ふりだしにもどる





 間違えた回数を数え上げたらキリがない。

 たとえば、答案用紙の見直しを怠ったせいで防げなかったケアレスミス。
 たとえば、レシピをながら見したせいで砂糖を入れ忘れたカップケーキ。
 たとえば、伝える相手を間違えた告白。

 その中でも人生一番の間違いは、間違えたまま放置して、好きな男の子を傷つけた事。

『より戻さねぇの?』

 ココ君はそう言うけど、それは、間違いじゃないだろうか。

 人に真正面からぶつかることをなんかダサいと軽んじ嫌煙していた私が、私なんかが、イヌピー君の傍にいたいと望むことは、今世紀最大の間違いなんじゃないだろうか。





「陽子ちゃん最近元気ないね。なんかあった?」

 笑顔の裏に感情を押し込むという特技は、どうやら消滅したらしい。この一週間だけで、三人にも尋ねられた。『最近元気ないね。なんかあった?』今の井口さん(37歳主婦パート)も合わせたら四人だ。
 ココ君と別れた後、まだ少し早かったけどバイト先に向かった。時間を少し持て余している私はこれから帰る井口さんと更衣室でだらだらと喋りながら着替えていると、不意に、そう尋ねられた。

「あー、まあ……」と苦笑する。制服のボタンを留めながら、茶化すように告げた。

「彼氏にフラれちゃったんです〜」
「えー! そうなの!? 彼氏って、あのちょくちょく来てた金髪の子だよね?」井口さんは目を丸くして素っ頓狂な声を上げる。
「そーですよー。まぁ、彼氏ってか元カレですけど」

 口にすると一層実感が沸いて、胸がじくじくと膿んだように痛んだ。彼氏じゃない。もう、私の彼氏じゃない。私が好きな男の子は、もう私の彼氏じゃないのだ。

「陽子ちゃんが振ったんじゃなくて?」
「違いますよー。もう思いっきり! フラれました!」
「あちゃー、そっかー」

 井口さんは眉を潜めて嘆かわしげに言うと「大丈夫だよ!」と私の肩をぺちぺち叩いた。

「陽子ちゃんならまたすぐ彼氏できるって! 可愛いし!」
「あははー、ありがとうございまーす!」
「次の彼氏はきっともっとかっこよくて優しいよ! 断言する!」
「それ断言ってか予言じゃないですかー」
「ふふふ、そうよー。私予言できんの! 陽子ちゃんの次の彼氏は更にかっこよくてもっと優しくて面白くて話し上手で頭良い青年実業家!」
「うわヤバー!」

 井口さんの予言によると私の次の彼氏はイヌピー君よりも完璧なスペックを兼ね備えていた。きっと少年院に入ったこともないのだろう。 

「じゃあ私帰るね。陽子ちゃんばいばーい」
「はーい! お疲れ様でーす!」

 私服に着替えて去りゆく井口さんに挨拶し、私はまた制服に着替え始める。無理矢理上げていた頬の筋肉が下がったのを感じ、ロッカーの中の鏡で顔を確認すると、そこには真顔の私がいた。イヌピー君みたい、とまた性懲りもなく元カレを思い出す。

 井口さんの言うような高スペック男子かどうかは知らないけど、それなり≠フ私はまたいつか彼氏ができるだろう。

 井口さんは旦那さんと最初の就職先で出会ったと言っていた。旦那さんは2つ上の先輩で、24歳の時に付き合い始めて、28歳の時に結婚して寿退社して、という人生だ。
 旦那さんとの馴れ初めを聞いた時、やっぱそんなもんだよなぁと思った。結婚相手と出会うのは20歳過ぎた頃からで、適齢期の頃に付き合っている相手と籍を入れる。その頃私はイヌピー君じゃない彼氏がいたけど今の彼氏とこのまま結婚することはないんだろうなと冷静に判断していた。大人になるまで時間がありすぎる。進学や就職を経て価値観の違いが浮き彫りになってもその時の彼氏への思いが続くことはないだろうなと考えていた。案の定、その考えは当たっていた。

 イヌピー君となんて既に今の時点で価値観の違いを感じている。初デートなんてデートじゃなかった。最終的に吉野家に置き去りにされるって何。どうしてそういう思考になるのと何回も何回もドン引きした。

 今まで付き合ってきた彼氏の中で一番訳わからなかった。
 今まで付き合ってきた彼氏の中で一番怖かった。
 今まで付き合ってきた彼氏の中で一番、無防備で、喧嘩っ早くて、単純で。

