Act2-10

相変わらずバタバタと殺気立った人が行き交う慌ただしさと糸がピンと張られているような緊迫した空気感が纏う高専内で、唯一自由時間を与えられた、と言ってもいいのがついに目前に迫った百鬼夜行の前線に呼ばれていない学生たちである。

─とはいえ人手不足が常なこの業界あるあるで力のある術師は学生という身分にも関わらず総出で出向が命じられているし、実際京都へ遠征している二年はそのまま京都の呪霊討伐に参戦する予定と聞いている。

一年であるが二級術師である呪言師の棘と、学長の作った突然変異呪骸たるパンダは新宿で術師のバックアップの予定をしているので、昔から人使い荒い業界なところはちっとも変革の目処が立っていないといえる。

どんな被害が世間に齎されるか予想だにできない宣誓された呪術テロを目前にして、殺気立っている術師たちの間で唯一と言ってもいい、時間を持て余しているのは高専一年生の二人で。そんな二人のうちの片割れがやけに思い詰めた表情で、昔己が学生だった頃何度焦土としてしまったか覚えてもいないグラウンドで大刀を振り続ける背中を見つめること数分。見られていることにも気づかないなんて相当気が立っているのか、それとも注意力散漫になるほど体調でも悪いのかとしばらく型のように美しく大刀を振る彼女を見守り続けていた。そういえばあいつが高専に突然現れてからバタバタしていたせいもあって、生徒たちへのフォローがおざなりになっていたことを思い出してブンブンと勢いよく重みのある呪具が風を切る音に紛れて音を立てないように近づいた。


「隙ありっ」
「─っびっ、くりした…」


振りかぶった大刀の刃先を白刃取りしてやれば、ポニーテールを大袈裟に揺らして振り返った少女は目が合うとバツが悪そうに全身を硬直させる。…少し顔色が悪いだろうか。やはり体調不良の線も否めない。威勢よくバッタバッタと大刀で薙ぎ払うみたいに快活としたいつもの雰囲気が鳴りを潜めているように見えて、「真希、なにかあった?」と頭を撫でてやれば、僅かに眉間に皺が寄る。大きなレンズの向こうのキリッとした瞳が少しだけ揺れた気がした。思わず顔の輪郭に沿って流れるサラサラとした細い前髪を撫でていた手が止まる。

「……なまえさん、」
「ん?」
「あいつ、知り合い?」

丸いメガネの向こうの眦を躊躇いがちにこちらへ向ける真希の様子に苦笑する。どうやら今日は本当に調子が悪いらしい。竹を割ったような性格の真希がこちらを慮って発言を憂慮するなんて。

「あいつって?」
「……この前の、呪詛師」
「あー、うん、そうね」

どうしても、こちらまで曖昧な返事になってしまった。眩しいくらいの青春を謳歌している真っ最中の真希に彼が『同級生』だと伝えることが、どうしても憚られた。─かつては君たちみたいに力も考えも生活も共有して、一分一秒が全部キラキラきらめく宝石みたいな毎日を過ごしていた、なんて。とてもじゃないが、言えなかった。
かといって知り合い、と割り切ってしまうほどこざっぱりとしたものでもない。


「……悪い。あいつに『猿』って言われてさ。『猿』は世界にいらないんだと。…あんな呪詛師なんかに言われたことずっと気にしてるわけじゃねーけど。なんなら昔から『禪院家にあらずんば呪術師にあらず。呪術師にあらずんば人にあらず』だから言われ慣れてっけどさ、なんか、なまえさんあいつと知り合いぽかったから。…そういうこと、言われたことあるなのかなって」


その言葉に、思わず一瞬、言葉を失った。…わかってた、夏油が『非術師』をどうしても許せなくて、ああなったこと。頑なに私のことを『非術師じゃない』って思い込もうとしていたこと。…もしかして、非術師なんかがみんなの隣に、夏油の世界にやってきたせいで、夏油の世界を混乱させてしまったんじゃないかと思うと、急に足元が抜けてしまうような感覚になった。


「……そうね、昔喧嘩しちゃって、負けちゃった。それでね、見逃してもらえたの。私、かっこわるいでしょ?」
「………なまえさんでも、そんな頃があったのか」
「うん。あるよ。だからね、非術師強くなったよって見せてやらなきゃ。だから今回はちゃんと、百鬼夜行で仕留めなきゃいけないの」
「………」
「真希の年頃の時はね、馬鹿だったから間違いとか、失敗とか、後悔とか、たーくさんした。ま、そうやって大人になったってことかな」

