ひだまりのまんなか

  


キーンコーンカーンコーンとチャイムが六時間目の終了を告げた。

「かえろ〜」「アイス食べたくない?」「食べた〜い」と、女の子達がきゃっきゃっと青春真っ只中な会話を楽しげにしている中、わたしは、ひとり、だらだらと流れる汗をハンカチで拭くこともせず、顔を俯けて、机の傷を凝視していた。卒業生の人がつけたのかなー多分そうだろうなー。わー。

わー。

あー。

どうしよう。

どうしよう。

謝れないまま、六時間目が終わってしまった…!!

昨日東堂様と福ちゃんさんに『明日、ユキちゃんにがんばって謝ります!』と宣言したのに、臆病なわたしはやっぱり臆病で、ユキちゃんの背中を見るだけで昨日の罵声やつり上がった眉が脳裏に浮かんで怖くて足が竦んで動けなくなって。ユキちゃんの顔を見る事すらできなくて不自然に視線を外した。

「ユキちゃん部活いこー」

たっちゃんののんびりした声が耳にするりと入ってきて、どくんと心臓が跳ねる。ついでに肩も跳ねた。恐々と声の先に視線を送ると鞄を引っ掴んだユキちゃんが「おう」と言いながらたっちゃんの隣に並ぶ。

どくんと心臓が大きく跳ねる。

たっちゃんがちらりとわたしに目配せしてきた。口パクで『日和ちゃん』と紡がれる。たっちゃんの視線をしかと受け止めて『うん』と大きく頷く。

昨夜、わたしはたっちゃんに『ユキちゃんに謝りたいから協力してほしい』と電話をかけた。

『え、日和ちゃんユキちゃんと喧嘩したの!?』

電話の向こうで口に手を当てながら大きく驚いているたっちゃんが目に浮かぶ。

『喧嘩っていうか…わたしが…無神経なこと言っちゃったの。…だから謝りたいの』

歯切れ悪く答えたあと『一人でやれって話かもだけど』『巻き込むなって感じかもだけど』と、へどもどした言葉をごにょごにょと言っていると『何言ってるの日和ちゃん!』と、少し怒ったような声が耳に飛び込んできた。

『オレ達、友達でしょ!寂しいこと言わないでよ!』

じーんと胸に響いた。涙腺を刺激され、ぐすっと鼻を啜り、つっかえつっかえになりながらお礼を述べるという青春真っ只中なことをしたのが昨夜のこと。

たっちゃんがせっかく協力してくれ、何度も謝るチャンスを作ってくれたのに、わたしはそれを悉く粉砕していって今のこと。

これがラストチャンスだ。明日に回すなんてことしたくない。

だって、東堂様と福ちゃんさんと明日つまり今日謝るって約束したもの。荒北さん誰それ知らない。

目を閉じると浮かぶのは東堂様のお美しい微笑み。きゅうんと胸がときめきで高鳴る。

…よし!!頑張れ、日和!!

たっちゃんとしっかりとアイコンタクトを取りながら、すうはあと息を吸い込む。頬をぱんぱんと叩いてからガタッと立ち上がった。ロボットのようにぎこちない動作でたっちゃんとユキちゃんに近づいていく。