 感情の読み取れない、水晶玉のような瞳。怒った時にこめかみに浮かぶ青筋。ふわふわの淡い金色の髪の毛。大きく筋張った手。微笑んだ時に、柔らかく緩む口元。

 寄りそうと心までじわりと温まり、胸の高鳴りが体中に響いた。

 何でもない時間が、何でもなくなった。

 私のぬくもりすべてを伝えたかった。温めてあげたかった。

 淡々と自己否定を繰り返すイヌピー君にそんなことないと伝え続けて、自信を与えたかった。

 他の人なら許せない行動も、イヌピー君なら許せた。

 だって大好きだから。だって一番特別だから。
 だってイヌピー君の代わりなんていないから。

 いつのまにか溢れ出た涙がぼたぼたと制服に染みを作っていく。どうしよう。なんでバイト前にイヌピー君の事考えたんだろう。泣くに決まってんじゃん。
 
 イヌピー君よりもかっこよくて優しくて面白くて話し上手でお金たくさん稼いでいてもイヌピー君じゃなければ何の意味もない。だってその人イヌピー君じゃない。どれだけかっこよくて立派でもイヌピー君じゃなければ意味がない。男版マザーテレサのような清らかな心の持ち主でM-1で優勝するくらい面白くてめちゃめちゃやり手の実業家で高級レストランに連れて行ってくれるとしてもイヌピー君じゃなければ何の意味もない。

 イヌピー君がいい。弟とハジメ君にスマブラでボコボコにされて不機嫌になるイヌピー君がいい。爪楊枝で奥歯に挟まったキャベツを取ろうとしているイヌピー君がいい。
 肘鉄食らわせたお詫びで鉄パイプで殴れと言ってくるイヌピー君がいい。
 なるべく喧嘩しないでねと言ったらやり返さなかったイヌピー君がいい。
 なんでオマエばっか我慢してんだよと言ってくれたイヌピー君がいい。
 私が会いたがったら『緊急事態』と会いに来てくれたイヌピー君がいい。
 私が拉致られかけたらめちゃめちゃ怒ってくれるイヌピー君がいい。

 イヌピー君がいい。イヌピー君がいい。イヌピー君がいい。イヌピー君がいい。イヌピー君がいい。イヌピー君がいい。イヌピー君がいい。

 おもちゃ売り場で駄々をこねる幼児の如く『イヌピー君がいい』で脳内が溢れかえる。イヌピー君がいい。イヌピー君じゃなきゃ嫌だ。イヌピー君以外の男子と付き合って何が楽しいの。

 イヌピー君を傷つけて嫌われた私がイヌピー君を望む事自体が間違いなのに、どうしても望んでしまう。
 どうしよう。どうしたらいいかわからない。時間が解決してくれるというのだろうか。だけどそれも嫌だった。イヌピー君の事を今までの彼氏と同様に上書き保存して何もなかったみたいに生きていくのも嫌だった。それなら今の苦しみを抱えたまま生きていきたい。二度と報われる事なくても、イヌピー君を好きなままの私でいたかった。どれだけ無意味な事だとしても、好きでいたかった。

 他の人なんか好きになりたくない。
 イヌピー君だけを一生好きでい続けたい。

 イヌピー君がいい。イヌピー君がいい。イヌピー君がいい。イヌピー君がいい。イヌピー君がいい。イヌピー君がいい。イヌピー君がいい。

 ぼたぼたぼたぼた、熱い雫がどんどん零れだす。一人になるといつもこうだ。誰かがいると気を張って涙を耐えられるけど、お風呂とか寝る前になると私の涙腺はバグり、歯止めがきかなくなる。

 どうしよう泣き止まないとでも駄目どうしようどうしようどうしよう

 だってどうしたって、私、

 イヌピー君が、

 ――ジリリリリリリリリリリリリッ!

 思考を切り裂くように、けたたましい高音が鳴り渡った。目覚ましに似た、だけどもっと悲痛な音。ぎょっとして音の出所を探すけど、更衣室が音源ではないようだった。部屋どころか館内一杯に広がるように、音は反響し続ける。

「陽子ちゃん!」

 バァン! とドアが開かれる。その先には血相を変えた井口さんが立っていた。








 中野の弟は中野によく似た面で「おっかしーなー」としきりに首を捻っていた。

「ねーちゃんの部屋とか風呂場からすすり泣く声が毎日毎日聞こえてくるから、絶対ねーちゃんが捨てられたって思ったのになー」

 毎日泣いてる。

 無遠慮に心臓を鷲掴みにされたみたいに胸が痛んで、燃えるような怒りが全身を駆け巡った。

 アイツを傷つける奴は殺してやりたいほど憎い。だからオレは今、自分を殺したい。一番苦しむ方法で、ぶっ殺してやりたい。

 ざわっと全身の毛が逆立つのを感じた。

「………ハジメ、イヌピーがなんかすげぇ怖いんだけど」
「ひ、怯むな……! とにかくコイツが陽子さんに捨てられたのかそれとも、」
「イヌピー?」

 背後から聞き覚えのある低音が不思議そうにオレを呼んだ。振り向くとこの一週間ずっと実家でバイトしていたドラケンが「オマエ何ガキにたかられてんの」と呆れ顔で立っていた。

