18/遠ざかる、幼き日の記憶、鐘の音


 戦争は終わったというのに、お妃はふさぎ込んだままだという。
 
 ラクヨウはマーシャル以上に妃を気にかけていた。

 部屋を訪れると、繕い笑顔でラクヨウを出迎えたヘレナは力いっ
ぱいラクヨウを抱きしめるものだから、彼は悲鳴をあげた。

「ラクヨウ、あなたやっぱり雰囲気変わっちゃったわね」

「何言ってんだ、そんなことよりさっさと支度しねえと。
 一人息子の晴れ舞台だぞ」

 ラクヨウに促され、戴冠式の用意を始めたヘレナはついたて障子
越しに彼に語りかけた。

「経年のせいか、戦争のせいか、わからないけども
 急に男らしくなっちゃって...」

 ただの愛とは違う、それは優しさと見紛う王妃のわがままだった。
その言葉や態度の裏を読んでいたラクヨウは、静かな胸の痛みを堪
えていた。

「なあ、おばちゃん。
 もっとマーシャルのこと、考えてあげてくれねえかな」

 その言葉に、ヘレナは返事をせずにいた。
 やがて着替えを済ませた彼女はラクヨウの前に現れた。彼女の顔は
涙と鼻水でぐしゃぐしゃになっていた。


「やっぱりあの子は、ローランドほど強い人ではないし
 賢いけれど、国を開くだなんてあの子にはできないと思うの。
 ねえ、ラクヨウ....」

 ヘレナは女中から次々に手渡されるハンカチで恥じらいもなく鼻を
かみながら、ラクヨウに訴えかけた。


「あんた......この国を出るつもりでしょう?」

 立場を顧みることもなく、ラクヨウへの心配を言葉にする彼女の姿
に、思わず目が潤んだ。
 ローランド国王も、このヘレナ妃も、家族のない自分を本当の息子
のように思ってくれていたのだと思えば思うほどにこの国を、マーシ
ャルを守ることができて本当に良かったと心が熱くなった。

 同時に、この心の安泰を享受して国政につかされることに大きな
違和感を感じたことも確かだった。

 どうしても、それだけが受け入れ難かった。


「......おばちゃん、ごめんな」

「戴冠式には、いてちょうだい......絶対に。
 あのイタズラ小僧のマーシャルが国王になるのよ、みものでしょ?」

 ヘレナは涙をぬぐいながら笑ってみせた。ラクヨウもまた、笑いな
がらヘレナ妃の手を取り王座の間への廊下を彼女をエスコートし
歩いた。

 控えの間にはマーシャルが一人、夕暮れに赤く染まる部屋でうつむ
きじっと考え込むように過ごしていた。
 ヘレナはその様子に、身をひき部屋の中にラクヨウを押し込んだ。

「よう」

「ラクヨウ、なんと礼を言えばいいか......」

「完全な勝利とは言えねえ、礼を言われる筋合いはねえよ」


 幼いころから、何度も話をしていた。マーシャルが国王になったら、
ラクヨウは長いひげを生やした大臣になるのだ、と。

 約束した日と、今日のメルキアはまったく別の国になっていた。
 そして、ラクヨウもマーシャルも、まったく別の人間になっていた
のだ。

「ラクヨウ、この国はどうなると思う」

「どうって......わからねえよ」

「国を閉ざしていれば、バララント以上の力が
 この国をねじ伏せて、いずれ滅ぶだろう。
 しかし、国を開いてもそれは同じこと。
 いずれまた戦争に巻き込まれることもあるだろう」

「......怖いか」

「怖いさ」

 ラクヨウが聞きたかった言葉は、マーシャルの口からは出てこな
かった。 ラクヨウはため息をつくと、マーシャルの視界を塞ぐ
ように目の前に立って見せた。

「お前の親父も、きっと同じ考えだったはずだ。
 怖かった、だからこそフリードに行かせた。
 お前じゃなく、フリードに。
 親父がビビらずにお前に行かせてたら、こんなことにはならな
かった」

