ルーレットをまわせ




 間違えた回数を数え上げたらキリがない。

 たとえば、答案用紙の見直しを怠ったせいで防げなかったケアレスミス。
 たとえば、レシピをながら見したせいで砂糖を入れ忘れたカップケーキ。
 エトセトラ、エトセトラ。他にもたくさん、いっぱいいっぱい、もう、山ほどある。
 
 間違えたその時こそ『今度こそちゃんと確認しよう』と意気込むけど、半日経てばあら不思議。後悔は既に消え失せ『やってみないと分からない!』といつものそそっかしい私に元通り。何回間違えても治らないのは、実際の所、反省をしていないからだ。『死ぬこと以外掠り傷』を第一のモットーに、小中高全ての通信簿に『確認する癖をつけましょう』の注意文を流し読み。

 間違えないようにしよう。そう気を引き締めたとしても、間違える時は間違える。
 だったら間違えた後≠ェ重要だと、私は思うのだ。


 



「間違えたなぁ〜……」

 勉強机の上で頬杖付きながら、はーあ、ともう一度大きく息を吐いた。間違った。しくった。今日の合コンに行ったのは、間違いだった。戻らない時間を口惜しく思いながら、今日の強烈な合コンを思い返す。17年間生きてきたけど、今日という一日は人生のトップ10にはランクインするであろう濃い一日だった。

『年少入ってたし、中学ほぼ行ってねえ』

 淡々とした声がまだ鼓膜に残っている。

 少年院を年少呼ばわりしたのは、その瞬間まで一番モテていた、色素の薄い女顔の綺麗な男子――乾君≠セった。

 シィーーーーーン……。

 カラオケの一室が水を打ったように静まり返る。『乾君って中学の時何部だったの?』と尋ねたユカリの口角は無理矢理吊り上げられたように、歪に固まっていた。ユカリの思考回路はショート寸前を飛び越え爆発しているのだろう。乾君の爆弾発言から瞬き以外の行動をなにひとつしていない。

「イイイイイイイヌピー!」

 乾君の同小と名乗っていた男子、吉野君が乾君に慌てて駆け寄り「それは言っちゃダメだって!」と咎めている。私達女子に聞こえないように声を潜めているけど、全員耳を澄ませて聞いているため、会話は筒抜けだった。

「んでだよ。本当のことだろ」

 からあげを頬張りながら不機嫌そうに呟く乾君に「わかれよぉぉ〜〜!」と吉野君は半泣きで訴えた。うんほんとにわかってやれよ。可哀想に、吉野君は「いやこれはさ、マジ、色々あって、もうマジ今は真面目な好青年だからさ」と目を左右に泳がせながら必死に弁解している。ボキャ貧なりに精一杯乾君の良さを伝えようと「いやマジさ!」と必死に言い募っていた。その隣で乾君はポテトに手を伸ばしていた。君はもう少し慌てんかい。

 殆どが今日初めて会ったメンツだけど、私達の心は乾君と弁解してる男子を除いてひとつになっているだろう。

 やべえやつだ……。全員の顔にそう書いてあった。

 ジュゴゴ……とストローでオレンジジュースを吸い上げている乾君を除いた全員が、石化の呪いをかけられたように固まっていた。つい五分ほど前までお互い探り合いながらもそこそこ楽しげに応酬されていた会話が止み、鉛をはらんだような重たい沈黙が空間を支配する。呼吸すら憚れるような息苦しさから逃れるべく、私は無理矢理声を弾ませて言葉の接ぎ穂を足した。

「そ、そうなんだ〜! でもまぁ人生色々あるしね! 私も赤信号渡ったこと何回かあるし! 乾君もそんな感じ?」

 あっやばっ。何の罪を犯したかまで尋ねる流れに運んでしまった……! べらべら回した口が余計な質問まで繰り出し、頭皮にじとりと汗が滲む。乾君は「オレは、」と顎に手を添えながら考え始めた。綺麗な顔立ちの為、物憂げな表情が様になっている。

 乾君への第一印象は綺麗な子≠セった。全体的に色素が薄く儚げな印象を与えながらも上背があり、細身だけどしなかやかな筋肉が備わっている。幅の広い二重は長い睫毛に縁取られ、その中心に据わる瞳に見つめられると吸い込まれそうな錯覚を覚えた。

