ガールズコード




 女の子のコードを知っている。
 誰かに言ったら鼻で笑われそうだし、夢物語だと生暖かい目で見つめられるかもしれない。
 だけどわたしは、わたし達は。
 このコードを覚えている限り永遠に少女でいられるような、そんな気がしている。




「ねえねえ、二人?」

 大人になったなぁと思うのはこういう時だ。

 親しみを越えて馴れ馴れしい声を向けられて振り返ると、わたし達と同世代らしき男子二人組がにこにこと人好きのする笑顔で立っていた。一緒に遊ばない? と軽やかに誘われる。十代の頃はナンパなんてものすごい美人がされるか都市伝説だと思っていたけど二十代になるとわたしのような平々凡々たる女にもお声がかかるようになった。初めの頃は嬉しかったけど正直最近は普通に鬱陶しい。とは言ってもそれを顔に出すのもなんだと思い「ごめんなさい」と曖昧に笑いながら断る。

「わたし達、今日は二人で遊びたいから」
「えー、いいじゃん」
「四人で遊んだほうが楽しいって」

 なんだその多ければ多いほど楽しい理論は。しつこいなぁとじりっと苛立ちが沸き上がる。

「ははは……なるほどぉ……でも今日はほんとに二人で遊びたくって……。すみません、他を当たってくださればと……」
「大丈夫大丈夫! 俺らすげえ楽しいトコ知ってるから!」
「ね! 行こうよ!」

 断っても断っても、さりげなく逃げても砂糖に群がる蟻の如く群がってくる。あまりのしつこさに苛立ちはますます募り、無理矢理持ち上げた口角がぴくぴくと痙攣しているのを感じた。

 そう、わたしですら苛々していた。
 気付けないわたしが悪かった。
 彼女が我慢できるはずなかったのだ。

 カキーーーン!

 スリットから伸びる白く長い脚が男子の股間を蹴り上げる。蹴り上げれた彼は声にならない悲鳴を上げながら、股間を抑え込んだまましゃがみ込んだ。

「しつこいアル。お呼びじぇねえつってんだろ。私達を口説きたいならゴルゴ13になってから出直してくるネ」
 
 酢昆布をくっちゃくっちゃと噛み締めながらゴミを見るような眼差しでナンパ男Aを見下ろす神楽ちゃん。すっかりボンキュッボンのナイスバディ美女となったけど、言動は14歳の頃とあまり変わらない。というか全然変わらない。

「お、お前……ふっざけんなよこのクソアマ!」
「あっ、あの命が惜しければ神楽ちゃんに手を出すのは……!」
「ぐおっ!」
「だから言ったのにいぃぃいぃぃぃ!」

 気付いたらわたし達の周りはたくさんの人に囲まれていて、遠くからサイレンの音が鳴り響き、

 屯所に連行された。

「えーっと、傷害に不法滞在。こりゃ極刑間違いなしだな。南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏」
「誰が不法滞在アルかぶち殺すぞこのクソガキ!!」
「ひぃいいぃぃ!! ふた、二人とも落ち着いてえぇえ!! ほ、ほら神楽ちゃん! 酢昆布!!」

 真顔で手を合わせながらお経を唱え続ける総悟くんに飛び掛からんばかりの神楽ちゃんを必死に宥めすかしていると、紫煙と共に溜息が降ってきた。

「お前らもいい歳だろ。確かに奴等も相当しつこかったらしいが、あんな馬鹿みてぇな大乱闘繰り広げんじゃねえ」

 呆れた眼差しでわたしと神楽ちゃんを見つめる土方さんに反論できず縮こまる。うう、大人の意見が身に染みる。染みすぎてもはや痛い……。二十歳を越えた今も大人≠ノなれずすぐに慌てふためいてしまうわたしは情けなさから、唇をキュッと浅く噛んだ。わたしがもっとちゃんとしておけば、神楽ちゃんもあんな風に大乱闘スマッシュブラザーズせずに済んだのだ。年上の癖に、情けない。
 神楽ちゃんはちらりとわたしを横目で見ると、「トッシー」とあどけない声で土方さんを呼んだ。

「最近目元に締まりがなくなってきたな」

 ピシィッと空気に亀裂が入った。

「あ。それ俺も思ってた」
「ニコチンコ中毒だから老化のスピードも速いネ」
「クソガキャァアアァァ! そこに直れ! 二人纏めて叩き切ってやらァ!!!」

 神楽ちゃんと総悟くんに斬りかかろうとする土方さんに「落ち着いて、落ち着いてぇぇえぇぇえ!!」と泣きながら止めに入る。この空間、ほとんど成人済で構成されているのに真の意味での大人が一人もいないんだけどォォォォォォ!!!

