暗闇の中、太陽のように真っ直ぐな光が輝いていた。あまりにも眩しくて、目蓋を閉じたその後も、点滅を繰り返している。

 いつまでもいつまでも、馬鹿みたいに光っていた。





 男が嫌いだ。

 小学校高学年に差し掛かったあたりから、パパに嫌悪感を持つようになった。パパが入った後の湯船に浮かんでいる縮れ毛を見ると嫌悪感が背中を走り鳥肌が立ち『パパの後のお風呂には絶対入らない』と宣言した。ママにこっぴどく叱られたけど嫌なものは嫌だった。なんか無理。なんかキモい。パパは涙目で私の宣言を受け、チロ(ダックスフンド2歳)を抱っこし、ベランダで空を見上げていた。その姿もなんかキモかった。

 男が嫌い。デリカシーないしガサツだし悪いことがかっこいいとか思ってトイレでタバコ吸って先生に叱られて不貞腐れてホントホントバカみたい。産毛というには濃い毛が鼻の下に生えているのを見ると心臓が毛羽立ったみたいに胸が気持ち悪くなる。

 男が嫌い。マジで無理。その中でも特に特に特に。

「卍……解!」
「ちげぇーって! もっと溜めた方がいいって卍…………解! くらいがいい……ってぇ!」

 同い年の男が、だいっきらい。

 ギャハハハハハハと聞くに堪えない笑い声を上げながら箒を斬魄刀に見立てて掃除をサボるアホの尻を蹴ると、アホは前から倒れた。

「ってぇーー! 何すんだよ!!」
「あんた達が掃除やんないからでしょ! いつもいつもうちらばっかにやらせて!!」

 男子中学生――それはこの世で最も低俗で劣悪な生き物。何の躊躇いもなく掃除をサボり、エア螺旋丸を作ったり卍解の発声の溜め具合を悩んだり……と死ぬほど馬鹿げた事に全力を尽くし、私達女子に面倒事を押し付ける。

「ほんっといい加減にして! 超! 迷惑!! ねー皆!?」
「マジ美月の言う通り」
「さっさと掃除しろし」 

 非難がましい目に囲まれている事にようやく気付いたアホ二名は「うっ」とたじろいだ。視線を左右に泳がせてから、ブスッと仏頂面になる。

「……いいだろ別に」
「よくないから!」

 籠もった声で反論にもなっていない反論をつぶやく馬鹿を怒鳴り飛ばしてから、私は奴にちらりと視線を走らせる。視覚が奴を捉えた瞬間、口の中が少し痒くなった。

「花垣はちゃんとやってんでしょ! アンタ達も見習いなよ!」

 クリーナーが故障した為、廊下で二つの黒板消しを合わせてチョークの汚れを払い落としている花垣の背中を一瞬捉えてからまたアホ二名に視線を戻す。アホ二名は更に気まずそうに肩をすぼめて「んだよ」と不貞腐れた。

「へ? なんか今オレ呼ばれた?」

 黒板のチョークの汚れを落とし切ったらしい花垣がアホ面で戻ってくる。状況を掴めずきょとんとしている花垣は、アホ面だ。アホ面アホ面アホ面アホ面。脳にアホ面≠ニ刷り込むように、何度も言い聞かせる。

「呼んでない。ただ、山田と斎藤(※アホ二名)に、花垣みたいにちゃんと掃除してって言っただけ」

 花垣と話すとどうしても声が上擦りかけるから、私は必死に抑えてつっけんどんに言う。いつか友達に『美月って花垣嫌いなの?』と聞かれるほどぶっきらぼうな言い方らしく、花垣気を悪くしてないかなと胃がヒヤリと冷える。だけど花垣は全く意に介していなかった。呑気な顔で「あー、はいはい。なる〜」とふんふん頷いている。

「おい山田斎藤。さっさと終わらせてさっさと帰ろうぜ。結局これが一番効率いいんだよ。そう……これが一番遊べんだよ……な?」

 花垣は静かに語り掛けながら、アホニ名の肩をぽんぽんと叩く。花垣は時々、妙に大人っぽく……というかオッサンくさくなる。ひとつやふたつ上というよりも、十個くらい離れた人みたいだ。オレも昔はそんな時期あったよ、と私達の行動を生暖かい目で見守る教育実習生の先生以上に達観している。
 少し不思議に思いつつも、私の胸中はその通りと同意する気持ちの方が大きかった。真面目に掃除すれば十五分で終わるところを、男子が馬鹿みたいにふざけるから三十分に伸びるのだ。
 花垣はテストの点はあまり良くないけど、物事を図る眼差しは同級生よりも遥かに超えていて、大人で、なんかその、あれだ。

 アホニ名の内ひとりは「意味わかんねーし!」と花垣を突き飛ばした。不良のくせに弱い花垣は軽く吹っ飛ばされて尻餅をつく。

「いてて……」

 お尻を抑えて顔を歪めている花垣を見た瞬間、頭とお腹がカッと熱くなった。

「ちょっと!」
「あー、いい。いい。草壁さんいい」

 花垣は苦笑を浮かべながら私を制するように顔の前で手を振り、立ち上がった。しょうもない暴力を奮われても、花垣は怒らなかった。やれやれ、仕方ねえなあと言いたげに息を吐いてから、どっこらしょ、とオッサンそのものの独り言をつぶやき、ゴミ箱を持つ。

「あ、花垣いいよ。前も持ってってもらったし、今日私が持ってく」
「いいよ。女の子に重いの持たせんのアレだし」

 女の子
 花垣の口からその五つの文字が紡がれた瞬間、体温が三度くらい上がった。
 女の子、女の子、女の子……。男子からゴリラ扱いされることはあれど女の子∴オいされた事は人生で皆無の私は、無性に落ち着かなくなる。しかも女子≠カゃなくて女の子≠セ。大人の男の人みたいな物言いはなかなか鼓膜に馴染まず、足元が宙に浮かんでいるみたいなきもちになった。醗酵寸前のもどかしい何かが体内を駆け巡り、胸の奥がむず痒くなり、喉の中で声が絡まった。ありがとう、と言いたいのに出てこない。

「うっわ花垣きっしょ。女子に良い顔してんじゃねーよ」
「うんうん、中学ん時ってそうだよな。女子の事気になるけどどう接したらいいかわかんねんだよな。うんうん」
「は〜〜〜!? 意味わかんね〜〜〜〜! 花垣マジうんこ〜〜〜〜〜!」
「え、またついてる!?」

 花垣は時折大人っぽいけど、基本は馬鹿だ。何故か突然うんこトークで盛り上がり始めた男子達を女子達は漂白剤の如く白い眼差しで見つめる。「またって何……」と友達はドン引きしていた。

 男子ってどうしてこんなに馬鹿なんだろうと冷めた目で眺めながら、花垣を追う。気付いたら私は、花垣を目で追ってしまう。どこにいるか探して、確認したら、何度も何度も視線を送ってしまう。バレてほしいようなバレてほしくないような、訳のわからない逡巡を抱えながら、こっそり盗み見る。

 いつからかは覚えていない。多分、季節が夏を迎えたあたりから。少し、ほんの少し、小匙十分の一程度だけ。

 私は花垣武道が気になっている。



 

When we are in love often doubt that which we most believe.



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