55.わだかまりを捨て去る
ライナーとアニは公園の木陰に身をかがめ、一人立ち尽くすベルトルトを見守っていた。
二人はハラハラしていた。
ベルトルトの様子が尋常ではなかったからだ。
落ち着きなく視線を彷徨わせては当てもなく歩き回ったり、かと思えば、一点を虚ろに見つめたまま放心したようになったり。
自分から会いに行くと宣言した時の覚悟はどこへ行ったのやらという有様である。
しかしまあ、長年の葛藤と向き合おうとする場合、それが現実のものとなる直前が一番緊張するものなのかもしれない。
まるでこの世の終わりと言わんばかりに視線を落とすベルトルトに、二人は顔を見合わせ、何度目かのため息をついた。
それにしても、ルーラの到着が遅い。
もうさすがに着いてもいい頃なのだが。
アニが表情を曇らせてライナーを窺う。
二人は同じ懸念を抱いていた。
まさか、ルーラの気が変わったのではないか。
そうなれば、ベルトルトはこの状態で待ちぼうけだ。
それを知った彼のダメージは計り知れない。
そんな、まさか。
だが、あり得ないとは言い切れない。
普段のルーラならば考えられないことだが、相手がベルトルトとなると、事情はまた違ってくる。
祈るような気持ちで、二人はルーラの到着を待った。
しばらくして、ライナーの瞳はルーラではない別の影を捉えた。
相手も目敏くこちらに気付き、コソコソと近寄ってくる。
「やっぱり居たな」
ジャンとマルコだ。
「お前ら、来たんだな」
「ったりめぇだ。こいつには見届ける権利があるってもんだ」
二人も腰をかがめる。
「それより、ルーラは?姿が見えないけど」
「まだ来てないよ。ちゃんと場所教えたの?」
「もちろん。間違いないはずだよ。僕らもルーラに送ったメールの住所を目指してきたんだから」
ジャンが僅かに眉を顰める。
「あいつ…怖気づいて逃げ出した…とかな」
ライナーとアニはやはり、と視線を交わし合う。
マルコがやんわりと首を振った。
「きっと来ると思う。ただ、気になることがあるんだ」
三人は怪訝な顔をしてマルコを見る。
「ルーラはスマホの地図アプリでここに来ようとするはずだ。でも、ルーラは地図を読むのがすごく苦手なんだ」
ジャンは頬を引きつらせ、アニとライナーはピクリと眉を寄せた。
「迷ってるってことか…?」
「迷ってるってことじゃない」
「迷ってるってこと、だろうな」
「やっぱり、そう思う?」
ライナーが立ち上がった。
「その辺探して来た方がいいか」
その時、おもむろにベルトルトが歩き出した。
今までの当てもなく彷徨うような動きとは違う。
その足取りは迷いなく、公園の出入り口を目指していた。
もう彼女は来ないと諦めたのだった。
ライナーが慌てて追いすがろうとする。
そんな彼の腕をアニが掴んだ。
驚いて振り返るライナーに、アニはある方向を指差す。
ベルトルトが向かう出入り口とは反対側の出入り口だ。
「待って!!」
声が響いた。
ルーラの声だった。
四人は彼女の姿を認め、安堵の表情を浮かべた。
互いに頷き合って、その場にそっと腰を下ろす。
様子を見守る態勢に入った。
ベルトルトの肩が大きく跳ねる。
ぎこちない動作で、ゆっくりと振り返った。
ルーラは息を切らしていた。
額には汗が滲んでいる。
肩が大きく揺れていた。
「待って…行かないで」
よろめきながら数歩駆け寄る。
「ごめんなさい。遅くなって。迷って…少し」
荒い息の合間から、ほとんどため息に近い声を漏らした。
ベルトルトは少しの間、幻でも見ているかのような目をしてルーラを眺めていた。
目の前にいるのが果たしてルーラなのか、俄かには判断がつかなかったのだ。
一度はもう、彼女は来ないと諦めてしまった後だったからだ。
しかし、ようやく彼女に間違いないと納得したのか、ベルトルトは躊躇いがちに、一歩だけルーラとの距離を詰めた。
