「寒い?…ああ、そうか」
パンと男が両手を合わせると同時に、梓は己の着物を身につけていることに息を飲んだ。
柄が抜ける程に着古した浅黄色、見間違えるはずかない。
彼は、人にあらず。
未知のものへの恐怖で、喉が一気に干上がっていく。
「あなたは…何者?」
「私はここに住まうもの。君が生きて来てくれて本当に嬉しい。いつも印の気配を追ってきても、間に合わないことがほとんどだったからね」
さらりと告げられる言葉に眩暈がする。
もう間違いようがないだろうが、彼は
「…まさか、水神…?」
「そう言われる時もあるね」
微笑む彼に対峙する梓は、表情を無くしていく。
数十年に一度、誰かの首筋に紅い花が咲く。
その選ばれた花嫁は濁流に突き落とされ、盛大な祭は終焉を迎える。
荒れ狂う海と空の平穏を願う古い信仰は、咎のない人達をどれだけ犠牲にしてきたか。
全ての元凶が、これ。
「…どうして生贄を求めたの。なぜ皆に苦しみしか与えないの!酷いしけが続いて船を出せないで皆死にかけてた。それを見て面白がっていたの!?」
激昂し叩きつけるような梓の叫びに、神は眉を寄せた。
「…私の存在を感じられる人が減り、日々力は衰えていく。だから海は私の制御を受け入れない。少しでも信仰を増やす為、我が声を聞いて欲しいと村へ投げかけても、やってくるのはなぜか死体だけだ。生贄なんて求めた覚えはないよ」
「嘘よ…じゃあこの痣は何なの?それにこれが出るのは若い女だけじゃない」
襟口を緩めて、首筋を露わにした彼女が見せつける手のひら程の花型の痣を
「これはね、私の声を聞き取れる魂の美しい者ならば男女問わず現れる…私の代弁者たる印。遥か昔、君の先祖に話したはずだけど、まさか生贄などと間違えるとはね…」
痛ましいものを見るような顔で、神はついと指先をそれに近づけた。
するりと梓の花は彼女の肌の中で浮かび上がり、触れた指先へと吸い込まれていく。
跡形もなく消えた痣の後を、あっけに取られたように撫でている梓に、神は寂しげに微笑んだ。
「人との距離がこれほどにも遠くなった今、私の声はもう届かない方がいいのかもしれないね。君の印も消した。私のことは忘れて村へお帰り」
勝手な言い草に、梓の頬が怒りのあまり紅に染まる。
「…歯、食いしばりなさい」
は?と間抜けな顔で水神が問い返すより早く、振りかぶった梓の右手がその面を強襲した。
バンといい音がした後、
「痛っ!何で!?」
痛みに顔を歪め、頬を押さえて飛び上がったのは叩いた梓の方。