愛の代償


「お久しぶりです…恭弥…」

それは深夜遅く、時計の針が0時少し過ぎを指していた頃だった。
行灯を灯した薄暗い部屋の真ん中で読書をする雲雀の邪魔をするかのように、部屋の襖が静寂を遮って開かれた。
読みかけの本から視線をその声の方に向けると、そこには一人の男が笑顔と共に立っていた。

「骸…」

実体化した骸の姿を見るのは1年振りだった。
昔から変わらない笑顔で、この男は僕の前に平然と現れる。
人の気も知らないでその姿を見せる。

「…何しに来たの?」
「恭弥に逢いに来たに決まってるじゃないですか…相変わらずつれない人ですね」

本当は、今日現れることを確信していた。
今日は特別な日だから、どんな状況でも会いに来ると言ったのはこの男の方だから。
だから、こんな夜更けまで起きていた。
本当は凄く眠たいのに。
本当は顔も見たくないし、声だって聞きたくないのに。
それでも僕は起きて待ってしまっていた。

「君なんか呼んでないよ」

自分のアジトのようにズカズカと僕の部屋に入り込んで、そして朝には跡形もなくこの男は消えていく。
ほんの数時間の逢瀬の為に、1年365日、この日の為だけに我慢をしなければいけないなんて、誰が決めた運命なのだろう。

「呼んでましたよ、恭弥はずっと僕を呼んでいた。…僕には、僕だけには聞こえていましたから」

雲雀の向かい側に腰を下ろしながら骸は笑みを浮かべ、

( 精神世界で )

と、心の中で一人呟いた。
精神の波長が合うと行き来できると言う世界。精神世界。骸の散歩は決まっていつもこの場所だった。
稀に、本当にごく稀に、二人しかいないその世界に行き来出来るのは偶然か必然か。
その答えは知らないけれど。
二人だけの世界では雲雀は幾度となく骸の名を呼び続ける。
『骸、骸』と、届きそうで届かない骸の後ろ姿に向かって、雲雀はいつもその姿を追いかけていた。
目の前に姿があると言うのに届かないそのもどかしさに胸が苦しくなり、どれだけ真夜中に起こされたことだろう。
夢にしては現実(リアル)過ぎるその世界で愛しい人と会話は成立しても、本当の姿は何処にもいない
未だ幽閉される彼の姿をただ待つことしか出来ない自分に苛立ちを覚えると同時に、一人その帰りを待ち続ける日々は、想像以上に耐え難いものだった。

( 何が「お久しぶりです」だよ…バカ… )

実体化した本人を目の前にしてムスッと拗ねてしまった雲雀の頬に、骸は手を伸ばして触れる。
自らの温かな感触がある事を告げるのは、まるで何かの儀式のようで。
頬から伝わる温もりに、雲雀は少しだけ俯いて、噛み付く。

「馬鹿なこと言わないで。そんなことをわざわざ言いに来たのなら僕は寝るよ」

プイッとそっぽを向いた雲雀は小さな欠伸を手で覆い隠しながら立ち上がると、骸の存在を無視して布団へと移動し始めた。
それに少しだけ焦ったように骸は腕を掴んで引き止める。

「…待って下さい」

掴まれた腕に軽い痛みが走り、振り解こうにも逆手では上手く力が入らない。
それを誤魔化すようにきつく視線を向け、手を振り解く。

「僕は寝たいんだよ」
「恭弥、時間が無いことくらい分かってるでしょう?少しだけですから僕の話を聞いてください」
「……、」

どんなに睨まれようが、骸は動じない。長年の慣れからか、それとも彼の感情を知ってのことなのか…。
掴んだ腕を引くようにして骸の胸の中に閉じ込められた雲雀は、その腕の中でばつが悪そうに俯く。
そんな雲雀の顎に手を添えると、骸は自分の方へと上向かせる。
逃げないように腰に腕を回してきつくきつく抱きしめて。
そして触れるだけのキスをして、骸は微笑む。

「今日は…コレを君に渡しに来たんです」

そう言って骸がコートのポケットから取り出したのは小さな巾着袋。
嬉しそうに話す骸に呆れた顔をした雲雀はその腕の中でおとなしく抱かれたまま、その袋を見やる。

「…何それ?」

くれる物は貰うと言わんばかりに手を差し出すと、スっとそれを離された。

「その前に…目を瞑ってください。そうじゃないとあげません」
「じゃあいらない」

焦らされるのは好きではない雲雀にとって骸の問答は苛々の起因でもあった。
今度こそ本当に拗ねてしまった恋人は腕の中で暴れ始めたので、骸はトンファーを出される前にと両の手を封じる。
大好きな彼が目の前に居るのに抱きしめていられないのは勿体無かったが、今はそれがメインディッシュではなかった。