 乾君を見た瞬間にぽーっと頬を赤らめたユカリにもしや……とカンが働き、『乾君?』とこっそり耳打ちしたら、ユカリはピクリと身じろぎしてから、こくりと小さく頷いた。

『て、手伝ってくれる……?』

 と躊躇いがちに尋ねるユカリのなんといじらしいことか。
 乾君。綺麗な子だとは思ったけど、私は特にタイプではない。また頼られると嬉しい長女気質も手伝って二つ返事で快く了承した。『陽子ちゃんありがとう!』とピンク色の頬に浮かんだ愛嬌のある笑窪は恋する乙女そのもの。微笑ましさのあまり『任せろ!』と胸を叩いたのが三十分前の事。
 
「殺しとレイプ以外はやったな」

 ほとんどの犯罪に手を染めた事実をこともなげに口にする乾君の隣に座るユカリの頬は今、幽霊の如く青白くなっている。私も眩暈・息切れ・動悸を感じていた。「そうなんだ……」と合コンさしすせそを用いて、かろうじて返答する。

 ぶっちぎりの人気を誇っていた乾君。『ジャニーズみたい……!』とユカリの目を輝かせていた乾君。なんということでしょう。彼が難無くと放った年少発言に、女子の熱い視線は今や恐怖に怯えた眼差しに一瞬にして早変わり。所ジョージも腰を抜かすだろうビフォーアフターっぷりだ。なんということでしょう。なんということでしょう。

「待って待って待って! マジイヌピー色々あってさ! ちげーんだよ! いやマジちがくて!」
「ピザ頼んでいいか?」
「イヌピーーーー!」







 ……マジヤバイ奴だった……。

 今日の出来事を最初から最後まで振り返ると、何とも言えない徒労感が背中に圧し掛かった。乾君。マジでヤバい奴だった……。

 天まで突き抜けるような乾君のヤバさ具合が頭にこびりついて離れない。英語の予習をしていても気付いたら乾君のことを考えている。まるで恋みたいだけど間違いなく恋じゃない。今は更正してバイクの整備士を目指しているらしいし、堂々と少年院に入っていたことを打ち明ける豪胆さに、彼が裏表のない人間であることは窺える。けど……ねぇ?

 清らかな優しい女子ならば『少年院に入っていたとかそんなこと関係ないじゃない!』と乾君を受け止められるのかもしれないけど、私は普通の女子だ。色眼鏡で人を見てしまうし前科持ちと知れば引いてしまう。『色々あって』と必死に弁解されていたことから何らかの事情があったのかもしれないけど、そんなの私の知ったことではない。恋をするのなら、最初から最後まで良い奴がいい。一緒にいて楽しい人にしたい。

 ……宇野君、今何してるかなぁ。

 恋について思いを馳せていると彼が浮かび、胸の奥がきゅうっと疼いた。隣のクラスの宇野君は明るく快活で面白い、私の好きな人だ。体育祭で同じ団に振り分けられたことから彼の人となりを知り、恋をするようになった……んだけども、宇野君から私に対する恋愛感情は全く窺えない。いつまでも実らない恋にしがみつくのも無駄だし、新たに好きな人を作ろうと合コンに参加したのに、

『年少入ってたし、中学ほぼ行ってねえ』

 あれかい。背中に圧し掛かる疲労感が更に重みを増した。うう、昨日高いトリートメント使ったのに……。合コンに誘われた時に『行かない』という選択肢を選ぶべきだった。
 というかそもそも。ちゃんと、終わらせてからいくべきだった。

 ケータイを取り出し、データフォルダを呼び出す。体育祭の時にその場にいた適当なメンツと撮った中に、宇野君も含まれていた。宇野君の爽やかな笑顔に胸がきゅんと高鳴り、甘酸っぱい思いが広がっていく。宇野君は小動物のように可愛い女子が好きらしい。私とは大違いだ。だからこの想いが叶う事はきっとない。ちくりと痛む心臓をなだめるように、胸元に手を置き、決意を固めるように、ぎゅっと拳を握った。

 さっさと終わらせて、さっさと次に行こう。

 私は好きだと思ったらすぐ動けるタイプの人間だ。相手からの告白を待つなんてまどろっこしい。どうせ出会った最初の時点で行けるかどうかはほぼ決まっているのだ。好きだと告げてOKもらったら両想いの奇跡を喜べばいいし、NOと首を振られたら諦めてさっさと次に行く。この世にはたくさんの人間が溢れているのに、自分に振り向かない人間に追い続けるなんて馬鹿馬鹿しい。去る者は追わず来る者は拒まず。これが私の第二のモットーだ。

