01/はじまりの鐘


 国王崩御の鐘が鳴った。

 ある暑い夏の昼下がり、この国に住まう誰もが、悲しげに打たれる
鐘の音に振り返り、長年に渡って深い愛を持って国を治めてきた国
王の死に誰もが心を痛め、涙を流した。

 王宮の北、兵舎武器庫にいたラクヨウにもその鐘の音は聞こえて
いた。まるでその音が、彼の心臓の中で鳴っているかのように、揺
れるように響くのを、彼は胸を必死に抑えながら聞いていた。
武器庫の小さな窓から見える空の青さは、昨日までと変わりはない。
ただ一人、大切な人物をこの世界から失ってしまっただけ。
だが直線を引いたように、世界の色がまるで違うと、ラクヨウは感
じていた。

「ラクヨウ!」

 慌てた様子でクリエルが武器庫に駆け込んできた。
ーー聞こえてる、そう言おうにも言葉は声に成らずそうして初めて、
彼は呼吸をするのも忘れるほどに自分が泣いていることに気がついた。

「......キンディも、皆集まってる。 早くしろ」

 クリエルは語気を強めて彼を促すが、一向に動く気配がない。
クリエルにとってラクヨウは上官でもあるが、古くからの友人でもあり
このときばかりは彼をを引きずるようにメルキア国軍の兵舎棟へと向か
った。
 国王軍の全兵士に緊急招集がかけられ、兵舎談話室には人が溢れか
えっていた。
 部屋に最後に入ってきたクリエルとラクヨウに視線が集まり、よう
やく全員が揃ったかと息をついたキングデューは軍幹部全員に黒の腕
章を配った。

「警ら団、1班は国境警備隊への伝令を頼む」

 大勢の部下の手前か、ラクヨウはすっかりと鼻水も涙も拭い去って
いた。そして、自分が指揮する警ら団に対して静かに指示を飛ばす。

「1班だけで大丈夫か?」

 助け舟を用意していた騎兵団司令は、馬の用意を済ませていた様子
だったが、ラクヨウは首を横に振った。

「十分だ」

 さすがの王宮の鐘も、国境まで聞こえることはない。このメルキア
王国で国王が崩御するのは実に60年ぶりであり、以前の崩御の際の
この国の様を知るものは、少なくとも現役兵士の中にはいなかった。

 王政の敷かれたこの国は、国王の崩御にあたり7日間の喪に服す。

 王族も軍人も、病めるときこそ国民と共にあれ。それが、故ローラ
ンド国王の意思だった。

 つい先月、警ら団司令の任に着いて以来のラクヨウの礼服は未だ
真新しい匂いを放っていた。変わったことといえば、腕に黒い腕章が
つけられていることだけ。
 親衛団の司令を3年もやっているキングデューに至っては少しばか
り、ズボンの丈が足りないようにすら見受けられた。
 こうして礼服に身を包んだ王国軍の各団司令4名が揃い、王の遺体
との対面に赴く。場所は王宮の中央2階に位置する寝室だ。
 その場所へと近づくための一歩がやけに重く、さらには手が震えて
いることに、ラクヨウは情けなさを感じた。

 老齢であった国王の病状は、王子のマーシャルから聞いてはいたも
のの、いざこの日が来ると司令に昇進したことに後悔の念がついて回
った。
 階段を登りきり寝室の前に目をやると、国王直属の医師たち皆が
一様に俯きながら手を前で組み、石膏像のように動かずにいた。

 閉ざされた寝室の扉が女中の手により開かれ、4人は並んで部屋の
入り口でひざまずいた。部屋には、国の最高位にある司教と12人の
司祭が香を焚きながら、祈りを捧げている。
 ヘレナ王妃はベッドのそばの椅子に座り、静かに涙をぬぐっていた。
その肩に手を置き、マーシャル王子もじっとローランド王の亡骸を見
つめている。

 親衛団司令であるキングデューが先に立ち上がり、王に向かい
最敬礼を行い、3人の司令たちがあとに続いた。

ラクヨウは敬礼のあとで寝室へ入ると、まっすぐに王妃に歩み寄り
ゆっくりと膝をつくと王妃の両手を握った。

「ラクヨウ......ほんとに、あなたって人は、ほんとに...」

 涙に言葉を詰まらせながら、王妃は愛おしそうにラクヨウの手を
弱々しく握り返した。この国の軍人という立場よりも先に、家族に
近い感情が彼にそうさせていた。
 身分の高さをひけらかすこともなく、家族のなかった自分を可愛
がってくれた、ラクヨウはこの家族が好きだった。優しく、ときに
厳しいローランド国王が、本当に好きだった。

 そして、大人になっても変わらぬ親友であるマーシャルのことを
思えば形式張った挨拶で国王を送り出すよりも、残された家族を支
えたいと思うことは至極当然だった。精一杯に泣くのを我慢してい
るラクヨウの様子にマーシャルも、たまらずラクヨウの肩を借り、
忍ぶように嗚咽を漏らした。