「あ、あの、ユ、ユキ、ちゃん」

たっちゃんほどではないけど大きな背中に向かってかけた声は震えていて裏返っていて。なんとも情けないものだった。

「お話し、が、」

息が詰まった。
わたしに顔だけ向けてきたユキちゃんの眼に浮かんでいるのは冷たい怒り。

「何」

紡がれる声音は氷のように冷たくて、わたしの全てを排斥するような響きを持っていた。

ユキちゃんが怒っているなんて、昨日怒鳴られた瞬間からわかっていたのに。甘ちゃんのわたしは一日経ったら怒りが軽減されているだろうと無意識のうちに思っていた。

馬鹿だ。

あんなに怒りで表情を歪めさせといて、どうして楽観的になれたんだろう。

『同情してんじゃねーよ…!』

悔しそうで恥ずかしそうで怒りに震えている声が脳裏で再生された。

喉の奥から何かが込み上げてきて、たまらずわたしは両手で口を抑えながらしゃがみこんだ。

「…へ、日和ちゃん!?」

慌てふためいているたっちゃんの声が降りかかってくる。言葉を発することができない。喋ったら間違いなくお昼に食べたものを吐く。

「気持ち悪いの?」

しゃがみこんでくれているのだろう、たっちゃんの優しい声が近くから聞こえる。こくりと頷くと「そっか」と相槌が返ってきた。

「ちょっとごめんね」

背中と太腿に人肌のぬくもりを感じる。教室の蛍光灯の光りが近づいて眩しくて目を細める。光に慣れると、たっちゃんの笑顔が見えた。目と目が合ってにっこりと微笑みかけられる。

「ユキちゃん、先部活行っといて」

きりっとした声でユキちゃんに言いつけると、たっちゃんはわたしを抱えながら教室から出ていった。女の子達の羨望の声やわたしを気遣う声が聞こえてくる。小さな振動ですら吐き気を煽り、たっちゃんに気付かれないように小さくげっぷした。

ああ、わたしって、ほんとに。




「…ごめんなさい…」

保健室のベッドに上半身だけ身を起こして、遣る瀬無い口調でたっちゃんに謝る。たっちゃんは「気にしないでー」と、いつも通りのふんわりとした笑顔の前でひらひらと手を振った。先生はわたしの自宅に電話をかけているため席を外していて、放課後の保健室にはわたしとたっちゃんだけで、どちらも口を閉じればゆるやかな静寂が降りてきた。

あのあとどうしても吐き気を堪えきれなかったわたしはたっちゃんにお願いして急きょ男子トイレにお邪魔して(その際『キャーッ!!』と男子の悲鳴が上がった)、洋式トイレでたっちゃんに背中を摩られながら吐いた。吐いちゃえ吐いちゃえ、と摩ってくれる優しくて大きな掌が心地よくて、罪悪感を煽った。

たっちゃんがインハイに行けないということを知った時、わたしは喜んだ。
こんなに優しい友達の悲しみをわたしは喜んだのだ。

じんわりと瞳が薄い膜で張られていく。それはすぐに決壊して、布団に落ちた。

「…ごめんなさい…」

「吐いちゃうのは仕方ないよー、人間だもの。たくを。なんちゃってー」

「…ごめん、なさ、い」

「大丈夫だってばー、もー日和ちゃん」

「ごめ、ん、なさ、い」

何度も何度も謝罪を口にする。堰を切ったように溢れ出てくる。ぼろぼろと大粒の涙が布団にたくさんの染みを作っていく。ひっくひっくとしゃっくりを上げると「…日和ちゃん?」と、不思議そうに声をかけられた。

「わたし、ひど、い、やつ、なの」

「…!? そんなことないよ!日和ちゃんはオレにお菓子くれるし優しいし東堂さんのことがすごく好きで、」

ふるふると首を振りながら「違うの、ひどいの」と、震える声で否定を入れる。

「たっ、ちゃんが、インハイ、行けないって知った時、うれし、かっ、た、の。インハイ、に、行け、る、って、なった、ら、わた、しっ、ひぐっ、に、うっ、か、かま、かまって、くれなく、なるって、おもっ、えぐっ、て」

友達は友達の幸せを喜ぶものなのに、できなかった。やっとできた大切な友達がわたしを置いてどっか行ってしまうかもしれないということが怖い、それだけの理由で。

「ごめ、ん、ほん、と、に、ご、め、んね、やさ、やさ、やさし、やさしくしてくれるのに、」

鼻水が詰まってうまく呼吸ができない。ううーっと両手で顔を覆って咽び泣く。

「日和ちゃん」

優しい声色で紡がれるのはわたしの名前。両手をのけて、目を遣る。声色と同様、優しく微笑んでいた。たっちゃんはゆっくりと首を振った。悲しげに細められた瞳を向けられる。

「…オレさ、最近、部活行きたくなかったんだ」

ぽつりと懺悔の言葉が落とされる。言葉の意味を呑みこめないでいると、たっちゃんから苦笑が漏れた。うなじに手を当てながら言う。

「二年に一人、友達なんだけどインハイ行ける奴がいてさ。一年にも一人。…ずるなんて一つもしてない。あの二人は自分の力でもぎ取ったってわかってる。…わかってんだけどね、」

