ひだまりのまんなか

  


うう、

ひっく、

ぐすっ、

ひぐっ、

えぐっ、

「う、うう、うわあ゛あ゛あ゛ん」


わたしは、泣いていた。顔を両手で覆いながらさめざめとわんわんと泣いていた。男の先輩三人に囲まれながら泣くのは初めての経験だ。わたしを含めた四人で、並んでベンチに腰を掛けていた。

「…コイツいつまで泣いてんのォ?」

「いつまでかかるかはわからんが泣いている女子を置いてはおけんだろう」

「メンドクセ」

わたしの右隣は東堂様、左隣は福ちゃんさん、その福ちゃんさんの隣に座っている荒北さんが言葉の通り面倒くさそうに呟いたあと、言った。

「ソイツの自業自得だし、慰める気にもなんねーわ」

グサァッと真実という名の刃が容赦なくわたしの心臓に抉りこんできてさらに涙腺を崩壊させた。うわああああとわたしはさらにいっそう強く泣き始めた。

「…荒北、泣いている女子にその言い方は」

福ちゃんさんが荒北さんを咎める声が掌の向こう側から聞こえて、心が少し和らぐ。しかし、荒北さんの「女ってのは何かにつけて泣く生き物なんだヨ」と素っ気なく言う声によってまた心が尖った。荒北さん、嫌い。福ちゃんさんは、すき。

優しく『何があった?』と問いかけてくれた東堂様、そしてその場にいた福ちゃんさんと荒北さんに、わたしは泣きながら洗いざらいすべて話した。ユキちゃんが泣いてたのを見てしまったこと。たまらなく嫌だったこと。元気を出してほしいと思ったこと。なんとかしてあげたいと思ったこと。それで、荒北さんにユキちゃんを出場させてほしいと頼んだこと。全てを聞いた東堂様は『…そうか』と、穏やかに微笑んでくださった。けど、荒北さんはウッワァッと大きく顔を歪め、言ったのだ。

『サイッアク』

それでさらに、わたしの涙腺は大きく破壊された。

「しかし荒北。おまえも黒田推しだろう」

「オレが黒田推薦するのと、この甘ちゃんがユキちゃんいれてください〜っつうのはちげーってわかってて訊くんじゃねーよ。ロードのこともインハイのこともなんもわかってねェ甘ちゃんがしゃしゃり出てきて黒田のプライド潰したんだぜ、流石のオレも同情するわァ」

グサッ、グサッ、グサッ、と、言葉のナイフがわたしを滅多切りにしていく。

「…荒北、お前というやつは」

「だって事実だろォ」

「そうだからモテんのだ、お前は」

「ヘイヘイ」

こういう物事をずばずばと言っていく体育会系です!という男の人は、本当に苦手で嫌いだ。指の隙間から荒北さんを恨めし気に見ると、「あ?」と見下ろされ、びくっと震えあがってしまった。蛇に睨まれた蛙とはまさにこのことだ。荒北さんが鋭くした眼光でわたしを見据えていると「荒北」と力強い声が飛んできた。

「そう威嚇するな」

「威嚇してねえよ」

「すまないな、…植原さん」

ちょっとわたしの名前思い出すのに時間かかったんだね、福ちゃんさん。

「荒北は、人にも自分にも…いや人以上に自分に厳しい、そういう奴なんだ。そして口が悪いだけなんだ」

福ちゃんさんはぽつりぽつりと言葉を落としていくように喋った。ゆったりとした口調がわたしの波長に合って、気分が少し解れていく。威圧感すさまじい人で怖いって思ったけど、この中だとこの人が一番わたしと波長が合うようだ。東堂様はかっこよすぎて直視できないし、荒北さんはもうなんかひたすら怖いし。だから、自然と口が開いた。