「イヌピーがねーちゃん捨てたのかそれともねーちゃんがイヌピー捨てたのか聞いてんのー」
「ねーちゃん……? ああ、陽子ちゃんの弟か、似て……………は?」

 ドラケンは切れ長の目を大きく見開くと、オレを凝視した。信じ難そうな眼差しを真正面から受け取る事が居たたまれなく、オレは視線を斜め下に下げる。

「オマエらついこないだまで順調だったじゃん。何で」

 何でか。そんなの理由はひとつしかない。

「オレが、オレだから」

 ぽつりと落とした呟きはあまりにも鋭い真実で、オレの心臓を抉った。

「傷つけた。アイツの話聞かずにすげぇひどいこと言った」

 近づいたら殺すと告げた時の、中野の呆然とした顔。静かに泣いている中野を置き去りにして、逃げるように去った。

 死ね。死ねばいい。何度同じ過ちを繰り返したら気が済むんだ。

 自分への憎悪が噴き出し、奥歯を噛みしめる。真一郎君の創った黒龍に憧れていたのに、あっという間にイザナの思想に染められた。
 いつも。いつもいつもいつもいつもいつもそうだ。視野が狭くて目先の情報に囚われる。

 屈託なく笑いながらオレを呼ぶ中野が脳裏に浮かぶ。腕を絡めて下から覗き込んでくる目を思い出せば、すぐわかることだった。

 人工的な睫毛に縁取られた丸くて黒い瞳を星のように輝かせながら、オレを見上げていた。

 オレなんかの傍にいることを、いつも、喜んでくれていた。

「オレみてぇな馬鹿が、中野の傍にいちゃいけない。今まで関わってきたことが間違いなんだよ」

 一区切り置いてから、言いたくない言葉、だけど事実を形にする。

「また、大切にできなかった」

 しいんと静寂が広がる。日が少し傾いて、気温が下がる。木枯らしが頬を切りつけるように吹いていった。

 すると。

「ねーちゃん、イヌピーが馬鹿な事知ってるよー」

 呑気な声が落とされた。

 ……は? 突拍子もない発言に文字通り『は?』と思い、中野の弟を見下ろす。中野の弟は「なぁハジメー?」と中野に惚れてるガキに同意を求めていた。

「そうだよこっちはんなもんとっくに知ってんだよ問題はオマエが陽子さんに捨てられたのかそれともオマエが狼藉を働きやがったのかが知りてぇんだよなのにさっきからグチグチグチグチ訳のわかんねぇことをいつまでもいつまでも……!」

 中野に惚れてるガキはわなわなと手を震わせながら苛立っている。その隣で中野の弟はうんうんと神妙に頷いていた。

「そうそう。イヌピーが女心全然理解できない馬鹿ってことは最初から知ってんの。そんなん今更じゃん」
「オレ達にスマブラで負けてぶち切れてへそ曲げてるオマエに爆笑する陽子さんの分のケーキぶんどった事をオレは忘れてねぇからな……! あれはオレが陽子さんの為に買ってきたもんなのに……!」
「えっ、オレの為じゃなかったの……」
「ああああ! クッソ! なんで、今までの男たちもムカついたけどコイツはマジでもうマジで、ああああああ! なんでなんでなんで……」

 地団太を踏みまくっている中野に惚れてるガキの目が赤くなる。うっすらと涙が浮かんでいた。

「なんでこんな奴といる時が一番幸せそうなんだよ……!」

 悔しさで擦り切れた声が、鼓膜に強く残る。脳みそが揺れて、頭がぼうっとした。

「そうだなー。てかイヌピー馬鹿なんだから難しい事考えんなって。
 楽しかったらそれでいいじゃん。
 ねーちゃんはイヌピーといる時が一番楽しそうだった。それが全部だよ」