 宇野君の写メを見続けているうちに、更に決意が固まった。よし、と意気込んでからアドレス帳を呼び出す。ユカリのような奥手女子に比べたら積極的な部類に入ると思うけど、私だっていざ告白となると緊張する。心臓がバクバクと騒いでいた。
 あいうえおのタブを操作し、すぐ耳元に宛てる。コール音が途切れ、宇野君が出た気配を感じ取り「や、やっほ」と震える声を無理矢理弾ませた。宇野君が何か言いかけたのを察し「あ、あの!」と声を張る。
 
 今回は本当に見込みがない。間違いなく振られる。だから嫌な事はさっさと終わらせたかった。宇野君に喋る隙を与えないように、言葉を矢継ぎ早に撃ちこむ。

「ごめん、何も言わずに聞いてほしいの。どうしても、言いたい事あって」

 ここまで言えば察するだろう。宇野君が電話の向こう側で息を呑んだのがわかった。ああ、もう後戻りできない。覚悟が更に固まった私はギュッと胸元を縋るように掴んだ。

「その、多分、気付いてると思うけど。いつまでも宙ぶらりんにしたくなくて。だから、言うね」

 すうっと息を吸い込むと、夏の終わりを感じた。湿度の低いひんやりとした空気が口の中に広がる。

「私、君の事が好きです! 付き合って下さい!」

 胸の中にほのかに灯る想いを一思いに告げると、宇野君の息遣いが少し乱れた。ああ、驚かせている。宇野君も私の好意自体には気づいていたと思うけど、まさか今日告られるとは思わなかったのだろう。私ももう少し片思いを楽しむつもりだったけど、今日のロスの後れを取り戻したい。さっさとフラれ、さっさと次の恋に「いいぞ」

 ………………………………ん?

 聞きなれない声を鼓膜が捉え、私は首を傾げた。今、知らない声が聞こえてきたんだけど。ケータイを離して画面を確認したその瞬間、全身の血の気が引いていった。

『乾 青宗』

 ドッドッドッドッと心臓が爆速で鼓動を打っていた。なんで、どうして、と思考回路を急ピッチで巡らせると、数時間前の出来事が脳裏を駆け巡った。

『陽子ちゃん、乾君のメアド知りたいんだけど……どうしよう』

 ったく、しょうがないなぁ! 顔を赤らめてもじもじしているユカリの手を引いて、『メアド交換しようよ!』と持ち掛けると、乾君は少し間を置いてから『おう』と頷いた。女子二人のメアドを早速ゲットしたのに、少しも嬉しそうじゃなかった。ユカリの好意に気付いているのか気付いていないのかよくわからない、覇気の無い表情。手ごたえが全く感じられず、ユカリにはちょっときついかもなぁ……と内心思いながら、赤外線通信した。あ行にひとり、追加された瞬間だった。相田くんの次が宇野君ではなく、乾君に上書きされた瞬間だった。

 ――間違えた。

『――、い。おい、聞いてんのか』

 遠のいた意識をぶん殴るように、不機嫌な声が放たれた。野犬が唸るような獰猛な声が、私の背筋を凍りつかせる。私は慌ててケータイを耳に当て直し「ご、ごめん……!」と引き攣る喉奥から声を絞り出し、必死に謝った。殺しとレイプ以外はやった、殺しとレイプ以外はやった。過去を語る乾君の淡々とした声が頭の中でくわんくわんと反響している。

「テメェから電話しといて無視すんじゃねえよ」
「ご、ごめん、その、えっと……」

 乾ききった喉を潤すために、ごくりと生唾を飲み込む。それでもまだ喉は干上がっていた。心臓は今にも皮膚を突き破らんばかりに、大きく跳ね上がっている。こめかみに銃口突き付けられているような緊迫感に蝕まれながら、私は震える声で怖々と尋ねた。

「ほんとに、私と……付き合うの?」

 乾君は「だから」と不快を露に続けた。否定してくれますように。私の切なる願いを彼は疎ましげに一蹴する。

「いいっつってんだろ。何回も同じこと言わせんな」


 間違えを恐れて何も行動しないよりも、行動して間違えた方がマシ。私は常々そう思っていた。もし間違えたとしても後で修正すればいいだけと高を括っていた。甘い。甘すぎる。スタバのクリームを追加したキャラメルフラペチーノよりも甘い。

 世の中には、正せない間違いがある。




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