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──桜を見ると嫌になる

教室の窓の外。
先生はそう言って、咲き誇る桜の花に目を細めた。





「お妙」

名を呼ばれ、窓枠に手をかけていた生徒がその声に反応する。

「おりょう」
「こんなところで何してるの」
「外の景色を見てただけよ。おりょうこそ、委員会は終わったの」
「まあね。だからあんたの所に来たんでしょ」
「私がここに居るって知ってたの?」
「あら、ここって向こうから丸見えなのよ?」

え?と目を丸くした妙を見て、おりょうはからからと笑う。

「やっぱり気付いてなかったんだ。こっちはみんなお妙に大注目だったのに」
「全然気付かなかった・・・」
「委員会に来てた男達みーんな、志村さんが自分を見てる!って思ってんのよ。可笑しいったらありゃしない」
「まさか」
「あら、私が嘘吐いてるって?」
「おりょうは大げさだからね」
「あんたねえ、私がそんなしょーもない嘘吐いて何のメリットががあるのよ」

おりょうはわざとらしく溜息を吐く。そんな姿に妙は堪えきれず、プッと吹き出した。軽い言い合いは仲の良い証拠。くすくすと笑う妙を見やり、おりょうもまた愉しげに笑った。

「でもね、男達があんたを意識してたのは本当よ」

ささやかに流れてくる風を肌で受けながら、妙は窓の外にある緑色を眺める。そればかりに目がいき、向こうの校舎から見られているなど全く気付かなかった。

「あんたって自分が思ってるよりは目立つのよ」
「そうかしら」
「だってあの坂田先生ですらあんたを見てたからね」
「坂田先生?」

思わずおりょうを見た。意外な名前に驚きが隠せない。

「そうそう、あの坂田先生。うちの委員会の顧問なの」

坂田という教師は校内の有名人だ。地毛だという派手な髪の色にヤル気のなさそうな態度。なのに生徒からの人望は厚いという不思議な人物。それが坂田という教師だった。

「あのなんにも興味ありませーんみたいな人がお妙を見てたのよ?意外だったわー」
「そうかな・・・たまたま外見てただけじゃないの」
「まあ、あの先生って何考えてるか分かんないし、確定じゃないけどね」

何を考えてるか分からないというのは妙も同意だ。実際に分からないから。今も、ずっと。
風が葉を揺らす。今は緑でも、また春になれば桃色に色づくのだろう。

「・・・桜が嫌だって、どういう意味だと思う?」

妙の質問は唐突だったが、おりょうは何も言わずに妙に視線を向ける。

「おりょうはどう思う?嫌いじゃなくて嫌ってどういう気持ちなんだろう」
「桜が嫌か・・・」

おりょうは思考を巡らせる。珍しく親友が悩んでいるらしい。どんなときも笑顔で乗り越えていく強い彼女だが、たまにこうやって自分を頼ってくれる。それが嬉しい。

「そうね・・・桜が嫌いだと単純に桜のことが嫌いってことになるけど、それとはちょっと違う感じがするわね」

おりょうの言葉に妙が頷く。

「桜が嫌ねえ・・・あっ」
「え?」
「雨よ。雨」
「雨がどうしたの?」

だからね、とおりょうは急くように言葉を続ける。

「雨がずっと降り続いてたらさ、雨って嫌だなあって思わない?」
「うーん、思うかも」
「でも、雨が嫌いかって言われたらそうでもないでしょ?」
「うん。人によるだろうけど私は嫌いじゃないな」
「でしょ?それと同じで、桜が嫌っていうのは桜が嫌いってことじゃなくてそのシチュエーションのことじゃないの」

雨は嫌いじゃなくても雨が嫌になる時もある。それは雨が降り続いていた時だったり、帰りに土砂降りの雨に見舞われてしまった時だったり。どこかへ遠出する時に雨が降ったりしても嫌に感じるかもしれない。それは人それぞれだが、誰しもが心にある感覚だろう。

「だからさ、桜の季節になるとそいつにとって嫌になる出来事があるんじゃないの?」
「そいつって、誰のことか言ったっけ」
「あんたを口説こうとしてるメンドくさい男の話だと思ったんだけど」

違うの?と訊かれても妙は苦笑するしかない。隠すつもりはなかったが、なぜかその名を口に出しづらかった。

「桜の季節って何があるかしら」

おりょうがぽつりと呟く。

「お花見とかは、ないか。嫌なら出かけなきゃいいだけだし。お妙はどう思う?」
「そうねえ、入学式かしら。場所によっては散ってるけど、一応桜の季節よね」
「でもさあ、入学式が嫌だって思う?それならまだ・・・」

と言いかけて、おりょうが妙を見やった。

「そいつが言ってるの卒業式なんじゃない?」
「卒業式?」
「桜が咲いたら卒業しててもういないから、だから嫌になるとか」
「咲いたらもういない・・・」

──桜を見ると嫌になる。

細めた目は桜を見ているのだと思った。桜だけを見ているのだと。でも本当はそれだけではなくて、そこに浮かぶ光景に想いを馳せていたのだろうか。

「ほらね、やっぱりあんたを口説いてるじゃない」

微かに目を伏せていた妙の顔を、おりょうは笑顔でのぞき込む。

「要するに、そいつはお妙が卒業してしまうのが嫌だってことでしょ?」
「まさか・・・」

笑って否定してみても、おりょうの言葉とあの日の記憶が焼き付いて離れなかった。



三月の放課後。妙はそこから見える光景に見惚れていた。桜が揺れる。花弁が簡単に散っていく。

「おーい、誰か残ってんのか」

桜に見惚れていて気付くのが遅れた。自分にかけられた声に振り返れば、その先にあった眠たげな目が僅かに見開いた。

「ああ・・・志村か」

名前を呼ばれて驚いた。相手は自分とは違う学年を受け持っている教師。まともに話したこともなく、すれ違い様に挨拶するだけの相手だ。だから自分のことなど知らないと思っていた。

