Extra:それでいいよ




 
「ショート! 何故ここに!? 言ってくれれば迎えに行ったというのに…!」
「忘れ物しただけだ仕事しとけ」

 言葉の通りエンデヴァー事務所に忘れ物を取りに来た俺は親父の横をあっさり通り抜け、更衣室へ向かう。案の定、ロッカーの中にお茶のペットボトルが置かれていた。冷蔵庫にはなかったからこっちだと思った。忘れた事に気づいた時は次来る時まで放置しようかと思ったが、一度蓋を開けたものだし早く飲み切った方がいいだろう…と決断を下し、取りに来た。
 用は済んだ。帰ろう。
 更衣室を出て事務所を出る時だった。熱風が頬を打つ。見上げると親父がサイドキック達と共に高速で飛んでいた。反射的に氷を足元に張り、滑って着いて行きながら、大声で問いかけた。

「何があった!?」
「火事だ!!」
「俺も行く!!」

 困っている人を救けるのがヒーローだ。
 お母さんと一緒に見たテレビの中で、オールマイトは笑顔でそう言っていた。
 そこにいるだけで皆に安心を与える、太陽のように輝く眩しい人に俺は憧れた。
 あんな風になりたいと、強く憧憬を抱いた。

 救けを求める人を皆平等に救けたいと思っているつもりだった。

 親父に着いて行ったそこは青い炎に囲まれた地獄だった。元は綺麗なビルだったのだろうが、今は熱で爛れ、塗装は剥げ落ち鉄筋がむき出しになっている。
 サイレンの音、泣き叫ぶ声、阿鼻叫喚に包まれた中、親父は一人何か考え込んでいた。さっさと動けよとイラついていると「ショート」と冷静に呼ばれる。

「なんだよ」
「お前、明さんに連絡しろ」
「は?」
「さっき、彼女はうちの事務所にいた」
「…は?」
「今からショートを呼んで三人で飯でも食わないかと言ったら断られた。これから友人と会うからと言われてな。だから今度、三人で飯が食いたいと言われて、ラインの交換をした。
 今日はこの辺りのビルで食事をすると、言っていた」

 親父の言葉の意味を理解し終えると、
 頭の芯まで、真っ白に染まった。







 透き通るような青い炎が、燃え続けていた。
 煙があちこちから上がっていた。ショッピングモールは吹き抜けの作りだった為、火の手が回るのが早かったのだろう。おまけに、今私がいる最上階はレストラン街で料理の為に油を使っていて、余計に被害は甚大だった。

「明、どうしよう……! 怖い……!」
「だ、大丈夫大丈夫! 絶対ヒーローとか消防士さん達が助けに来てくれるから!」

 私の友達のようにパニックになっている人もたくさんいた。怖い、いやだ、死にたくない。マイナスの言葉が溢れかえる中、従業員さんが声を張り上げて避難誘導している。

「あちらに窓をひとつ開示しております! ヒーローの皆様がお客様達を一人ずつ抱えて地上へ運んでくださりますのでお子様と女性から並んで順番にお進みください!」

 従業員さんがそう告げると、安堵の声以上に不満の声が上がった。

「おい! なんで一つだけなんだよ!」
「大変申し訳ございません…! 炎により金属が解け、窓がひとつしか開けなくなっております! 無理矢理開ければ建物が崩壊する恐れが非常にあるとの為……!」
「はぁ!? ふざけんな!」
「それまで持つのかよ!」
「今ここに何人いると思ってんだよ!」

 あちこちから炎と同じくらい、怒号が噴出する。我を忘れて怒り狂う人達を見ているうちに、足元から不安がぞわぞわと這い上がってきた。
 どうしよう、間に合わなかったら。
 ヒーロー達がここに来るまでに、炎がフロアを埋め尽くしたら。
 その時、私は。

