中学時代から、大好きだった。楽しそうにバスケをしている姿だとか、友達にいじられている姿とかを、見ているうちに、自然と好きになっていた。
好きだけど、想いは伝えなかった。そっと胸にしまって、こっそりと彼を想い続けた。
彼女ができても、どうせいつか別れるだろうという意識が胸の中に存在していた。
実際に、私の目論見通り黄瀬くんは短期間の交際を繰り返していて、私は安心していた。
自分を磨いて、黄瀬くんに釣り合うようになったら、想いを告げる。そして、黄瀬くんにとって、今までの彼女とは違う、“特別”な女の子になろう、と思っていた。
中学時代からずっと見ていた。
なのに。いつの間にか、私の知らないところで、黄瀬くんは変わっていった。
『俺は!林野さんと一緒にまわりたいんスよ!!』
人前で、大声で、そんな必死な顔を、女の子に向けるような人じゃなかったのに。
なんで?なんでそんなことその子には言うの?
その子、彼女ですらないんでしょ?
まるで、そんな、好きな子にするような、態度。
やめてよ。
そのあと私は暴走して、しくじった。文化祭の次の日、黄瀬くんを勢いのまま呼び出して、告白して、フラれた。振り方の例文みたいな台詞でフラれた。私にとって黄瀬くんは“特別”な男の子だけど黄瀬くんにとって私は特別でもなんでもない、今まで付き合ってきた彼女と一緒の、いやそれ以下のただの女の子だった。
何年も想ってきた私を差し置いて、弟子だとか意味のわからないことを言って、黄瀬くんの傍においてもらっているあの子に怒りの矛先が向いた。
私は黄瀬くんに好かれるために、勉強も頑張って、髪の毛の手入れもきちんとして、男の子が好きそうなナチュラルメイクをして、自分を高める努力を常に怠っていないのに、あの子と言えば、馬鹿っぽい口調で喋り、髪の毛ボサボサで、すっぴんで、何の努力もしてなくて。そのくせ黄瀬くんの傍に“弟子だから”と自分の好意を隠して傍にいて。
怒りしか、沸かなかった。
そこから先は思い出したくもない。できるだけ怒りを抑えていたけど、勢いのまま殴りつけて、黄瀬くんにばれて。完璧に嫌われて。
黄瀬くんに恋をしていたこの三年間の意味がなくなった。
特別に想われるどころか、嫌われた。
私の努力は、なんだったのか。
黄瀬くんのことを、好きになったことなんて、間違いだったんだ。
「ゴメン」
目の前には、私にぺこっと頭を下げている黄瀬くんがいた。
黄瀬くんに呼び出されたのは、黄瀬くんの彼女となった林野さんに、私がまた変なことをしないかを危惧して、林野さんに変なことをするなよと言いに来たのだと思っていた。
あの時の自分の行動は、今まで自分が見下していた少女漫画の意地悪な女の子そのもので、情けなくて失笑が生まれる。
もうあんなことしないよ。安心して。安心して、幸せになってよ。
意地悪な女の子は、あなた達の物語にもう出てこないから。
まるで最初からいなかったみたいに。
と、卑屈になっていたところに、謝られて、どう反応すればいいのかわからない。なんで謝られているのかもわからない。
「あんたがしたこと、今でもどうかと思うけど、俺も言い過ぎた。…ゴメン」
もう一度、謝罪を口にする。それは上辺だけの言葉じゃなくて、きちんと謝罪の気持ちがこめられていた。
私はどう返せばいいのかわからず、所在なさげな目で、黄瀬くんを見ることしかできない。
黄瀬くんは首の裏に手をあてながら、バツが悪そうに、叱られた子供が弁明するように、ぽつぽつと言った。
「林野さんに、いっしょだって言われたんス。自分の俺を想う気持ちと、あんたの俺を想う気持ちと、…俺が林野さんを好きな気持ち。自分だったら、好きなやつにあんなこと言われたら辛いって、悲しいって言われて、わかった。俺も、林野さんにあんなん言われたら、マジでキツイなって」
ぽつぽつと、言葉を降らせていく黄瀬くんの顔は、三年間ずっと見てきたのに、初めて見る顔をしていた。
どこか頼りなくて、どうしたらいいのかわからなさそうで、それでも必死に想いを伝えようとしている、そんな顔だった。
「好かれる有難味とか、ぶっちゃけわかんなかった。でも、林野さんに好かれて、初めて、誰かに自分を好いてもらうってことが、どんだけすげえことか…わかったんだ」
黄瀬くんはいつからかこういう顔をするようになった。
林野さんと一緒にいる時、林野さんのことを見ている時、
林野さんのことを話している時。
気付いているのか知らないけど、あなたはとっても、優しい顔をするの。
三年間見続けていて、私には引き出せなかった顔を、林野さんはポンポンと引き出していく。
「ゴメン。そんで、好きになってくれて、ありがとう」
ゴメンとありがとうだなんて、生意気な黄瀬くんが言うようになるなんて。
そう変えたのは、きっと林野さんだけじゃない。海常バスケ部や他の友達も関わっているだろう。
けど、黄瀬くんを変えた人たちの中に、林野さんは間違いなくいる。
そして、その中でも“特別”なのだろう。
黄瀬くんの眼を見ればわかる。
伊達に、三年間、ずっと見続けてきた訳じゃないの。
「林野さんに謝れって言われて、謝りにきたの?」
初めて、黄瀬くんに自然に喋りかけることができた。
今までは緊張して言葉が喉でつまって、しどろもどろにしか喋ることができなくて。
なのに今はするりと声が出てきた。
好きな気持ちは変わってないのに、不思議だ。
「まさか。でも、大切にしてあげてって言われた。私とあの子の気持ちはいっしょだからって。私の気持ちを大切にしてくれるなら、あの子の気持ちも大切にしてあげてほしいって、言われた」
ライバルに情けをかけられることが屈辱じゃないと言えば、嘘になる。
それに、ちょっと腹が立っている。いい人気取りというか、なんというか。
「いい子だね」と皮肉っぽく言う。
なのに黄瀬くんはそれに気づかず、でれっとして、
「でしょ」
と、得意げに、愛おしそうに言う。
雑誌の表紙の笑顔と違って、ものすごくかっこ悪かった。ださかった。情けなかった。
ああ、あの子は、こんな笑顔も。
かなわない。きっとこんな笑顔、あの子以外引き出せない。
泣き出したい気持ちをぐっと抑えて、私はにっこりと笑って、でれっと笑っている黄瀬くんに言った。
「こちらこそ、ごめんね」
黄瀬くんに出会って、私は嫌な女の子になりました。
醜い嫉妬もしました。少女漫画でいうと脇役です。
想いが通じ合っている主人公とヒーローを引っ掻き回すだけの使い捨てキャラです。
こんな恋ならしなかった方がよかったと思いました。
実らない恋なんて、しない方がよかったと思いました。
この三年間は、無駄だと思いました。
にっこりと、大好きな男の子に、とびっきりの笑顔を浮かべた。
「好きにならせてくれて、ありがとう」
フラれた意地悪な脇役キャラの負け惜しみにしか聞こえないかもしれないけれど、今ならはっきり言える。
私の三年間は、無駄じゃなかった。
少女Mの恋