 ぐわんぐわんと、脳みそが揺れ続けている。

「オレもこいつ等に同意だわ。オマエ、マジで馬鹿」

 ドラケンが淡々とオレを詰る。切れ長の目が鷹のようにすうっと細められ、冷たく、オレの奥底を見据えていた。

「何過去形にしてんだよ。陽子ちゃん、生きてんだろ」

 目の周りの筋肉が強張った。去年のドラケンの押し殺した泣き声が脳裏に蘇る。見ていられなくて、目を逸らしたあの日。

 守れなかったと自分を責めながらも、自暴自棄になることはなかった。惚れた女の死を受け止めて苦しみながらも、堅実に着々と日々を重ねていく。

 ドラケンは強い。
 
「生きてんだから、まだチャンスあんだろ」

 敵意すら秘めてそうな真っ直ぐすぎる眼差しがオレを一直線に射抜く。そこから、ドラケンの強さがオレに流れてくるような、そんな気がした。

「で。結局イヌピーが捨てられたのねーちゃんが捨てられたの」

 原点に立ち返った中野の弟がもう一度オレに尋ねる。それに答えるべく口を開いた時、消防車のサイレンが響き渡った。

 急き立てられるように、鳴っている。

 空を見上げると、煙が上がっていた。

 ざわり。嫌なざわつきが胸の中を漂う。

「うわー、ここまで見えんのかよー」

 オレの横を、中坊二人組が通り過ぎた。部活帰りらしく、スポーツバッグを肩に下げている。空を見上げながら、好奇心を露に言っていた。

「煙かったもんなー」

 そいつ等が他人事として捉え興味本位で話している内容に、肌がぞくりと粟立つ。

「駅前のバーガー屋、やばかったよなぁ」

 息を呑む音が背後で聞こえた。振り向くと、中野の弟が顔を真っ青にしていた。唇を戦慄くように震わせながら、言う。

「ねーちゃん、今日、バイト……」

 頭が真っ白に染められた後、気付いたらオレは中坊の胸倉を掴んで引き寄せていた。

「どういうことだ」と顔を近づけて尋ねる。
 質問しているだけなのに中坊は顔を引き攣らせパクパクと金魚のように口を開閉させるばかり。みるみるうちに怒りが最高潮に達し「あれってなにか聞いてんだよ!!」と怒鳴りつける。

「イヌピー落ち着け! ビビらせてたら話せるもんも話せねぇだろ!!」

 ドラケンに引き剥がされて、中坊から距離を取らされる。ドラケンも中野のバイト先を知っていた。だから、目に焦りが浮かんでいる。中野に惚れてるガキは顔から血の気を引かせていた。

 勝手にビビってるコイツがわりいんだろ。
 はやくはやくはやく。はやく教えろ。苛立ちに体が蝕まれて体が震える。

「駅前のバーガー屋で何があった」

 ドラケンが淡々と尋ねる。オレは諸悪の根源が全て目の前の中坊にあるように感じ、睨み据えながら答えを待つ。

 はやく知りたかった。はやく安心したかった。違うと言え。ただのオレの勘違いだと笑え。

 だってそんな事あっていいはずがない。

 中坊達は声を震わせながら、言った。

「えき、駅前のバーガー屋が、火事に、」

 最後まで聞く暇はなかった。

 無我夢中で走った。次第に息が乱れて視界が点滅していく。けど体がどれだけ悲鳴を上げようがどうでも良かった。

 走って走って走って走り続けた。

 サイレンの音が、近づいてくる。

「はあ、はあ、はあ、はあ……っ」

 ようやくたどり着いた先で、赤黒い炎が生きているように揺らめきながら、オレを出迎えた。

 何かが焦げる音が、鼻につく。
 何か。 
 何かが焼ける匂い。

 全身包帯に巻かれて生死を彷徨っている赤音がフラッシュバックのように脳裏に流れ込んで、吐き気を覚えた。

「うわー……すご……」

 野次馬のひとりの面白半分な声に神経が逆立ち「オイ!」と怒鳴りつける。

「髪こんくらいで、背ぇこんくらいの女見てねぇか!!」
「え!? あ、えーっと……見て、ないけど……」

 見てない。焦燥感が炎のように盛んになり、オレを追い立てる。見てない。ふざけんな。辺りをきょろきょろ見渡して中野の姿を探す。オレよりも細い手足をしているのになぜかしきりに痩せたい痩せたいうるさかった。妙に凝った面倒くさそうな髪型。鳥の巣にしてやった時、滑らかな髪の感触が掌に触れた。

 ――中野、

 建物の中に入ろうとしたら「君! 何やってるんだ!?」と後ろから肩を掴まれた。振り切って入ろうとしたら、腕を掴まれた。こめかみに青筋が立つ音が体の内側から聞こえる。

「邪魔だどけ!」
「危ない! 下がってなさい!」 
「アイツがまだいるかもしんねぇんだよ!!」

 中野、中野、中野、中野……!
 頭の中が中野陽子という女で埋め尽くされる。頬を崩した笑顔を見ると、どうしようもなくなった。
 初めて素顔を見た時は好奇心と喜びが胸を満たした。こんな顔してんのか。まじまじと見てたら顔を隠された。意味がわからなかった。弟は良くてオレは駄目とかなんでだよと苛立ちを露に聞いたら――。