 ―――ヴーッ、ヴーッ、ヴーッ。

 お守りのように握りしめていたスマホが突然震え始め、びくっと肩が跳ね上がる。慌ててタップすると、ショートからだった。

「も、もしもし」
「明、お前今どこにいる」

 ショートらしからぬ焦った声だった。もしかして、と直感が宿った。ショッピングモールの名を告げると、ショートが息を呑む声が聞こえた。

「……ショート、今、同じとこにいる?」
「ああ。俺は今、外にいる。お前今何階だ?」
「十一階……」
「そうか。わかった。もう少しだけ頑張っててくれねえか」

 ショートは私の事をすごいとよく言ってくれるけど、ショートの方がすごいと思う。だって喋っているだけで、あんなに不安だった気持ちが、少しずつ溶けていく。
 大丈夫だって心の底から思える。いつだって私に、元気をくれる。
 目頭がじんわりと熱を持つ。悲しくてじゃない。安心して、嬉しくて、涙が出そうになった。

「うん。わかった。頑張る」

 おう、と優しい声が鼓膜の中で響き渡る。見えないけど、力強く頷いてくれた事がわかった。電源を押すと「明」と友だちに呼ばれた。顔を向けると、不安そうに私を見つめている。

「明、今の轟くん? 今、ヒーロー達どうなってんの? 私たち、大丈夫なの?」

 少しでも不安を払しょくできるようにとニコッと笑いかけてから「だーいじょうぶ!」と友だちの手を強く握った。
 ショートの隣に立ってても指を差されないような人に、私はなりたい。
 炎を消せなくたって、できることはある。

「ヒーロー、もうすぐ来てくれるから! だから絶対大丈夫!」

 例えば、目の前の友だちを、元気づけることとか。




 俺は炎を凍らせられるため、消火活動の班に割り当てられた。親父は炎で飛べるため、お客さんをビルから地上へ下ろしていく役目になっていた。
 青い炎は凍らせても凍らせても瞬く間に燃え上がり、獲物を探すように飛び火する。凍らせても凍らせても凍らせても凍らせても、消えない。まだ二階の消火活動も終わっていなかった。
 早くしないと。早く消さねえと、じゃないと、明を。
 明を助けられねえ。

「―――きゃああああああああ!」

 耳のつんざくような悲鳴で我に返ると、炎で弱まったバルコニーがエントランスに向かって落ちていた。咄嗟に穿天氷壁を出して押し止める。あの人が叫んでくれなかったら、と思うと身震いした。
 馬鹿野郎、余所見するな、明は大丈夫だ、俺は俺のやるべきことをやれ……!
 自分が不甲斐なくて、情けなくて、口の中の肉を噛む。噛み続けていると血の味がした。
 大丈夫だ、信じろ、頭を冷やせ、俺は目の前の事を、

「あれ、助けに行かなくていいのかァ?」

 必死に言い聞かせている時に、おどけるような声が耳元を掠めた。
 弾けるように声の先に顔を向けると、敵連合の荼毘がニヤニヤと笑いながら立っていた。

「荼毘……! これやらかしたのお前か……!」
「誰がやろうが別にいいだろ? それよりも、明ちゃん、助けに行かなくていいのかァ?」
「なんでお前明の事知ってんだ!」
「おいおい、質問に質問で返すなよ。失礼な奴だな」

 肩を竦めて「ふう」とわざとらしくため息を吐く荼毘に苛立ちと焦燥感が募っていく。はやく消火しなけりゃならねえ、でも、荼毘が放火の犯人だろう、なら捕まえねえと、でもそれだと明のとこまで炎が、

「しょうがねえなあ。俺は優しいから教えてやるよ。明ちゃんのことはあの子がちっちぇえ頃から知ってるよ。あの子、ずっとショートショートつってるな。辛気臭い家に何回も遊びに来て。図太すぎ」

 明を揶揄る口ぶりに苛立ちが一気に怒りへ駆け上がる。怒りのまま氷を最大出力で放つと「おっと」といとも簡単に避けられた。「直線的過ぎんだよ」と荼毘はけらけら笑う。

「知ったような口きいてんじゃねえ!! アイツと喋った事もねえくせに!!」
「あるって、一回だけだけど。ま、んなこたどうでもいいじゃねえか。明ちゃんの事好きなんだろ? なんでお前こんなとこで有象無象助けてんの?」