だからほら、今私って良い女でしょ?ニヤリと笑ってやれば真希は少し呆けたあとに大刀をブンと振り下ろした。

「自分で言うか?ていうか、男の趣味、最悪だけどな」
「えー?悟良い男じゃん。強いし」
「……男の良さは強さだけじゃねーだろ」
「えー、でも自分より弱い男とか無理じゃない?強い男が弱いとこ見せるからグッとくるんだよ?ずっと弱いの無理だよー」
「…………一緒に強くなりゃいーじゃん」
「え、ええ〜っ?あー、え?たしかに?それは、そう?いやでも私グーパンで死んじゃう男の子は無理かも〜ッ!」
「なまえさんが異常なんだろ!」

いくら強くてもあの馬鹿だけは絶対ねーだろ!!なんて失礼なことを叫びながらブンブンと振り下ろす大刀を弾いては、遊びのようにツンツンとちょっかいをかけていく。「悟以上にいい男なんていませーん」なんて言っては真希を転がしてゲラゲラと笑ってやる。私の態度に腹を立てたのか少し臨戦態勢に入った真希に倣って私も本腰を入れた。

「焦らないで大丈夫。私が真希の年頃なんて能天気に生きてるバカでほんと酷いもんだったよ。真希は環境に抗って、ここに自力でやってきたんだから十分強い」

いつも頑張ってえらいね、そう微笑みかければまた眉間に皺を寄せて「ガキ扱いすんな」と臍を曲げてしまったので思わず声を漏らして笑ってしまう。少し子供扱いしすぎてしまったかもしれない。

「さ、そんなにやる気あるなら私と鍛錬する?立ち上がれないくらいしごいてあげる」
クイクイと手でかかってこいとわかりやすく挑発してやれば、さっきまで曇りがちだった丸いメガネの向こうのヘーゼルが煌めいた。










二〇一七年、十二月二十四日。


クリスマスイブ当日。常であれば道ゆく人でごった返す大都会の一年の中でも大きな人出が予想される日だとは思えない人払いされた新宿には非術師に取って変わったように有象無象の呪霊が蔓延っていた。
呪霊を祓いつつあたりにどれだけ警戒を張り巡らせてもみつからない男の気配。…まさか本当に京都へ?それこそ目的がわからない。
─違和感。拭いきれないそれがずっと周囲を揺蕩っている感じがして、居心地が悪い。何かの折に盤上をひっくり返されないとも限らない。何が起こるかわからない薄気味悪さで呪霊を祓うことに集中しきれないでいた。

─統計的にはそのほとんどが二級以下の雑魚
─呪詛師だって多く見積もっても五十そこら
─呪霊操術を操る特級呪詛師
─主従制約のない自然発生した呪いを取り込みます

先日参加させられたブリーフィングでの学長の言葉や、私の中途半端な捜査報告書をもとに夏油の動向や術式について説明する伊地知の言葉がリフレインしては、いつか飲み込んだえも言われぬ味を思い出して霞のように消えていく呪霊に向かってハッと勢いよく漏らす嘲笑が冷たい空気に溶けて消えていく。

「よくやるよ、馬鹿」

術師側に犠牲はかなり出ているかもしれないが、油断でもなんでもなく、どう考えたって現状、想定以下の呪詛師の数はもとより、夥しい量の呪霊も御三家や呪術連への協力要請により力のある術師が集まっている甲斐あって非術師の生活に影響が出るほどの何かが成せるとは考えにくかった。
…夏油は、勝つ気があるんだろうか。あんなに不味いあれを必死で飲み込んで、こんなふうに呆気なく祓われて、何がしたいんだろう。突発的なテロでもなく、態々事前に予告にきてくださった甲斐あってあれだけ敵視している非術師の避難も完了しているわけだし。こんなの、いくら千の呪霊を放つといっても、敗ける気がしない。

「呪霊のバーゲンセールかよ」

視界に蠢く、数を数えている間もないくらい湧いている呪霊バッサバッサと薙ぎ払っては激しい戦闘が起きている気配のする中心地へ移動しようとすれば、それを邪魔するように呪霊が押し寄せてくる。
先刻、非術師の避難が済んだ新宿に到着して間も無く近隣のインフラに考慮した戦闘への注意喚起を学長が叫ぶ中、なぜか突然私に向かって突っ込んでくるように飛び込んできた数十体の呪霊の群れに流されるように呑み込まれた。手持ちの呪具ですぐに祓い切ったが凄まじいスピードで飛ばされたせいか悟や他の術師たちと距離を取らされ、畳みかけるように数えきれないほどの呪霊が襲いかかってくる。術式を喰らわないように気をつけながら傘で防御しつつ周囲を警戒したが呪詛師の気配も無い。せっかく久しぶりに強そうな人間と闘れそうだったのにと小さく愚痴を零せば祓っても祓ってもきりがないくらいうじゃうじゃ湧く呪霊に囲まれた。終わりの見えないそれを単純作業のように祓い続けているうちに幾年も経って忘れかけていた、単純に邪魔者を屠る感覚を思い出してどんどん自分の体が軽くなっていく。ずっと鳴りを潜めていた本能が、戦闘民族の血が、湧き立つ気配がした。こんな風に意気揚々と戦えているのは、それこそ何も考えずに能天気に生きて祓って祓って、たまにみんなでボコボコになるまで喧嘩してたあの頃ぶりかもしれない。

