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優しい嘘


もっと早くに本当の気持ちを口に出せてたら、こんなに悔やまなかったと思うんだ。
心に積み重ねて来た想いをきちんと言葉にすることが出来ていたら、もっともっと早くに君に近づけていたのかも知れない。
でも僕はそんな事が素直に出来る程大人じゃなかった。
まだその頃は。





***





僕の眼は朝から唯一人を探している。井戸をちらりと見てから勝手場へと足を運んだ。

「……わ……ぁっ!」

あーあ、まただ。
土間に下りて駆け寄り、その小さな背を支えるけど一刻間に合わなかった。傾きかけた身体、手から離れた大笊の中から飛び散り宙を舞う酢茎の束。
地面に尻餅をつくことを覚悟でぎゅっと閉じた瞼が、おそるおそる開かれて大きな黒檀の瞳が振り向き、背後から抱き留めている僕を見上げた。この子はいつだってこんなだから。忌々しいけど放っておけないんだ。

「ひゃっ! そ、総司さん……」
「何やってるわけ?」
「すみません……」
「君って昔から粗忽でのろまで、本当どうしようもないよね」
「ごめんなさい、あの、」

ナマエちゃんが土間に散らばる酢茎の束に目を遣り、引き入れられた僕の腕の中で身じろぐ。見たところ大方、脇に置いていた大鍋を避け損ねて体勢を崩したんだろう。大鍋の中にはたっぷりの甘藷がふかされていた。
僕は君からごめん、なんて言葉を聞きたいわけじゃない。放してくれと言わんばかりに、再び困惑した眼差しで見詰められてしまえば、余計に腕から逃がしたくなくなる。

「あの、拾わないと、」
「……、」
「何だ? 朝から賑やかだな」

そこへ顔を出した背の高い男にナマエちゃんの瞳は反射的に捉われる。どん臭いくせにこの時ばかりは機敏な身のこなしでするりと僕から逃れていくんだ。その目元が薄紅色に染まっていることくらい、僕には見なくても解った。
何故なら。
僕はいつだってナマエちゃんを見ているから。だからナマエちゃんの瞳がいつも誰を追っているかなんてことも、よく知っていた。そんなこと全然知りたくなんてなかったのに。

「左之さん、朝餉の当番?」
「ああ、ナマエ、遅れて悪かったな。お前も今朝当番なのか、総司?」
「僕は違うよ。偶々覗いただけ。そうしたらこの子が馬鹿みたいに酢茎で遊んでるからさ」
「こんなもん、拾って洗えばどうってことないだろ。こいつはお浸しにでもするのか?」

左之さんは手早く野菜を拾い集めて、桶に汲み置きの水で洗ってしまうと、ナマエちゃんに微笑みかける。彼女の頬が上気して大きく頷くのを見れば、僕の胸の奥が不意にきりと痛んでその場に居たたまれなかった。全く冗談じゃない。馬鹿馬鹿しい。僕は踵を返す。

「あ、総司さん、ありがとうございました」

細いけど澄んだ耳に優しい声。僕の好きな柔らかな心を擽る声。それでも僕は彼女の声に振り向く気になんてなれやしなかった。





宗次郎君。

それは試衛館に来たばかりのまだ幼い子供の頃。母親代わりのミツ姉さんと引き離されて、近藤さんの養父天然理心流三代目宗家に内弟子として住み込むようになったのは九歳の時で、内弟子って言っても実際僕がしなければいけなかったのは、稽古よりも朝夕の食事の用意を初め、道場の掃除や薪割り水汲み、はっきり言えば丁稚奉公みたいな仕事だった。周助先生は雑役夫紛いの子供の僕に眼なんてくれない。
それでも僕の立場が気に食わないのか、兄弟子達には嫌と言うほど陰険な意地悪をされた。そんな中僕を気遣って優しくしてくれたのは後に三代目となる、そして現在の新選組の局長近藤さんだけだった。
僕は絶対に強くなると決めていた。近藤さんの為に。……そして、もう一人。

宗次郎君。

彼女は近藤さんや源さんの知り合いのお嬢さんで、あの頃からよく試衛館を訪ねて来てたのを憶えてる。
雑用が終わった後やっとさせてもらえた剣の稽古で、僕一人に兄弟子三人が一遍にかかってきて完全に伸されてしまった時。腫れあがって軋む身体のあちこちを、手拭いを使って井戸端で冷やしていた僕にかけられた声を今も忘れられない。