ははっと空虚な笑い声が響いた。

「すっげー悔しいんだ」

片眉を下げながら、上げられた口角は痛々しい。いつものふんわりとした笑顔からかけ離れていた。悔しそうに『男の子』の顔をしていた。

「同い年とか、後輩とかが、インハイ行けんのに、オレ何やってんだろーなーって。…だから、ごめん。謝るのはオレの方だよ。日和ちゃんを部活に遅れるダシに使ったんだ」

…ごめんね。

沈んだ声で言うと、たっちゃんは、もう一度、ぺこりと頭を下げながら謝ってきた。しょんぼりと背中が丸まっている。垂れた髪の毛が邪魔で、たっちゃんがどんな表情をしているのかわからない。

たっちゃんは、わたしがおえっと吐いてても、少しも引く素振りを見せずに、だいじょうぶ?と背中を摩ってくれるような優しい男の子だ。挙動不審な態度しかできないわたしを、最初から暖かく迎え入れてくれた。

そんな男の子が人に嫉妬するほどインハイに行きたいと渇望した。

わたしは一欠片も理解していない。きっと、今も、本質はわかりきれていない。これからもわかりきれるかどうかあやしいものだ。

「…たっちゃん」

口を動かすと、カピカピに乾いた涙の筋が剥がれるような感触を覚えた。たっちゃんが顔を上げる。はらりと落ちた前髪から覗く綺麗な瞳に縋り付くようにして覗き込んだ。

「ごめんねえ」

そして、またぼろりと涙が零れ落ちた。へ、と驚くたっちゃんの顔がどんどん歪んでいく。

「ごめんね、そんなに悔しく思ってるのに、わたし、わだ、わだじぃぃ、」

「へ、日和ちゃ、だから謝るのはオレの方…!」

「やざじい゛だっ、だっぢゃん゛が、ぞんなじっど、ず、ずるぐら、い、いきたいのに、ううっ、ううーっ」

悔しい。一ミリも理解できていない。上辺をなぞることはできても本質は一生理解できない。理解できていないから、きっとわたしはこれからもたっちゃんやユキちゃんを傷つけていくのだろう。

一緒にいると傷つけるってわかっているのに。
それでも、傍にいたいと思うなんて。

「ゆ、ゆぎ、ゆぎ、ゆぎぢゃ、ん、にも、ひど、ひどいごど、」

「日和ちゃん…!?ごめん聞き取れない…!!とりあえず鼻をかんで…!!」

たっちゃんからティッシュを渡されて、ずずーっと鼻をかんだ。両手でティッシュを持ちながら、むせび泣く。

「どうじよ、ううっ、笑ってもらいだが、っ、だ、だげ、なの、に、ひど、ひどい、こと言って、も、ふた、二人から離れた方がいいって、えぐっ、わがっで、ん、のに、」

他に友達もできたのに。

「いっじょがい゛い゛よ゛〜〜うう〜〜」

どばーっと、鼻水と涙が溢れかえる。ぶーっと鼻をかむ。それでもまだとまらない。もう一度ティッシュを掴んで鼻をかむ。噛みすぎて鼻の下が痛くなってきた。

「日和ちゃん…」

おろおろと戸惑っているたっちゃんの声。ああ困らせている。泣き止まなきゃ。わかっているのに。でもどうしてもとまらない。はあっと漏らした吐息には熱がこもっていた。ぐすっと鼻を大きく啜る。すると、カーテンの向こう側からハァーッと大きなため息が聞こえた。