「…恭弥、ほんの数秒だけでいいので…ね?」

雲雀の華奢な手を自らの唇に寄せ、細い指先に口付けを落とす。
窘められるのは癪でならなかった雲雀も、口を尖らせて拗ねたまま骸のそれを拒否しようとはしない。

「………、」

散々文句の言葉を並べていた割には素直に目を瞑る雲雀を目の前にして、骸は微笑まずにはいられなかった。
何て可愛い人なのだろうと、胸が躍る。
僕だけのものになってくれたらいいのにと、我ながら子どもじみた事を思ってしまう程に骸は目の前の彼に夢中だった。

「クフフ、僕の前くらいはそうやって素直になってくださいね」
「…そんな御託はいいから早くしてよ」

反論するだけ時間の無駄だとは分かっていながらも、素直になれない性分は厄介だった。
それでも昔に比べたら敵対心は薄れた方で、嫌々文句を言いながらも自分を受け入れてくれることが、骸は嬉しくて仕方がなかった。
雲雀が目を瞑っていることを再確認してから、骸は右の手だけを自由にすると閉じたその瞼にそっとキスをした。

「では……」

大人しく目を瞑っていてくれる姿も愛らしくて、ついつい見惚れてしまいそうになりながら、骸は巾着袋から小さく光るそれを取り出すと左手の薬指にそれを嵌めていった。

「…、」

骸から何かを貰うことが多い雲雀にとって、左手を掴まれた瞬間、骸がしようとしている事が何となく分かってしまい恥ずかしくなった。
薬指から伝わる冷たい感触は明らかだったけれど、口にはしないでおいた。
きっと目を開けたらとんでもないバカ面で僕を見ているに違いないから。
僕の前でだけ、僕にだけ気を許して、自分の身分やら立場やらも関係なく、ただ純粋な恋人として、無防備になる骸が堪らなく愛しかった。
こんなこと知られたら調子に乗るから、絶対に言ってなんかあげないけど。

不意に優しく頬に触れられて、雲雀はピクリと眉を上げた。

「…もういいですよ、恭弥。在り来たりですけどね…、受け取ってくれますか?」

指から伝わる冷たい感触を確かめるように雲雀はそっと目を開けてソレを見た。
そこにあったのはシンプルなシルバーリング。闇夜に一段と光沢を放つそれはとても綺麗で。
それはまるで飾りなどない二人の感情を表しているようだった。
きらりと光る指輪に素直に嬉しくなったと同時に、雲雀の胸には切なさが込み上げた。


( また、僕だけ… )


「……ない…」
「?恭弥…?」

不意にぽつりと言葉を濁して俯き黙り込んでしまった雲雀を不思議に思い、骸がその顔を覗き込むと、
その顔は悔しさで一杯と言わんばかりに眉を寄せ、
唇を噛み何かを堪えるその姿は、骸には今にも泣き出しそうな顔に見えて少しだけ焦りを覚えた。

「恭弥…」
「……、いらない」


( 指輪も、僕一人だけなんて )


明らかに聞こえてきた拒否の言葉を全て真に受けたりはしないものの、雲雀の言動には慣れていた骸もやはり少しだけ眉を下げた。
俯く彼の肩を掴んで抱き寄せ、片腕の中にすっぽりと閉じ込めると、左手を包み込むようにして握り締める。

「ちゃんとサイズ合ってるでしょう?」
「…いらない。僕はこんなのが欲しいんじゃない」

急なプレゼントにしては驚かせすぎたのかと少しばかり反省の色を浮かばせながら、それでも折角用意したプレゼントは受け取ってもらいたかった。
指輪のサイズは小細工を仕掛けて調べ済みだったし、デザインも極力気に入って貰えるようにと試行錯誤して選んだ一品だ。
それを“こんなの”で済ませられてしまうのはさすがに哀しいものがある。

「恭弥…?不満でしたか?」

どこか様子がおかしいことが気になって、気圧されずに骸は再び抱き締めて額に口付ける。
抱き締めるとそれに応えてくれるからきっと嫌だったわけではないはずだ。
昔から心意が掴めない雲雀と長年連れ添ってきただけあり、雲雀の言動は大抵天邪鬼な一面が潜んでいる。
素直ではない彼だからこそ、細心の注意を払いながらその真意を探らなければならないのに。


( 失敗、でしたかね…。 )


腕の中で大人しくする雲雀の髪をそっと撫でながら、骸は気付かれない程度に小さく溜息を吐いた。
彼が喜ぶものをプレゼントしたいと言う気持ちも大きかったが、彼は何に対してもそこまで執着するような人ではない。
僕の想いを伝えるにはコレが一番良い方法だと思っていたのだが、折角の逢瀬が散々な思い出になってしまうのは御免だった。

