―――・・・
「寂れた街ね・・・此処、本当に人住んでるのかしら」
「そうだね・・・」
街に活気はなかった。
私と妻が死んだあと、何があったと言うのだろう。
にぎわいどころか人がいない。
「あら、ナマエ見て」
「え?・・・ぁ」
母親の指し示す方には【House of wax】・・・『蝋人形の館』と書かれていた。
「あれだけ大きな建物だもの。きっと誰かいるわ」
まるで自分に言い聞かせるようにそういった母親に腕を引かれる。
たどりついたそこ。
扉の前に立った母親は驚いたように「扉も壁も全部蝋燭でできてるわ」と声を上げた。確かにそうだ。
それにしても、この建物、私と妻が死んだあとに建てたのだろうか。
まるで妻が夢見たような、そんな館。
扉を開けて中に入れば、蝋燭独特のにおいが立ち込めていた。
「凄いわナマエ。全部蝋燭でできてるのね」
カウンターには誰もいない。
ただ、カウンターには小さな写真たちがあって、そこには少し映りの悪い、ぼんやりとした私がいた。
それを無言で眺めていると、突然母親の悲鳴があがった。
何事かと思うと、母親が作業着の男に腕を掴まれていた。
「そんなに叫ぶことねぇだろ」
「と、突然現れて腕を掴まれれば誰だって驚くわ!は、放して頂戴!」
作業着の男が「つれねぇなぁ」と言いながら、少しだけ視線をこちらに移した。
「何だ、子連れかよ」
その顔を見て少しだけ目を見開く。
あれはボーじゃないか。
レスターもいて、ボーもいる。ならヴィンセントもちゃんといるはずだ。
此処の作品は、生前見たことがないような作品がほとんどだったし、今もヴィンセントは作品を作り続けているのだろうか。
けれど可笑しいと思う点もある。
この人間の姿をした人形・・・
どうにも違和感を覚える。
「おいチビ、何ぼーっとしてたんだ」
母親から手を離しこちらに近づいてくるボーに、私はにこりと笑う。
「此処凄いなぁーって。蝋人形が沢山ある」
「すげぇだろ。俺のママの夢の場所だからな」
「・・・そっか」
やはり妻の影響力は凄まじかったらしい。
ボーはまるで妻を聖女か何かと思っているような眼をしていた。
「ナマエっ、こっちにいらっしゃい」
「うん、母さん」
母親に呼ばれてそちらへ行く。
「こ、このあたりに宿はないかしら?」
「宿?ねぇなぁ」
「そ、そぅ」
「何だったら俺の家に来いよ」
そう提案するボーに母親は困った顔をする。
しかし宿がないのでは野宿確定だ。母親は渋々「じゃぁそうさせて貰おうかしら」と言った。
「じゃぁ家まで案内してやる」
そういってこちらに背を向けるボー。
私は「もうちょっと蝋人形を見たい・・・」と小さく呟いた。
「何だ坊主。蝋人形に興味あんのか?」
「ちょっとだけ」
はにかみながら頷くと「じゃぁ仕方ねぇな。とりあえずお前のママだけ案内するか」と言った。
「ちょ、ちょっと待って。ナマエ、一緒に行きましょう?その方が良いわ」
「だってまだちょっとしか見てないから」
「で、でも一人は危ないわ。お母さんと一緒に――」
「本人が見たいって言ってんだ。行こうぜ」
ボーに連れられて行く母親に私は軽く手を振ってから、蝋人形を眺めることにした。
「腕を上げたね」
なんて、小さく呟きながら歩く。
「おや?」
開けっ放しの扉の外に出てみると、傍には教会があった。
ちょっと小走りしてそこに近づき、幼い身体では少し重たいその扉を開く。
「・・・・・・」
そこは、葬式の最中のように、蝋人形が配置されていた。
そっと棺桶の中を覗き込めば・・・
「ッ、あぁ、やっぱり」
そこには妻が眠っていた。もちろん、それも蝋人形だ。
私は見るに堪えなくなる。
妻が死した後でも、妻はこうやって姿を保たれているのか。
それはあの子たちなりの優しさなのだろうか。けど少しさびしさも覚える。
妻の棺桶があっても、私の棺桶はないらしいから。
「・・・戻ろう」
気まぐれで来たのは失敗だったようだ。
私は蝋人形館に戻り、蝋で出来た椅子に腰を下ろした。
椅子に近くにある机にも、沢山の蝋人形が並べられている。
その蝋人形を撫でながら、小さく微笑む。
「・・・静かだ」
私はほぅっと息を吐き、窓の外に目を向け――
「!」
窓からこちらを見ている目。
はっとして椅子から降りると、その目はさっと何処かへ消えた。
一瞬だったが、私にはわかる。あれはヴィンセントだ。
私はヴィンセントまでもが元気に生きていることを知り、嬉しく思った。
けど何故逃げたのだろうか。子供だから怖がられると思ったのだろうか?