「…っあは!…久しぶりに血が踊るなあ」



討伐数なんていちいち覚えていられないくらい一息つくことも瞬きする間もなく手当たり次第に祓っている間に、ドクドクと沸く戦いを渇望する血液が高速で身体中を巡っていく。─脳の片隅で学長の忠告がまだ響いているうちは理性が残っているな、なんて考えながら呪具を振り続ける。ただ命令されるがままに敵を殲滅して星を潰すあの頃の記憶が脳裏を掠めては、理性を攫っていくような気がした。

「─!…憂太?」

そんな消えかかる本能を押し留めたのは、遥か遠くでエネルギーが爆発する気配だった。いつも少し滲み出る程度に留めていた『彼女』の気配が新宿でも察せるくらいに力を爆発させている。…もしかして『完全顕現』?─なぜ今『里香』が?憂太は高専で真希と留守番しているはず。頭の悪い私でも、このタイミング、この状況、そして新宿での夏油の不在を鑑みて導き出したのは憂太と夏油が今相対しているという最悪の状況だった。その可能性が頭に浮上した途端、ここ最近で起こった出来事と、昔の出来事が走馬灯のように頭に駆け回る。──棘と憂太が行った商店街の任務で離反してから初めて私たちに自分の存在を仄めかしたこと。突然こんな勝算の低い戦いを仕掛けてきたこと。十年前の別れの日のこと。…あの日『伏黒甚爾の呪具を使っていた』こと。─伊地知の言っていた夏油の『主従制約のない自然発生した呪いを取り込む』術式のこと。

─まって。そうだよ。あの日確かにあいつ、あの呪霊を『従えてた』。私は呪術師たちの術式のことなんかさっぱりだから、夏油の術式についてもふんわりとした知識しか頭に入れてなかったけれど、おかしくない?あの呪霊って、伏黒甚爾が調伏?してた呪霊だよね?主従制約のある呪霊は取り込めないんじゃないの?……もしかして主従関係のある主人が死ねば、呪霊を取り込める─?…それって、憂太と里香の場合は?あの二人は、里香が憂太を呪ってるわけだから、里香と憂太に主従の関係はない?そもそも主従制約があれば取り込めないなんていうのが嘘で、呪霊であれば無条件に取り込めるとか?

「もしかして、今日の狙いは里香……?」

もし、里香を夏油が手に入れたら?きっと夏油なら、憂太では持て余す彼女をうまく使いこなしてしまうのでは。里香を使いこなす夏油の姿を思い浮かべてみれば、現在の新宿の騒動なんて非じゃない地獄絵図を迎える予感しか湧いてこなかった。
……また、自分の頭の悪さと報連相のできてなさに頭を抱えそうになったが、今そんなことを悔やんでいる暇がないことは明白だった。

今、高専に誰がいた?─力のある術師は全員新宿と京都に出払っている。高専内には待機している補助監督が数名と、自身の生徒である憂太と真希。とてもじゃないが現在の高専内の戦力では、夏油には手も足も出ないだろう。現に、こんなところから『里香』の気配を感じるのは憂太が間違いなく里香を『完全顕現』させているからで。暴発させてしまっているのではないだろうか。最も激しい戦闘が起こっているのが、自分のいる新宿ではなく自分の生徒が待機している場所だということを理解して血の気が引いていく。


「─、悟のいう通り高専に待機してればよかった…っ!」


舌打ちをついてタラタラやっている場合じゃないと全力で目に入る全てを屠っていく。呪霊を祓っている間に新宿の中心部に戻ってきていたのか、新宿駅近郊で悟と色黒の呪詛師の戦闘が目に入って、思わず持っていた傘を落としそうになった。

─は???え??は????

驚くべきは、悟の攻撃を受けている呪詛師に対して。
周囲の建物ごと叩こうとする私さながらの悟のゴリラ戦法を命からがら避けて避けて、湧く呪霊に隠れては悟に突撃され攻撃をいなして反撃し、また呪霊に隠れ逃げる、やってることはダサい以外の何者でもないが、悟が対自分以外で『ちゃんと動いている』ところを見るなんて本当に久しぶりで砂塵の中を飛び回って逃げる男に私の興味関心が完全に奪われていた。
─あの、あ・の!悟が獲物を仕留めきれないでイライラしている…!

