08.please show me right shape
「ライナー・ブラウン!」
我に返ると、講義を受け持つ上官の視線と交差した。
どうやら某かの指示が自分に対して出ているらしい。
ヒヤリとした。
上の空で全く内容を聞いていない。
どうする。
諦めて謝るか。
そんな逡巡をしていると、隣からノートが滑ってきた。
書いてある文章をそのまま読めとメモが走っている。
ライナーは慌ててその文章を棒読みした。
視線を上げると上官は小さく頷く。
そのまま話を先に続けたようだったのでホッと胸を撫で下ろした。
「悪い、助かった」
「珍しいな、ライナーがボーッとしてるなんて」
お前のせいだ、と思ったが、急場を凌げたのも他ならぬベルトルトのおかげだったので、その言葉は飲み込んでおいた。
講義が終わるとルーラが含み笑いを浮かべながら近寄ってきた。
「ライナー、話聞いてなかったんでしょ」
ライナーは苦笑する。
「まあな。あの時はヒヤッとした」
ルーラはクスクスと喉を鳴した。
「どうせクリスタの後ろ姿でも眺めてたんでしょ。真面目にやりなよ、真面目に」
こいつらは揃いも揃って、人の気も知らずに。
ライナーは憮然とした表情を浮かべたが、そんなライナーを見て、二人は楽しそうに笑った。
目配せをして笑い合う二人は、傍から見れば幸せそのものだった。
――でもそれは幻想だ。
――『その時』が来たら、捨てられるのはきっと私の方。
だが、その内に破たんを秘めている。
本人たちはそのことに気付かないふりをしているのかもしれないし、無意識に意識の外に追い出しているのかもしれなかった。
けれど、いずれ無視できなくなる時が来る。
それが彼女の言う『その時』なのかどうかはわからないが。
今の幸せが虚構だと言っているのではない。
彼らが互いを本当に大切に、愛おしく思っていることは、ライナーにもわかっていた。
ただ、その幸せを支える土台が、あまりに脆弱な気がするのだ。
この気持ちの悪さを言い表すなら、そう。
歪だ。
ライナーは思った。
肥大化した幸せが、今にも朽ちて折れそうな木柱の上に乗っている。
そんな歪な形をしている。
それを見た誰もが、そう遠くないうちに崩れ落ちる運命を予感する。
そういう切迫した気持ちの悪さだ。
このままでいいのか。
このまま崩れ落ちるのを黙って見ているのか。
二人は微笑んでいる。
屈託のない笑顔で、互いを慈しむように見つめている。
歪だ。
もう一度、ライナーは思った。
――わからない…や。
――どんな人間だっていいなんて、嘘だね…。
彼女は迷っている。
今ならまだ、引き返せるかもしれない。
――どうしたい…んだ…僕は…。僕は…一緒に…。
――ダメだ。彼女がそれを望まないなら、ダメだ…。
いいのか、ベルトルト。
そんなこと言ってると、彼女はお前の元から去っちまうかもしれねえんだぞ。
ここに置いていったら、彼女はどうなる。
いや。
ライナーは顔を上げた。
そんなことを言っていたら、俺たちは何人、ここから逃がさなきゃならないんだ。
この時、ライナーはルーラとの会話をベルトルトに伝える決心を固めた。
ライナーは彼女との会話をベルトルトに伝えた。
彼女が迷いを見せたこと、それから、それでも共に生きたいと泣いたことも。
それを伝えないのは卑怯だと思ったし、それを聞いても、いや、それを聞いたからこそ、彼は決断するだろうと確信していたからだ。
ベルトルトに思ったほどの動揺はなかった。
一時的なショックは覚悟していたのだが、彼はそれを冷静に受け止めたようだった。
「それはそうだ。当然の反応だよ」
その瞳は景色を映してはいない。
自分の内面を映していた。
「あの時の僕たちは、とても弱っていたから…。でも、もう終わりにしなくちゃならないんだ。 わかってる。今なんだ…離れるなら…」
握り締めた両の拳は震えていた。
その日から、ベルトルトはルーラと距離を置くようになった。
ルーラはしばらく不思議そうに首を捻っていた。
何かあったの?と問われることもあったが、ライナーは知らぬ存ぜぬを通した。
やがて怪訝な表情が浮かぶようになり、悲しげに俯くまで大して時間はかからなかった。
「ライナー、ベルトルトに話したんだね」
彼女がか細い声で呟くのを聞こえないふりをして切り捨てた。
ベルトルトは自身を卑怯者だと言っていたが、卑怯なのは自分も同じだと思った。
だが、早い方がいい。
自分たちは壁内に、大切なものを作りすぎた。
切り離すなら早い方がいいんだ。
ベルトルトも、俺も。
(20131006)
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