蝋人形館から出て周囲をきょろきょろとする。やはりヴィンセントの姿はない。
「・・・やはり、あのままボーと一緒に行った方が良かっただろうか・・・」
一人取り残された私は困ったように歩き出した。
「おい」
「ぁ・・・」
「もう蝋人形は良いのか?」
こっちに近づいてくるのはさっき別れたボー。
私はにこりと笑いながらこくっと頷く。
「母さんは?」
「お前のママなら今頃ゆっくりしてるぜ」
何か含みを感じる言い方だったが、私は大して気にせずに「そっか」と頷いた。
「お前も来い」
そういって私に手を伸ばすボー。その手を私はギュッと掴んだ。
手を伸ばしたのはボーなのに、何故そんな驚いた顔をするのか。
「ぃ、行くぞ」
けれど私の手は振り払ったりせず、ボーはそのまま歩き出した。
移りゆく景色。私は小さく微笑みながら「ねぇ」とボーに声をかける。
「さっき、誰かが蝋人形館を覗き込んでたんだよ。此処の人?」
「あ゛?」
ボーの顔が一瞬で険しくなる。
「・・・さぁな」
ふいっと顔をそむけてしまうボーに少し寂しさを覚えつつも「そっか」とだけ返事をした。
連れて来られたのは、妻と子供達と暮らしていた我が家だった。
あぁ、そうそう。こんな家だった・・・
・・・おや?
「どうした?」
「あれ、父さんの車だ」
指差す車はやはり父さんのもの。
ボーは「へぇ」と少しだけ意地悪く嗤いながら私の手を引いて家に入っていく。
家の中は少し薄暗い。
「俺はちょっと行くところがあるから、お前は此処でジュース飲んで待ってろ」
目の前の机の上にはジュースが瓶ごとドンッ!と置かれた。
私はこくこくっとうなずき、ボーの後ろ姿を見守る。
待ってろと言われたけど・・・
久しぶりに我が家だ。少しぐらい・・・
そう言った少しだけ愚かなぐらい身勝手な考えが思い浮かび、私はジュースを冷蔵庫に仕舞うと、そっと動き出した。
最初は一階。
一階の洗面所には、妻が生前愛用していたもので埋め尽くされていた。
二階もほとんど同じ。妻が使っていたものばかり。
私は悲しく思いながら、最後に自分の書斎だった場所の扉の目の前に立った。
「・・・・・・」
きっとこの中も、妻の遺品か何かで埋め尽くされているのだろう。
期待しないでその扉を開けた。
「!」
私はとても驚いた。
そこは・・・
私が生きていたころと同じで・・・それどころか、
「私かっ・・・?」
優しく微笑んだ私の蝋人形が、椅子に座りながら、こっちに腕を広げていた。
まるでこっちにおいでと言っているかのようだ。
私はグッと口をつぐみながらソレに近づく。
本棚も机の上も、きれいに掃除がなされている。
机の上に置かれているのは私の写真。
私はぼんやりとそれを見つめ、それと同時に涙を流した。
「っ・・・私は、駄目な父親だ・・・」
なのにあの子たちは、こんな父親の部屋を残してくれていた。
何て良い子たちなんだ。そして私は、何て駄目なヤツなんだ。
何故あの子たちをもっと笑顔にしてあげられなかったのだろうか。
愛情は溢れんばかりにあったのに、その一部も伝えきれなかった。
後悔の念が私を押しつぶしてしまいそうになり、私はその場に座り込んだ。
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