 荼毘の問いかけに、言葉が詰まる。言葉を失くした俺に荼毘は気を良くしたようだ。一層瞳を細めて、愉し気に笑う。

「明ちゃんはずっとお前を一番にしてたのになァ。適当にあしらわれてもずっと傍にいてくれてたのになァ。なのにお前は付き合っても一番にしてくれねえ。王子様が助けたのは姫じゃなくてそこら辺のモブ! なあどうする? お前が有象無象を助けてる間に、明ちゃんが死んだら?」

 頭皮から噴き出した冷や汗が全身を伝っていく。炎に囲まれて熱いのに、体温はどんどん下がっていった。

「……大丈夫だ、親父や、皆がいるから、」
「麗しい絆だな! でも教えてやるよ焦凍。世の中に絶対はないんだぜ?
 ああ聞こえる、ショート、どうして助けに来てくれないの。熱い熱い熱い! どうしてどうしてどうして!」
「…黙れ」
「お前は炎に耐性あるし氷で冷やせるから知らねえだろうが、普通の人間はちょっと火に当たっただけで熱い! ってなるんだぜ? 簡単に皮膚が爛れて、眼球の水分が沸騰して、髪が燃える!」
「黙れ……!」
「あっという間に火だるまの出来上がりだ!!」
「黙れつってんだろ!!!!」

 大声で怒鳴りながら荼毘に向かって氷を放つと、荼毘は炎を穿つ事で相殺してきた。爆発音が響いて足場が揺れる。しまった、ただでさえ脆くなっていると言うのに……! 周りに被害が及ばなかったか素早く見渡し安全を確認する。しかしその一瞬の隙をついて、荼毘が後ろに回っていた。耳元で、ねっとりとした声が吸い付くように這いまわる。

「大丈夫だよ。明ちゃんが燃えてもなんとかしてやる。俺も、なんとかなったからさ」
「ッ意味わかんねえこと……!」

 振り向きざまに凍らせようとしたら、荼毘は俺から飛びのいた。高らかに笑いながら煙の中へ消えていく。追いかけようとしたところで、足が竦んだ。
 
 明は今、どうなってるんだ。

 ―――簡単に皮膚が爛れて、眼球の水分が沸騰して、髪が燃える!

 荼毘の笑い声と共に、炎の中でもがき苦しんでいる明が脳裏に浮かび上がる。俺の妄想だ。アイツの勝手な言い分だ。俺が今、すべきことは割り当てられた救助活動をすることで、目の前の人をひとりでも助けていくことで。
 やるべきことを羅列していく中で、不意に、明の顔が浮かんだ。

『ショート』

 記憶の中の明が嬉しそうに顔を綻ばせながら、俺を呼ぶ。
 思い出したら、駄目だった。

「ショートくん! 何があったの!? すごい爆発音……、」
「…っすみません! ここを頼みます!」
「え!?」

 親父のサイドキックの声が俺の背中に届く。だけど声を言葉として認識できなかった。
 明、
 明明明明明明明明明明明明明明明明明明明、
 明の無事を確かめることしか考えられなかった。

 外に飛び出し、ビルを見上げる。炎は依然として燃え盛っていた。だが、窓から次々と人は運び出されている。救護テントは小さな子供と女性だらけだった。子どもと女性から助けていったのだろう。ということは明も。希望の兆しが芽生えて、俺は明に電話を掛ける。だが依然として繋がらない。どうしてだ、もしかして気絶してんのか、どこかで寝てるのだろうか、救護テントをうろうろ彷徨い歩いていると、

「轟くん……!?」

 本名を呼ばれて振り向くと、どこか見覚えのある女子が目を丸くして俺を見ていた。どこで見たっけ……。記憶の底を探っていく内に目の前の見覚えのある女子が明と共に浮上した。

「あんた、明の友だちだよな!? 明は今どこにいる!?」
「う、うん。その、明なんだけど……」

 明の友だちは言いづらそうに視線を泳がし、口をもごつかせる。ややあとあいまってから、彼女は言った。

「………まだ、ビルの中なんだ」



 明の友だちから驚愕の事実を突き付けられた俺は、親父の元へ向かった。男の人三人を地面に下ろし、また空を飛ぼうとした親父を「親父!」と怒鳴りつけて呼ぶ。親父は「ん?」と訝しげに眉を寄せた後、俺の存在に気づいて目を見張らせた。

