57.明日の世界に賭ける
「あのままくっつくかと思ったんだがな」
ライナーはポツリと漏らした。
アニはライナーをチラリと見上げて、しかしそのまま逸らす。
休み時間、二人は教室のベランダの手すりに身をもたせていた。
「本人たち同士のことを私たちがどうこう言っても仕方ないでしょ」
「それはわかっているが…」
あの日から一週間が経っていた。
ベルトルトとルーラは過去を清算し、前に向かって一歩を踏み出した。
が、「あの世界で掴めなかった幸せをこの世界で今度こそ」という方向には進まなかったようだ。
ベルトルトは今もルーラのことが好きなはずなのだが。
ライナーは眉を寄せる。
あのまま押せば、勢いで行けたのではないか。
実際にベルトルトにもそう言ってみたが、ベルトルトはさっぱりした顔で笑って言った。
――いいんだよ、ライナー。僕らはやっと、スタートラインに立ったんだ。
ライナーにはもどかしく見える。
しかしアニの言うとおり、本人が納得しているのなら、それでいいのかもしれない。
「まあ私も、じれったいとは思うけどね」
ライナーが振り返ると、アニのブスッとした横顔が映った。
どうやらアニの発言もあくまで一般論で、自身の思うところとは違うらしい。
「だな」
「けど、マルコのこともないがしろにはできない、かな」
ライナーは目を細める。
「そう、だな」
アニの気持ちはよくわかった。
マルコもジャンも、その他の連中も、大切な友人だ。
今度こそ、本当に、心からそう言える。
後ろめたいことは何もない。
一切ない。
共に過ごしていきたい。
共に歩んでいきたい。
共に悩んで、力になりたい。
寄り添いたい。
彼らも、それを受け入れてくれた。
その想いに応えたい。
マルコはルーラの幼なじみで、彼女を幼い頃から見守っていて、彼女のことが好きだ。
そして、自分の想いを抑え、ルーラの記憶が戻るのを辛抱強く待っていた。
いくらでも想いを伝える機会はあっただろう。
多分、ルーラはそれを受け入れたとも思う。
だがマルコはそうしなかった。
ルーラの記憶が戻ってからも、ルーラとベルトルトが互いの溝を埋めるのを待った。
何に操を立てていたのか。
ルーラか、ベルトルトか。
マルコは、ルーラやベルトルトだけでなく、マルコ自身にも必要なことだと言っていたが、それは本当だろうか。
だとしたら、一体何のために。
「マルコに聞いたんだけど」
アニはライナーに目を合わせる。
「なんで二人が会う膳立てなんかしたのか、あんたの言ってた賭けって何なのかって」
「マルコのやつ、何て」
「二人が過去と向き合って、それを清算して、今に来てくれるのを待ってたって。そうしないと、自分にはチャンスは回ってこないからって言ってた」
ライナーは納得したようなしないような微妙な表情を浮かべた。
「わかるような、わからんような」
「つまり、こういうことだよ」
唐突に左方から声がした。
二人が驚いて振り向くと、隣の教室からアルミンが出てきた。
「ごめん、窓の外を眺めてたら二人の話し声が聞こえたから」
アルミンはライナーの隣に並ぶ。
アニとアルミンに挟まれると、ライナーの体格の良さがより際立って見える。
「つまり、どういうことなの、アルミン」
「つまり、二人が過去を清算して乗り越えない限り…いや、受け入れるって言った方がいいのかもしれない。そうしない限り、結局いつまでも過去に囚われ続けることになるって、マルコは考えてたんだと思うよ。いつか僕は、あの頃の僕らと今の僕らは関係ないって言ったよね。ベルトルトはそれを詭弁だって言ったけど、その通りだったのかもしれない。確かに、あの頃の僕らと今の僕らは違う。でも、それでもやっぱりベルトルトはルーラに許されたかったし、ルーラはベルトルトに許されたかった。そうすることでしか、過去を受け入れて、今に戻ってくることはできなかったんだ」
「それは、わかる気がする」
ライナーが頷く。
「でも、それがどうしてマルコにチャンスを回すことになるんだ?俺にはマルコがみすみすベルトルトにチャンスを譲ったように思えるんだが…」
「過去に決着をつけない限り、前を向けない。ずっと後ろ髪を引かれたままで、ルーラの心の中にはベルトルトに対する負い目が残ったままだ。例えルーラがマルコと付き合ったとしても、ルーラはこの先もずっとベルトルトを気にするだろう。それは時を追うごとにルーラの中で大きくなるかもしれない。それはいつか、マルコとルーラの関係を壊すかもしれない。そういうことだよ。マルコのことだから、それがわかっていて何も知らないルーラに決断を迫るのは、彼女を騙すことになる、くらいに考えてたかもしれないね。マルコは、ベルトルトとのことにケリをつけて、まっさらな状態で自分と向き合ってほしかったんだ。そうしてもらった答えじゃないと、意味がないと思ったんだろう」
なるほどな、ライナーは顎を撫でた。
「じゃあ、賭けっていうのは?」
アニが問う。
「賭け?」
アニはマルコとの会話をアルミンに伝えた。
「ああ、それはさ、二人のさっきの会話が実現する可能性だってあったってことだよ。つまり、ルーラとベルトルトが会った日、そのまま付き合うことになる可能性もあった。そうなればマルコは…かなり不利な立場になるのは間違いないからね」
「だから、賭けってわけ」
「そう」
アニは息を吐く。
「納得」
ライナーは頭を掻いた。
「マルコは…何ていうか、生真面目なやつだよな」
アニとライナーは、マルコの真っ直ぐで誠実な姿勢に敬意を感じていた。
自分の都合で幾重にもブレるまがいものの誠実さには何度も出会った。
が、マルコとのそれは本物であるように思えた。
マルコなら、間違いなくルーラを幸せにするだろう。
そう思うと、胸が重くなった。
アルミンは浮かない表情を見せる二人に微笑む。
「それで、二人はどうするの?マルコに同情して、マルコの応援をするの?」
二人は困ったように視線を交わす。
「いや…まあ…」
「そうはならないだろうね」
アルミンは頷いた。
「それでいいんじゃないかな」
二人はアルミンを見遣る。
「マルコには、彼の性格を理解して親身になってくれる人が必要だ。マルコは決して消極的なわけじゃないけど、自分のためにがむしゃらに行動できるタイプでもないからね。そして、それはベルトルトも同じだ。というか、ベルトルトは控えめに言ってもかなり消極的だよね」
クスリと笑う。
「マルコにはジャンがいる。じゃあベルトルトには?」
ライナーは目を細める。
視線の先には頼りなげに眉を落とした大きな体が映っている。
アニも親しみを多分に含んだため息を落とした。
「そうだな。あいつには俺たちがいてやらないとな」
「ま、それがプラスに働くかどうかはわからないけどね」
「働くさ。二人がいるだけで、きっと救いなはずだよ」
アルミンが微笑む。
ライナーは晴れやかに、アニは控えめに、しかしはっきりとわかるように笑った。
「とはいえ、私たちができる最善のことと言えば、見守ることだろうけど」
「ああ。決めるのはあいつらだ」
教室の中が騒がしくなった。
C組の人間は自席に戻り、他のクラスの人間は慌てて教室を出ていく。
授業開始を知らせるチャイムが響いていた。
(20140818)
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