「宗次郎君。これよかったら」

背中にかけられた、柔らかくて優しい耳を擽るその声に振り向けば、はにかんだ笑顔の彼女が僕に近寄って来るところだった。僕と同じ年頃の女の子。

「これ……あっ!」
「……っ?」

地面には何もないのに僕の目の前で、まるで何かに躓いたみたいに足を縺れさせ、僕に倒れ掛かってきた彼女。見開いた瞳の濡れ光る黒檀色。開いた手のひらから、きらきらと零れ落ちて来た星たち。咄嗟にその華奢な身体を受け止めた僕の心に、色とりどりの可愛らしい星たちが甘く優しい香りと共に降ってきたんだ。打ち身が痛かったけれど、そんなことが全然気にならない程に。
ナマエちゃんが現在、どうして新選組の賄みたいなことをしているのかはよく知らないけど、彼女がこうして此処に通ってくるようになってから僕は本当に嬉しかったんだ。
それなのにナマエちゃんが僕を「宗二郎君」じゃなく「総司さん」と呼ぶようになったのは何時からだっただろう。





「左之よう。俺ぁ今、ちっとばかし懐具合が寂しんだけどよ」
「だから何だよ」

夕餉が終わって暫くすればそわそわしだす新八さんが、左之さんに謎掛けるのはほとんどいつものことで、こんなのは遊びに行く前のお約束の会話。笑いを含んだ左之さんの声にニヤニヤしながら横で見ている平助。三人が連れ立って結局島原へ出かけていくのも珍しくない日常の風景だ。
膳を片づけながら僅かに瞳を翳らせる心許ない後ろ姿に、僕は直ぐに気付くけれど左之さんはそんなの見てもいない。こないだの妓がどうだったとかこうだったとか、左之ばっかりモテやがってとか、女の子のナマエちゃんがいるのに遠慮会釈もなく大声で喋る新八さんに、薄っすらと殺意が湧くのはこんな時だ。足音も立てずに膳を下げる背を追い、そっと勝手場を覗けば響き渡る音。それはナマエちゃんの手を零れ落ちた一枚の皿が砕け散った音。まるで悲鳴のように。

「……っ!」

音が被さって彼女の小さな声はよく聞こえない。蹲って直ぐに皿の破片を拾い出す細い背は細かく震えていて、その手の動きが一瞬止まる。
背中越しに見えた白い指先に赤い玉が膨れ上がる。我慢できずに駆け寄ってその手を掴み僕は唇を寄せた。ナマエちゃんの瞳が大きく見開かれる。手を離さないままで顔を上げ見つめれば黒檀色が僕を見つめている。

「君、本当に馬鹿だよね。そそっかしいし」
「どうして……」
「何も解ってない。僕は馬鹿な子が嫌いだ」
「え……」

吐き棄てるように呟けば、ナマエちゃんが息を飲む音が聞こえた。唇の中に切なく苦い鉄錆の味が広がる。きっと君の指先よりもずっとずっと強い痛みは、僕の心までを浸食していく。
ナマエちゃんは本当に馬鹿だ。なんで解らないのさ。
磁器の小さな破片は表面の皮膚を少し傷つけただけで、直ぐに出血は止まったようだった。不意に手を離し立ち上がった僕は、息を詰めて僕を見つめるナマエちゃんの瞳から逃げるように背を向けた。

「きちんと手当しておきなよね」
「あの……、」

ナマエちゃんが僕をどう思っているかなんて簡単に想像がつく。いつも辛辣な言葉を投げつける僕を。鈍感な彼女には僕の心の裡なんか解るわけがない。
だから僕は彼女が嫌いだ。

君を嫌いで、そして、僕はもう、…どうしようもないくらいに君を大好きなんだ。

そっと懐に入れた手に触れる紙の感触。大切に包まれているのは金平糖。ナマエちゃんがあの時降らせてくれた甘やかな星は、この上なく僕を満たした。どうしたら僕にも出来るだろう。
彼女の上に幸せを降らせてあげることが、どうしたら出来るんだろう。