「お前…! なんでここにいる!」
「明がなんでいねえんだよ! 女性から優先して下ろすんじゃねえのか!」
「質問に質問で返すな!! なんでここにいるか聞いてるんだ!」
「俺の質問に答えろ!!!!」

 なかなか答えない親父に苛立ちが最高潮に達し胸倉をつかんで問いただすと、親父は面食らったように瞬いた。息を吐いてから、真っ直ぐ俺に視線を向けて、言った。

「明さんは最後まで残ると言った。早く降りたがっている人から優先して下ろしてほしいと、俺に頼んできた」

 重い鈍器で頭を殴られたような衝撃が俺を襲った。なんで、とからからに乾いた口から疑問が零れる。
 なんでだ、どうして、そんな、
 とめどなく溢れる疑問に、親父は答えを返した。

「お前なら、ショートならきっと最後まで残るだろうからと笑って言った」

 親父の声なのに、明の声のように聞こえた。だけど見上げた先は、明じゃない腹立たしい親父の顔だ。というか俺は明を見上げない。いつも見下ろしている。目線を下げた先に見えるつむじが何故か可愛く見えた。

『私は最後まで残るよ』

 俺を見上げながら真っ直ぐに淀みなく告げる明を思い描く。明らしい行動で、すとんと胸に落ちた。
 だってアイツは、本当に優しいから。
 復讐に雁字搦めになり周り全く見なくなった俺の傍に居続けてくれるような、優しい奴だから。

「今度は俺の質問に答えろ。お前は何をしている」
「俺、は」

 鋭い視線で俺をねめつける親父からの質問に、俺はすぐに答えられなかった。
 明が心配だったから。
 そんなの、俺が取り繕った体のいい欺瞞だ。

「何故自分の持ち場を離れている」
「……………」

 一向に口を開く気配のない俺に、親父は目を細めて更に視線を尖らせて「明さんは、」と口火を切った。
 親父はいつのまにか、明の事を明と呼ぶようになっていた。

「明さんは、お前みたいに立派な人間になりたいた言っていた。
 だから今の自分にできることを最大限貫いているのだろう。
 それで? お前は今、自分にできることをできてるのか?
 やらねばならんことから向き合っているのか?
 お前は今、彼女に胸を張って会えるのか?」

 親父の言葉ひとつひとつが俺の心を強く穿ち、悔しさと情けなさから奥歯を噛みしめた。

 明が心配だから、来たんじゃない。
 明を失くすことが、不安だったから。自分が安心する為に、俺は明の安否を確かめたかった。
 自分の為に、明を助けたかった。

 ショートはすごいね、と事あるごとに明は言う。すごくない。全然、ちっとも。いつだって今だって俺は、すごくない。
 一度遠回りをしないと間違いに気付けないような奴なんだ。
 だけど、明が、そんな俺をすごいと言ってくれるのなら。

「………戻る」

 踵を返し、親父に背を向ける。そのまま親父に言った。

「頭冷えた。…………ありがとな」

 ボソッと呟くように礼を言うと、奇妙な間が空いた。ちらりと後ろを見やると親父はポカンと口を開けていた。あまりにも間抜け面で唇の端が緩んだのを感じた。地を蹴って元の場所へ戻っていく俺の背中に「ショートォォォ!」と絶叫が届く。うるっっっっせえ。

 ウザくても髭が濃くてもクソでもアイツは1ヒーローだ。ハイスピードで救助活動をこなしていくだろう。もし、間に合わなかったとしても、俺が間に合うように消火活動すればいいだけ。
 だから、だから、明。