それは聞きなれた声で。もしかして、と顔を上げた時、シャーッとカーテンが開かれ、光が差し込んできた。

「うげっ!!バ…バケモンかと思った…」

そこには、少し体を仰け反らせて引いているユキちゃんの姿があった。

「わ、ユキちゃん!部活は?」

目を丸くしたたっちゃんが問いかける。ユキちゃんは気まずそうに「あー」と目を逸らしながら呻いた。

「…無断遅刻」

「…へ。え、っていうことはオレが遅れるってことも言ってない?」

「言ってねえ」

「えー!!絶対オレ怒られるじゃん!!なんで言ってくれないの!!」

「仕方ねーだろ!!コイツがなんっか急にあんなんなって何もおもわねーで部活行けるほどオレの神経は図太くねーんだよ!!」

たっちゃんの抗議にユキちゃんはわたしを指さしながら憤然として言い返す。

きょとり、と瞬く。

「…わたし?」

「…あ」

わたし自身を指さしながら問いかけるとユキちゃんは歯切れ悪く「まあ、そうだけど」と、憮然として答えた。

「なんで?」

「…そりゃあんな顔真っ青にして口抑えてたら気になんだろ」

「ユキちゃん、わたしに怒ってたじゃない」

「…そうだけど」

「なんで?怒ってるのに、どうして?なんで?なんで?」

なんで?を続けると、堪えかねたかのように「あー!!」と荒々しく吠えた。ユキちゃんはベッドに荒々しく腰をかけて、わたしの目を真っ直ぐに見据えながら怒鳴った。

「友達が気分悪そうにしてたら心配すんだろーが普通!!」

そう言い切ると、目を背けふんっと不貞腐れたように顔を背けた。ユキちゃんをまじまじと穴が開いてしまうのではないか、というぐらい見つめる。耳朶がほんのり朱に色づいている。

「…ウソ」

少し開けた唇からぽろっと言葉を落とすとユキちゃんはがくっとずっこけた。

「ウソじゃねーよ!なんでこんなこっぱずかしいウソわざわざつかなきゃなんねーんだ!」

「だってわたしユキちゃん傷つけた。ひどいことした。プライド、ずたずたにした」

「…そこまでわかっといてよくあんな行動出れたな」

ユキちゃんは呆れたように言う。
でも、突き放すような怒りは感じられなかった。

ぼろぼろと大粒の涙が頬を伝う。嗚咽を堪えながら弱弱しい声で切れ切れに呟くようにして問いかけた。

「わたしの、こと、きら、い、じゃ、ないの?」

視線が交錯したあと、ユキちゃんは小さく息を吐きながら視線を下にずらした。ガシガシと項を掻きながらボソリと言う。

「嫌いだったらこんなとこまでこねーよ」

大きく目を見開いて驚くと、ぼろりとまた雫が転がり落ちた。俄かには信じがたくてわたしは尚質問を繰り出した。

「あんなに、怒ってたじゃん」

「そら怒るわ。あれでキレねーってなんだ。ガンジーか。非暴力不服従か。事あるごとにすべてに感謝し出すツイ廃か」

「じゃあ、なんで、」

もう一度質問を投げようとすると、ユキちゃんは「あ゛ーッ!!」と声を荒げた。キッと眼光を鋭くして怒鳴りたてる。怖いと思わなかったのは、ユキちゃんの顔が耳朶まで赤く染まっていたからだろう。

「めんどくっせーな!!お前が余計なこと言ったのはすっげームカついたわ!!しかもよりによって荒北さんに言うとかふざけんじゃねえって思ったし、何オレのためにしてやったみたいな言い方してんだあのクソアマって苛々で昨日死にそうだったわ!!」

そ、そこまで…そこまで腹立たれていたんだ…。悲しくて涙腺がぶわっと緩む。ごめんなさい、と掠れた声で紡がれた謝罪はユキちゃんの怒鳴り声にかき消された。

「けど!ムカつくと嫌いになるってのはまた別の感情なんだよ!!」

ぜえぜえと荒い呼吸音が鼓膜を揺らす。ぱちくりと瞬く。すると、隣から「よかったね日和ちゃん!」とはしゃいだ声が降ってきた。

「ユキちゃん、日和ちゃんのこと大好きなままだって!」

「…ッハァ!?なんでそーなんだよ!!」

少しの間呆けたように口をポカンと開けたあと、眉を吊り上げたユキちゃんはたっちゃんをバシンと殴った。たっちゃんは殴られた箇所を抑えながら痛いよ〜と涙ぐむ。ユキちゃんは当たり前だ痛くしたんだからな!とすぐに返す。ぎゃあぎゃあと騒々しいやり取りが心地よく耳に滑り込んでくる。

