誰もそんなサービス求めてません

大型犬にぺろぺろと舐められる夢を見た。ペットを飼いたい願望なんてなかったけれど、アニマルセラピーのようで昨日今日と絶望的な環境に突き落とされていた私には癒しそのものでしかなくて、キャッキャいいながらその夢を享受していた。ふわふわの毛並みをもふもふとしていれば、じゃれあうみたいに擦り寄ってきていたその大型犬が気づいたら狼に変貌していて、今にも自分に襲い掛からんとしていた。あまりの恐ろしさに一瞬で夢から目が覚めた。

「あ?やっと起きたかよ」

夢から覚めたら何故か真上に昨日拾ったゴリラのような男が乗っかっていた。今にも私の服を脱がしかからんとしていていて、お臍が丸出しである。状況が理解できない。なにこれ、なにこれなにこれ。

「続きすんぞ」
「キャーーーーーーーーーーー!!」

真夏の夜未明、自分の寝室を失いソファで寝ていたはずの私は伏黒さんに襲われかけた。


「信じらんない信じらんないッッ!人の善意なんだと思ってるんですか?!この強姦魔!」
「あー?なんだ?サービスいらねーの?お前なんで俺ら住まわせてんだ?」
「待って待って待って!?私礼なら体で払えなんて言いそうに見えます?!全く要りませんそのサービス!!!」
「マジで意味わかんねえ」
「意味わからんのこっち!!!!!今度変なことしたら問答無用で追い出しますよほんとッッ立ち去れー!!!!!」


あまりの事態にパニックを起こしてその日はリビングからパソコンのおいてある部屋に逃げるように立て篭もった。部屋に入れないようにドアの前にチェストを置いて、固いフローリングの上で丸まって寝た。そのせいで全身バッキバキだ。もうやだ。絶対株の分取り返してるって、どんだけ豪運ツケあるの??

翌朝落ち着いて話し合い()をしたら、私なんぞに欲情して襲いかかってきたのだとばかり思っていたが違ったらしい。伏黒さん的には善意で手を出そうとしてそうだ。二度とやるなと誓約を交わした。解せない顔をしているのがまーじで意味がわからんし納得いかん。伏黒さんのこれまでの生活の闇を垣間見た瞬間だった。



そんなこんなあり、ボランティア活動の宣言をしてから早二週間。私はすっかり恵くんの愛らしさにメロメロだった。無表情だしあやしても全く笑わないけれど、なにせ顔がいいのだ。べらぼうに可愛いのだ。オムツモデルになれる美貌である。



一人で持て余していた私の家は完全に手狭になった。私の寝室はすっかり伏黒親子が寝起きするための部屋に生まれ変わった。存在感の大きなベビーベッドを購入し、私が使っていたベッドを伏黒さんに明け渡し、私はといえば結局自衛のためにも先日籠城したパソコンのある部屋に直接布団を敷いて寝起きする生活である。もちろんドアの前にチェストを置いている。家主なのになんでこんなに窮屈な生活なの。
ベッドを買うか目下検討中だが、ベッドを購入したことで伏黒さんがここに住み着く可能性を考慮して恐ろしすぎて買えずにいる。
リビングはといえばキッチンの向かいに置いていた一人用のダイニングテーブルに無理やり合わせた伏黒さんのダイニングチェアと恵くんのベビーチェアが小さなテーブルにひしめくように設置されている。…こちらも限界を感じるが大きなテーブルを買って伏黒さんが住み着く…(以下略)
碌なおもちゃも買っていなかったようで、リビングをハイハイで歩き回ってはいろんなものを引っ張り出す恵くんに慌てて購入したガラガラや歯固めなどのおもちゃは恵くんが持ってはハイハイで運んでいくため部屋中に散らばっている。部屋のど真ん中では某夢の国のキャラクターのメリーがゆっくりとどこかで聞いたことのある童謡と共に回転している。恵くんはメリーの前でただただ黄色い熊がゆらゆら揺れていくのを視線で追っていて、しばらく動こうとしていない。広かったはずの私のマンションはまるで子持ち新婚夫婦の様相である。おもちゃに夢中な恵くんかわいすぎるなんてまるで親バカのような感想まで抱くほどには恵くんの可愛さに絆されている。アホみたいにおもちゃを買い与えるほどには恵くんが可愛い。今日は可愛い白と黒のワンコのパペットで恵くんと遊ぶことにした。



「恵くん一緒に遊ぼうワン
「………あー」
「わ!やった!メリーに勝った!!」
「………お前何やってんだ」
「恵くんと遊んでますけど」


呆れたような視線をこちらによこす伏黒さんに視線を一瞥もくれることなく私は完全に黒と白のワンコに成りすましていた。ワンワンと言えば興味深そうにワンコを見つめる恵くんが可愛すぎて吐きそうである。


