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ミルク色の霧に包まれたロンドンの街。
街灯が眠たげな光を放つその下を石畳を蹴り上げて新聞の束を抱えた少年が駆け抜ける。
「貧民街で殺人!殺人だぁ!!」

陰鬱そのものが支配する街に響く甲高い叫び。とある街灯の下で立ち止まる少年に群がる人々が、我先にと小銭を差し出し新聞を買い求める。
飴玉に群がる蟻にも似たその光景に、一人の男が空を仰いで溜め息をついた。
鈍色の雲に覆われた夕暮れの空。湿気を含んだ癖毛を掻き上げ、彼はあるアパートメントへ足を踏み入れる。
街の一角に建つ古びた五階建てのそれは、煉瓦作りの壁一面に緑の蔦を這わせ天に向かってそびえ立つ。

その最上階のある一室、『S&A探偵事務所』の木製看板が掲げられた分厚い木のドアを、彼の拳が遠慮がちに叩いた。

「はーい。あら、警部さん」

ぎぃ、と鈍い音を立て開いたドアの間から、一人の若い女が顔を出す。
にっこりと愛らしい笑みを浮かべる女を前にした瞬間、警部さんと呼ばれた彼は首筋に冷たい汗が流れるのを感じた。

「先生は、いるか?」

「外出中よ。もうすぐ帰ってきますから。どうぞお入りになって」

鈴を転がすような涼やかな声色、くるりと踵を返す女の纏う、純白のスカートがふわりと揺れた。

「先生、仕事か?」

「ううん、糞婆のところ。」

薔薇の蕾を思わせる可憐な唇が紡ぎ出す辛辣な台詞。
鈍い光沢を放つ深紅のビロード張りのソファーに腰を下ろし、彼は嫌悪感を露にする。

「少しは口を慎め。」

「だって先生がそう仰ってるんだもの」

ちょこんと小首を傾げながら、女は白磁のティーポットを手にする。
幼い子供にも、妖艶な娼婦にも見える彼女は、この探偵事務所の秘書だ。
『先生』は彼女の雇い主兼、保護者。
伯爵の称号を持つ男だ。

探偵などと名乗っているのは、食うに困らぬ上流階級のお遊び。……と、彼は思っていた。
しかし、この『先生』、見た目は優男そのものだが、なかなか気骨があり、上流階級特有の気取った感じが全くない。

貴族らしくない貴族、と言えば妙だが、彼にとって『先生』は気のおけない仲だし、何より難解な事件が起こった際に受ける助言は大いに役に立つ。

「あの糞婆、先生に『あんな小娘は今すぐ叩き出しなさい』って言ったんですって。失礼よね」



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