「あはッ!」

私の笑い声が、思ったより響いてしまったらしい。うざったそうな表情を隠しもしないで片目だけ晒した六眼がこちらを射抜いた。いつもの蒼い瞳と視線がかち合った瞬間に、薄い唇が「殺すなよ」と動く。─なんで。思わず顔を顰めたが、質問している時間もない。呪霊を盾に身を隠している男に向かって、呪霊ごと吹っ飛ばすように脚を振り下ろした。

「ナッナニ?!」

短い縄?のようなものを自在に操って呪霊と一緒に吹っ飛ばされた衝撃をいなした男に間髪入れず打撃を加えれば呪力で強化しているのか、うまく防御して軌道を逸らされた。…こいつ、身体と呪力の使い方がうまい。─ナンデオマエガココニ…、と具合が悪そうに呟いたのを見るあたり、私のことを知っているらしい。私のことは夏油から聞いていたのだろうか。悟とサシでやるためなのか、私を呪霊で飛ばしたのがこの男であることをなんとなく悟り、脂汗を額に滲ませる男を見下ろした。

「あんな雑魚で足止めできると本気で思ってんの?夏油って昔から私のこと舐めすぎじゃない?オマエも」

ムカつく。昔から平気で私のこと頭悪い馬鹿だから仕方ないねって言葉にしないけど子供扱いしてくるクズなところ。涼しい顔して肝心なことを誰にも悟られないように優しさに混ぜて隠すところ。独善的な理想ばっか掲げて追いかけて、正義感引っ提げて勝手に私たちを置いていったところ、本当に大っ嫌い。
…目の前の男は、そんな夏油の理解者たり得たんだろうか。こんな胡散臭いオッサンは信用できて、あんなに楽しい毎日を過ごした私たちのことは信用できなかったのだろうか。夏油への怒りや失望や、後悔がぐちゃぐちゃに混ざり合って、私たちの失った男の隣を埋めていたかもしれない男への嫉妬心や憎たらしさで正気を失いそうだった。相変わらず呪霊を隠れ蓑に逃げようとする男に暗器を投げつけ呪霊を掴んで男をハエ叩きの要領でビルに叩きつける。縄と俊敏なフィジカルを駆使してうまく呪霊を祓って攻撃をいなし、いつか見た映画の蜘蛛男のように縦横無尽に逃げ惑う男にイラついて、派手な攻撃を一度やめて気配を隠し男同様呪霊の影に潜んだ。

「…っクソ、ピンク頭ト特級ハ分ガ悪イ。アト三分、凌ゲルカ…」
「三分?三十秒も無理でしょ」

振り返った男は色黒な肌をわかりやすく青ざめさせて腰を引いた。さっきからの戦闘のせいか、切れた電線が後ろでバチバチと火花を飛ばしているおかげで男のサングラスが反射して、目を見開いている視線とかち合う。私の声が聞こえた瞬間に逃走しようとしたのだろう、もうほとんど長さの残っていない縄を伸ばそうと筋肉を動かした腕を叩き、脚を掴んでサンドバッグよろしく拳を叩き込む─も、体幹を捻ってすんでのところを躱される─何こいつウケる。人間半分やめてんね。

「チッ……大人しくサンドバッグされとけ、って…!」
「…ヒッ?!……オマエラノ方ガヨッポド悪役ダ…!」
「聞き取りにくい言葉ばっか喋ってんじゃねーよ、キャラ作り必死か」

私に向かって飛ばそうとした縄を掴めば、手先が少しだけピリピリと震える。…?呪具?綱引きの要領でグンと引っ張れば死ぬ気でも離すつもりがないのか、力負けした男がこちらに向かって勢いに乗ってやってくる。

「ナンダソノ馬鹿力ハ……!!!」

ひどく驚愕した様子で慌てて防御の姿勢を取る男の態度に片眉をピクリと跳ねさせた。…こいつ、私の力のこと知らないの?…もしかして、夏油私が『夜兎』なこと、仲間に漏らしてない?なんで…、この前会った時平気で匂わしてたじゃない。
昔から、仲間に甘くていつも優しいところが大嫌いで、……大好きだった。

「ほんっと!ムカつく…ッ!!!!」
「ブフッ!!」

半分八つ当たりも込めて、呪力でガードしていたらしい顔面に向かって怒りを込めた渾身の右ストレートをぶちこんだ。脳震盪でも起こしているのだろう、頭から星を飛ばして力の入らないらしい体を足蹴にして地面に叩きつける。これでも頭ぶちまけないなんてやるなあ、なんて敵ながら感嘆を漏らして見下ろしていれば、「夏油…祟ル……」と呪詛師らしく呪詛を吐いたので失笑しながら男の鳩尾を踏みつけた。



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