「もう少しだけ待ってろ………!」

 真っ先に助けに行けないけど、だけど、絶対助けに行くから。それだけは本当だから。
 だから、あと、もう少しだけ。





 視界が霞んでいた。体の外側も内側も熱い。喉の奥がひゅうひゅうと鳴り、煙が染みた目は涙が止まらなかった。
「ああああ、助け、たすけてえぇええぇ!」
「だから今助けているだろうが!!! 大人しくしろ!!!」
 ショートのお父さんの声とパニックに陥った男の人の声が重なっていた。大丈夫、あの人が救出されたら次は私の番だ。
 救出活動が続いていく中、突然、お客さんの中でパニックが起こった。死ぬんだ、死にたくない、嫌だ、と死への恐怖が連鎖していった。男という理由だけで後回しにされたくないと泣いていた。

『明さん、とそのご友人か。さあ、掴まれ』
『明、次うちらだよ!』
『…………先、行って』
『……はぁ!? な、なんで、』
『何を言ってる!』

 気が狂ったんじゃないかと言わんばかりに私を見つめる友達に、眦を吊り上げて叱咤するように『はやく!』と急かしてくるショートのお父さん。
 私は、ショートのお父さんに目を合わせた。ぐっと奥歯を噛みしめて、真正面から向き合うことで、覚悟を視線で伝える。
 一時の感傷的な自己犠牲に浸った馬鹿な決断かもしれない。力のある者がすることで私のような一般市民は黙って助けられるべきなのかもしれない。
 だけど、きっと、ショートなら。

『私は一番最後で良いです。だって、ショートなら、絶対、そうするから』

 困っている人を助けるのがヒーローだろと言ってその場に残ると、私は確信している。だって、ずっと見てきた。ずっとずっと見てきた。
 ずっとショートの事を見てきたから、わかる。

『いや轟くんはヒーロー志望だけど明は普通の子でしょ! いいから早く、』
『わかった』
『わか…ええエンデヴァー!?』
『一人空いた! 次の者来い!』
『え、ちょ、明―――!!!』

 友達の絶叫が遠くへ消えていく。親しみのある存在が消えると孤独感が這い上がり、言いようのない恐怖がじわじわと心を蝕んでいった。
 ………言っちゃった………。
 今更ながら『言わなきゃよかった』と後悔がやってくる。だったら意地を張らずに助けてもらえばよかったのにと、自分にツッコミを入れて苦笑した。
 だけど、やっぱり、ショートみたいになりたいから。
 敵と戦う事はできなくても、人を気遣う事なら私にもできるから。
 その思いを胸に私はまだ、炎の中で佇んでいる。


「ケホッ、ケホ…ッ」

 咳が止まらない。息が苦しい。胸を抑えながら、その場に跪いた。大丈夫、もうすぐだから。絶対もうすぐショートのお父さん、来るから。
「お客様、ケホッ、だいじょ、ゲホゲホッ」
 避難誘導してくれていた店員さんも最後まで残ってくれていた。私と同じく、咳が止まらなくなっている。お互い喋る事もままならなくなっている為、アイコンタクトでお互いを気遣った。
 大丈夫、次は私たちの番。

「明さん!」

 ショートのお父さんの大声が聞こえた。私は店員さんと顔を見合わせて「たすかった…!」と目を輝かせる。店員さんの方がショートのお父さんに近かったため先に手を取られ、肩に担がれる。続いて私もその手を取ろうとした時だった。

「下がれ!!」

 目をカッと見開いたショートのお父さんに圧倒され、思わず後ろに飛びのくと柱が私とショートのお父さんの間に倒れ、唯一開かれていた窓を塞いだ。
 …………嘘でしょ。
 予想だにしない事態に絶望感よりも驚きが勝った。まさか、こんな事が起きるなんて。だけど時間は止まず進んでいく。更に柱が倒れてきた。

「わ……!」

 慌てて逃げるけど、逃げた先も炎に囲まれていた。ぼやけた視界の中でも建物が全体的に脆く崩れかかっているのがわかる。エレベーターは使えない。階段も燃えている。じゃあ、私、どうすればいいんだろう。
 どんどん、どんどん、思考が狭まっていく。
 走った為息が荒い。酸素を取ろうと思い切り息を吸うと煙が肺の中に流れ込んできた。耐えきれず、胸を抑えてその場に寝そべった。

