52.今は生きてる
ルーラの記憶が戻った。
マルコのメールを受け取ってから、二週間が過ぎていた。
当初かなり辛そうだったルーラもようやく落ち着きを取り戻してきたと、ライナーやアニから聞いていた。
他の同期たちは、時々顔を見せに行っているらしい。
僕は――僕だけが、未だに彼女と顔を合わせていなかった。
会いに行く勇気が、どうしても持てない。
記憶がない時でさえ、彼女はあんなに僕に怯えていたんだ。
記憶が戻った今となっては、僕はただの害でしかないに違いない。
どんな顔をして会える?
一度は心を強く持とうと、彼女のために何をすべきかを考えようと決めた。
だが、いざ彼女の記憶が戻ったと聞くと、そんな決意は砂の城のごとく崩れて散ってしまった。
「なあ、ベルトルト。お前が躊躇う気持ちもわからんではない。わからんではないが…」
「会わなきゃ始まらないでしょ」
ライナーとアニがこうしてルーラに会うように促してくるのは、これで何度目だろうか。
「二人の言うとおりだよ。この先一生会わないってわけにもいかないんだし」
「そうですよ。照れくさいのはわかりますが、そんなの最初だけですよ」
いつもと少し違うのは、そこにアルミンとサシャが加わっているということだ。
「サシャ、照れくさいのとは少し違うと思うけど…」
アルミンが苦笑いする。
「私が言いたいのは、ベルトルトは大きいくせに、小さいことをウジウジ気にし過ぎってことですよ!」
「小さいって言っちゃうのも乱暴な気が…」
「もう!アルミンはベルトルトをルーラと会わせたいんじゃないんですか!」
アルミンは苦笑を更に大きくした。
「そうだね。確かにそのとおりだ」
アルミンは表情を改めた。
「ねえベルトルト、ルーラは記憶が戻ったばっかりで、自分からきみのところへ来るのはちょっと難しいと思うんだ。きみから会いに行ってあげるべきじゃないかな」
ライナーが深々と同意する。
「ルーラも落ち着いてきてるから、今なら大丈夫だと思う」
アニの深い視線は、言葉無くとも行けと訴えている。
僕はどうしていいかわからなくなった。
頭を重く垂れる。
「大丈夫なんて、どうしてわかるんだ」
ようやく言葉を発した僕にみんなが注目したのを感じた。
「彼女は僕になんか会いたくないだろう」
一同が視線を交わし合っているであろう間が空く。
アルミンが再び口を開いた。
「ルーラが苦しんでいるのはベルトルトのせいだけじゃないんだ。僕たちに対しても負い目を感じてた。でも、彼女は逃げたりしないで、ちゃんと向き合ってる。少しずつ乗り越えつつあるんだよ」
「その、そもそもの原因を作ったのは僕だ。ルーラがきみたちに負い目を感じなきゃならない原因を作ったのは…僕だ」
ライナーが微かに呻く。
「それどころか、僕は一度は彼女を――」
殺そうとした。
両手にすっぽり収まってしまう細い首の形が、生温かい柔らかな皮膚の感触が、今でもこの手に絡み付いてくるような気がする。
「それは…お前じゃない」
ライナーの声に力はない。
「俺たちはそんなことをしないし、する必要もない」
「でも、それは『過去に』確かにあったことだ。そして、彼女はそれを思い出した。ルーラは僕の罪を知ってるんだ。今の僕がしたことじゃないなんて、そんなの詭弁だ」
ライナーの返答はなかった。
アルミンが小さく息をついた。
「ねえベルトルト。ルーラとベルトルトは、傷つけ合うことしかしなかったの?僕には、そうは見えなかったよ。きみが目を向けているのは、一部の暗い部分だけだ。気持ちはわからなくもないけど、それじゃ物事を正しく捉えることはできないんじゃないかな」
「僕のせいでルーラは死んだ。それが僕らの関係の全てだよ」
「いや、それだけじゃなかったはずだ。俺はずっと傍でお前らを見てた」
「結末が全てだよ!僕がルーラに救いを求めたから、ルーラはあんな死に方をしなきゃならなかったんじゃないか!」
「うーん、よくわかりませんね」
サシャが間の抜けた声で言った。
「ベルトルトはルーラに会いたくないんですか?」
一同が虚を突かれて目を瞬かせた。
「ベルトルトにとってルーラは救いだったんですよね?なら、そう言いに行けばいいじゃないですか。悪いことをしてしまったと思うなら、謝ればいいんです。確かにルーラはあの時死んでしまいましたが、今は、生きてます」
黙って話を聞いていたアニが小さく吹き出した。
あんたにしちゃいいことを言う、とサシャに頷いて、僕に向き直る。
「サシャの言うとおりだね。ごちゃごちゃご託を並べるのはいい加減にして、あんたの意見を聞かせなよ」
思わぬ方向から揺さぶられて、僕は喉を引きつらせる。
「僕の…」
「そう、あんたの」
「僕は…ルーラにとてもひどいことをした。多分、ルーラは僕に会うことを望まないと思う。当然だよ。だって、あんな――」
「つまり」
アニが割って入る。
「あんたはルーラに会いたくないんだね」
僕は思わず顔を上げた。
「私たちがここまで言っても気持ちが変わらないんなら仕方がない。ベルトルト、あんたの口からはっきり聞かせてよ。そうしたら諦めるから。もう二度と、会いに行けとは言わない。あんたはルーラに会いたくない。そうなんだね?」
「おい、アニ…」
ライナーが狼狽しながらアニを窺うが、アニはそれを黙殺する。
「どうなの、ベルトルト」
僕は目を泳がせる。
静かな瞳で僕を見つめるアニとアルミンが見える。
オロオロと成り行きを見守るライナーと、キョトンとしたサシャが映る。
「僕は…」
僕は彼女をこの手に掛けようとした。
――早くして。苦しいよ。
残酷な選択を迫った。
――そんなの…わかるわけない…!
彼女の優しさを利用した。
――それでも、一緒にいたい。あなたは?
縋ってはいけなかったのに。
――拒絶しないで。
僕はハッとする。
胸が痛いほどに高鳴った。
――お願い。私を拒絶しないで。
かつて僕が言ったのと同じ言葉を、あの時、彼女は口にした。
僕も一緒にいたいと言ったら、笑ってくれた。
嬉しいって、そう言ってくれた。
彼女の笑顔が好きだった。
彼女の温かな眼差しが、歌うような声が好きだった。
彼女が僕の名前を呼んでくれると、僕は少しだけ強くなれる気がしたんだ。
――ベルトルト
風に乗って彼女の声が届く。
――ベルトルト!
両手をきつく握りしめる。
「僕は、ルーラに――」
――フーバーくん
あの頃より少し幼い印象の彼女が僕を呼ぶ。
――背が高いと蹴りが映えるね。
零れるような笑顔が胸を押し上げる。
「会い――たい」
会いたい。
会いたいだけじゃない。
彼女に笑ってほしい。
僕の名前を呼んでほしい。
そんなずうずうしいこと、言っていいはずがないのに。
「会いたい。会いたい。会いたいよ」
僕の口からは止めどなく本心が溢れ出す。
抑えることができなかった。
ルーラに会いたい。
本当はすごく会いたいんだ。
「決まりだな」
みんなが表情を崩すのがわかった。
ライナーが我が事のように嬉しそうなのが、照れくさくてこそばゆかった。
(20140730)
*←|→#
[bookmark]
←back
[ back to top ]