 たった4ヶ月過ごしただけなのに頭も心も体の中もすべてが元付き合っていた女に侵食されていた。

 遠くから息を切らして駆け寄ってきた中野が思い浮かぶ。何回も呼んでんのに気づかないどんだけぼーっとしてんだと詰られた。だってしょうがねえだろ。

『イヌピー君でよかった! 合ってた!』
 
 そんなん言われる日が来るとか、思わねぇだろ。

「離せクソジジイ!」
「落ち着け!」
「落ち着けるわけねえだろクソが! アイツが、」
「イヌピー君!?」

 少し久しぶりに聞く声が、鼓膜を打った。

「何してんの!? また怒ってんの!?」

 オレとオッサンの間に割り込んできた中野は「あ、えーっとですね……!」とオッサンに愛想笑いを向けた。

「この子少し短気なとこがありまして悪い子ではないんですけどちょっとキレたら手のつけられないところがあるんですがほんとに根は素直な……ぎゃっ!?」

 冷や汗ダラダラかきながら弁明してる中野の頭を両手でつかみ、オレの方に強制的に向かせた。

 頬に煤が貼り付いているけど火傷は負っていなかった。くん、と匂いを嗅ぐと埃っぽさの中に中野の匂いが混じっていた。

 丸くて黒い瞳の中に、間抜けた表情のオレが映っている。

「イヌピー……くん……?」

 眉を八の字に寄せて首を傾げられたその瞬間、何かが、堰を切ったように溢れ出した。

「わ……っ」

 息継ぎするのに酸素が必要なように、中野を胸の中に押し込んだ。存在を確かめたくて、ちゃんとここにいることを感じたくて、ぎゅうぎゅう抱きしめ続ける。

 いる。

 ちゃんといる。

 ちゃんとここにいる。

 全身が心臓になったんじゃないかってくらいに体が震えていた。生きてる。生きてる生きてる生きてる。中野陽子はちゃんと生きている。中野が腕を絡ませてきた時に感じた体温が今オレの腕の中に在る。感情が恐怖から安堵にグラデーション状に変わっていくと、目の奥が熱くなって、視界がふやけた。

 ココ。

 罪滅ぼしになるかどうかわかんねぇけど。

 オマエの気持ち、少しだけわかったよ。

 中野が炎の中にいるのかと思うと、

 嫌だった。

 怖かった。

 生きた心地がしなかった。

 数年かけて、やっとオマエの気持ち、多分少しだけ、わかった。

「…………ぎゅってされてる…」

 腕の中にいる中野が、ボソリと呟いている。顔が見えないけど、どんな顔をしているのかわかった。

 何度か聞いてきた声色。この声をしている時の中野は、頬を緩ませている。

 すげぇ嬉しそうに、笑ってくれてるんだ。
  








「隣の隣のビル」

 公園のベンチに腰掛けながら、イヌピー君はスンッとした真顔で私の言葉を繰り返した。

「うん。火事があったのは……隣の隣のビル。まぁうちの店にも燃え移って来たけど……」

 曖昧に笑いながら言うと、イヌピー君は静かに脱力して項垂れた。

 イヌピー君は私のバイト先が火事に遭ったと聞いて、駆け付けてきてくれたらしい。元々パニック状態だったイヌピー君は到着しても私のバイト先が火事あってるとの思い込みから抜け出せずビルの中入ろうとして止めに入ってくれたおじさんをクソジジィ呼ばわりしていた。
 場は騒然となっていたし、建物は煙に覆われてどこが火の出所か不明瞭になっていたし、何よりイヌピー君自身火事に遭ったことがある。だからパニックになっても仕方がないと言えば仕方がないんだけど、単細胞っぷりは相変わらずのようだ。

「………………………………」
「………………………………」

 状況の説明を終えたあと、鉛をはらんだように重たい沈黙が横たわる。最後が『近づいたら殺す』で終わった私達は、大変、気まずかった。窒息死しそうなほどに、気まずい。

 二度と話しかけんな近づくな近づいたら殺すと言われたんだけど、話していいんだろうか。イヌピー君から近づいてきたしいいんだろうか。てかさっき……。
 
 ぎゅうっと力強く抱きしめられた感触を思い出し、身体が熱を帯びる。背骨がミシミシ軋むくらい強く抱きしめられて苦しかったけど、ちっとも嫌じゃなかった。私を作り上げるすべての細胞が全身全霊で『嬉しい』と叫んでいた。

「悪かった」

 籠った声で謝罪が紡がれる。声の主はイヌピー君だった。驚いて視線をイヌピー君に向けると、イヌピー君は目を伏せて気まずそうに私から視線を逸らす。だけどややあってから、意を決したように、もう一度私に視線を合わせた。

「オマエのダチにキレられて、目が覚めた」
「………え?」
「中野の話によく出てくる……ユカコ……?」
「ユカコ……? あ、ユカリか……ユカリ!? ユカリがキレた!? イヌピー君何したの!?」

 気弱で小動物のようなユカリがキレた事が信じ難く素っ頓狂な声で問いかけると、イヌピー君は力なく呟いた。

「オマエを泣かせた」

 ぎゅっと握り締められた拳に血管が浮かんでいる。イヌピー君の後悔を表しているみたいだった。

「……キレられねぇとわかんねぇって、マジでオレ馬鹿だよな。何してんだよ、マジで」

 イヌピー君の瞳に暗い翳が過る。イヌピー君が自分を責める時の目の色だった。助けられたことが間違いだとか、何の取り柄もないだとか、そういうことを言う時の眼差しと同じ。