「だよな、ぜってえ可笑しいよな」
「ああ、だな。あいつに他に行くところなんかねえだろう?」
「ふむ、荷造りか。それは確かに。ちょっと待て、総司」

朝から姿が見えないと思ってた。いつものように偶然を装って覗いた勝手場で、朝からお吸い物の出汁を取っていたのは一君だったし、僕だって可笑しいと思って屯所中に密かに目を走らせていたところだった。
コソコソと話していた平助に左之さんに一君の声を拾って、玄関に向かいかけた僕に声をかけてきた一君は「何処へ行く?」と聞いた。
誰にも敏いと言われていた僕が、その声に含まれていた特別な色に気づかなかったとしても、そんなこと仕方ないでしょ? ナマエちゃんが何処にもいない。彼女は此処を出て行ったのかも知れない。その想いに頭がいっぱいになった僕が、他に何も考えられなくなったなんて当たり前のことだ。
一君の問いに応えずに僕は屯所を走り出た。宛てなんてどこにもなかったのだけれど。

「ナマエちゃん!」

小間物屋の軒から中を覗き込む背中は妙にのんびりしていて、僕はその姿を見つけるなり安堵よりも怒りが込み上げた。人の気も知らないで一体何を呑気にしてるのさ。
振り返ったナマエちゃんは心底驚いたような顔をした。その次に僕の面に上っていた、恐らく彼女が今まで目にしたことがないだろう形相に、ビクリと肩を震わせたのが見て取れた。

「そ、総司さん?」
「何してるの、そんなところで。簪なんか見て」
「簪を見ていたわけじゃ、」
「どうだっていいんだよ、そんなこと!」

僕は大股で近づき彼女の腕を引く。「あ、待って」と叫んだ彼女の手に絡まっていたのは、絹で織られた濃淡のある黒色の組紐だった。何色か使い文様を織り込んだ、とても綺麗な五尺ほどの長さの平打ち紐。僕の眼がそれに釘付けになると、ナマエちゃんは目を伏せる。

「それ……下げ緒?」
「はい」
「ふうん」

僕の瞳に更に険悪な光が宿ったことを、ナマエちゃんが気付いたのかどうかは解らない。離すに離せないでいた腕から僕の手が力を失いかけた時、彼女の唇から零れた言葉が、直ぐには信じられなかったんだ。深く俯いた彼女は消え入るような小さな声で呟いた。

「総司さんのお誕生日……もうすぐだと聞いて」
「……へえ?」

僕の怒りは行き場をなくし、かなり呆けた声が出てしまった。次の瞬間あいつらの、左之さんと平助と一君の、今にして思えばちっとも慌てた風もなかった、むしろ薄笑いさえ浮かべた表情が思い出された。
なんなのさ。僕はハメられたってわけなの?
僕は滅多なことでは動揺しない性質だとこれまで自認してきたんだけど、この時ばかりは頬に上ってくる熱をどうしようもなかったんだ。





***





ねえ、ナマエ。
あれから幾年。君は毎日僕の傍で笑っている。食事も寝起きも共にして、いつも二人で一緒にいる。これ程の幸せを僕はかつて知らない。
この穏やかな日々がいつまで続くのかは解らない。だけど、少しでもいい、少しでも長く君といたい。
君は知っているのかな。あの頃無駄にした時間を、僕が今でもどんなに悔やんでいるかって。どうしてもっと早くに素直になれなかったのかな。
今はほんの僅かの刻すら惜しい。悲しい程に幸福なこの刻が。さらさらと柔らかく、砂のように指の間を零れ落ちていくこの刻が。
咲き乱れる初夏の花を一輪摘んで、片手には一輪挿しを持って戻ってきたナマエが、枕元の薬盆の上にそっと花を活けた。大きな瞳が僕を優しく見つめる。寝たふりをしていた僕は舌を出す。

「宗次郎さん? 起きてるの?」
「おかえり。遅かったね」
「これでも急いで済ませてきたんですよ?」
「手を出して」

僕の伸ばした手にナマエの柔らかな手が載せられる。洗濯をしてきた彼女の手は温かい。水を使っても冷える季節ではないのに、僕は大切に両手で包み込む。この手が僕からすり抜けていかないように大切に握り締める。

「宗次郎さんたら」
「笑わないでよ」

細くよく通る声が柔らかく心を撫でて、握ったままの手を引いて引き寄せれば、首筋に寄せた唇を避けはせずに、クスリと笑って擽ったそうに身を捩る。唇を滑らせて耳朶に触れれば尚笑うから拗ねて見せれば、僕が塞ぐよりも早くに桜色のかぐわしい花びらが、尖らせた唇に触れてきた。

