僕の推しに宣戦布告

例えばホラー映画だとかSF映画だとか。そういうCGか何かかと思った。視界から得られる情報を脳が処理しきれていない。自分の理解力を超える光景に、ついに頭までイカれたのかと、もしくは今まで起こったこと全てが夢で妄想なのかと思った。なに、あの目が無駄に大きくてこの世の動物の何にも当てはまらないような化け物。あまりの恐ろしさに隣に立つ人物にしがみつく。どうやら私と同じでアレを認識しているらしい。平然とした様子で私に『見えているか』を確認した後、すぐに抱き抱えられ『何か』する気配がしたと思えば、化け物はすっかりいなくなっていて、やはり隣に立つ彼は世の中のために働くヒーロー的人間だったりするのかもしれない、と部屋で考えていた妄想を再び脳内に手繰り寄せた。仲間がいるって言ってたし、アメコミあるあるのヒーロー集団のような、もしくはニンジャだサムライだのなんだのの末裔なのかもしれない、とかそんなことを考えながら現実逃避をしていた。
夢だと思いたい割には大きな手に支えられながら抱えられて、彼からの温もりをちゃんと感じているし、頬を撫でる風の感覚もある。妄想でも、夢でもなんでもないことはもうわかっている。脳が受け入れることを拒否しているだけで。
悟がチラチラと私の反応を気にしている。『アレ見える?』と聞いてきたということは見えることがマイノリティなのだろうか…生まれてこの方怪奇現象には巻き込まれたことのないごくごく普通の詐欺師だったはずだけれど私はどうやら普通ではなくなったらしい。
瞬きをしている間に気付けば数刻前に出たはずのマンションの近くに到着していてもはや意識を手放してしまいたいくらい脳に負荷がかかっている。
あまりに今起こっている事柄が信じ難すぎるせいで、今の瞬間移動も含めてやっぱり変な夢でも見ているんだ、と思考を放棄したくなって思わず瞼を閉じた。
信じられない、帰りたい、こんな悪夢から早く目を覚ましたい、脳内にぐるぐる回り続ける逃避願望。突如、ダンプトラックでも突っ込んできたかのような威力を伴って『好きです』と大真面目な顔で真っ直ぐに私を見据えてそう言う悟の顔が頭によぎって笑いそうになってしまった。
エレベーターの開閉音が聞こえて瞼を開ける。悟が扉を開けて私が進むのを待っている。
ー、もういいや。全部、受け入れよう。意味がわからないんだから考えても仕方がない。大体悟の言う『推し』の時点から意味わかんないんだからもう全てを理解するのは無理だ。きっとこの世界には変な化け物がいて、悟のような人間がその化け物を退治している。なぜかそれを私も認識できるようになった。それだけのことなんだ。



△▼

「えっとね、さっきのは呪霊って言って…」


自室に着くなり悟はスマホをいじっていたかと思いきやすぐにまたダイニングチェアへの着席を促された。
それから悟が説明してくれている話の内容がちっとも理解できない。ジュレイってなに。もうおっかしい。笑っちゃいそう、意味わかんなさすぎて。

「で、君がこっちに来た力だけど、その呪力が関係してて、」
「待って」
「?うん。わからないことあった?」

わからないことしかないけどね。大真面目に語る悟を見るからに、今しがたの頭に入ってこない説明はきっと嘘ではないのだろうし、意味がわからないけど大体私のたてた仮説であっているらしい。さっきの化け物は本当にいて、たぶん近づいたら怪我するどころじゃない目に遭うんだろう。目の前のこの人は、あの不思議な力であれをさっきみたいに消してしまえる。ーわかった。

「説明しなくていい。ところどころ言葉が分からなくて理解できないから。理解できないけれど、私が今見えてる世界を信じるし、あなたの世界を受け入れる。質問はするだろうけど、全部そういうものなんだ、って信じるから一々弁明するみたいに説明しなくていいわ。私が『信じる』って言うのがどれだけ価値あるかあなたにはわかるでしょ?」
「……やっぱりなまえちゃん、最高だね。こんな状況受け入れちゃうの?イカレてる」
「そうじゃないと詐欺師なんてならないから」
「僕も結構イカレてる自信あるんだけどお似合いじゃないかな?」
「詐欺師なんかに求愛するなんて、悟馬鹿ね。格好のカモじゃない」
「君に騙されるなら本望だよ。むしろ僕のこと騙して欲しい」
「ふふ、本当可笑しいっ…」

じい、とこちらを見つめる澄んだ瞳を見つめ返す。
目の前のこの人が、私を好きだというのは本気なんだろう、信じ難いけれど。彼から次々と告げられる言葉だけを鵜呑みにしたわけじゃない。思わず目を逸らしてしまいたくなるほどの寄せられる眼差しの熱さや、常に私を見つめるその表情で、わからざるを得なかった。
そんなに恋愛の経験があるわけじゃない、だけど、この視線に覚えがあった。私が死んでしまった彼に向けていた熱と同じものを感じたから。


「私はいつか、あちらの世界に帰るのね」
「…うん、そうだよ。ずっとここにいるわけじゃない」
「帰る条件はあなたにもわからないの?」
「…そうだと思っていた条件を達成したんだけど、君はまだ帰っていないんだよね」
「いつのまに、」
「君のことは絶対に傷つけないし守るから、ここにいる間はこの家か、僕の側から離れないで欲しい」
「この家から一人で出ると、さっきの化け物に襲われる?」

こくりと一度大きく頷いた悟にわかったわと了承する。

「なまえちゃん」
「なあに?」
「君がここにいる間、僕徹底的に君のこと甘やかして幸せにするから覚悟しておいてね」
「ーは?」
「僕の夢だったんだ」


にんまり、まつ毛まで真っ白な綺麗な目が三日月のように弧を描いている。愛おしそうな目で私を見るその瞳を見ていられなくて目を逸らそうとすれば大きな手で頬を捉えられて視線を逸らすことができなくなって、ごくりと喉が大きな音を立てて口内に大量に出てきた唾液を飲み込んだ。完全に悟のペースで翻弄されている気がして納得がいかない。


「幸せにできるものなら、してみせてよ」
「言ったね?一週間後には君は僕にメロメロさ」


今朝私が送ったチークキスを真似て頬を重ねてきた悟が耳元でリップ音を鳴らして遠ざかっていく。自信に満ちたその表情に、少し呆気に取られるも、気づけば悟に見つめられていた間大好きだった彼のことを少しも考えていなかったことに気づいて、ー気づかないふりを、した。


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