わたしここにいていいんだ。
二人のそばにいていいんだ。

瞼を下ろすと、またしても、涙が頬に流れ鼻梁を通っていく。唇に到達した涙はしょっぱかった。

「…ユキちゃ、ん」

静かに頭を垂らしてから、ゆっくりと顔を上げる。眼と眼をきちんと合わせて、一字一句噛みしめるようにして言葉を紡いだ。

「ひどいことして、ごめんね」

ややあとあいまってから、ユキちゃんはポリポリと頬を掻きながら言った。

「…まァ、もう、いいわ」

うん、と、ごにょごにょと言葉を付け足して照れ臭そうに鼻の下を擦る。たっちゃんが「ふふふ」と笑うと、それが気に食わなかったのか肘鉄をたっちゃんの鳩尾にスライドさせた。暴力反対!と悲痛な声が上がる。ユキちゃんは細めた眼でたっちゃんを一睨みしてから、ハァッと短く息を吐いてから、籠った言葉をぼそぼそと呟く。

「…八つ当たり的なモンもあったしな」

「え、そうなの?」

「…お前に、泣いてたとこ、見られてたって知って、なんっつーか、その、恥ずくて」

ユキちゃんはわたしから少し視線を逸らしながら気まずそうに歯切れ悪く言う。ぱちぱちと数度瞬いてから首を傾げた。

「えっ、ユキちゃん泣いてたの?」

「っせーな」

少し驚きながら問いかけるたっちゃんに、ユキちゃんは恥ずかしげに短く切り捨てる。わたしに視線を向けたあと「…なんだよ、そのオレが意味わかんねーこと言ってるみてェな面」と、憮然として言う。

「だってわかんないもん」

しれっと答えると、は?と気分を害したように声を荒げられた。わからないものはわからないんだから仕方ないじゃないか、とわたしも気分を悪くした。む、と眉間に皺を寄せながら疑問を口にする。

「泣いてたことの何が恥ずかしいのかわかんないもん」

ユキちゃんはあんぐりと口を開けた。むうっと不機嫌に頬を膨らますわたしに愕然とした眼差しを向けてくる。

「…恥ずいだろーが。男が泣いてんだぞ」

「恥ずかしくないよ」

間髪入れずに返す。真っ直ぐに目を向けた。二つの眼差しをしっかり見据えながら声を張って、もう一度問いかけた。

「頑張って頑張って頑張ってきたことが叶わなくて泣くことの何が恥ずかしいの?」

遠くの運動部の掛け声が聞こえてくるほど、しいんと静まり返った。

「…女が泣くのと男が泣くんじゃ訳が違うんだよ」

「恥ずかしくないよ」

「…あのなァ、」

「男の子だって悲しかったり悔しかったら泣いていいんだよ」

ユキちゃんが口を閉じた。真一文字に結ばれた唇がぷるぷると震えている。どうしたの、と問いかけようとしたら、ぐすっと鼻を啜る音が聞こえた。目を遣った先には、たっちゃんが顔を俯けていた。ぽたりとズボンに雫が落ちて染みを作る。

え、え、え。

おろおろと慌てふためいていると、「オイ葦木場お前なァ!!」と怒号が飛んできた。今度はユキちゃんに目を遣る。眼が赤く充血していた。泣くんじゃねーよと掠れた声で力なく呟いたあと、押し黙って。ハァーッと深く息を吐き、俯いた。小刻みに体が震えている。

…ああ、そうかあ。

「二人とも我慢してたんだねえ」

男の子は大変だ。簡単に泣いちゃいけないって言われているから。

穏やかな声が自然と漏れた。二人の頭に手を伸ばしてよしよしと撫でる。たっちゃんの髪の毛はふんわりと柔らかくて、ユキちゃんの髪の毛はワックスを揉みこんでいるため固かった。

「我慢しちゃ駄目だよ。泣きたい時は泣かなきゃ。わたしみたいに」

そう言うと、ユキちゃんが鼻を啜ったあと「お前ぐらい泣いてたらいつか干からびるわ」と小さくぼやいた。



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