「ゲホゲホッ、ゲホッゴホッ、カハッ」

 苦しい息ができない頭痛いあんなこと言わなきゃよかった苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい
 後悔が津波のように押し寄せてきて、色んな人の顔が思い浮かんだ。死に際には人生が走馬灯のように流れるというけど、本当に小さな頃からの記憶が頭の中を駆け巡り始めた。

 ショートとの出会いは覚えていない。お母さんが言うには公園だったらしい。
 私のお母さん曰く、ショートのお母さんは美人だけどいつも疲れたような顔をしていたそうだ。
 赤ちゃんの頃は私の方がショートより大きくて成長が早く、自分の玩具を貸したり見様見真似で絵本を読んであげていたと、お母さんは言っていた。お姉さん気どりの私を見るのが面白かったと笑っていた。

 幼稚園の頃なら記憶がある。ショートはまだ私より小さかった。一緒に遊ぼと言うと嬉しそうに笑って頷いてくれた。ショートのお父さんは、何故か、ショートが兄弟達と遊ぶのを禁ずるらしい。私とも本当は遊んでほしくないらしい。だから、こっそり遊ぶようになった。泥団子を作った。おままごとをした。ヒーローごっこをした。
 楽しそうにキャッキャッと声を上げて笑うショートをずっと見ていたいと願うようになった。ショートの為ならなんでもしたいと思うようになった。

 小学生になるとショートの心は深く閉ざされた。幼稚園の頃みたいにぱあっと笑うようなことはなくなった。私の事は明と呼ぶようになっていた。ヒーローごっこしようと誘っても、そんな暇はないと一蹴されるようになった。そんなショートを、他の男子と違ってミステリアスでかっこいいと女子たちは盛り上がるようになっていた。明ちゃん、轟くんに相手にされてないのにしつこいよね、と陰口を叩かれるようになった。
 わかっている知っている。何にもできなかった。ショートがお父さんに過剰な教育を施されているのを知っていたけど、元気づけるのが精いっぱいだった。ショートのお母さんの心が壊れていくのを止められなかった。
 だけどそれでも傍にいたい。傍にいたかった。何もできない癖に、欲望だけは大きかった。

 中学生の頃になるとショートが美形だとようやくきちんと認識できるようになった。色んな子から告白されるようになっていた。ショートは恋心というものがよくわからないらしく、また自己肯定感が低いため、自分の事を好きだという女子達に奇怪な眼差しを向けていた。卑怯な私は、自分の恋心を奥底に沈めた。絶対バレないようにしようと思った。
 女子からモテるのとは対照的に、男子からはスカしてんじゃねえと反感を買っていた。修学旅行のグループではどこからも入れてもらえてなかった。だから私はグループからはぐれた振りをして、ショートと一緒に回った。ショートは何を見ても無感動だったけど、私は傍にいられて嬉しかった。雄英を受けると聞いて、私は死ぬほど努力した。元々勉強ができない訳じゃないけど、ショートに比べたら遥かに劣る。わからないから教えてよとおどけながら頼んだ時は、心臓がバクバク言っていた。ウザがられたらと思うと怖くて足が震えた。だけどショートはウザがる事無く、教えてくれた。幼なじみでよかったと心の底から安堵した。

 高校生になったら、

「ゲホッゲホゲホッゴホッ、ゲホッ」

 高校生になったら、たくさん、ショートにとって良い事が起こった。昔のような目の輝きを戻した。
 嬉しくて寂しかった。もう私は本当に不要になったと思った。
 だけどそれなのにショートはお礼を言ってくれた。
 好きだと言ってくれた。
 抱きしめて、キスしてくれた。

 涙が溢れて視界が見えない。肺が煙に犯されている。焦げるような匂いが充満している。

 思い返してみたら、私の人生、すごい、よかったなぁ。
 
 両親に愛されて、友達できて、ショートに好きだと思ってもらえた。
 最期は、ヒーローみたいに、自分を後回しにして人を助ける事もできた。

 よかった。

 瞼が重すぎてこれ以上目を開けていられない。視界が閉じられていくにつれて、暗闇が広がっていった。
 怖い。
 死ぬことが怖い。
 ヒーローって、こんな思いをしてるんだな。
 やっぱり、ショートは、すごいなぁ。