それでも、二人の距離は、話をするには少し遠い。
ベルトルトはギクシャクと口を開く。
「もう、来ないんじゃないかって…思ったんだ」
「ごめん」
「大丈夫?」
「うん」
ルーラは息を整え、スッと背筋を伸ばした。
二人の間に、しばし探り合うような空気が流れる。
ルーラの記憶が戻ってから、二人が言葉を交わすのはこれが初めてだった。
今の自身は『どちら』なのか。
相手は自身を『どちら』として見ているのか。
相手との向き合い方を決めかねていた。
だが結局それは無意味な問いでしかない。
過去は既に確固として存在し、今はまさにこうしてあるのだから。
二つの存在は相互に響き合い、今この時にも混じり合っているのだ。
やがてルーラが、おもむろに口を開いた。
「ベルトルト」
ベルトルトは身体を震わせた。
全身を細かな泡が走りぬけてゆく。
ルーラは彼を『ベルトルト』と呼んだ。
今までずっと『フーバーくん』と呼んでいた彼女が、今、彼を名前で呼んだのだった。
それだけでベルトルトの胸は破裂せんばかりに膨れた。
「ごめんね。今までずっと。私だけ何も知らなくて。嫌な思いさせてた。一方的に。ごめん」
ベルトルトは首を振った。
必死に振った。
「謝ることなんて、ないよ」
「だって、私に言いたいこと、たくさんあったでしょ」
ルーラは拳を握りしめて俯く。
ベルトルトはそんな彼女の姿を見て、泣きたくなってしまった。
腹の底から熱が込み上げてくる。
沸騰した感情は、胸を満たし、喉を詰まらせる。
言いたいことは――言わなければならないことは、たくさんあった。
けれど、頭の中はグチャグチャで、全然言葉にならなかった。
ルーラは、黙ったままのベルトルトを窺うように視線を上げ、彼の表情にハッと身を固くした。
そして、顔をぐしゃりと歪める。
「ごめん。ごめんね、ベルトルト」
ベルトルトはつかえながら、なんとか言葉を絞り出す。
「あ、あったよ。い、言いたいこと…」
裏切り者でごめん。
怖い思いをさせてごめん。
苦しませてごめん。
僕のせいで死なせてごめん。
好きになって、ごめん。
「僕はずっと…ルーラに謝りたかった」
ルーラは目を瞠った。
「どうして?謝らなきゃならないのは、私でしょ?」
今度はベルトルトが驚きの表情を浮かべる。
「何故、きみが?」
「だって、私、最期まで、自分の態度、ちゃんと決められなくて。あなたたちの重荷になったままで…」
「そんな…何、言ってるんだ。そんなの、元はと言えば、僕が、裏切り者だったから…僕が、きみを巻き込んだから…僕が、悪いんじゃないか」
「違う!私、そのことは後悔してない。あなたは、私のこと、ちゃんと見てくれた。真剣に、向き合ってくれた。私も、それに応えなきゃいけなかった、のに」
ルーラの眉間にきつく皺が寄る。
ベルトルトはかぶりを振った。
「そんなの、無理だ。元々、無理な選択を、僕が、迫ったんだ。ルーラは、何も悪くないんだ。ごめん。ごめん、ルーラ」
「やめて!謝るのは私の方。ごめん。本当にごめんなさい」
「それは、僕の台詞だ。本当に、ごめん」
二人は互いに頭を下げ合った。
一生分の謝罪の言葉を使い尽くしてしまうのではないかというくらい、何度も何度も。
しばらくそれを繰り返しているうちに、ルーラはだんだんおかしくなってきてしまった。
つい、クスリと笑ってしまう。
でもそれは、ベルトルトも同じだった。
二人は少し気まずそうに視線を泳がせてから、ゆっくりと顔を見合わせて、クスクスと笑い合った。
二人の間に漂っていた緊張感が、早朝の空気に溶けていく。
「もう少し、近くに行っていい?」
ベルトルトは少し恥ずかしそうにしてから、微笑した。
「うん」
(20140810)
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