「……お前仕事は?」
「伏黒さんにだけは言われたくないです」
「アー俺はアレだ。不定期だから」
「もうここきて何週間経つと思ってんですか?その筋肉達磨活かして工事現場のバイトでも探してきたらどうです」
「お前意外とズケズケ言ってくるよな」
「働かざる者食うべからずですよ、ねー恵くん
「俺とガキの対応違いすぎね?」
「胸に手を当てて考えてください」


そういえば本当に胸に手を当てだした伏黒さんに呆れてしまう。…ていうか胸筋やばくない?この人?私よりおっぱいない…?え?うそ。そんなことないよね?え?ないよね…??


「お前バカスカこいつのもん買い漁ってっけど大丈夫なのか?」
「無問題です」
「………高級デリヘルででも働いてんのか?」
「なんでそれが一番最初に出てきた?という疑問は置いておいて、私にそんな色気があるとでも?」
「………ねえな…」
「失礼極まりない」


私のお金の出どころがそんなに気になるのか。残念ながらそんなに大したことではない。
一人暮らしを始めてすぐ人生で初めて買った宝くじで一等前後賞が当選して死にかけた。幼少期から周囲にうようよ飛んでいるだけと思っていたものの百倍恐ろしいおばけに追いかけ回されて本当に死ぬかと思ったのだ。あれは本当にやばい経験だった。運動なんて体育でやった程度だったし、体力も肺活量も足の速さもカスのような私はその身に宿る豪運だけで切り抜けた。誰か助けて誰か助けてと必死に願った甲斐あって可愛い人形を持ったおじさんが助けてくださったのである。…その人形が動いていた気がするが、お化けが存在するのだ。動く人形だっているだろうとなんとか納得させた。いや、深く考えるのが恐ろしくてやめただけだ。お礼をしようと思ったのにしきりに要らないと言ったあのおじさん、元気かな…

あれ以来宝くじは買っていない。軽率に豪運を使っては死ぬのだと身をもって知った。その後も車に轢かれかけたり頭の上に植木鉢が降ってきたりして身の危険を感じて身に余るお金も寄付したりしていれば帳尻があったらしい。うようよ飛んでるお化けと目を合わせてはいけないということも学んだ。
最近はしっぺ返しもなかったので完全に油断していた。やはり株のせいとしか思えない。やはりちょっとしたラッキーくらいで済ますべきだなと反省した。



「そろそろバイトでもしようかなとは思ってます」
「ハァ?バイトじゃねーならその金どこで…」
「言ったでしょ?運がいいんです」
「…おまえ、パチプロか……?」
「だからなんで最初にそんな選択が出てくるんです??まあ、似たようなもんですね」
「パチプロで生計たつってマジなのか……」
「パチプロではないです!それより伏黒さんだって今までどんな仕事してたんですか!ヤがつく仕事よりおっかない仕事なんてあります?!」
「俺のことはいいんだよ」


ギロリ、と恐ろしい顔貌で睨まれて思わず口を噤む。マジモンのそういう人に出会ったことがないからわからないが、本当に任侠ドラマを遥かに凌駕する恐ろしさである。こう凄まれるとなかなか突っ込むことができなくなる。未だに恵くんのお母さんのことも聞けていない。
人には他人に言いたくないことの一つや二つあることはもちろん承知している。私は自分の『豪運』のことを他人はおろか家族にさえ話したことがないからだ。
この噛みつきようからして、きっと伏黒さんの『前職』も『奥さん』のことも聞いて欲しくないことなんだろうことはなんとなく察知していた。とはいえ、私は一応現在この二人を養っている身である。いつか、心を開いてくれた日には身の上話くらいは話してくれてもいいのではと思う次第である。


「あ゛ぁ〜〜!」
「あー、そろそろ飯か」
「離乳食、チンしますねー」
「頼む」


手慣れた様子で恵くんを抱きかかえてオムツをチェックする伏黒さんの様子にクスリと笑みを漏らした。
意外といいお父さんだ。やはりあの時は少し病んじゃってただけなのかな。放牧する日も近そうだ。あとは伏黒さんが自発的に働いてくれるように促すぐらいしか私に課せられたミッションはなさそうだ。
伏黒さんはともかく、恵くんと会えないのは、寂しいなあ、なんて思ってる視点でほんとえらい絆されてるよな〜。別れの日に泣いちゃったらどうしよう、なんて思いながら私も慣れた手つきで朝作っておいた離乳食をあっためるのであった。




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