 イヌピー君の拳の上に、手を重ねた。大きな手を私の両手で掴みながら「違う……っ」と首を振った。

「私だってイヌピー君泣かせた、私がなぁなぁにしないでちゃんとしとけば、イヌピー君傷つけずに済んだ……!」

 目が熱い。喉も熱い。お願いだからもう自分を責めないで。私はイヌピー君が自分を否定する度に、酸素が足りなくなって呼吸が苦しくなる。
 眼球に押し寄せていた涙を必死に押し止めながら、切々と懇願する。

「もう自分のこと悪く言うのやめてよ……!」

 イヌピー君は何も言わない。ただ静かに息を吸う音が聞こえた。静寂の中、私が鼻を啜る音が小さく響くと。

「別れ話ー?」

 子どもの声が聞こえた。

 日曜の夕方の公園は小学生で溢れていた。能天気な声が入り込んだ瞬間鼻水は引っ込み、何とも言えない虚無感が流れ込む。北風が胸の中に差し込んだ。オレンジ色の空の中、烏の鳴き声が響いている。アホーアホー。

「おにーちゃんとおねーちゃんがどっちが捨てられそうなのー?」
「泣いてるしおねーちゃんじゃね?」
「がんばれおねーちゃん! 捨てられるかどうかの瀬戸際だー!」

 百パーセント面白がられている声援という名の茶々を小学生たちから受け、私は力なく笑う。まぁ実際その通りと言えばその通りなので否定するのもなんだか。相手は小学生だし……。

「あ゛?」

 怒気を強くはらんだ唸り声が、静かに轟く。イヌピー君は小学生相手に全力で凄んでいた。

「んなわけねぇだろ。オレが捨てられるかどうかの瀬戸際なんだよ」

 そう言って、小学生を威嚇するように強く睨み付けた。

「えー、そうなの? ってことはおにーちゃんのがおねーちゃんの事好きなの?」

 小学生からの無邪気な問いかけにイヌピー君は何を今更と言わんばかりに眉を潜めた。太陽は東から昇って西に沈む。当たり前の定説を今更説かれたように、鬱陶しげに。

「当たり前だろ」

 イヌピー君は苛立ちながら頷く。

「中野はオレには勿体ねぇ」

 心を静めるようにふうっと息を吐いてから、イヌピー君は更に拳を強く握りしめた。

「捨てられねぇように、今死ぬほど、クッソ気合入れてんだよ。邪魔すんじゃねえ、クソガキ」

 小学生相手に凄んでいるイヌピー君をぼんやりと眺めながら実感する。

 イヌピー君、やっぱ馬鹿だ。

 前々から思っていたことを、なぞるようにもう一度思う。

 私みたいな女、どこにでもいるのに。

 私が時々告白されるのはいけそう≠セから告ってみるか的なライン上に立っているから。だから私にフラれても、皆大してダメージを受けない。だって私の替えなんてたくさんいるから。似たような子なんてこの世にたくさん溢れているから。

 それなのに君は。

 
「――好きです」


 喉から滑り落ちるように、唇から思いが零れ出た。水をいっぱいに湛えたコップが一滴受けて、堪えきれずに水が溢れ出るようだった。

 イヌピー君が水晶玉のような瞳を丸くして、私を凝視する。小学生が「おおっ」と色めき立つ。だけどそれらすべてが遠い世界のように思えた。

 私が傍に居たいと願うのが間違いだとか間違いじゃないだとか考える余裕がない。

 でも、もし間違いだとしても、間違いじゃなくしたらいいんじゃないだろうか。

 間違えたとしても、大事なのは間違えたことじゃなくてその後≠ネんだから。

「気付いてるのか気付いてないのかわかんないけど、私は君が、イヌピー君が、」

 今度はちゃんと間違えずに告白している事を伝える為に、イヌピー君を色んな呼び方で呼ぶ。
 
「乾青宗君が一番大好きです」


 今度こそ、ちゃんと伝える。
 もう一度、最初から。
 ふりだしにもどって、始めよう。


「大好きです。喧嘩っ早くて、だけど最近は喧嘩しないように頑張ってて、自分がした悪いコトから目を逸らさずに向き合って、頑張って、頑張ってて、大好きで……っ」

 駄目だ日本語がおかしい支離滅裂だ。だけど今ここでイヌピー君が息をしていることが、私と同じ気持ちでいてくれることが、眩しすぎる奇跡が私の掌の中にあるということに、喜びで胸が詰まる。

「わ、わた、わた、し、は……」

 ひくっと嗚咽が喉を震わせると、ぶつんっと何かが切れた。

「イヌピー君といちゃつきたいよーーーーーーーーー!!!!」

 幼児の時もこんな大声で泣きわめいたことは記憶の限り多分ない。五歳の時に弟が生まれてから『お姉ちゃんなんだから』と叱られることが増えて、自分をセーブする癖がついた。