「不満、じゃない」

暫しの沈黙の後、ぽつりと呟かれた言葉。
それは偽りではなく本心そのものだとすぐに気が付くと、骸は酷く優しく微笑んで俯く顔を覗き込む。

「だったら…どうして?」

視線を合わせると困ったようにまた視線を逸らされてしまうが、それでもめげずに視線を追いかける。
愛する恭弥の口から紛れもない素直な感情を聞けるのなら僕はそれだけで幸せに思えた。
僕にしか見せない表情、言葉、仕草。全て僕だけが見ていいもの。僕の特権。
あの雲雀恭弥が見せる気を許した微笑みも、全てが僕のもの。

「…!」

骸に抱き締められると言うだけだった雲雀が背に廻した腕に力を込め、自らきつく抱きついて骸の胸に体を預けてきた。
その願ってもいなかった雲雀の行為に骸は驚きを隠せなかったが、それよりも嬉しさで一杯になると柔らかい黒髪に顔を埋め、頬を擦り寄らせる。
ジャケットに皺が出来ようがお構い無しにぎゅっと握り込むと雲雀は意を決したのか、顔を上げると漸く骸と視線を合わせ、言葉を紡ぐ。

「…骸の体が欲しい。君を奪い返しに行きたいよ、僕は…!」
「!…恭弥…」

視線が合わさるとそっとその唇に己のそれを重ね合わせ、続く言葉を待っていた骸だったが、届けられた言の葉はあまりにも衝撃的で、嬉しさと同時に申し訳ない気持ちで一杯になった。
普段の姿からは想像も出来ないほど弱った彼のその態度も全て、僕だから見せてくれるものだとは分かりながら、こんなにも想いを寄せられていると言うのに、僕はいったい何をしているのだろうと自負の念に駆られた。
“あんな所”で繋がれたまま外界の世界から退けられ、どうすることも出来ないまま幾年の歳月を過ごしてしまった。


( 嗚呼…どうして僕を好きになってしまったのでしょう… )


想いはこんなにも募っているのに。
こんなにも愛し愛されていると言うのに。

僕たちは結ばれるべき運命ではないと、言われているようで悔しくなった。


どちらからともなく強く互いを抱き締めて許しを請う。
決して許されるべきではない行為を犯してきたことは認めます。
だからこの想いだけは奪わないで。

…神様。



( どうしてこの男を好きになってしまったのだろう )
( この男のせいで、僕はおかしくなってしまった )
( 僕は、僕だけのものだったのに……、 )


誰かに自分を占領されるなんて考えたこともなかった。
ましてや誰かにこういった類の感情を抱くことなども。
それでもこの感情は拭えなかった。
どれだけの時を過ごそうとも、この感情だけは色褪せることなく、膨れ上がるばかりで。

それでも彼をあの場所から連れ出せる術は、僕には無かった。
世界中を飛び回り、融通の利く権力を振りかざそうとも、相容れざるを得ないマフィアの世界でその名を轟かせようとも。
“復讐者の牢獄”という絶対禁忌には一歩たりとも近づけなかった。

「君の居場所はココだって…あんな場所じゃない、って…」


( 1年も我慢して我慢して我慢して、やっと会えてもそれがたった数時間だなんて )


「僕はいつまで一人で待ってなければならないの?」


弱々しく呟かれる言の葉に、骸は酷く涙してしまいそうだった。
そして自分の一生をこの彼に捧げようと心に誓う。

僕はこんなに愛されていいのだろうか。
酷く脆くて強いこの感情は、僕たちを纏って離れない。



けれど、運命が僕たちを引き裂いていく。



(( 嗚呼、僕たちは多くの罪を重ねすぎた ))

( その代償が、“これ”なのだろう?ねぇ、神様 )



残酷な仕打ちだ。
僕は何てヒドイ男だろう。愛する彼をこんなにも悩ませるなんて。

「…すみません、恭弥…いつか必ず迎えに来ますから…」

( だからそれまで、僕のことを嫌わないでくれますか…? )


雲雀を腕に抱き締めたまま、骸はひどい後悔をした。
あの日、あんな事をしなければ、彼を一人にさせることもなかっただろうか、と。
それでも僕たちは“あの日”がなければ出逢うことはなかったと言うのだから、運命はなんてイジワルなのだろう。


( 嗚呼…、どうか、神様…僕たちの罪が許されるのなら )
( 一秒でも早く、一秒でも長く )


(( 彼に自由を、 ))


「愛しています、恭弥…この先もずっと君だけを愛しています…」


僕たちは多くの罪を重ねすぎてしまった。
その代償がこれだと言うのなら、僕たちは共にこの罰を受けると誓います。

だから、今日だけは彼を愛することを許してください。


END
09.06.21




二人の記念日は真ん中誕生日の5月22日から23日にかけての深夜。
この日の逢瀬は二人の毎年の絶対的出来事。
誕生日話のはずがよくわからない話になってしまいましたorz


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