「はっはっはっ。トシ、お前もまだまだ子どもだな!」

 朗らかな笑い声が響き渡る。声の持ち主――近藤さんが土方さんの肩に手を乗せると、土方さんも我に返ったようだ。怒りに吊り上がっていた目が元の位置に戻る。れろれろと舌を出しながらせせら笑っている神楽ちゃんと小ばかにしたような笑みを浮かべている総悟くんを最後に睨みつけると、ため息を吐いてから刀を鞘に戻した。よ、よかった。流石近藤さんだ……。手を組みながら尊敬のまなざしを近藤さんに送ると、わたしの視線に気づいた近藤さんはバチッとウインクした。正しく言うと、ウインクしようとしていた。両目を瞑っていた。

「嫌がる女性にしつこく食い下がるなんて男の風上にも置けない。奴等にはちょうどいいお灸だろう」
「近藤さん。あんた自分の人生振り返ったりしねえのか」
「振り返っても仕方ないだろう。時間は進んでいくばかりだ。……どれだけ辛い事があっても、俺たちは歩き続けなければならねえ。前進あるのみよ!」

 近藤さんのポジティブ過ぎるシンキングに口角を引き攣らせている内に『ねぇ名前ちゃん。どっちの方が殺傷能力高いと思う?』と日本の長刀が映っているスマホを見せてきた妙ちゃんを思い出す。楽天スーパーセールで購入しようとしていた。

「やっぱこの星の男は馬鹿ばっかアルな。付き合うのも時間の無駄アル」

 すげなく毒を吐いたかと思うと、神楽ちゃんはわたしの手を掴んだ。「え」と目を白黒させるわたしを無視し、神楽ちゃんはずんずんと歩いていく。夜兎の彼女の力は大の男何人分ものの力を宿しており、わたしはあれよあれよと引きずられるばかり。

「おいコラ、まだ事情聴取は終わってない、」
「む〜り〜!」
「土方さん、ここは俺に任せてくだせぇ」
「屯所の中でバズーカ構えんなああぁあぁああ!!!」
「あーもう、うるさいネ。行くヨ、名前!」

 神楽ちゃんはわたしの背中と太ももの裏に手を添わせると、ふわりと抱き上げた。神楽ちゃんはこの数年でわたしの背を抜かした。だから昔はすぐに宝石のように煌めいている青い瞳を覗き込めたんだけど、最近では叶わず寂しく思っていた。その瞳が、今や、すぐそこに。

 相変わらず、きらきらと瞬いている。
 空のように広く澄んだ、彼女自身を表すような大きな瞳。

「あいつ等に付き合ってる暇はないネ! まだまだ名前と行かなきゃいけないトコ、たっくさんあるんだから!」

 華奢な二本の腕でわたしを抱きかかえながら、長い脚で廊下を元気に駆け抜けていく。豊かな胸は女性のものだけど、神楽ちゃんは相変わらず少女≠セった。元気で明るくて天真爛漫な、わたしの親友。

「……うん、そうだね!」

 笑顔で強く頷いてから神楽ちゃんの首に腕を回す。神楽ちゃんはニカッと笑うと、強く床を蹴った。

「ひゃっほー!」
「って速すぎいぃいいぃぃいいぃぃいい!?」

 


 
 

「今日も色々あったアルな。インスタのネタもばっちりネ」
「わたしも神楽ちゃんもスマホ持ってないじゃん……」
「あとでゴリラのかっぱらってくるアル」

 わたしと神楽ちゃんは浜辺に座り、沈みゆく夕日を眺めていた。神楽ちゃんは平然と酢昆布を食べているがわたしは今日だけで二十店舗ほどのお店を回った事により疲弊しきっていた。げっそりとやつれたわたしに「名前も酢昆布食べる?」と酢昆布を差し出してくれたが、パンケーキとワッフルとチーズケーキといちごタルトと焼肉とラーメンとその他諸々のお腹はこれ以上何かが入ったら破裂すると訴えていた。汚ェ花火になってしまう。「いらない」と力なく首を振った。