 駄目。無理だ。セーブできない。
 セーラームーンの玩具を我慢する事は出来てもイヌピー君は無理だ。

「イヌピー君がいいよぉ、イヌピー君じゃなきゃやだよぉ、イヌピー君がいい、イヌピー君がいい、イヌピー君がいい……!!」

 みっともないにも程がある。街中で子どもにマジ切れしているお母さんなんて全然可愛いものだ。

 子どものように泣きわめている私を、イヌピー君が呆然と眺めているのを感じる。自分は頻繁に激しい感情を見せるくせに、他人が激しい感情を見せると狼狽えるようだ。

「イヌピーやるじゃーん」
「いちゃつきたいんだってぇ〜」
「キース! キース!」

 子ども達のからかいにイヌピー君は盛大に舌打ちした。ああ苛々させてる。泣き止まないと。お腹に力を籠めて踏ん張る、けど止まらない。一度箍が外れた涙腺は涙を作り出すばかり。それでもえぐっとかひぐっとか汚い嗚咽を死ぬ気で噛み殺していると、イヌピー君の忌々しげな声が涙の向こう側から聞こえた。

「オマエらのせいでできねぇんだろうが。人前でやるもんじゃねんだよ」

 あ、と心の中に空白がもたらされてから理解する。イヌピー君の誕生日の時に私が言ったことだ。道端で人が行きかう中キスしてきたイヌピー君を路地裏に引っ張ってキスは誰もいないところでするものだとからかい半分に教えた。
 覚えててくれたんだ。てか素直に守ってくれてるんだ。嬉しい、と胸が高鳴る。だけど今は物足りなかった。

「い、いぬ、いぬぴーぐん、えぐっ、ひぐっ、い、いま、いまはぁ、」
「中野無理して喋んな。鼻水やべ、」
「今はぁ、いい……っ」

 イヌピー君が一時停止ボタンを押されたように固まった。

 私はねだる。色気もへったくれもなしに。ただただ、ほしがった。
 
 チューしてほしい。

 いつかのお願いをもう一度唱えると、両耳を塞ぐ形でガッと無造作に頭を掴まれた。強く引っ張られて、私は誘われるように目を閉じる。

 小学生たちの歓声が響き渡る。

 くちびるがくっついて、離される。

「鼻水の味……」

 そしてぶっきらぼうな声と共に、ぎゅっとされた。











「これとこれだったらどっちがいい?」

 オフホワイトのポンチョとアイボリーのポンチョを両手に掲げると、イヌピー君はスンッとした真顔で答えた。

「どっちも同じだろ」
「ちがーう! こっちがオフホワイトでこっちがアイボリー!」
「オマエ……何語喋ってんだ……?」

 イヌピー君は私に『殺す』と言った事を心底悔いており『なんでも言う事聞く』と言ってきた。私としては元鞘に戻れたし全然いいんだけど、それではイヌピー君の気が済まないらしい。

『……いいの?』恐る恐る尋ねる。イヌピー君はしかと強く頷いた。

『オマエが喜ぶ事してぇ』

 真顔で堂々と告げられて、胸が高鳴った。じゃあ。じゃあじゃあじゃあ! 胸の高鳴りに呼応するように声が弾む。

『クリスマス、一緒にディズニー行きたい!』

 イヌピー君は『わかった』と頷いた。墨入れてねぇし行けると添えて。

 後日、お土産のチョコクランチを柚葉と八戒君に配った(八戒君には柚葉から手渡ししてもらった)。

『イヌピー君と行ってきたんだー』
『へー、いぬ……、乾ぃ!?』
『ゴフッ、ゲフッ、ゴフッ』

 柚葉は目をひん剥き、八戒君はチョコクランチを喉に詰まらせかけていた。松野君はチョコクランチを噴き出し、三ツ谷君は五秒硬直した後『ごめん陽子ちゃんオレ英語わかんねんだわ』と苦笑した。ドラケン君にはイヌピー君から渡してもらいその際『へー。ディズニー。誰からの土産?』と聞かれ『オレ』と答えたイヌピー君にドラケン君は五秒停止し『ディズニーが何か知ってっか?』と訊いてきたそうだ。夢と魔法の国ですね。
 もちろんユカリにもお土産渡した。『楽しかった?』と聞かれて全力で頷いたら『そっかぁ』と複雑そうにでも嬉しそうに笑ってくれた。可愛かったので抱きしめて、今度は二人で制服ディズニーしようね! と誘った。

 イヌピー君は行きたがらなさそうと避けていた場所を提案すると、意外にもイヌピー君はすんなりと頷いてくれた。今日の買い物もなんだかんだ付き合ってくれている。

「お腹すいたね! 何か食べにいこー!」 

 イヌピー君を下から覗き込みながら提案する。笑顔の下で、私は決意を固めていた。
 ココ君に出会った事を、私はまだ言えていなかった。
 はじめてココ君の話をちゃんとした時に、イヌピー君が自分が生きているのが間違いだと言うようなことを言った事から喧嘩になった。あの時の二の舞を演じたくなくて、なかなか言えずにいたけど今日こそ言おう。