「いまさら死人を批難するか、見損なったぞ」

「ちげえよ、ケツ拭えっつってんだよ」

 ラクヨウはいつにも増して語気を強め、マーシャルをまっすぐ
に睨みつけた。

「......親父ができなかったことが、お前にはできるはずだ
 国民との信頼関係は今から築かねえといけねえんだ。
 それは、....俺抜きでも十分にできるはずだ」

 マーシャルは、何度か小さくうなづいた。
自分を納得させるためか、遠くを見るように、何度もなんども。
そうして耐えかねたかのように、ラクヨウに背を向けた。

「行くな、ラクヨウ。
 俺はそこまでできた人間じゃない。
 お前なしで、自分の力だけでなんて......」


 マーシャルは震える声で、ラクヨウに背を向けたまま叫ぶように
言った。すぐさま、親衛団の兵士二人が現れラクヨウを後ろてに
しばりあげた。

「あの船が出るまでは拘束させてもらう、そうすれば
 お前もこの国を出るだなんて、考えずに済むだろう」

「マーシャル!てめえ!
 ふざけんなよ!」




 ラクヨウはそのまま地下牢に向かって引きずるように連れ
行かれた。
その様子に、王座の間は騒然としていた。

 戴冠式は時間を繰り上げて行われ、王座の間にてマーシャル
は冷たい表情のまま、王の冠を司教により授けられた。
 そして民衆に向けたスピーチをするために、バルコニーへと
向かう。

 バルコニーの元には全ての国民が詰めかけていた。崩御の鐘
が喜ばしい誤報だったとは口々に伝えられ人々はまた、平穏な
生活を取り戻しつつあった。

 もうじき日の暮れる時間は、人々の表情がどんなかをバルコ
ニーの上までは伝えてくれなかったものの皆がマーシャルの
言葉を待っていると感じさせるのに十分なほど、静まり返って
いた。


 当然、マーシャルがスピーチを始める前にすでに涙を流して
いることも誰にもわからなかっただろう。


「......皆、俺の声は聞こえているか」

 なんとも情けない声から始まったスピーチに、民衆は答える
ように、拍手をした。

「......アグネス・コンティ、ダレン・グロッソ」

 始まったスピーチは、延々と続く。この戦争で亡くなった者
たちの名前の羅列だった。


 そのころ、地下牢ではクリエルが兵士と看守を力づくで延し、
ラクヨウを連れ出し王宮の聴衆に紛れて海の方へ逃げていた。
 その人の群れの中、おそらく自らの家族のであろう名前が告
げられて泣き出す者も多かった。

 ラクヨウは、なぜマーシャルがこのようなスピーチを始めた
のかも検討がつかなかった。
 クリエルも首を傾げながらしばしスピーチを聴きながらゆっ
くりと人ごみのなかを進んだ。

 名前の読み上げには、かなりの時間が費やされた。誰ひとり
漏らすことなく、700名近くの名前がマーシャルの少しだけ
揺らぐ、不安定な大声で叫ばれていく。

 ラクヨウとクリエルが聴衆の群れから少し離れたころに
マーシャルの声が一旦止まり、ラクヨウも思わず足を止めてしまった。

 最後に彼が何を言うのか、見届けるべきだと思った。

「......キングデュー
 ......クリエル
 
 ......ラクヨウ」


 その名に、聴衆はどよめいた。
戦死者に名を連ねた本人たちもまた目を丸くして開いた
口が塞がらなかった。


「この国は少しずつ変わるだろう。
 皆が自由に外国へ行くこともできる。
 国が開かれ、新しい住人と出会うことになる。

 だが、今述べた偉大な人たちには
 もう二度と会うことはできない。
 みな、彼らの犠牲の上に生きていることを
 忘れないでくれ

 絶対に......忘れないでくれ」


 マーシャルの情けない涙声は、島中に響くほどだった。
誰もが、その言葉を噛み締めた。


「......ラクヨウ」

「もう行くしかねえみてえだな」


モビーディックの甲板に飛び降りると、出航の鐘が鳴らされた。

離れて行く島が、だんだんと小さくなっていく。
船尾から、島が見えなくなるまで3人の戦士は無言のまま
でそれぞれの思い出に別れを告げた。


Fin



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