「ふふ。もうすぐ宗次郎さんのお誕生日ですね」
「贈り物をもらわなきゃね。甘い物がいいな」
「何にしましょうか? 金平糖?」
「それもいいけど、」

さっき僕に触れた花びらを、指でなぞってから柔らかく食む。舌で割り開いて奥まで伸ばせば苦しい程の口づけの合間に、金平糖なんかよりももっと甘い吐息と一緒にナマエが「好きです」と僕に囁くんだ。愛らしい声を聞きながら掛け布団を捲り上げて身体をずらし、彼女の柔らかな身体を誘い込む。

「大好きです。宗次郎さん」
「僕もだよ。まずはナマエが欲しいな」

上に乗って着物の袷を開いて行けば「駄目ですよ? まだ朝なのに」とちっとも抵抗していない声がかえって僕を誘う。





――全文は年齢条件を満たす方のみBehind The Scene* にて閲覧ください――





この先、あと幾度、愛しいナマエの身体を抱けるのかなんて解らない。だから今は。
僕を忘れてしまわないように君の中に幾度も幾度も刻み付ける。
でも、本当は。
僕がいなくなってしまったその時は、忘れてしまっても構わないと思ってるんだ、本当はね。君には言わないけど。そう、僕だって嘘つきなんだ。本当は独りぼっちで君が泣いている姿なんか、悲し過ぎて想像したくもない。
だけど今だけ。今だけでいいから。
僕の我儘を聞いて。
君がその命を全うするその時まで、愛するのは僕独りだけだと、甘く優しい嘘で僕を。
どうか、僕を融かして。




2014/04/17


▼ミリヤ様

この度は20万打企画にご参加いただきましてありがとうございました!
そしてそして大変長らくお待たせしてしまいまして本当に本当に申し訳ありません!モニタの前でリアル土下座させていただきます!orz〜〜〜〜〜!!
ミリヤさんから頂きましたリクエスト内容ですが『切から始まって最後激甘の、普段強気で余裕たっぷりなのに、でも彼女が居ないと一気に不安に駆られて焦って生きていけないとかくらいにまでなっちゃう沖田さんが希望です^///^ 裏では強Sなのに、でもちょっと照れてデレとかが入っちゃう沖田さん』というものでした。然して私の沖田さん初書きはこのようになりました///何しろ初体験ですからもうドキドキの冷や汗タラタラのアップとなります。
以下いつもの解説と言う名の言い訳です。
作中で明記してはいないのですが、冒頭の回想部分とラストの部分、彼は病床に就いています。時期や場所についてはぼかしていますが、板橋の植木屋さんの離れを想定しております。この時期は戊辰戦争に重なってますが、大筋がブレますので(少し書きかけたのですがとんでもなく長くなりそうだったので削。泣)その件に関しては一切の記述を省きました。
尚、なまえさんの沖田さんの呼び方についてです。拙い表現により伝わりましたか甚だ怪しいのですが、彼女は「宗次郎君」と呼んでいた頃から沖田さんを想っていました。敏い沖田さんであっても自身の恋愛に関しては冷静になれず誤解をしていたんです。新選組時代は少し距離を置いて「総司さん」と呼んでいますが、やっと二人きり過せるようになった幸せな時間、敢えて再び幼名を呼ぶようにしたのは書き手の小さな拘りです。(沖田さんがなまえさんを呼び捨てするのもw)
それともう一点なんですが、沖田さんの生年月日が現在のところ史実上で正確に解明されていません。文献に寄りますと夏生まれであったという説がありまして、日にちは設定しておりませんが文中では初夏をお誕生日としております。このあたりは私の捏造の部分になりますことをご了承ください。尚一部成人向け表現を用いておりますので、パス付とさせて頂きますことも併せてご了承くださいませ。
最後にミリヤさん!沖田総司大好き人間と自称されるミリヤさんには、かつて拙宅のえんじぇるシリーズでの沖田さんに勿体なさ過ぎるお言葉を頂いておりまして、でも沖田さんを主軸に置いてお話を書くと言うのはまた全く別物でありまして、及び腰になりつつチャレンジ精神で書かせていただきました。お気に召しますか、今もキーボードーを叩く手がふるふるしちゃっていますが、少しでもお楽しみいただけましたら幸いに思います。書いてみればやはり切なく愛しい人でした、沖田さん(;д;)リクエスト本当にありがとうございました!

aoi




MATERIAL: SUBTLE PATTERNS / egg*station

AZURE