 ココ君とイヌピー君の話をした事。イヌピー君の事を語るココ君の声が優しかった事。今日こそ、伝えよう。
 ココ君は絶対に、イヌピー君を助けた事を後悔していない。

 静かに決意を固めていると、イヌピー君がじっと私を見ている事に気付いた。何か言いたげな視線に「なに?」と問いかけると。

「オマエ生理終わった?」

 イヌピー君は普通の声量で淀みなく真っ直ぐに訊いてきた。硬直する私に、曇りなき眼のイヌピー君は堂々と続ける。

「ヤりてぇんだけど、まだ無理?」

 ムードもへったくれもない誘い文句に開いた口が塞がらない。ウソやん。ツッコミが喉元で溜まっていた。もうちょいこう何かありません? なんか、こう、もうちょっとさぁ…………。

 けど、何にも取り繕ってない真っ直ぐな言葉が、私の胸のど真ん中に投げこまれ、心臓が大きく揺らいだ。

 付き合いたての頃の、イヌピー君の話すことが黒龍とかかっけぇ先輩だとかバイクのみだった日々が過る。私の知らない人達の事ばかりをいつもより少し饒舌に語るイヌピー君に愛想笑いを貼り付けて頷いて、だけど少し、面白くなかった。私彼女なんですけど。もう少し私の事考えるとかそういうのないんですかね?

 考えてくれるようになったのか。口元が緩む。だけど同時に意地の悪い気持ちもじっとりと沸き上がった。

「どーしよっかなぁー」

 空々しい声色を上げながら、イヌピー君に背を向ける。「……え」と愕然とした声に噴き出しそうになるのを堪え、私は「だってさぁ」としかめっ面を作って振り向いた。

「私、イヌピー君に一回も好きって言われてない」

 じとっと睨みつけながら責めると、イヌピー君はぱちくりと瞬き、それからばつが悪そうに視線を彷徨わせた。まるで悪戯を咎められた子どもだ。

「やっぱ無理かぁ」

 はあ、と嘆かわしげに溜息を吐くとイヌピー君が機嫌を損ねたのを感じた。空気の尖りを肌で感じながらやれやれと肩を竦めてみせる。

「結構初心だよね。青宗君って」

 尖っていた空気が弛緩した。
 私の彼氏が目をまん丸にして、私を凝視している。瞬きを繰り返すだけの生き物になった私の彼氏に「あれ?」とわざとらしく驚いてみせる。

「どうしたのかな、黒龍元特攻隊長?」
 
 呆け面がおかしくてクスッと挑発的に笑ってみせると、ブチンッと何かが切れる音がした。

 私の彼氏は私の教えに則って、人気のない場所に連れ込んだ。寂れた路地裏に入り込むと私を壁に押し付けて、噛みつくようにキスをしてくる。荒っぽいけどなんだかんだ従順だ。この前ハジメ君の前でキスしてきた時に相当𠮟ったのが効いているな、と冷静に思った。いたいけな小学生になんちゅートラウマ植え付けてんねんと怒ったら『この前は良くて何で今は駄目なんだよ』と心底不思議そうに訊いてきた。何故あれが例外な事がわからないのか。あまりの馬鹿さ加減に眩暈を覚えて絶句していると『ガキでも男は男なんだよ』とキリッとした表情で反論してくる。けど頬っぺたに私の手形がついている状態では何も決まっていなくて、弟に『イヌピークソダサいよ』と突っ込まれていた。ハジメ君は口から魂を出していた。

 私の彼氏。朴念仁で短気で煽り耐性ゼロ。相変わらずだなぁーと呆れながらも喜んでキスを受けていると、くちびるが離れた。

 名残惜しいのはほんの一瞬だった。私の耳元で、息が触れる。三つの音が紡がれた。

 驚いて目を見張らせると、私の彼氏は無表情の中に得意げな色を浮かばせていた。いわゆるドヤ顔に何故か母性本能がくすぐられ、きゅうっと胸の奥が疼いた。
 今までの彼氏から何回も言われた言葉。だけど今の彼氏からの言葉が断トツで輝く。だって今の彼氏が世界中の何よりも誰よりも、いちばんいちばん大切だから。

 彼氏なら最初に言って然るべきの言葉を今更告げた目の前の男の子に手を伸ばす。これが今までの彼氏とか他の男の子だったら『今更ぁ?』と眉を潜めていると思うけど、今の彼氏だけ例外だ。この世の誰にも成し遂げられなかった偉業を遂げてくれたような気すらする。だって仕方ない。大好きだから、甘くなってしまうのだ。

「よくできました!」

 とんでもない依怙贔屓野郎の私は、青宗君の髪の毛を掻きまわして、全力で褒めたたえた。
 








(あがり!)



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