クライシスゲーム


始まりは突然のことだった。
その日は酷く天気が悪かった。朝の目覚めは雷の音、雨の音。どんよりと曇った重たい空が今にも落ちてきそうな雰囲気さえ感じる程、気分は憂鬱だった。
天変地異が起こる前触れだと、もし科学者が大真面目な顔でそう言いだしたとしたら流石に信じて仕舞うかもしれない。そんな馬鹿馬鹿しいことを思い浮かべながら、足取りはいつもと変わらず、並中へと向かっていた。
酷い雨の中、傘を差して歩く。路のあちらこちらに出来た水たまりと轟音と共に走り去る車の水飛沫を避けながら、重たい空の割には足取りは軽かった。こんな天気の悪い日に異変を感じるのは何故だろうと、耳を澄ませてみれば答えは簡単。今日は無風だった。
静かに響く雨の音と、時折鳴り喚く雷の音が耳に残る。しつこい雨だ。今日は一日降りっぱなしなのだろうか。
並中生達に校舎を泥水で汚されるくらいなら休校にしてしまえば良かった。
今から教師等に指示を通達をしても、果たして登校時間ギリギリの今、それが間に合うのか。違う。間に合わせるべきか。
一つ頷きを零し、足早に校舎へと滑り込む。風紀委員専用の傘立てにびしょびしょのそれを置き、まっすぐ向かうは職員室。其処は生徒玄関からは少し歩く。廊下一本ではあるが、気分が急いてる時はやけに遠く感じて苛々が伴った。
その時だ。妙な違和感を感じたのは。


――何だ…?


まだ静けさが残る校舎に走る、不思議なざわめき。
耳を澄ませば微かに聞こえてくるそれは、紛れもない異音。機械音にも似ている。何故だか胸騒ぎがした。理由は分からない。けれど、雲雀は足を止めて、その音の出所へ向かうことにした。
そう、それは最早直感に近い。慣れ親しんできた我が根城、応接室が発端のよう。校舎三階奥に位置するその場所から、その妙な音が聞こえているような気がしたのだ。
雲雀の直感は当たっていた。近づくに連れて音ははっきりとしてきて、次第に息を殺した。
音の理由に見当がつかなかった。昨晩も遅くまで残って仕事をしていた。校舎に残っていたのは自分が最後。虫一匹の侵入も許さないと言うのに、してやられたかと、己の失態に歯噛みする。

「………、」

いざ、扉へ手を掛けた時だ。集中力が高まった中、言われもない異様な殺気が雲雀に降り注ぎ、途端に動きを止められた。背中に刺さる痛々しい無数の牙、殺気で出来たそれは体を否応なしに硬直させ、雲雀の額から冷や汗が伝う。

「…こんなに幼かったかな、僕」

低い、男の声。嘲笑混じりの声色は、雲雀の苛々を増幅させる結果にしかならない。

「誰」
「君だよ、未来のね」
「冗談は要らない。其処を退けないなら咬み殺す」
「出来るならしてごらんよ、出来るなら…ね」
「ふざける…――ッ、」

体に絡みつく重たい殺気を振り解き、懐から取り出したトンファーは気付くと呆気なく手から弾き飛んでいた。
廊下を滑る愛武器。それはもう息つく間もない一瞬の出来事だった。何度も瞬きをして現実を追うしか術しか雲雀には残っていなかった。

「…だから言ったろう。出来るならね、って」
「ッ…」

雲雀の額を捕えているのは、銃口。眼前の男の手はトリガーに掛かったままだ。そして、雲雀に武器は無い。これでは一瞬も違えない。万が一次の手を間違えれば、降り注ぐのは鮮血のみだろう。
雲雀は、動けなかった。

「そう睨まなくても殺さないから安心しなよ。ああ…でもちょっと此処は場が悪いな、中に入るよ」
「…僕の許可無く入るな!」
「その"僕"がこの僕だよ」
「あなた、頭でもおかしいんじゃない?」

戦意喪失した雲雀と、もう一人の自分だと名乗る男。見知った風に応接室へと入り込み、雲雀は容易にソファへと放り投げられた。
男はと言うものの、懐かしそうに雲雀の特等席に腰を落ち着かせ、ぱらぱらと書類を捲り、何かを確かめているようだ。机に置いたままの書類で秘密事項に関わるようなものは一切無いはずだ。否、そんな大事な書類をあっさり放置して帰る訳が無い。


ならば、何を確かめる?


むすっとした表情で、雲雀は仕方なくソファへと座ったままジトリと彼を睨んだ。
少しでも妙な動きをすれば容赦なく飛び掛るつもりでいる。構えは戦闘態勢のまま、雲雀は視線を逸らさない。

「そうだね、僕も初めは動揺したよ。タイムトラベルなんて馬鹿げてる。非現実だ、とね」
「は?」
「僕は一度しか言わないよ」
「ちょっと待って。タイムトラベル…? あなたが…?」
「そう、タイムトラベルをして僕はここに来た。ああ、君はまだ未体験か…。まあ、要するに、僕は君の世界から見て十年後の世界から来た。正真正銘、僕は雲雀恭弥だ」
「あなたが…僕…? しかも十年後の僕だって…?」

そう言ってうっすらと微笑むその彼が、十年後の自分だと言う。そんな馬鹿げた話があっていいのか。あり得ると言うのか。
確証は無い。彼が未来から来た証拠も、何も無い。けれど不思議なものだ。嘘を言っているようには見えないのだ。彼が話す全てに、嘘の色は見えなかった。

