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 黒いインバネス


自分が社内でどう思われてるかなんてこと、私にはよくわかっている。

無駄に男と口を利かないあの女が相手にするのは金になる男だけだ。営業成績はトップクラス、顧客は大企業ばかりで接待も精力的にこなす、お高く止まっちゃいるがどうせ枕営業でもしてるんだろ?

綺麗な巻き髪を揺らす庶務の女の子は、にこやかな笑顔の下できっとこう思っている。

ギスギスしてて、一文の特にもならない笑顔を絶対に見せないあの人は、いくら仕事が出来たって痛々しくて可哀想。やっぱり女は愛されてこそよ。絶対にあんなモノトーンの女にはなりたくないわ。

広告代理店の企画営業部に勤務する私は月一の成績発表で表彰されるたび、同僚のこういう視線にさらされる。
だけどそれがなんだと言うの?
化粧は身だしなみの為の最小限で口紅はベージュ系しか塗らない。耳の少し上辺りの頭の後ろでキチッと括った髪。選ぶのはかっちりとした黒やダークグレーのスーツ、機能性重視で踵の高すぎない黒いパンプス。営業鞄は大振りのビジネスバッグ。年配の担当者に舐められないように眼鏡をかけて私の武装は完了する。
いつも通りの朝礼が終わった。

「おい、お前らもみょうじ見習ってデカいやつ取ってこい。早く行け」

インセンティブの目録を手にした私に課長が一度視線を走らせて皆を鼓舞すれば、上着を羽織った男性営業マンたちが散っていく。課長にしてみればトップ営業が男であろうが女であろうが関係ない、数字さえ穫ればいいのだ。しかし週末の飲み会で課長が私についてどう語っているかだって私は知っている。

「行ってきます」

自分のデスクのPCから予めアウトプットした企画書をファイルに入れ、それを鞄に収めて私もドアに向かう。
今日訪問するのは新規のクライアントで大物。約束は9時半。十分に余裕を持ってオフィスを出る。
幾つかの別会社の入ったオフィスビルの正面玄関のガラス戸を押せば、出勤時は爽やかな秋晴れの広がっていた空が翳り始めていた。遥か遠くでかすかな遠雷の音さえ聞こえる。
あれ、天気予報では一日天気が崩れることはないと言っていたなのに。鞄の底の折りたたみ傘を確認し右方向に踏み出し足早に最寄りの地下鉄の駅を目指す。
地下へと続く細い階段はいつもと変わりなかった。少なくともその時はそう思った。
しかし一段下りて背後を振り向いた私は俄に信じられない風景を見た。
急速に黒く覆われる空。不意に音を立て滝のように降り注ぐ雨。
大量の水のベールに遮られ今私が歩いてきた歩道すら見えない。
この季節に朝からゲリラ豪雨?
首を傾げつつ階段を降りる私は、本来ならすれ違って登ってくる筈の利用客が一人もいないことの方には疑問を覚える余裕がなかった。
発券機や改札は地下一階にある。けれど私の気のせいでなければいつもより少し、いや、かなり階段が長く感じられる。
どう見積もっても既に2フロアー分くらいは降りている気がする。
何かがおかしい?
けれど背後から絶え間なく聞こえる豪雨の音に引き返すことも出来ないまま、目に移り始めるあたりがどこか奇妙なことにやっと気づき始める。
いつもなら終日ごった返しているそこに先ず人影がなく、がらんとした駅の構内はまるで別の場所のように見えた。
ちょっと待って。駅を間違えた?
そんなわけはない。健忘症じゃあるまいしオフィスから歩いて僅か3分のいつものこの駅を間違えるなんてあり得ない。
それならこれは一体どういうことなの。
改札前で無意識に手を入れた鞄の内ポケット。定位置に入っていたICカードケースを取り出した私は固まった。
ふと見遣れば駅員がいるはずの窓口は無人で改札の向こうは闇に包まれている。
え?と思う間もなく闇の奥からゆっくりと階段を昇ってくる一人の人物に気付く。膝下丈の黒いインバネスコートを纏い、片手にこれも漆黒のフェルトハットを持ち、ゆっくりと近づいてくる。磨き立てられた革靴が音を立てた。
コートの下は首元にシャツの真っ白なスタンドカラーを覗かせただけで、後は黒尽くめのタイにスーツ。
それは一瞬何もかもを忘れて見入ってしまうほど美しい男の人だった。
硬直したままの私の前で立ち止まった彼は私よりも少し背が高くスラリとしていて、艷やかな長い紫紺の髪を右肩から前に垂らし、深い藍色の瞳を一度細めてから私をじっと見つめた。
形の良い唇が小さく動いて低く穏やかな声で囁かれる。

「なまえ、」
「……は、はい?」
「あんたの手にあるものをここへ」

指差したのは改札機の読み取り部分。
私の手にあったのはいつも持ち歩いているパスケースではなく黒い角封筒だった。
マジックか何かなの?それとも夢?
もう何がなんだかわからない私が黙って彼の言うとおりに封筒を開けば、現れたのは鮮やかなオレンジ色のカードだ。
改札を抜けた私に彼は手を差し出した。
引き寄せられるようにその手に自分の手を重ねると彼がキュッと握る。導かれて闇の中へと進めば次々に灯っていくオレンジ色の光。
ああ、これには見覚えがある。だとしたらこの人は?
漆黒のインバネスコートを翻し私の手を引きながら前を行く背から目を離せずに見つめていれば、振り向いた彼は一度立ち止まり私の耳元に顔を寄せた。

「共に過ごそう。特別な夜を」

吐息で告げられた言葉は低く甘く……。



What's going on here?




MATERIAL: SUBTLE PATTERNS / egg*station

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