「明――――!!!」

 ショートの大声が響き渡ると同時に。フロアの熱気が消え去った。あれだけ熱かったのに、今は冷気が私の体を包み込んでいる。
 重い瞼をこじ開けると、体中に霜が降りているショートが私に向かって走っていた。

「明、悪い、遅くなった! 大丈夫か!?」

 血相を変えたショートが私の体を起こして怒涛の勢いで問いかけてきた。だけど、どれも私の耳から耳を通り抜けていく。
 ショートが寒そうだった。私の両腕を掴んでいる手がとても冷たい。右側はほとんど霜に覆われていた。
 たくさん、頑張ったんだろうな。

「しょうと、」

 意識が朦朧としている。うまく舌が動かない。
 だけど、何とかしなきゃという思いだけはあった。

「さむいでしょ。あっためなくちゃ」

 腕を伸ばし、ショートの体を包み込む。炎に囲まれていたからまだ体は熱い。これなら、氷を溶かすことができる。
 私は触れたものを同じ温度に保ち続けられる個性を持っている。右手を自分の左手に重ねて、体温を保てるようにした。

「にんげんゆたんぽ……」

 くだらないことを言うと、気分が緩んだ。ショートの匂いを嗅ぐと安心感が全身に流れ込んだ。ショートは少しの間固まっていた。まだ寒いのかなと懸念すると、ぎゅうっと抱きしめられた。痛かったけど、嬉しくて、安心して、瞼が更に重くなった。

 また暗闇が広がる。だけど少しも怖くなかった。








 目が覚めたら、真っ白な天井が視界に飛び込んできた。

「ん……」

 声を漏らすと喉が痛んだ。眉間に皺を寄せると「……明?」と聞きなれた声が、私を呼ぶ。
 小さな頃からずっと、聞き続けていた声。

「しょー、と……?」

 ぱちぱちと瞬きを繰り返すことで視界を晴らすと、パイプ椅子に座ったショートが私を凝視していた。

「ここ、どこ……?」
「ここは病室だ。明、大丈夫か、起きたんだな、何か欲しいモンはねえか」
「あ、えと……」

 質問をまくし立てられるものの起き抜けの頭はまだ回転してなくて、うまく答える事ができない。返事に窮している私に気づいたショートはハッと我に返ったようで「悪い」と謝ってきた。

「う、ううん。ていうか、ショート、私を助けてくれたよね?」

 喉が痛いためささやくような小さな声で問いかけると、ショートは何故か、顔を強張らせた。ん? と不可解に思うけど確かにショートは私を助けに来てくれた。煙でぼやける視界の中、私が最後に見たのはショートだった。それははっきりと覚えている。
 体の右半分を霜に覆われながら、私を助けに来てくれた。思い出すだけで胸がいっぱいになる。

「……ありがとう。すごい、嬉しかった。ほんとに約束通り、助けてくれたんだね。ショートはやっぱり、すごいね。すごいヒーローだ」

 心からの気持ちを笑顔に乗せてショートに伝える。だけど、何故かショートは暗い表情だった。唇を真一文字に結んで、眉間に皺を寄せている。しいん、と重たい沈黙が横たわった。
 ……な、なんで。私、なんか変な事言ったかな……?
 突然訪れたい気まずい雰囲気におろおろしていると、ショートはぽつりとつぶやいた。

「すごくなんかねえ」
「………え?」

 謙遜なんて生易しい表現では足りないほどの深い自己否定をショートはもう一度繰り返す。

「俺は、すごくなんかねえ。どっちつかずの半端野郎だ」

 ショートはゆっくりと私に視線を向けてから俯いた。ぽつぽつと、小雨が降るような口調で、言葉を零していく。

「明が最上階にいるって知って、動転した。たくさん、やらかした。目の前の人達よりも明の方を助けたいと思って、持ち場を離れた。けど親父に叱られて、戻って、やっと明のところまで辿り着けて……、その時明は、もう、満身創痍で。俺があの時持ち場を離れるなんて馬鹿な事をしなければ、お前をもっと早く助けられた。…いや、違う、」