 その様子を咎めるものは、誰もいなかった。

「マーシャル王子、ヘレナお妃様......。誠に御愁傷様でございます。
 定められた規定に則り、 全国民、並びに国王軍兵士はこれより、
7日間の喪に服しますがお二人の身辺はこちらのメルキア国軍、司令
4名でお守りさせていただきます。国民からの献花を明日より3日間
行い、5日目に国葬、6日目に埋葬の儀、7日目にマーシャル様の戴冠
式を執り行います。 どうか......全て我々にお任せください」

「キングデュー、どうもありがとう......。 よろしくお願いします。」

「ヘレナ様......どうか気を落とさずに」

 キングデューはメルキア国軍の歴史の中でも最年少で司令官に登り
詰めたエリートであり、主人である王族との距離の取り方は心得てい
た。しかし、そんな彼ですら、国王不在という事態にはどう対処した
ものかも残された王妃と王子にかける言葉もひねり出すのがやっとだ
った。このときは、王妃が気丈に振舞ってくれていることが何よりも
有り難かった。 

「...さがせ」

 ラクヨウの耳元で、マーシャルは嗚咽を堪えながら小声で囁いた。
その声に込められた危機感に、ラクヨウもうなづいた。

「フリード......だな」

「あぁ、もう......いないはずだ」

 ラクヨウは、マーシャルの肩を力強くだき、キングデューの方を
見遣った。キングデューもその視線にうなづくと、二人の司令に向
き直った。

「ハガード、カースン、お前たちはお妃様とマーシャル王子について
 この部屋で待機だ。
 ラクヨウ、お前と俺は国境警備の兵たちに今一度、国王崩御を知ら
 せ各隊への今後の指示を出す」

 ラクヨウは敬礼をすると、足早に王の寝室をあとにした。

 並んで歩くキングデューが、緊張のせいか息があがっていることに
気がついたラクヨウは、寝室から少し遠ざかったところで足をとめた。

「キンディ、鐘のあと......フリードは見たか」

 ラクヨウの言葉に、キングデューは息を整え目を閉じた。

「鐘のあとはおろか、昨日から親衛団を増員の上王宮内を巡回させて
いるが、......報告はない」

 フリードは、故ローランド王の甥にあたる王位継承権第3位にあた
る伯爵である。公にされることはないものの、この鎖国国家において
唯一、王の許しを得て国外留学をしていた。
 帰国後はその知識と経験からこの国の早急の開国を、王家のみなら
ず兵士たちにも説いて回っていた人物であった。
 国王の容態悪化に瀕してもなお、王に対して王位を自分に譲るよう
迫っていたというその話はローランド国王やマーシャルを介して国王
軍上層部、しかもラクヨウとキングデューのみに情報が共有されてい
た。

「だが......未だ納得がいかぬ。
 本当にフリードが王位のため、戦争を起こすなんぞ......」
「キンディ、現に奴は国王が死んだというのにこの王宮内に居ないん
 だぞ!もう"疑わしい"なんてカッコつけてる場合じゃねえ! 
 あいつは黒だ!」
 
 ラクヨウはフリードが帰国した2年前から、彼の動向に違和感を持
ち、秘密裏に監視を続けてきた。ラクヨウの疑念を裏付けたのは、フ
リードが国境警備を買収して再度出国するのを目撃したからである。
 その事実をキングデューに報告しても、彼はずっと取り合いはしな
かった。キングデューもまた、ラクヨウにとっては親友の一人であっ
たものの、いつからか二人の意見は毎度対立するようになり、まとも
に口も聞けない間柄になってしまっていた。
 
 真夏の日差しを洗い流すように、強い風が吹いた。北から南へ、は
るか向こうに見える海の青さをラクヨウは集中力を高めるためにか、
目を細めてしばらく眺めていた。

 彼らが住まうメルキア国は、このプロキス島の東側7割を統治し、
西側はバララントという国家が統治していた。メルキア国はおよそ
100年にわたり、隣国バララントはおろか、いかなる国交を断絶した
鎖国国家であり、外部からの侵入が絶対不可能な国であった。
 東側のメルキアを囲う海岸線はすべてが断崖絶壁であり、船での
侵入や攻撃をも防いでいた。
 150年ほど前のバララントとの戦争に勝利した後、メルキアは鎖国
したとされている。そのため、バララントとの国境ラインには、30メ
ートルおきに監視塔が建造され、メルキアの兵士は休みなくこの国境
にて、バララントからのアリの一匹の侵入も防いでいた。

「フリードは国境警備が完全に引き上げる時を待つだろう。
 おそらく、この国を出るのは今晩だ」

 いままでにない国の危機が迫っているのを知るものはおそらく、
キングデューとラクヨウ、そしてマーシャルだけだったろう。
そして、事態がしだいに暴かれて行くことにキングデューは冷静
さを失いそうだった。

 ただひとつ救いは、このラクヨウという男がまるでキングデュー
とは違い、危機に瀕すればそれだけ集中力を増して冷静な事態の予
測のできる男であったことか。

「......俺は兵舎へ戻り、兵士を解散させてくる。 その後、王宮内
 を捜索後、馬を出すとしよう」

「んじゃ、俺はクリエルとテリーを連れて国境ラインを南から走る、
 日が沈む前に捕まえるぞ」


   Next→

Book Shelf


Top




[ 1/18 ]




人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -