酒を飲んでるんですか?」
「し、新八が呼び止めてすまなかった。用はないゆえ……」
「よかったらなまえちゃんも俺らと一緒に飲まねえか?」
「いいんですか?」
「…………」

にこにこしながらやってきたなまえちゃんは満更でもない顔をして、斎藤の隣にすとんと腰を下ろす。
ん? 斎藤がなにか言ったようだが、そのぼそぼそとした声に俺の大声が被さっちまった。口を閉じた斎藤は殺気に満ちた目つきでまた俺をギロリと見る。やめてくれよ、さっきからその目つき。俺に悪気はねえんだよ。

「わあ、美味しそうなお酒。しばらくいただいてなかったから嬉しいです。あの、斎藤さん、ご一緒していいですか?」
「あ、ああ、あんたが良いならば、お、俺は……か、構わぬ……」
「ありがとうございます」

なまえちゃんの言葉にそっちを見た斎藤の目元がみるみる染まっていく。なんだよ、いいんじゃねえかよ。なんなんだ、さっきのおっかねえ顔は。まったく斎藤の考えてることはいつだってさっぱりわけがわからねえ。だが今飲んでるこいつは斎藤の酒だ。わからねえながらここはひとつ我慢をしてだな。島原行きは叶わなかったが、綺麗なおねえちゃん(なまえちゃん)と飲めることに変わりはねえしな。
斎藤の取り出したもう一つの湯呑みに、それじゃあと酒を注ぐために手を伸ばせば、奴は自らでそれをしてなまえちゃんに手渡す。彼女は嬉しげに斎藤を見上げながら受け取ると、小さな口をちょこんと湯呑みにつけた。

「よし、なまえちゃんもじゃんじゃん飲んじゃってくれよ」
「あ、夕餉の残りのおかず、少し持ってきましょうか?」
「お、ありがてえ」
「新八、あんたが取ってこい」
「ええ、なんで俺が」
「いいからあんたが行け」
「いくらこれがお前の酒だからって横暴じゃねえか」

と反論を試みるも。またしてもひんやりとした目つきで俺を見返す斎藤の視線があんまりにもおっかねえから、俺はしぶしぶと座を立った。




「月が明るいですね」
「……う、うむ。新月から十日あまり経つゆえ」
「ふふふ」
「なにか、可笑しなことを言っただろうか?」
「いいえ。斎藤さんとご一緒にお酒をいただくなんて初めてですね」
「そ、そうだな……」

行灯に入れた灯がゆらと揺れる。落ち着かぬ。
杯を重ねても、どうも酒の回ってくる気がしない。頭の芯がくらりとするこれは酩酊に似てはいるが酒のためではない。何故このような感覚が起こっているかといえば理由は明白だ。
これは……おそらく隣になまえがいるせいだ。
俺の目は先ほどから湯呑みの中ばかりを見ている。
春の宵のあたたかな風がそよと吹いてくれば、沈丁花のような甘い香りが鼻先を掠める。これは実際の花ではなくどうやらなまえから香っているようだ。
己の身が硬くなるのがわかる。いや、これはこれでとても良い香りではあり、決して不快なわけではない。むしろ、心地の良い……とても心地の良い……だが、やはり落ち着かぬのだ。

「し、新八は何をしているのだろうな」
「そういえば遅いですね。どうしたんでしょう。見てきましょうか?」
「いや、その必要はない。あいつも子供ではないのだ」

床に手をつき腰を上げかけるなまえをいささか慌て気味に止めれば、彼女は「そうですよね」と素直にまた座りなおす。思いがけず俺の口から安堵の息が漏れた。新八のことなど本当はどうでもよいのだ。なまえと二人きりでこうして酒を飲むのは落ち着かず心が騒ぐが、新八に早く戻ってほしいなどとはつゆほども思っていない。
俺は湯呑みの中身をぐいと飲み干しまた酒瓶に手を伸ばした。
その拍子に俺の武骨な手に触れる指。指の主は言うまでもなくなまえで、思わずびくりと肩を揺らし面をあげれば、俺の顔のごく近くで彼女が微笑んでいる。彼女の目元がほんのりと桜色に染まっていた。背筋を何かが這い登る。どくりと心の臓が鳴る。刹那触れられた手が燃えるように熱い。

「あ、すみません。お注ぎしようと思って」
「そ、そ……そうか……」

なまえは屯所の勝手方を引き受けてくれている女子であるが、近藤局長の知り合い筋である関係から雪村と同じようにここで起居を共にしている。
小柄ながら労をいとわずによく働く女子で、いつも朗らかなその笑顔はこの上ない癒しをもたらし幹部連中にも慕われている。雨催いの日であっても彼女がいればそこだけが陽だまりのように明るいのだ。
酒瓶に伸ばされた細く白い腕が眩しい。もう一方の手で着物の袂を押さえる様は、どこかいつもの明るさとは違うしっとりとした艶があり、否応なく女性らしさを感じさせた。上体を前に倒した際に露わになる首筋には結い上げた髪から幾筋かのほつれ毛が落ち、その華奢な首筋さえも眩しくて正視が出来ずに俺は目を逸らす。
こちらに向き直る気配がして「斎藤さん?」と愛らしい声で名を呼ばれてしまえば応えぬわけにもゆかず、視線を戻せばまた沈丁花の香りが漂った。
俺の手の湯呑みになまえが酒を注ぐ。ただそれだけの行為だというのに、鼓動はどくどくと激しい音を立て、誤魔化すように「あ、あんたも、」と酒瓶に手をやれば、意図せずに彼女の手を包むように触れてしまった。

「す、すまぬ! わざとでは……」
「い、いえ……」
「…………、」
「あの、」

どうしたというのだろう。俺の手が俺の思うようにならぬ。なまえが小さく身じろいでかすかな衣擦れの音が立つ。

「……斎藤さん?」
「…………すまぬ」

酒瓶に添えた彼女の手を包むように触れた己の手がどうしてもそこから離れぬ。手のひらから柔らかくあたたかな感触が伝わり、その心地よさにどうしても離すことが出来ぬのだ。
なまえは潤んだような瞳で俺を見上げる。吸い込まれそうな綺麗な瞳だ。

「少し……だけ、このままで」
「酔って……ますか……」
「否、……酔ってはおらぬ」
「で、でも、斎藤さん……、」

あとわずかで触れられそうなほどの至近距離で、なまえは吐息を零し長い睫毛を伏せた。俺の手の中にある彼女の手は細かく震えているが、逃げる素振りはない。
先程よりも強く香る甘い匂いは俺の自制心を剥ぎとってゆき、己の意に反し俺の顔はなまえに近づく。

「俺はずっと、あんたのことを……、」
「……誰かに見られ……」
「では……で、では……戸を、し、閉めてしまえば、よい……だろうか……?」
「……だ、だめ……」
「駄目か……?」
「……だめ……じゃ……な………」




何でこんなことになってんだ? あと少しで斎藤の部屋というあたりの柱の影。

「おい、手を離……」
「新八さん、うるさいです」
「ぱっつぁん、ちょっと黙れよ」

勝手場から持ってきた皿は奪われて平助に羽交い絞めにされたうえ、千鶴ちゃんに腕を取られている俺。

「やっぱり千鶴の言ったとおりだったな」
「そうなんです。なまえちゃんは絶対に斎藤さんのこと、好きだと思ったんです。でも斎藤さんも同じだったなんて」
「はあ? なんの話してんだ……モゴ! 誰だ、口を塞ぐんじゃね……モゴ!」

何をはしゃいでんだか知らねえが俺としたことがこわっぱ共に動きを封じられ、頭に血が上って暴れようとすれば後ろからでかい手が伸びてきて、さらにがっちりとホールドされた。

「新八、とにかく今は黙れ。お前はこれだからモテねえんだよ」
「左之か? 女んとこ行ってたんじゃねえのかよ……モゴゴ!」
「全くだぜ。左之さんの言うとおり、ぱっつぁんはほんと、これだからな」
「モゴ…………とにかく離しやが……」
「あっ、しっ! 皆さん、黙ってください!」

千鶴ちゃんの鋭く静止する声に思わず黙ったが、左之の手に口を塞がれたまま目だけを動かした俺はおったまげた。斎藤の奴、なまえちゃんと何やってんだよ?いったいこれはどういうこった。
よく見ようと目を凝らすが平助や千鶴ちゃんの背中が遮りやがる。
しばらくの間誰も口を利かなかったが、目を剥いたままの平助がやっと呆けたような声で呟く。

「はじめ君、いつになくすげえ酔っちまってるな」
「俺も、あんな斎藤は初めて見たぜ」
「もう、あのお二人にはほんとにヤキモキさせられましたよね」
「なまえの前で斎藤の挙動が不審なのは前から気づいてたけどな、なまえも同じってんならもっと早くなんとかしてやればよかったぜ」
「はじめ君はああ見えてわかりやすいからな。だけどさ、一番なんもわかってねえぱっつぁんがあの二人を取り持つきっかけを作ったって、なんかすげえな」

おいおい、なんの話だ?
畜生、今夜は無闇に月が明るいじゃねえか。まだ左之のでかい手に口を塞がれたままの俺はやるせない気持ちになった。
それにしてもこいつら、何を興奮してやがんだ。全く意味がわからねえ! それよりも何よりも俺の諸白はどうなるんだ、俺の酒は!
ああ、酒が飲みてえ!

障子戸はやがて少し離れた柱の影にいる俺らの視線の先で音もなく閉じられ、声も気配もぱたりと遮断された。



2016/04/22

▼リコ様

リコさん、このたびは100万打企画にご参加くださりありがとうございました。『幕末で、お酒に酔ってしまった一さんとヒロインちゃんの甘々なお話を書いていただきたいです( *˙˙*)細かなことはおまかせします!』とこのようにいただいていました。お話の中心はもちろん斎藤さんとヒロインさんに置いているのですが、語り手にアノ人を据えてみたら……何だか……すみません……ご希望に添えているのかものすごく不安ですがこんなことになってしまいました。ほんとにすみません。
酔った斎藤さんは絶対に可愛いですよね。言葉や態度に大きな変化は見えないけど確実にネジは緩んでいるという。このお話に関しては斎藤さん本人も言っている通り、お酒に酔ってるのかヒロインさんの色香に酔ってるのかは定かじゃないですけど(笑)
作中で酒瓶が出てきますがこの当時のお酒は量り売りが主で瓶を見ただけで中身が諸白(これは清酒のことですね)とは本当はわからないんじゃないかと思います。そもそも瓶より大徳利とかが主流だったと思いますし。このあたりはいろいろ捏造となっておりますが、あくまでも夢小説ということでこの点どうぞご了承くださいませ。
今回もとても楽しく書かせていだきました。リコさん、楽しいリクエストをありがとうございました。





MATERIAL: SUBTLE PATTERNS / egg*station

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