 ショートは顔を右手で抑えながらぶんぶんと頭を振った。何かを払いのけるように。

「誰を一番に助けたいかなんて思ったらダメなんだ。オールマイトはそんなことしねえ。命に優先順位なんてない、なのに、俺」

 いつも冷静なショートらしからぬ、支離滅裂な言葉達。ショートは言葉を詰まらせて、押し黙った。

「………明を真っ先に助けに行くことも、目の前の人達を満遍なく助ける事も、どっちも、選びきれなかった。
 俺は、お前に尊敬されるような人間じゃねえ」

 ショートの声は、震えていた。深い悲しみとやる瀬なさと怒りに満ちていた。頭が取れてしまうんじゃないかってほど、深く、項垂れている。
 いつも目標に向かって真っ直ぐに、淀みなく進んでいくショートばかり見ていた。だから、こんな弱音を吐いているショートを見るのは初めてだった。
 上半身だけ起こして、ショートを見下ろす。項垂れているからつむじがよく見えた。ショートのつむじ、久々に見るかも。小さな頃は、私の方が大きかったのにね。ふ、と笑みが零れて、そのまま、私はショートの頭に手を這わせた。
 ゆっくり、ゆっくり、摩っていく。

「がんばったね」

 ショートが驚いている気配を感じた。予想通り、ショートは体を起こすと目を見張らせながら、私を凝視していた。驚いた顔は、昔と同じ。可愛くて、笑ってしまう。

「なにがだ」
「いっぱいいっぱい考えたんでしょ? 私の事助けたいけど、でも、目の前の人もほっておけないし、でもでもでもーって。そんなの、すぐ答え出ないよ。でも結果、目の前の人も、私も助けてくれた。
ショートはどっちも選ばなかったんじゃない。どっちも選んだんだよ」

 ベッドの上を少し移動してショートに近づき「偉い偉い」と頭を撫でた。さらさらのストレートヘアは手触りが良かった。

「偉くなんかねえ。そんなん言ったら俺より、お前の方が」
「今は私の話じゃないよ。……というか、私、別に偉くないよ。残った事、後悔したし。怖かった。死んじゃうかと思った」

 あの時の恐怖を思い出すと、今でも体が震える。死への漠然とした不安、虚無感、孤独感。一人で死んでいくのかと思った時に、来てくれた。

 大好きなショートが助けに来てくれた。
 
「っていうか! ショートは大丈夫なの!? すっごい冷たかったの思い出した! 右半分霜やばかったよね!? 今は大丈夫!? ショートこそ入院した方がいいんじゃないの!?」

 一度思い出すとどんどん思い出してきた。ショート、めちゃめちゃ凍っていた…! ショートの肩を掴み切羽詰まりながら問いただす。ショートはしばらく私にされるがままで、ポカンとしていた。けど、いつも通りの真顔になって、真正面から私に向き合う。

「明」
「なに? やっぱまだ寒い…………!?」

 静かに呼ばれたかと思うと、抱き寄せられた。柔らかく、包み込むように。

「へ、ちょ、え、あ、え、あえ、しょ、しょしょしょしょーと、」
「やっぱり、明はすげえな」
「ななななななななにが」

 ショートは私の質問に答えず、噛みしめるように、しみじみと呟いた。

「好きだ。俺、明が大好きだ」

 小さな頃から大好きだった男の子に、抱きしめながらそんなことを言われた私は、もう、キャパオーバーだった。今こそ限界を超えろプルスウルトラってことなのかな。いや、もう、無理、

 ああ、ああ、私、

「生きててよかったぁ…………」

 へろへろに溶け切った情けない声でつぶやきおえると、ショートに顎を持ち上げられて唇を塞がれた。呆然としている内に、ショートは額をこつんと合わせてきた。切れ長の瞳が、至近距離で、愛おし気に私を見つめている。

「生きててくれて、ありがとう」

 ショートの吐息が、唇に触れた。

 その瞬間、私の中の何かが破裂した。
 あ、駄目だ。
 オールマイトへ。限界を超えたら、大変な事になりました。

「…………明? おい、明? 明………!?」

 血相を変えたショートがナースコールを押している頃、私は、鼻血を出しながら気絶していた。









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