「先生は見回りですか」
「まあな。そろそろ締めるぞ」
「あ、すみません。もう帰ります。忘れ物を取りに来ただけなので」

親しくもない教師と二人きりなど気まずくてたまらない。妙は当初の目的を思い出し、慌てて忘れ物を掴む。

「ーーー桜を見てたのか」

教室に入ってくるとは思わなかった。教師に話しかけられて無視できるほど図太くはない。妙は手を止め、もう一度外に目を向けた。

「ここから見る桜が好きなんです」

桜の木の向こう側に運動場と体育館が見える。今も部活生達が走り回っているはずだ。入学式の日も、こんな景色を見ていた。

「教室の階は違うけど、入学した時もここの桜が見えました。自分の高校生活の始まりも今も、この桜と一緒に過ごした気がするんです。卒業するまで、ずっと」

桜の開花にはまだ早い時期に卒業する。でも、そこに桜がなくても、きっと桜を見るたびに思い出すのだ。ここに入った日のこと。過ごした日々のこと。そして、卒業する日のことを。

「きっと、卒業しても桜を見たら思い出すんでしょうね」

自分はいなくなるけれど、桜はずっとここに在る。これからもずっと。

「俺は嫌だな」

スリッパを引きずるような音がして、それが妙と少し離れた場所で止まった。

「桜を見ると嫌になる」

同じように窓の外を眺める横顔に感情は見えない。

「先生は桜がお嫌いですか」
「嫌いじゃねえよ。好きでもねえけど」
「でも、嫌なんですよね」
「今まではそうでもなかったけどな」

はぐらかされているのだろうか。肝心なことは決して口にしないのに、何を伝えようとしているのか。人の気持ちなど分からない。ましてや年上の男の気持ちなど。

「来月から三年だな」
「え?」
「お前ね、自分の学年も分かってねえのかよ」

低い声が微かに揺れた。笑うところを初めて見た。それくらいこの教師とは関わり合いがなかった。

「・・・あの、そろそろ帰ります」
「ああ。寄り道すんなよ」
「はい。それじゃあ失礼します、坂田先生」

ぞんざいな返答を背中で聞きながら教室を出た。妙は振り返らずに廊下を進む。廊下の先を曲がるまで、教室から物音はしなかった。



季節は巡る。妙の日常もそれを伴い変わっていく。
職員室からの帰り道、妙はふと視線を窓の外に向けた。緑の葉が風に揺れる。桜はもう散ってしまった。だが、妙の脳裏には時折あの光景が浮かぶのだ。

「おっと」
「あっ、すみませんっ!」

前から来た人物にぶつかりそうになって慌てて避けた。ぼんやりと歩いていた妙が悪い。焦って顔を上げると、直前まで考えていた教師の顔がそこにあった。

「坂田先生・・・」

あれ以来、たまに見かけるだけで会話を交わすこともなかった。元々その程度の関係だ。

「あ、あの、すみません。ぼーっとしてて・・・」

ぶつかりそうになったことへの謝罪をするが、教師らしくない見た目の男はじっと妙を見るだけで何も言わない。居心地が悪くてたまらない。

「あの、失礼しますっ」

沈黙に耐えきれず、妙は坂田の横を通りすぎようとする。しかし、

「また見てたのか」

抑揚のない低い声に妙の足は止まった。
ゆっくりと振り返れば、坂田も同じようにゆっくりと妙を見る。

「暇人」

意地悪そうにつり上がった唇から妙をからかうような台詞が溢れた。

「他にすることねえの?こんなの見てねえで、女子コーセーらしく彼氏とイチャイチャしてろよ」

意地悪なのは顔だけではないらしい。不躾な物言いに多少驚いたが、こんな喋り方をするのかと物珍しい気持ちにもなった。

「そんなこと言われても私、彼氏は・・・」
「まあ、彼氏がいねえヤツは仕方ねえか」

確かに妙に彼氏はいない。それを知ったうえでこの教師はあんなことを言ったようだ。思っていたより性格が悪い。しかしそれよりも気になることがあった。

「どうして、そんなことを知っているんですか」

彼氏の有無だけではない。妙の名前もそうだ。

「それに名前も。私の名前なんて知らないって思ってました」

2年間、まともに話したこともなければ授業を受けたこともない。こんなにたくさん居る生徒の中の1人にすぎない自分のことをなぜ知っていたのか。

「それ訊いてどうすんの?」

坂田が不意に表情を崩した。妙の質問が意外だったのかもしれない。

「訊いてもいいけど、後悔するかもよ」

うんざりしたような疲れた笑い方。どうしてそんな顔で笑うのだろうか。

「後悔ってなんですか」

知りたいと思ってしまった。
あの時からずっと、知りたかった。
なぜ桜が嫌なのか。
なぜそれを自分に伝えたのか。

「そこから動くつもりある?」

気だるい動作で溜め息混じりに吐かれた声は一段と低く、静かだった。

「動く、ですか」
「眺めてるだけじゃ分からねえこともあるってこった」

囁く声がするりと内側へ忍び込む。

「境界線、越えてみる?」

その向こうには何があるのだろう。そんなことを考えた自分に妙は息を飲んだ。
呆然と立ち尽くす妙とすれ違う間際。
坂田はとん、と妙の肩を柔く叩く。

「ぼけっとしたまま歩くと怪我するぞ」

素っ気ない言葉とは正反対の優しい手つきに、妙はなぜか泣きそうになった。


桜を見ると嫌になる。
散っていくはずだった感情が、はらりはらりと舞い続けていた。


ボーダーライン

2015/06/17
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