「嘘だと思うなら試してみるかい?」
「――要らない…、と言うかそこは僕の席なんだけど、退いて」
「可愛くないね」
「当たり前でしょ」
「反抗的だった事は、うん…認めるよ。でもこんなに馬鹿な子だったかな」
「馬鹿馬鹿うるさい」
「事実じゃないか。無鉄砲に、敵の実力も測らずに、身の程も知らずに飛び込む子ども」

調子がいい言葉ばかりを並べるのは、大人の悪い癖だ。それくらいも分からない子供だと思われているようなら虫唾が走る。
腕を掴んで強引に席から引き摺り下ろし、代わりに雲雀が座った。特等席は居心地が良い。腕を組み、居場所を失った彼を見遣る。
自分よりは背が高いが、大人に比べれば割と小柄だろうか。きっとそれは彼にとって突かれたくない弱みのような気がして、雲雀はにやりと口元を緩めた。今は言わないでおくけれど。

「僕は強いよ」
「その自信が裏目に出てるんだと早く気付きなよ」
「……。あなたは…、強いの…?」
「君よりはね」
「ふうん、じゃあ咬み殺そう」
「ほら、そう言う所が子どもだと言ってる」
「どうして?負けるのが怖いの?」
「自分相手にか?馬鹿にしてくれるな」
「馬鹿にしてきてるのは貴方じゃない」
「それもそうか。でも…、今はダメ。時間が無い」

ちらりと盗み見た時計の針は、止まらない。チクタクと時を刻み続ける。
不意に大人の方の雲雀が、雲雀の頭をぽんと撫でた。それは名残惜しいからではなく、ぐしゃぐしゃと愛でるようなそれ。覗き込まれた顔同士は酷く近く、キスすら出来そうな距離だ。
よく分からない。

何故、未来から過去へと訪れたのか。
何故、タイムトラベルをしてまで会いに来たのか。
何故、その手を振り解けないのか。

突然のことで、いくら雲雀でも思考が渦を巻いていた。理解に苦しむ。けれど、夢物語でも何でもない、現実だ。
そう、それはイケナイ秘密。

「…どうして来たの?」
「さあね…、懐かしみに来ただけ…とでも言っておこうか」
「何それ」
「言葉の通りさ」
「ふうん、そんな事を言うようになるのか、僕は」
「そうとは限らないさ。君が、例えば風紀委員を降りれば、僕は僕でなくなる訳だし」
「へえ、じゃあ僕が今死ねば――、」
「そう言う事」
「楽しいね。だって、もしまたあなたがこの世界に来たとしたら、その時はまた違うあなたに会えるって事でしょう?」
「そうなるかな。まあ、それには君が変わったらって言う条件が要るけどね」
「だったら動物園で働いてみようかな。…ねえ、次はいつ来るの?もう来ないの?」
「興味でも持ったかい」
「うん」
「そう…、じゃあ近い内にまた来てあげる」
「その時は手合わせしてよね」
「君がもっと強くなったらしてあげなくもない」
「あ…ねえ、消えてる――、」

眩い光が大人雲雀を包んだ。正確には白煙だろうか。靄が彼を包み、その端から消えていく身体。その身体が実体であった事は触れられた時に確信したし、どこかの誰かのような幻ではなかった。
消える、のだろうか。雲雀に大きなざわめきを残して消えると言うのか。跡形も無く、この世界から姿を消そうと言うのか。
大人はずるい。子どもだからと言って遊びの手も取ってはくれないのか。悔しい。悔しい。

「ああ、時間が来たのさ…。残念だけど今日はここまでみたい。また来るよ――。」
「待っ…、」





嵐はそうして止んだ。
耳障りだった音も消えていた。音の原因は間違いなく、あの彼によるもの。発祥源は解からず仕舞いだったけれど、原因は解かった。彼が現れると、あの奇怪な音が聞こえるのだ。益々普段から気を掛けておかなければならなくなってしまったが、それも遊びの醍醐味だと思えば楽しいものだ。
次はいつ訪れるのだろうか。次はあるのだろうか。不意に一方的に弄ばれただけで、子供が満足するとでも思っているのだろうか。
子供は欲張りだ。子供だった彼が分からないとでも言うのか。否、それは充分に在り得る。だって彼は自分だ。こうして彼と出会わなければ、自分が思う以上に子供であることには気付けなかったかもしれない。その点だけは感謝してもいい。少しだけ、だけど。

子供は欲張りなのだ。だって、得る事しか知らない。
それでもその子供に遊びを与えたのは紛れもなく彼自身。自らの身の危険を冒してまでタイムトラベルを行ったのだ。たった数分の逢瀬とは言え、その身に降りかかる記憶の変格は容易いものではない。伴う痛みも大きい。だが、きっとそれを負ってでも楽しめる何かがあるのだろう。
過去と未来の融合は禁忌。毎日に物足りなさを感じる中、思いついたゲームがタイムトラベル。身を捧げてまで行うゲームならば、楽しくなければつまらない。日々も同様。
そう、これは秘密の遊び。終焉は遠い。寧ろ、このゲームに始めから終わりなど無いのだけれど。雲雀は知らない。気付けない。


さあ、ゲームを始めよう――。





ク ラ イ シ ス ゲ ー ム





2515ヒバヒバでした。難しいけど、この二人書くの楽しい。
会う口実は出来たので、きっとまた大人雲雀は会いに来る。解かってて雲雀は応接室から離れなくなった。のかな?なんて。
(11.8.20)


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