「久しぶりだなあ、涼太くんち」

横から、ひろの声がした。視線を大分下げる。

…え?

思わずぎょっとしてしまった。何故かというと。ひろの髪の毛が大分伸びていたからだ。ショートボブが、胸まで届くセミロングになっている。え、いつのまにこんなに伸びたんだ…?しかも、顔立ちも大人っぽくなっている。は、これ、どういうこと?

「涼太くん、今日は、二人で頑張ろう!」

ぐっと拳を作って、オレを鼓舞するようにひろは威勢よく言う。え、何を頑張るの…とたじたじになりながらもセミロングのひろやっべ可愛いと思っていると。

「結婚させてもらえるように、頑張ろうね!」

にかっと笑い懸けてから、えいえいおー!と拳を高く天に突き出した。

…え。

…は?

「結婚ー!?」

オレの絶叫が空高く舞い上がり、うるさい!!と言うように隣の家の犬がけたましく吠えた。

なんだかよくわからないうちに、オレとひろは25になっていて、なんだかよくわかならいうちに、婚約していたらしい。オレいつ25になったの…?この前までピッチピチの16歳だったのに…。9年間の記憶がすっぽり抜け落ちているせいか実感も湧かない。鏡で自分の顔を見たら、客観的に見て精悍さが増していて、イケメンっぷりに磨きがかかっていた。

ケッコン、コンヤク。

いまいちピンとこない単語だ。だって、オレはこの前まで、16歳で。高校一年生で。結婚することを法律は許してくれない年齢だった。

「改めて自己紹介させていただきます!林野ひろです!好きな言葉は日進月歩です!最近、ダンベル体操にはまっています!」

オレ達はソファーに腰を下ろして、オレの家族と向き合う。ひろは体育系ばりばりの挨拶をして、勢いよく頭を下げた。

「相変わらずひろちゃん暑苦しいわね〜。ばかわいい〜」

体育会系とは程遠い父さん母さんは面白そうに目を細めてひろを見ている。ハハハ…とオレは乾いた笑いを漏らした。

オレが今25だとすると。もう出会って9年も経ったのか。…最初はマジでうざかったなあ。この度はご結婚のご挨拶をおさせていただきまするために…!と間違った敬語(流石にオレでも間違っているとわかる)で話しているひろを横目で見ながら、思う。

出会った頃、オレの心はまた冷え切っていて。上っ面ではへらへら笑っていても、たいていのことをバカにしていた。ひろも例に漏れず、バカにしていた。見下していた。けど、ひろはオレにずっとまとわりついてきて。オレよりも、オレのバスケを大切にしてくれていて。気付いたら、たまらなく好きになっていた。

「あらやだ、涼ちゃん、なにひろちゃんのこと見つめているの〜やーらし〜」

「母さんからかうなよ、涼太が怒るぞー」

「涼ちゃん他の女の子のことはうじゃうじゃ群がる馬鹿女とか思うくせにね〜」

「ね〜」

気付いたら二人の姉ちゃんまでリビングに降りてきていて、揶揄する眼差しをオレに向けていた。4人とも口元がにやついている。カァーッと体が熱くなる。

「うっせえ!バカ!!っつーかうじゃうじゃって…姉ちゃんたちなんで知ってんの!?」

「可愛い可愛い弟の晴れ舞台見に行っていたのよ〜」

「お姉さん、うじゃうじゃって何のことですか?」

「わー!!ひろ!!聞かないで!!お願い!!マジで!!」

オレの性格の悪さが詰め込まれている言葉。聞かせたくなくて、でかい声を出して邪魔をする。あの時は苛立ちもピークだったし…!!

けど、ひろは唇を尖らせて「えーなんで!」と面白くなさそうな顔をする。

「だって、ひろのオレ像が壊れるっつーか」

視線を落として、ぼそぼそとくぐもった声で言う。

何をしたのかわかんねえけど、オレは婚約までこぎつけることに成功できたようだ。なのに、今更過去のつまらないことを知られて、おじゃんになったら、立ち直れない。…うわー、女々しい。

すると、ぐいっと両手で顔を挟まれた。小さな掌の感触を頬に感じる。持ち上げられて、目と目を合わせられた。焦げ茶色の瞳が、真っ直ぐに、オレを射抜く。

「私、涼太くんのかなり性格悪いところ、結構見てきたからね!!そんなね、幻想ばっか持ってないよ!!幻想ばっか持ってて、涼太くんのほんとの姿から目を逸らして、それで結婚したいなんて思う訳ないでしょ!!バカチン!!」

少し怒っているからか、語気が荒い。ぎゅーっとオレの頬を引っ張った。

「いたたたたた!」

「痛くしているの!!涼太くんが私を舐めるから!!」

出会ってから9年経ったからか、ひろのオレへの態度はものすごく砕けたものになっていた。出会った頃は、オレが何をしてもカッコいいカッコいいと、ヒーローに憧れるガキのように絶賛してくれていたのに。今じゃ、バカチン。
頬を引っ張られているからわからないけど、口元が自然と緩んでいくのを感じた。

なんだろ、すっげー、うれしい。

「は…っ、す、すみません!息子さんにこのようなご失礼をお働いてしまって…!!」

ひろが突然オレの頬から手を離して、ぺこぺことオレの家族たちに向かって頭を下げ始めた。

「いいのいいの、それくらいやっちゃって!」

「末っ子だからって甘やかし過ぎたからなー。どんどん叱ってやってほしい」

「ねー、私たちも甘やかし過ぎたよね〜」

「ね〜」

「いや姉ちゃんたちはオレをいじめてたじゃん!?何言ってんの!?」

慌てて抗議も兼ねたツッコミを入れる。それを見たひろはアハハ!と大きく笑った。ぱあっと、花が咲いたような笑顔。その笑顔は、9年前から変わっていなくて。

ケッコンとかコンヤクとか、よくわかんない。
けど、この笑顔を一番近くで見守れるのがケッコンなら、なんて素晴らしい制度だろう。

「…ひろ」

もう、したのだろうけど。オレの記憶に全く残ってないから、しようと思った。真剣な声でひろの名前を呼ぶ。ひろが「ん?」と首を傾げた。

心臓がバクバクと鳴っている。フリースローを決める時以上にうるさい。口から胃が出そうだ。

大きな丸い瞳が、オレを見据えている。ごくっと唾を呑みこんでから、オレは、言った。


「林野ひろさん、オレと結婚してください!!」









バシィッと頭に衝撃を受けて、オレは起きた。…起きた?

重い瞼を開けると、クラスメートの視線がオレに集中していた。女子の視線ならしょっちゅう感じるけど、男子の視線まで、オレに集中している。全員『…は?』『何いってんのコイツ?』という表情を浮かべている。

ゆっくりと、身を起こす。ゴゴゴゴ…と地響きが聞こえた。顔を上げると、眉をこれでもかというくらいに吊り上げた監督が教科書を丸めていた。閉じられた瞼がぴくぴくと動いている。

「黄瀬。今お前がやるべきことを教えてやろう。それはな、プロポーズじゃなくて…、」

カッと血走った目が見開かれ、教科書が大きく振り上げられた。

「オレの授業を聞くことだァァァ!!」

「ギャアアアッ!!暴力反対!!暴力反対!!」




きっと幸せになれる



prev next

bkm
- ナノ -