「そ」

 神楽ちゃんは酢昆布をポケットに戻すと、また夕日を見つめた。白皙に光る肌をオレンジ色の柔らかな黄昏が包み込み、とても眩しい。たまらず目を細めた。

「神楽ちゃん、スマホ買わないの?」
「お金ないモン」
「わたし出すよ」

 真っ直ぐ夕日を見ていた眼差しがわたしに寄せられた。ぱちくりと瞬いている瞳に「ほ、ほら」とおどけながら答えた。

「スマホないとなかなか連絡つかない世の中になったし。手紙もいいけど、タイムラグが大きいし。面白い動画見つけたらすぐ教えたいし。なにかあったら、すぐ、」

 視界がじんわりと潤み始め、オレンジ色の世界が滲んでいく。ああ、駄目だ。わたしもういい歳なのになぁ。熱い塊がお腹の底から込み上がり、あっという間に喉を焼き尽くす。

「すぐ、話したい、し、さ、あぁぁあぁ……」

 ぼろぼろ、ぼろぼろ。涙が零れ出る。
 
 神楽ちゃんはお父さんに着いて、えいりあんはんたーの修行に出る。もう二度と地球に戻らない訳じゃないらしいけど、それでもこうして気軽に会うことはなくなるのだ。
 一緒にご飯を食べて、雑貨屋さんを冷やかして、カラオケでハモって、くだらないことで笑って。ありふれた日常の中から神楽ちゃんが消える。ぎゅうっと絞られているように心臓が痛い。寂しい。寂しい寂しい寂しい寂しい……! 一度寂しいと思うともう駄目だった。瞬く間にわたしの思考を侵食して埋め尽くす。

「相変わらずすぐ泣くアルな。和田アキ子も飾りじゃないのよ涙はハッハーって言ってるネ」
「言う、言うってか、ひぐっ、歌ってる、えぐっ、んっ、だ、ひぐっ、よおおお!」
「どっちでもいいアル。そこらへんにしとけば。実写化したらハシカンの私と違って名前の泣き顔は目も当てられないアル。明日に響くヨ」
「羨ましいよおおおお! 何だよ小栗旬菅田将暉橋本環奈ってどういうラインナップよおおおおおお!」

 別離とはまた違う涙が溢れ出し吠えるように泣き叫ぶと、神楽ちゃんは「はーあ」と大仰にため息を吐き、「しょうがないアル」と袖を使ってわたしの顔をゴシゴシと拭いてくれた。それはうれしいんだけど窓ふきするような手つきなのでめっちゃ痛い。もうちょっとお手柔らかに……と言い募ろうとした時だった。

「この星はろくでもない甲斐性無しの男ばっかアル」

 神楽ちゃんの声が視界の向こう側から凛然と響いた。神楽ちゃんの声はそれこそ鈴の音が鳴るような≠ニいう表現がピッタリだ。普段はあどけなくつたない。けど、大事な局面となると。例えば誰かを守る為となると、芯の通った彼女らしい冴え冴えとした響きをはらむ。

「名前みたいなメンヘラ女、皆面倒見切れないネ」

 今は、そういう声をしていた。

「しょうがないアル。時間ができたらその度帰ってきてやるから、」

 視界が晴れると、神楽ちゃんの白皙の肌が夕日を受けて輝いていた。黄昏の中で、沈みかけた太陽の代わりだと言わんばかりに大きく笑う。

「ちゃーんと待っててよネ!」

 わたしの心の中に、一拍の空白が生まれた。あまりにも可愛すぎてだろうか。素敵すぎてだろうか。理由はわからない。だけどとにかく、胸の中がいっぱいになって、蛹が羽化するようにたくさんの光がわたし達を包み込んでいるような気がして、ぶわぁっと思いと涙が溢れ出した。

「かぐ、かぐらちゅわあぁぁん!」

 ひしと抱き着くと、神楽ちゃんの匂いがした。銀ちゃんと同じ柔軟剤を使っているはずなのに銀ちゃんと違って甘酸っぱい匂いがする。女の子の匂いだ。

 嗚咽に引き攣る喉奥から、いつもの言葉を取り出すべく奮闘する。だけどなかなか出てこない。大人になったら泣き虫も収まるかと思ったけそうでもなかった。わたしはいつまで経ってもわたしのままだった。

 女の子のコードを知っている。
 もしかしたらいつかは『痛い』と言われるようになるかもしれない。だけどそれが何なのだろう。
 今から五年経っても、十年経っても。
 わたし達は大好きな親友とお喋りしている時だけは、全能感にあふれた無敵の少女に戻れるのだ。

 すうっと息を吸い込んで、いつもの一言を告げる。

「プリクラ! 取りに行こ!!!」

 女の子特有のコードを、声の限り叫んでみせた。


 





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