「…わたし、もうどうすればいいか、わかんない、です」

スカートのポケットからハンカチを取り出して、目元に当てていく。すっかり熱くなった瞼。頬を流れていった涙の筋が渇いていた。

「なんか、もう、ほんと、すごいユキちゃん傷つけて、ユキちゃん、ただでさえ、傷ついてるのに」

ぐすっと、嗚咽が漏れる。

「ユキちゃん、謝ったって、許してくれないかも、ですよね」

ユキちゃんが懸けているものを何一つ理解できなくて、大切にすることすら、できなかった。

ぽろっと涙の粒がまた溢れて、ハンカチに染みを作った。瞼を閉じてから、ハンカチを当てる。どんどんとハンカチが濡れていった。

「…植原さん」

福ちゃんさんに名前を呼ばれ、ハンカチを瞼から離してから、顔を上げる。とても真剣な面持ちの福ちゃんさんが、じいっとわたしを見据えていた。

福ちゃんさんは口を少しだけ開いて、また閉じた。膝の上で丸めた拳に力が入っていく。言うか、言うべきか。逡巡しているようだった。そして、意を決したように口を開いた。

「謝ったって、許されないことは確かにある」

重々しく放たれた言葉は、ずんっとわたしの心に深く沈んだ。先ほどの荒北さんのきつい言葉の何倍も、厳しい響きを持っていた。

「植原さんがしたことは、黒田のプライドをずたずたに傷つけたのは間違いないだろう。荒北も、東堂も、オレも、もしそういうことをされたら例外なく気分を害する」

荒北さんも、優しい東堂様も、否定しなかった。福ちゃんさんの発する声はとても冷静で、わたしを責めているような声色ではないのに、荒北さんに『最悪』と詰られた時よりも、苦しかった。

どうしてだろう。

どうして、わたしはみんながわかることを、わかれないんだろう。

人を傷つけて、不快にさせて、それでようやくわかる。それがわたしだ。

みんなが間違いなく生きていく中、わたしだけ、間違いだらけだ。

恥ずかしくて悲しくて、じんわりと薄い水膜が瞼を張っていく。掌を爪が食い込むほど丸めた。

「だが、間違いはだれにでもある。…少なくとも、オレは、間違ったことは、ある」

…へ。

鳩が豆鉄砲を食らったような表情を浮かべながら、顔を上げる。福ちゃんさんは、無表情だった。でも、無表情の中に、少しだけ後悔の色が見受けられた。

「…謝ったって取り返しがつかないことをオレはしたことがある。殴られたって仕方ないことを、オレはした」

淡々と語っていく福ちゃんさんに、わたしはぱちぱちと目を瞬かせた。三年生で、落ち着いていて、どっしりと構えている福ちゃんさんが、間違えたことがある。俄かには信じられない話だ。

「…許してくれないかもしれない。ただ自分の心に折り合いをつけるだけと言われたって仕方ないことかもしれない。でも、それでも、謝ることは大切だと、オレは思う」

福ちゃんさんはそう言うと、少しだけ口角をあげた。

「…許してくれないことでも、誠意をもって謝ると心が通じて、許してもらえることもある。黒田は人の誠意がきちんとわかる男だ」

アイツと同じように。

小さく付け足された言葉には、尊敬の念がこめられていた。

言いたくないことを言ってくれたすごい福ちゃんさんに尊敬されるようなすごい人がこの世にいるんだなあ。…神様?

「植原さん」

甘く爽やかな声がわたしの名を呼んだ。ぐるんと体の向きを回転させて「ひゃい!」と声を上げる。

「植原さんは、黒田を傷つけたくてああいう行動に出たのではないのだろう?」

切れ長の澄んだ瞳がじいっとわたしを見つめる。わたしは東堂様のご質問に対し、声を大きく張り上げた。

「もちろんです!!」

わたしは馬鹿なことをしてばっかりの、馬鹿な子だけど。ユキちゃんに嫌な思いをさせてばっかだけど。

傷つけたいと思ったことは、一度たりともないのだ。

東堂様が瞳を緩めて「なら、大丈夫だ」と、わたしの頭に大きな掌をのせた。

「絶対、伝わるさ」

そう優しく言葉を添えて、優しくわたしの頭を撫でてくれた。

きらきらと眩しい光りに包み込まれている東堂様はとてつもなく格好いい。眩しすぎて直視するのが辛い。これから東堂様のご尊顔を拝見する時にはサングラスをかけた方がいいのかも…あ、でもそれだと東堂様のご尊顔が見づらい…と悩みながら、わたしはうっとりと「はい…!」と手を組んで答えた。

「植原さんの目がハートになっている」

「ワハハ、流石オレだな!」

「ウッザァ」

「ウザくはないな!」



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